清水牧場チーズ工房

巡る季節の中で、羊がいて牛がいる幸せ

シープジャパン(2017年7月発行)掲載原稿
長野県松本市 清水牧場チーズ工房
羊飼い  清 水 晴 美
チーズへのこだわりがはじまり

 北アルプス南端の山岳地帯。標高1,600mの広大な「まきば」で、ブラウンスイス牛25頭、フライスランド羊約50頭と暮らし、乳を搾り、山岳タイプの長期熟成チーズ、ウオッシュタイプのチーズ、フレッシュチーズ、羊のチーズ、ヨーグルトを製造している。
 子供のころから牛飼いにあこがれていた夫は大学卒業と共に、学生時代実習でお世話になったホクラク農業協同組合所属の酪農ヘルパーとして働き、牧場経営の機会を探していた。一銭も持たない若者が無謀であったが、大借金を抱えながら、当時のホクラク幹部の方たちの助けを借り、昭和57(1982)年.岡山県建部町でどうにか牧場経営に漕ぎ着けた。
 その後は毎日必死で働き、毎年の借金返済もできるようになったころ、ミルクそのものについての勉強を始めていた。その当時、手に入るかぎりの科学や歴史などの本を読みふけった。そうすると必ずチーズにつき当たる。

チーズを作るしかない

 当時、牛を飼い、チーズを作っている者はほとんどいない。とくに岡山県においては、前例がなかったため小さな設備を資料どおりに整えたものの、製造許可が下りない。何度交渉しても、前例がないのでダメだという。そんな時、取材に来てくれた記者の方も応援してくれたのが幸いし、昭和61(1986)年やっと許可され、チーズ作りに邁進した。フランスのチーズを毎週取り寄せ、200種以上食べた。ウオッシュタイプのチーズと山岳系の硬質チーズに魅了された。チーズと共に牛や羊の種類にも興味が出てきた。ヨーロッパでは地方(気候風土)によって牛の種類が異なるのに日本では北から南まで白黒(ホルスタイン種)一色。ちょうどそのころ大学の恩師であった故内藤元男教授が「原色図説 世界の牛」を出版した。山岳地帯の牛、ブラウンスイスに注目した。
 当時、日本では山梨県の故日野水一郎氏が唯一乳用種としてブラウンスイスを試験導入していた。実物を見たい。ミルクを飲みたい。と日野水牧場を訪ねた。 ブラウンスイスを飼うしかないと思ったものの、当時の日本ではブラウンスイスは肉用牛の範疇だったため、個人で輸入することはできない。仕方なくブラウンスイスの精液を輸入し、ホルスタインやジャージーに付け、生まれたF1にまた付け(戻し交配)、ということを繰り返していた。とにかくブラウンスイスを飼い、山岳地帯で放牧し、山岳タイプのチーズを作りたいと切に願うようになっていた。

チーズ作りの理想の地を目指して

 平成元(1989)年7月、岡山県を後にした。理想の高山地帯めざし、牛30頭、羊10頭引き連れての、大移動の始まりである。途中滋賀県信楽の友人所有の谷間の土地を借り、ほぼキャンプ生活をしながら仮営業。その年の12月、長野県、北御牧村に到着した。
 ここは標高750m、理想の土地ではなかったが、とりあえず長野県に落ち着き営業を再開し、その間に高山の土地を探そうということになった。この時もちろん無一文。再開と言っても、コストをかけるわけにはいかない。
 幸運にも、近くに、酪農家で大工もしているかたがいて、家作りを基礎から教えてくださり、一緒に作業してくださった。お蔭で、チーズ工房、牛舎などすべて手作りすることができた。小学校1年生と保育園だった子供たちも帰ってくると、一緒にコンクリートをこねたり、ブロックを積んだり、家族総出で汗を流したことが懐かしい。
 さらに幸運なことに以前の訪問以来親しくさせていただいていた日野水さんの息子さんから高齢だが純粋のブラウンスイス1頭を譲っていただくことができた。グリーンという名前のこの子は12歳で双子のメスを産んでくれた。妹のほうは16歳まで生き、姉は24歳の天寿を全うした。その間、多くの子を残してくれた。今いる25頭のブラウンスイスはグリーンの子孫になる。17年間を北御牧村で過ごし、ついに理想のこの地、松本市奈川に辿りついた。

「まきば」には羊がいて牛がいる

 5月中旬、雪が解け、「まきば」がうっすら緑に覆われるとブラウンスイスの放牧が始まる。牛たちは高山の草を腹が膨れるほど食み、標高2,121mの鎌が峰から流れ出る清流を飲み、草の色素を含む黄色く濃い良質の乳を出してくれる。
放牧シーズンに作ったチーズは青草の影響を受け、身が濃い黄色で、香り高い。
 雪深い冬のチーズは干し草中心となるためクリーム色で、脂肪率が高く、こってりとしている。このように季節による違いがはっきりとでる。2011年日本経済新聞にて、手作りチーズのランキングが発表され、山岳系の長期熟成チーズ、バッカスが日本一おいしいチーズに選ばれた。2013年には同じ日本経済新聞のヨーグルトのランキングで1位に選ばれた。この環境のもと、健康に育ってくれた牛たちのお蔭である。

 羊たちの出産は2月から3月にかけて、一斉に始まる。毎年40頭前後生まれる。多産系のため、1頭が2〜3頭出産。4頭生まれることもあり、それはそれは賑やかだ。3カ月間、しっかりと母乳を飲ませ、ぐんと大きくなったころ、親子を分けて、搾乳が始まる。
 搾乳第1日目は、まず1頭1頭手搾りで乳の出方と味を確認する。乳脂肪率5%前後の羊乳は甘くてとてもコクがある。 その後、バケットミルカーで1頭づつ搾ってゆく。6月から8月いっぱいの、3カ月間、毎日搾り、チーズを作る。1個約200gのものを1回に18個づつ作る。3週間から1カ月ほど毎日ウオッシュしながら熟成させる。外皮はリネンス菌に覆われ赤茶色。中身はむっちりした柔らかさがある。多少クセがあるもののコクがあり美味しい。


 搾乳期間中、羊たちは、小屋の裏の森やその周辺で草を食む。干し草、シリアルも適度に与える。搾乳が終了すると、「まきば」での放牧が始まる。牛は毎日、「まきば」に出かけ、夕方には小屋に戻るが、羊の場合、8月末から、雪が積もり始める11月第2週目まで小屋に戻らず、山の「まきば」で過ごす。日がな一日、草を食み、雨や雪が降れば、針葉樹林帯に入って身を守る。
 羊たちが山の「まきば」で生活している間は、健康状態や頭数確認のため、毎日出向く。
あるとき1頭足りないことに気付いた。それぞれの顔を確認すると、いないのはマーブルだ。1週間毎日 捜索するが見つからない。この広さで人が探し回るのには限界がある。ついに捜索終了。が、次の日、いつものように羊たちを呼び集めて確認していると、山の方から1頭走ってくる。その横に小さな丸くふわふわしたものがくっついてくる。マーブル!と子羊!なんと、マーブルは山で出産し、山の獣から子と自分の身を守り、1週間して子が元気に走れるようになって、やっと出てきたのだ。

 このような自然の状態で放牧していると羊だけでなく、牛にも野生の本能を見ることがある。生まれて5日ほどの子牛を伴って「まきば」に出かけた親牛が子を残したまま小屋に戻ってきてしまった。よくあることだが、通常、親はまた探しに戻り、見つけて連れ帰る。しかしこのときは1週間捜索して、見つからない。乳飲み子が1週間も乳をのまず生きているはずがないと捜索打ち切り。数日後、その子牛が「まきば」で元気に飛び回っているではないか。その理由は、「まきば」に出かけた母牛は森に隠していた我が子のところに行き、乳を飲ませ、帰り際にまた子を森に隠し、次の朝また「まきば」の森で乳を飲ませるということを繰り返していたのだ。
 我が家の羊たち、そして牛たちは、この広大な山の「まきば」で野生の本能を充分発揮していたのだ。
 5月中旬から11月初めまで「まきば」で過ごした牛や羊は雪と共に小屋に戻り、6カ月間、雪に埋もれ、マイナス20℃を下回る厳冬期を耐え、春を待つ。
 季節は巡り、牧場を始めてから36年が過ぎた。 山に抱かれながら、羊、牛と共に暮らす幸せを日々感じている。