その四
 憧れのディアバレー
             <見上げる空、涙色。>

 フリースタイル・モーグルの会場となったディアバレースキー場は、私たちには「特別な場所」である。
 宿泊したパークシティから約20分。ロッキーの奥まった沢の中、全米随一の高級スキーリゾートだ。なんと、あの伝説的なスラローマー、スタイン・エリクセン(元ノルウェー)がアメリカに移住して開発したスキー場。オリンピック3冠王のトニーザイラーより、ひと昔前の金メダリスト。名前を冠したスキーがあった。
 ヒッコリーの合板スキーの表面に白い二本のミゾが掘りこまれたスキーがエリクセン。「あのスキーが欲しい。買って、買って、、」とスキーを覚えたばかりの頃、親父にねだるほどの逸品。それほど戦後の若者が憧れたスターであり、スキーだった。

[来ているはずだ]

 そして、もう一つ。ここは、逝った息子 徹がもっとも輝きを放ったスキー場なのだ。’96年12月。ここディアバレーで開催されたモーグルの北米カップ(ノーアム)の二連戦。初戦は3位。そして二戦目。得意なヘリコプターを決めて、27.23ポイント。当時では驚異的な高得点をたたきだして、見事に優勝。ワールドカップ転戦の足がかりをつかんだ。徹は翌週からワールドカップを転戦、世界選手権出場。長野オリンピック出場の内定までこぎつけた。徹にとってディアバレーは世界への登龍門だった。
 この時のポイントは、その後5年間は破られず、徹は「ディアバレーの覇者」と讃えられた。そのモーグルバーンは、スキー場の正面。ど真ん中にあって、やや北西向き。デコボコの頂点だけに朝日があたって、ノコギリの刃がむき出しているようだ。真っ青に晴れ上がった空に伸びているバーンは、冷ややかに、アスリートの挑戦を拒んでいるようでもあった。
 ここに、里谷多英や上村愛子。附田雄剛、野田鉄平、中元勝也ら、かつてのチークメイトが挑む。
 ・・・そこに行けば、とおるに会えるかも知れない。きっと来ているはずだ。長野オリンピックを断念して、ガンとの闘病中、「4年後は必ず復活する」と執念のように思い詰めたソルトレイク。ディアバレー。徹が来ていないはずはない。

[モーニング ワーク]

 「人間は、悲しみだけでは生きられない」と有名な作家が書いていた。しかし、現実には、打ちのめされる悲劇は予告なしに、次から次と起こる。人は、その悲しみの中からどう立ち直って生きるか。そこが、人生のテーマでもある。
 家族であれ、恋人であれ、愛する人が逝ってしまった悲しみや寂しさ、空しさ、悔しさ(対象喪失)を、敏は「心にポッカリ、穴が空いたようだ」と表現していた。その空白を埋める努力。悲嘆から立ち直って戻る普通の生活、普通の時間。マイナスからプラスに転じるには、現実をしっかりと受け入れる何らかの行動と時間が必要だ。 
 「モーニング ワーク」(忌明けの行動)とか「グリーフ ケア」(悲嘆への支え)と医学の専門用語はいう。これがうまく行くか、どうかはたいへんなこと。うまく行かなかった人は体調を崩したり、食欲不振になったり、精神の変調を経験したり、最悪の場合は立ち直れずに、後追い自殺をしてしまうことがある。
 私と家内の場合、二年前のカナダ旅行や今回のオリンピック応援旅行は、私たちのモーニング ワーク、ないしはグリーフ ケア。現実を受け入れる一種の儀式みたいなもの。より深く、より広く、徹を理解することで、私たちもまた、癒される。悲しいことには違いないが、けっして逃げない。
 いよいよ、スタートがきた。附田も中元も野田も、徹の写真を胸にしのばせている。まず、附田。うまく滑って決勝進出。しかし中元も野田もあえなく失敗。でも、ここで信じられない光景。エアで飛ばされてデコボコに叩き付けられた鉄平。誰もが棄権と思った瞬間、鉄平は登りはじめた。外れた片方のスキーまで登り、はき直して再び滑り出した。そして第二エアでは、きれいなヘリコプターを決めた。
 こうした時、普通はコースアウトをする。しかし、鉄平は滑り切った。湧き上がる大歓声。手を振って応える鉄平。鉄平に徹を重ね合わせて応援していた私は、おもわず「トオル、トオル、、、」と叫んでいた。ふと家内をみると、うつむいて、涙目。「おっちょこちょいのアイツ(徹)、またやっちゃった」
 この光景をAP通信は、賛辞をもって全世界にこう打電した。
 「オリンピックの素晴らしい瞬間は、金メダルが決まる時だけではない。これこそがオリンピック。オリンピックムーブメントだ」
 「なにがあっても、途中で止める気はなかったですよ」(鉄平)。その気持ちが分かるような気がした。

[徹に会えた!]

 ひと足さきに帰国した家内は、このホームページにこんな書き込みをしていた。ディアバレーでは、言葉にして話したことがなかった。でも、家内も私も同じ思いだった。
 《 あおい空     投稿者  かあさん
すごい歓声の中、見上げる空、涙色。
でも、徹は軽やかに空を舞い、笑っていました。
あなたの笑顔が好きです。
あなたのちょっと甘えたような声が聞こえてきます。
あなたの出たかった4年後のオリンピック。
父さんと二人で行ってきました。
  会えて、よかった。  》
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