「歴史とは創造するものである」―これは、私の学生時代の恩師のことばです。恩師はこのことばにより歴史授業の本質をいおうとしたのだと思います。でも実際、日々の社会科歴史的分野の学習で、このことばを体現したような授業を仕組むことは、私の今の能力からいっても、また現在の高校入試問題の実態とそれに対応した年間指導計画の中では、とても困難な課題です。しかし、唯々諾々と現状に甘んじて、「教科書をやった」という“アリバイ作り”のような授業ばかりでは、私も授業が苦痛ですし、何よりもこどもたちにとっても50分の授業が居眠りか忍耐の時間以外の何ものでもない、という不幸な状態を再生産するばかりです。やはり「ずく」が必要なのだ、と痛感させられた授業について以下、少しばかり書かせていただきます。
先日、1年生のあるクラスのこどもたちと学びあったモンゴルの日本来襲(元寇)に題材をとった歴史ディベート的な討論授業では、多くの発見をこどもたちからさせてもらいました。本当に、年度末にふさわしい印象的な学びの場となりました。
―台風が来なくても、日本はモンゴルに占領されなかった?―
この論題のもと、こどもたちをYES派とNO派に分かれさせ教室を二分するかたちで着席させ、一部ディベートのルールを適応して討論活動を行わせました。こどもたちの意見は、おおよそ半分半分で意見は拮抗状態。立論のための調べ学習やまとめの時間を充分にとることのできない中で、教科書や資料集、私が必要最小限と思われる判断材料となる資料を一生懸命に活用して、こどもたちはYESと考える理由・NOと考える理由をしぼりだしまとめていきました。
論争は、やはり出足が不調でした。そこには、地理の学習で経験した白熱した討論授業の記憶が薄れて、講義式授業の悪弊の影響が多分に感じられて、本当に申し訳ない思いでいっぱいでした。でも、徐々に意見が出始めるともうそれは彼らの世界です。私は懸命に黒板にYESとNOの意見を要点的にまとめるだけ。この時、ふだんは居眠りかぼーっとしているかのどちらかのM君が、私の板書を一生懸命にノートに書き写す姿がありました。彼は、2時間の討論の後、「よくできた。みんなのいけんがちゃんとかけた」という感想を残しました。
結局、1時間ではこの論争は終わらずもう1時間、こどもたちからの要望で「バトル」を行うことになりました。授業後に寄せられたこどもたちの感想から、いくつかのものをあげたいと思います。
「僕は意見をださなくってざんねんだった。この事に一生けんめいになれる人はすごいと思った」(H君)
「本当の答えはないけど、その答えに近い答えを求めていったのは、話し合いの中で、けっこうおもしろかった」(Sさん)
「私が今思っていることは、YESに賛成だということです。でもNOの人の意見もモットモでようく考えたけど、倒すためのいけんを考えだせませんでした。サイゴのさいごまでやったらすごくなりそう。私が元に占領された高麗の人だったら、日本のみかたする。けっきょく、YESかNOかこたえなんてないとそうおもいました。でもこの戦いをおえて、えたものがあるようなきがする。あっちのイケンがすばらしくて、あんまり発言できなかったけれど」(Aさん)
「もっと調べる時間がほしい。たのしかった」(N君)
こどもたちのあげた論点を詳細に報告できないのが残念ですが、いずれにしても、彼らは本当に高度な歴史論争をしていました。討論最後にM君が発言した意見など、歴史研究者でも唸らされるものだと思います。
「僕はNOです。元軍は占領した人々を含んでいて非協力的な人がいたっていうけど、日本だって、北条氏の独裁体制に反抗的で非協力的な武士もいたと思うし、同じだ」
こどもたちの意見は時に単純で短絡的です。でも、時に本質的で根源的な問いを突き付けてくれます。そんなことを改めて痛感させてくれた、2時間にわたる歴史における「可能性」を探る、創造的な授業でした。彼らは、あの2時間「歴史を創造する」営みをしたのだと思います。私は、そんなすごい彼らに学びつづけていきたいと思います。