ノエル1&2(PS)

大人のリカちゃん電話ゲームは、続編でこうなった

  

ノエルの不思議な魅力

 ノエルというゲームは、非常に不思議なゲームなのだ。最初の立ち上げから数分で投げ出す人と、どっぷりと浸ってしまう人と、明確に二分される。まあ、嗜好品であるゲームには、少なからずそういう面があるのは否めないんだけど、これがやたらと激しい。二分されるというよりも、ついてこれない奴は、斬り捨て御免!って感じだ。
 なにしろ、このゲームやってみるとわかるのだが、何をするゲームなのかが、最初は全く理解できないんだ。目的が分からない上に、電話一つかけるにも、操作方法が直感的にわかりづらい。更にゲーム起動直後にCDの入替作業があるという追い打ちまで!!!。ここまで徹底されちゃうと、最初(それも開始後、数分〜数十分)で投げ出すプレーヤー・・・切り捨てられたプレーヤーが、かなりいたのだろうな、と容易に想像できちゃうわけです(笑)。
 この辺は、如何にも開発者の自己満足的な部分の現われだし、基本的にこのゲームって、俺的にイっちゃっているゲームじゃないかと(笑)。例えば、近未来のビジュアルホンという架空の装置を操作させることで、リアリティを持たせよう!なんてのが、開発者の意図と思われるんだけど、その装置を使用するのって近未来であっても日本なわけで、説明が英語でしか出てこない!ってのは、子供でも疑問を感じるほど馬鹿馬鹿しい仕様じゃない。ビジュアルホンを使用するのは、若者だけじゃなくて、当然老人を含むいろいろな世代がいるはずなのにさ(笑)。
 ところが、大抵のイっちゃっているゲームは、半端でつまらねえことが多いのだけど、こいつの場合は、少し違う。どこか、つきぬけちゃった、というのかな?。おそらく、このゲームの目的であろうゲームキャラとの会話を楽しむことだけに、プログラム・ビジュアル・ボイスetc.を徹底させたところに、ノエルには妙な味があるわけです。ちと方向性は違うが、例えて言うなら、やっぱり俺的にイっちゃっているデスクリムゾンに妙な味があるのと同じ(笑)。もっとも、この二つのゲームの違いは、イっちゃている方向が正しいか誤りか、という大きな違いがあるんですけど。
 そもそもリカちゃん電話と大差ない内容のものに、リプレイ性を持たせるため、名人芸のような会話ボールの微妙な投げ込みタイミングを要求し、会話系列の複数化を行う。この辺に俺的にイっちゃている!ってくらい徹底的に調整かけているのが、ノエルのわけのわからなさと共に、面白味なわけ。
 そう、ノエルは、行動に対してお決まりのリアクションという定番の面白さではなく、どうなるかわからないこと自体を楽しむゲームだったのだ。だから、わからないこと自体を楽しめない人、もしくはそこにたどり着くまでに力尽きてしまった人、この人達は、このゲームに何の救いも見出せません。FF7では本編に落ちこぼれても、チョコボレースに救われたりしますが、ノエルは単にそういうプレーヤーを切り捨て、置き去りにするだけです。
 だって、俺的にイっちゃているんだもん、そんなOut of 眼中なこと、無視されるのは当たり前(笑)。

 

攻略本に見られる続編の方針転換

 とまあ、こんな経緯のあった初回作だったわけですから、開発元としてはこう考えたのも不思議じゃないでしょう。どうも、わかりにくいのがまずかったらしい。ならば、操作をわかりやすくし、目的もギャルゲーらしくすれば、前作を買ってくれた人+αが望めるだろう・・・。
 不評だったものを直すことはいいことですねえ。制作者の基本の姿勢ですけど(笑)。でも、忘れちゃいけませんよ、あっさり、そうあまりにもばっさりと切り捨てられたプレーヤーは、そのシリーズに対して怨恨・・・あわわ疑問符を付けるであろうことを。この辺からして、ノエル2ってハズレるべくしてハズレたって感じだね。
 さて、この辺のわかりやすくしたというのが、具体的にどうなったのかは、なんとこの二つのゲームの攻略本を見比べてみると、よ〜くわかります。ノエル1では、会話ボールの系列の解説までだったものが、ノエル2では、そのキャラとのハッピーエンドまでの完全フローチャートになっている。つまり、ゲームの目的が会話そのものから、女の子をナンパするということになったこと、そしてそこまでの手順もマニュアル化できるほど単純になったということです。
 また、ノエル2では携帯型ビジュアルホンが登場しましたので、電話をかける時間がほぼ決まっていた前作とは異なり、昼間とかでも会話できる・・・っていうよりも、その女の子を攻略するためには、しなくちゃいけません。これって、攻略本がなければ、1時間おきに電話をかけまくれ!ということになりますね。
 それでです、脈絡もなく電話をかける代わりに、街を意味もなく歩きまわり、適当な選択肢を選んでいくと好感度が上がり、最後は女の子とラブラブになる、と考えていくと・・・ありゃ、同級生と全然変わりないじゃないの!(爆)。同級生と違いがあるのは、電話と街をうろつくことの違い、選択肢の複雑さ、あ〜んどHシーンの有無、程度の違いしかなかったりします。
 しかも、中身がこれだけ変わっているのに、タイトルもゲーム雑誌も全然別物ですよ、とは教えてくれないわけでして、一体全体前作を信じて買った人の立場はどうすりゃいいのでしょうか?甚だ疑問です(笑)。もっとも、開発者がイっちゃっているじゃないの?、というところがなくなったところで、ノエル2は前作とは別物になってしまうのでしょうが。おまけに、よほどの人でない限り、2回連続してイっちゃえる人も少ないでしょうし、ある意味なるべくしてなった結果とも言えます(笑)。

 

で、今回の結論ですが・・・

 この二つのゲームは、シリーズというものの制作が本質的に難しいということを教えてくれます。まして、前作の売りになった部分がプレーヤーに理解されなかった場合には。にも関わらず、現在発売されているゲームにシリーズ物が多いことは、当たり前のことですが、知名度という名の宣伝広告の影響力がゲーム販売の成否に不可欠であることを示しているわけ。
 前作の宣伝広告費を無駄にしたくない企業論理には、頭が下がる思いですが、だからといって、全然中身が違うものを続編だと言い張られるのも困り者。特に、コンシューマゲームでは、タイトルと雑誌のレビューを頼りにするほか、一般のプレーヤーには、判断材料がないだけにね。
 だから、ラネージュの前についているノエルなんてタイトルは、詐欺みたいなものです。もっとも、ポリサムのように「今まではプロローグに過ぎなかった」とほざいた挙げ句に、多くのプレーヤーから、「だったら、プロローグの方がいいや」とあっさり結論づけられたゲームよりは、(前作も大ヒットしなかった分)多少はマシというものでしょうが。
 それから、ノエル2で感じたのは、声優の演技が1よりも、確実に下手くそになっていること。これって、制作費が削られたという証拠なんですかねえ?会話のフローチャート化と共に、イケてねえ演技の声が、いよいよ昔聞いたリカちゃん電話の無機質で、予想通りの答えしか返ってこない、つまらなさを増幅させてくれます。
 結局、続編はつまらない、というジンクスを、わかりやすいギャルゲーを作るという方向性を見失った企画と、声優などのクオリティダウンなどで、非常にわかりやすく納得させてくれる、という意味で、この二つのゲームは見比べる価値があると言って良いでしょう。