| ■ SF? 佐助の忍術(2.23) スペシャルの冒頭で描かれた佐助の誕生に関わるエピソードに付いて少々解説を加えておきます。
企画書で「SFにしない」と言っておきながら、あれではSFではないか、と思われた方もいるかもしれません。
まず最初にお断りしておかなくてはならないのですが、「天正十年の二月に京都から見て東方の夜空に赤い怪光が現れ、数日に渡って輝いた」というのは「史実」です。(まぁこの「史実」というのが一筋縄ではいかないのは河中氏の文章を読んでいただくとして、一応記録があります)
その後、京都から見て東方、安土に墜ちたという話もあります。そこから現れたアメーバ状の生物が織田信長に憑依して第六天魔となり、その事実に気付いた明智光秀が逆臣の汚名を被る事を覚悟でこれを討った………などと展開すると別の話が出来そうですが、そういう方向に話を持っていくと「大人が見る話」にならないと思うのです。「何処が違うの?」と思われるかもしれませんが、要は作品の主題に関わる設定かどうか、だと思っています。
佐助の誕生に関わる話は、彼がずば抜けた力を持つ忍者である「理由付け」でしかありません。
そもそも「忍者」「忍術」をどう考えるか、にもよります。我々の解釈は「ひとことで“忍術”と言っても、いろいろな種類がある」ということです。術の種類とか流派の違いとは別で、表面に見える事象へのアプローチの違いと言ったらいいでしょうか。
例えば「パッと消えたように見えた」という事象があったとします。忍者Aは常識を超えた素早い動きで相手の死角に移動したのかもしれません。忍者Bはかねて用意の布を被って闇に紛れたかも知れません。忍者Cは逆に強い光源で相手の目を眩ませて、その間に姿を消したのかもしれないし、忍者Dは相手に集団催眠をかけて堂々と立ち去ったかもしれない………そういうことです。そして中には実はESP能力者で、テレポートで瞬間移動した者がいたかもしれません。
現代ではリアリティだけを追求して、「忍者」の能力を過小に評価するのが「常識」と思う傾向があります。現代人の運動能力を基準にして「こんなことが出来たはずがない」というような考え方です。「忍者は一日に160キロを走った」と言うと、「マラソンで40キロそこそこなのに、そんなに走れるはずがない」というような先入観に縛られた意見が返って来ます。ところが現代でも「24時間マラソン」などという競技があり、その記録は300キロを超えるとも言います。全然不可能ではないのです。
ただ、明治以前の日本の一般人は「走る」こと自体をしなかったと言います。そういう一般人から見ると一日に160キロ走れる「忍者」がいたら、それは「超人」にしか見えないでしょう。
また、幻術や呪術などがリアルなものであった時代です。我々が持っている「科学的な常識」が周知されているわけでもありません。
そんな背景を考えると、一般人から見ると「忍者」は手段や手法はともかく「超人」と思われていたのです。特に密教系の修験者との関わりは密接で、それは敢えてこういう言い方をすれば「ESP開発」と言ってもいいものです。
Mrマリックではありませんが、タネのある手品と超能力の差の見極めは難しいものです。逆に言えば超能力者が本当にいたとして、手品師を職にしていたら超能力を使っていても超能力者とは思われないだろう、ということです。
つまり「忍者」の中にESP能力を持つ者がいても、「優れた術者だ」と思われるだけで、誰も「超能力者だ」などとは考えない………言い換えれば「忍者」はみんな超能力者であって、その中での分類は一般の目から見れば意味がない、そういうことです。
その中で、佐助が若くして「忍術名人」と言われた理由付け、が例の冒頭のシーンになる訳です。そこに「史実」である「赤い怪光」の話を結びつけたのが、今回の『新釈 眞田十勇士』の『新釈』たる所以です。ノンフィクションとフィクションの境界を曖昧にし、ノンフィクションをフィクションに取り込んでいくことで、実は歴史の裏に隠された真実はこうだったのではないか………そんな方向に持っていくのが「狙い」です。
だから佐助の忍術がESP能力だ、というのは作品の主題にはなり得ません。従ってこの作品は所謂SF的な展開はしません。その辺、誤解のなきように………。
ついでに言えば、この作品は「忍者もの」でもありません。佐助を主人公にしている『九度山篇』は、確かに歴史の裏舞台での暗闘ですからアクションシーンは忍者同士のものが主体となりますが、そこで「忍術合戦」を見せようとか、「影の軍団」の活躍を見せようとか、そういう意識では作っていません。狙いはあくまで「歴史もの」です。ただ、『真田太平記』のような真田一族の興亡を描こうというのとも違うし、流行の歴史シミュレーションで「IF」を提示するものとも違います。どう違うかは、今後の展開から読み取っていただくべきものと考えますが、まぁ「違うのだ」という宣言だけはしておきたい、と、そういうことです。
眞田十勇士TOPへ
TOPへ
|