ソルトレークシティ・オリンピック

応援見聞珍道中記

森 行成

同時多発テロの影響で、一時は開催が危ぶまれたソルトレークシティ冬季五輪が「無事」に閉幕した。アメリカが、その威信をかけて開催に踏み切った五輪は、軍隊に守られながら、多子化に、力の下の「平和五輪」ではあったが、底抜けに明るいヤンキー気質が私たち野沢温泉村公式応援団(野沢温泉SC会長、総勢20人)を楽しませてくれた。

 21世紀最初のこの五輪で注目されたのは、@テロから守る安全対策 ANAGANOからソルトレークへの選手強化 Bアメリカのナショナリズムとホスピタリティ――などであった。

その一。

オリンピック・ムーブメントとセキュリティー

 開幕二日前。記者会見したCIA(米中央情報局)長官は「テロの可能性」を指摘、厳重なセキュリティー(安全管理)を指示したこともあって、徹底した安全管理のもとに行なわれた五輪だった。


【靴を脱ぎなさい】


 空港にしろ、会場入口にしろ警察官や迷彩服の軍隊がいたるところに配備され、ヘリコプターや軍用車が待機し、チェックはいつになく厳しい。洋服や防寒靴を脱がされるのは当たり前。金属探知機やボディチェック、手荷物はすべて公開、水はその場で飲んで見せ、カメラのスイッチを入れる。さらに職務質問と――観衆が5万人いようが、おかまいなく、一人ひとり全部この調子だから、延々と長蛇の列だ。試合時間に間に合わないのは、本人の配慮が足りないという。

 だから私たちは、まだ夜が明けないうち、開始3時間前には行動をおこして、応援に備えた。

 警戒機が会場上空を旋回するなど、かつてのオリンピックと明らかに違う。武力で競技場を固め、まさに力の下での「平和の祭典」があった。テロ事件後、連邦政府は約4000ドル(約52億円)の追加支援を認め、合計3億ドル(約400億円)の大々的なテロ警戒網を敷いた、と聞いた。


 でも、不思議なのは、延々と長蛇のアメリカ人から何の不平不満もなく、極当たり前のように、陽気にオリンピックを楽しんでいる。もともと移民の国。多民族国家を形成するアメリカは国是としての「自由と民族主義」を守るための、「セキュリティー」は普通のことなのだろう。


【やり遂げてこそ・・】


 そう。オリンピックはもともと「戦争と平和」の国勢情勢に翻弄されてきた。だからこそ、高々と掲げるオリンピックの理念、「オリンピック・ムーブメント」への理解が必要なのだ。

 約100有余年前の19世紀後半。絶えない戦争や自堕落な指導者層によって退廃的な世の中を形成していた。「世紀末」という言葉が生まれたように、心ある指導者、クーベルタン男爵は考えた。すべては「相違への無理解」からだと。

 国の違い。民族や宗教の違い。貧富の差や階級制度。思想の違い。電話もない。テレビもない。もちろんインターネットやメールもない時代。明治維新の日本では、白人は南蛮人だった。この時代に「平和運動のために、世界の若者を一堂に集めること、オリンピックの復活を思いついた。

 だからIOC(国際オリンピック委員会)は、国際組織をつかさどる政治家程の「力」は持たない。「オリンピックが平和をつくる」のではなく、「平和運動(ムーブメント)」の一環なのだ。

 戦争中の国でオリンピックをやるのはおかしい――とも聞いた。古代ギリシャでも、近代でも同じ事(戦争)が繰り返されてきた。どんな世紀でも、オリンピックは「やり遂げること」だ。やり遂げるプロセスおいてこそ、ムーブメントは発揮される。

その二

世界は強い。長野からソルトへ―――選手強化

 わが野沢温泉村から、森敏、富井彦(ノルディックコンバインド)と畔上大地(クロスカントリー、スプリント)の三選手が出場した。新聞調にいうと「惨敗だった」ということになる。

 しかし、この一年。あえて一年という。世界は格段に強くなっていた。なぜなのか、そこは分からない。関係者の分析を持つしかない。


【血塗れの努力、報われず】


 ちょうど一年前。ノルディックの世界選手権が開かれたラハティー(フィンランド)にも応援に出掛けた。長野五輪からの強化策が実って、そこはコンバインド団体戦に出場の森、富井、小林、荻原の同じ4選手のジャンプは、4人ともK点越えのトップ10。2位のフィンランドに、1分40秒差をつけてダントツだった。それが、たった一年で、並みのチームになった。帰国してみた新聞の論議は「世代交替が遅れた」「悲しくなるほどの惨敗」と手厳しいものだった。


 しかし、この一年。私は父親として、敏や彦たちが「血塗れの努力をしてきた」ことを目のあたりに見てきた。生活のすべてはソルトレーク五輪に。フィンランドから招いたユルキコーチとの練習や体のケアまで、やり残したことが見つからない程の精進を知っているものとして、物足りなさを感じつつ「よくやった。よく頑張った」と賛辞を贈りたいと思う。

 大地が出場したスプリントを見て、さらに驚いた。この種目は、ただひたすらに長い時間を走る競技と違って、分かりやすい。華やかだ。だれが見ても、どの選手が勝ったのかすぐわかることが、観衆を沸かせる。

 その興奮の中で、聞いたことのある名前を発見したのだ。スプリント予選4位のエルデン(ノルウェー)、決勝8位のマンニネン(フィンランド)は複合コンバインドの現役選手ではないか。マンニネンはその2日前の団体戦では、フィンランドチームの第二走者を努めたばかりだ。

 つまり、コンバインドの強豪たちはクロスカントリーの本線に交じっても、トップ10の実力の持ち主だった。身長2メートルに近い大柄の選手と戦った大地選手のファイトに敬服するとともに、こんな大男と戦う選手強化の難しさを思わずにはいられなかった。

 「アイツらの先祖は人間ではない。カモシカかトナカイだ。なにかDNAのいたずらか間違いで、人間になったのだぞ。きっと」。冗談も色褪せるほどの強さだ。


【大きな金メダル】


 しかし、私たち確実に「金メダル」をとった。何といっても、目立つが勝ちの応援合戦では金メダルだった。「オリンピックだ。徹底的に楽しもう」というわれわれの一団は超ハデハデ。日の丸模様の山高帽(富井重信氏作成)に大輪に日の丸の旗。野沢温泉小学校やともだちから託された応援旗には、みんなの寄せ書きがびっしり書いてある。みんなの願いや思いを綴ったものばかり。

 しかし、会場は3フィート以上の棒は禁止。大きな旗を振り回すわけにはいかない。だからといって、背中のリュックに仕舞っておけるものか。そこで考えたのが、セキュリティーを通過できる伸縮自在の釣り竿や物干し棒だ。日本選手がくると大きく振り回して、役員が注意する前に、小さく引っ込めてしまう。

 さすがに目に余ったのか、役員がつきっきりになってしまった後は、旗でポンチョをつくり、身にまとった。だって、みんなの思いが詰まった旗だもの・・・。


 こんなに跳ね上がっている日本の応援団に比べて、自国開催のアメリカ国旗が目に付かなかった。3フィート以上のポール持ち込み禁止といっても、手立てはあった。なぜなのだろうか。リレハンメル(ノルウェー)、長野両五輪。ラムソウ(オーストリア)、ラハティ(フィンランド)の世界選手権と各大会は、それこそ観覧席は自国の国旗で埋まったのに、アメリカは少なかった。

 最近の国際事情で問題の、「アメリカ一国主義的ナショナリズムの押しつけ」への配慮かとも考えた。しかし、日本のマスコミは「ナショナリズムの鼓舞」と報じていた。



その三

パークシティとホスピタリティー

 ちょうど日本の国土と同じくらいの面積をもつユタ州。州都ソルトレークシティーの人口は約80万人。ロッキー山脈に囲まれた、アメリカ西部の中心地。西部というからには西部劇のような荒くれ男の気性の激しい人たちがいると思いきや、みんな愉快で、「お早よう。こんばんは。ありがとうございます」なんて、知ってる日本語を並べ立てて話し掛けてくる。

【街中が高級リゾート】


 ここは、モルモン教ゆかりの地。1800年代にイエス・キリスト教会(モルモン教)の開拓者たちが入植。敬虔で穏やかな人々の風土が残る、治安の良い都市、住みやすい都市として高い評価なのだという。

 私たちは、ソルトレークから車で4〜50分のパークシティに滞在した。近くのオリンピックパークでは、ジャンプ、ボブスレー、ソリ。そして目で見渡せるところが回転や大回転、スノーボード等が行われた。ぐるっと見回すと、いたるところにスキー場が点在しており、街の中心地まで滑りおりるコースもあり、住宅の近くにもいっぱいシュプールがついている。街中が公園、街中がスキーリゾート。

 ここも1800年代は銀鉱山として栄えたが、いまはスキー中心の通年型リゾートに衣替え、年間150万人の観光客が訪れるというスケールなのだ。とにかく大きい。その滑走面積は約1000ha。野沢の7〜8倍。さらにはデアバレースキー場(回転やモーグル、エアリアル)などの高級リゾートが隣接している。


 ここを訪れた観光客が繰り出す繁華街はオールドタウンと呼ばれるメインストリートだ。わずか1500メートルのメインストリートも古き良き時代の面影をとどめ、いまにも駅馬車が現れるような錯覚にとらわれるが、各国のレストラン(日本の寿司店2軒)やお土産店、地ビール店などが軒を連ね、午後には立錐の余地がないほどの人出で混乱する。

 そして音楽あり、ダンスあり、大道芸あり。ありとあらゆるパフォーマンスが延々と演じる方も見る方もすごいエネルギーだ。


【大通り、メインストリートの役目】


 しかも驚いたことに、住宅地域とこのオールドタウンを結ぶシャトルバスは、早朝の6時から深夜の3時まで運行されている。オリンピックの特別ダイヤだと思いきや、なんとこれが通常のダイヤ。飲んで歌って踊る。長期の滞在で徹底的にリゾートライフを楽しむ欧米人の生活スタイルからすれば、不思議なことではない。着飾ったふうもない。新設の道路も見当たらない。普段の生活スタイルの中に、「オリンピックを迎え入れた」。そんな風に思った。

 人の集まるところでは、歩き方が共通するものだが、アメリカもそうだった。あっち見たり、こっち覗いたり。足はがにまた気味にブラブラと歩く。

 善光寺や浅草の仲見世。ディズニーランドや博多どんたく。日本でも人が集まる人気の場所はみんな「ブラブラ歩き」なのだ。そして、それを楽しむ演出がちゃんと出来ていた。


 ぞくぞくと人が集まってくるメインストリートと裏腹に、一区画離れたストリートは車がビュンビュン走って、人通りもまばら。店もない。寂しいものだが、繁華街と官庁街、住宅地域、それにスーパーなどの営業の地域と、しっかりと住み分けが出来ている。

 改めて、メインストリートの重要性を考えた。


[戻る]