規世子膵癌治療経緯(覚え書き)
発端
2024年暮れ〜2025年春
膀胱炎になってしまったと川中島の高見澤泌尿器科にて受診
結果、腹に水が溜まっていると言われ長野日赤婦人科へ
婦人病でなく総合的な検査が必要となり末期の膵癌と診断
経緯
1月24日高見澤泌尿器医院で日赤紹介
(1月14日付けCT 1月30日付けMRのDVD画像あり)
2月17・26・27と日赤受診、膵癌で愛和の緩和ケアを紹介される
3月12日愛和病院受診
※以上は妻の日記より
4月14日〜4月18日愛和病院へ入院 (費用 40、600円)
5月14日〜5月15日 〃 (費用 25、620円)
5月19日〜6月 9日 〃 (費用 162、970円)
※病院の食事が不味いと三光軒の焼きそば、日本蕎麦を食べたいと
三光軒テイクアウト、蕎麦(冷食)は二度セブンにて購入
その他ノドが乾くのかコーヒー牛乳を欠かさず飲む(明治のが好き)
6月9日以降は自宅療養で平方医師の腹水抜きと訪問看護を受ける
薬剤は医師の処方の下アイン薬局から届く(都度現金払い)
そばとソーメンが食べたいと言い三回作ったら少しずつ食べてくれた
最後
7月1日、ポータブルトイレや入浴時の立ち上がりに平床からだと体力を
使うだろうからと、2階の自分が使っているベッドを解体し1階八畳間へ
9:30朝の薬 11:30コーヒー牛乳 12:30トイレ(小) 12:45大量に吐く
13:30訪問看護(藤沢さん)来宅、身体を拭き髪も洗ってもらう
18:10コーヒー牛乳 19:10コーヒー牛乳 19:40中村さん助言で座薬投入
7月2日、1:30呼吸荒いも寝返りや手足を動かす
5:30目が覚めてベッドを見たら冷たくなっていて動かず、即訪問看護コール
6:39来宅した平方医師にて死亡確認
安楽院担当者と打ち合わせ、7月3日に大峰斎場にて火葬と決める
(白衣を掛けてもらう前。。。。ジュニが添い寝してくれた)