4.佐久市100年の分岐点【新幹線佐久平駅の構造】


佐久平駅の構造は、橋上駅です。
あまり知られていませんが、この橋上駅にすることにより佐久平駅周辺は、類まれな大発展を遂げたのです。

平成3年。
鉄建公団から佐久市に示された新幹線新駅は、高原の小さな駅で、小海線接続の新駅は作らず、小海線とのアクセスは、長い長い歩道により岩村田駅を利用するというものでした。

鉄建公団の建設案に加えての設備設置は、すべて提案者によって財政負担するという原則の中で検討が重ねられました。

結果、佐久市は、構造は橋上駅、小海線アクセスは新駅を建設、プラザ佐久を併設させ、60ヘクタールの区画整理事業を実施するという大決断をしたのです。

橋上駅は、文字通り駅【改札】が橋の上にあります。
佐久平駅や軽井沢駅が橋上です。
それに対し、駅が地上にある駅を地上駅と言い上田駅がそうなのです。

佐久平駅を例にとると蓼科口の方が先行し土地利用が進みましたが、その後、浅間口もマンション、ホテル、商業施設、クリニック等の建設によって土地利用率99%となりました。固定資産税にして117倍増となり、地方都市では最も新幹線効果のあった駅と言われています。

橋上駅は、北口、南口といったように両方の改札口ごとの駅前開発を行えるため、土地利用が2倍となります。
軽井沢駅が橋上駅であることによって、アウトレットまで徒歩3分を可能にしています。これが地上駅であった場合、シーズンによって渋滞激しい軽井沢では、今の発展はあり得なかったのではないでしょうか。

この決断は、三浦前市長の英断であることは言うまでもありません。
加えて、角田邦男助役、木内徳雄収入役をはじめとする佐久市役所理事者から担当職員にいたるまで、一丸となって将来の佐久市の為に真剣な検討を懸命に行ったことにより、正確な判断、100年に一度の分岐点において正しい選択が出来たのだと思います。

柳田清二

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