弔 辞

同級生代表 久保田 健

徹君、いやもっさん、君が死んでしまったなんて、すでにこの世にいないなんて、俺には未だに信じることが出来ない。

もっさん、俺達いつくか知ってるか。先月誕生日をむかえたばかりだから知ってるよな、俺達25、まだ25歳なんだぜ。やりたい事だっていっぱいあっただろう。4年後のソルトレイクシティのオリンピックに絶対出るって、そしてその後、野沢でおいしい居酒屋を開きたいって言ってたよな。俺約束したじゃないか、オリンピック絶対応援に行く、そして居酒屋を開いたら毎日飲みに行くって。それなのに約束を破って早くに逝ってしまうなんて。

もっさんとは保育園から中学までずっと同じクラス、そして高校も同じ学校で長い付き合いだった。その間色々な事を一緒にしたよな、このさかや旅館で布団引きや、食器洗いのアルバイトをしたり、夜風呂に入りに行ったり、高校時代部活の後、飯山から野沢までくだらないことを話しながら自転車で帰ったり、一緒にスキーしたり、サッカーをしたり、祭りの夜ビールを飲んで見つかって怒られたり、楽しかった思い出、まだまだ数え切れない位あるよ。酒でも飲みながら昔の思い出話、これからの夢とかもっともっと語り合いたかったな。

去年の飯綱でのモーグルの世界選手権、応援に行ったよ。その時、会場にいる何百人という人が皆、徹頑張れとか、徹いけるとか、もっさんのこと応援していた。高校を卒業してからしばらく見ないうちに、いつの間にか大きくなって、有名になって俺達のもっさんから日本のいや世界の森徹になっていたな。友達としてすごく嬉しいと思う反面、なんだか遠くへ行ってしまうような複雑な気持ちだった。
でも野沢に帰ってくると、朝まで飲んだり歌ったり、やっぱりいつものもっさんだなって安心したのを覚えているよ。

入院中何度かお見舞いに行ったけど、本当は俺がもっさんを元気づけてあげるべきなのに、逆にもっさんの方が元気をくれた。
病気と一生懸命闘い、苦しくてつらいのに、いつも笑顔で接してくれた。そんな姿を見て生きる喜び、命の大切さを教わったよ。俺にとってもっさんは、親友と呼べる数少ない友達だった。そんな友達が逝ってしまった、25歳の若さで、くやしいよ。

俺達もっさんのこと決して忘れないよ。昔から目立ちたがり屋だったから皆から忘れられる事を一番心配していると思うけど、だれ一人忘れるやつなんかいないから安心してくれ。そして俺達のことも忘れるなよ、ずっと遠くから見守ってくれ、一生懸命悔いのないよう生きるから。つまらない生き方はしない、自分のやりたいことを精一杯頑張る、もっさんがそれを教えてくれたから、つまらない人生を送ったらもっさん怒るもんな。

朝まで飲んで、色々な事を話しているときが一番楽しかった。もっさんと友達だったこと、誇りに思う。遠い空のどこかにいても友達であることは変わらないよ。もっさん今までずっと頑張ってきたから疲れただろう。ゆっくりと休んでくれ。
長い間の友情本当にありがとう。
安らかにねむってください。

さようなら

友人代表   久保田 健


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