21世紀の日中関係を考える記念シンポジウム
「21世紀の中国の行方と日中関係の課題」
            −−矢吹晋・横浜市立大学教授


 長野県日中友好協会は、県日中学術交流委員会と県日中経済交流促進協議会と共催で10月17日、長野市のホテル犀北館において21世紀の日中関係を考える記念シンポジウムを開いた。県内の友好協会員、各界来賓ら約150人が参加した。
 主催者を代表して堀内巳次会長が「21世紀を迎えて、世界はテロや戦争の恐怖から解放されていない。日中両国の平和友好関係の堅持によりアジアと世界の平和繁栄に大きく貢献することとなる。日中間には靖国問題や歴史教科書問題・台湾問題・貿易摩擦問題などが有るが、それらを解決し、両国の信頼協力関係を深めて21世紀を平和・友好・共生の世紀としていく為に努力していきたい。ともに21世紀の日中関係の課題を考えたい。」とあいさつした。
 続いて矢吹晋・横浜市立大学教授が「21世紀の中国の行方と日中関係の課題」と題して記念講演を行った。
 先生は(1)小泉総理の靖国公式参拝と10月8日の中国訪問(2)日中経済交流(3)中国指導部の世代交代と行方などについて分かりやすくお話いただいた。先生の最先端情報を交えての話は、参加者に感銘を与えた。
−−(講演骨子)*靖国問題は小泉総理の訪中(盧溝橋抗日戦争記念館訪問、江沢民・朱鎔基両首脳との会談)を通じて基本的には幕を引いたこととなる。中国側には10月20日からのAPECを是非とも成功させたいという思いがあった。靖国問題は中曾根総理が公式参拝を行って中国側の大変な抗議を受け、当時の胡耀邦総書記に書簡を送り、以後公式参拝はしないと約束した。このことは世に知られていないが、10年以上守られてきたものだ。内側の論理だけで動くと日本の国益を大きく損なうことになる。*日本経済はもはや中国を抜きにしては考えられない。小泉改革の中で抜けているのは、アジアだ。アジア経済の活力を日本経済の中に組み込んでいくという視点が無ければうまくいかない。日本は中国に打ち勝てる分野にチャレンジする以外にないだろう。本当の経済改革とは優勝劣敗、負けたものは切り捨てざるを得ないということだ。また、貿易摩擦の真相は日本の商社が介在した日々摩擦だとも言える。*中国指導部の交替は2002年の党大会で江・李・朱3氏ともルールに則ってきっぱりと引退するだろう。胡錦涛・李瑞環氏らが後を受けていくだろう。現在の中国は明治政府の様なところが有るが、社会が猛烈に変わりつつあり、後5〜10年で1〜2億人が中産階級化(マイカーとマイホームを持てる階層)すると見られ、そうなれば政治改革・民主化は必至だろう。2008年の北京オリンピックや今度の上海APEC、WTO加盟など市場経済化・グローバル化への対応していく中でそういう流れができていくだろう。−−−
 続いて、矢吹先生を囲んでコーディネーターに西堀正司県日中理事長、パネラーに山根敏郎氏(日中経済協)、佐々木徑氏(日中学術交流委)、寺沢秀文氏(日中全国青年委員長)を迎えてパネルディスカッションが行われた。会場からも発言があり、活発な討論が行われた。
−−−為替レートで計算するとGDPは日本の4兆ドルに対し中国1兆ドルだが購買力平価(生活物資の価格差を考慮したもの)で換算するその差はかなり縮まると言われている。CIAが最近発行したグローバルトレンド(2015年)によれば、日本3兆ドルに対し中国5〜6兆ドルと予測している。日本は均一な社会だが、中国は沿海と奥地では物凄いギャップがある。豊かなところとは、対等な交流を進め、貧しいところは援助の対象として付き合うことが必要だ。友好の担い手を考えるとき戦争を知らない若い世代がいかに関心を持つか難しいが、日本の有名歌手のコンサートに共感する中国の若者の状況を目にして、いろいろな形の交流が可能なのではないかと思った。中華思想が強いのではないかとの会場からの質問に対し、中国からの留学生が真剣に勉学に励んでいる例などが紹介された。詰め込み式勉強に偏り表現する力が弱い日本の若者が中国と接し学ぶ機会は貴重だ。日本の若者は素晴らしい感性を持っていると思うので、歴史認識さえしっかりすれば、レベル的にも対等に付き合っていけると思う。−−−
 第2部記念パーティーには各界来賓と協会会員ら約100名が出席して和やかに歓談した。


<資料>

「二十一世紀の中国の行方と日中関係の課題
」 
        2001年10月17日長野県日中友好協会にて講演資料

      (横浜市立大学教授 矢 吹 晋先生提供)


1.小泉内閣総理大臣の中国訪問(概要と評価)平成13年10月8日[外務省資料]
1.日程概要――10月8日(月) (以下、時間は中国時間(日本−1時間)) 10:40   北京着 午前 盧溝橋、中国人民抗日戦争記念館訪問 昼 朱鎔基総理とのワーキングランチ(於:釣魚台)。午後 v江沢民国家主席との会談(於:中南海) 17:00 北京発
2.全般的評価――(1) 今回、米国の軍事行動を受け、当初の予定を短縮し、わずか6時間余りの滞在となったが、朱鎔基総理、江沢民国家主席との会談を実現し、充実した訪問となった。また、今回、緊急事態にもかかわらず予定どおり訪中したことは、日本の対中関係重視を印象付ける上でも有意義であった。(2) 今回の訪問を通じて、小泉総理と中国首脳との個人的な信頼関係が築かれ、今回の訪問を機に日中関係は改善に向かい、今後、上海APEC、ASEAN+3首脳会議等においても協力していくことを確認した。
3.主な成果(1) 日中関係全般、(イ) 小泉総理より、来年の日中国交正常化30周年の意義、「日本年」「中国年」活動を通じた交流の促進につき言及。また、盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館での総理の揮毫「忠恕」(論語にある「真心、思いやり」の意味)を紹介しつつ、「忠恕」の精神で両国関係を発展させていきたい旨表明。(ロ) 江沢民主席よりは、小泉総理とは初対面だが、本日の会談で「日中間の緊張した局面は緩和された」としつつ、交流促進の重要性を指摘。(ハ) 小泉総理は、中国人民抗日戦争記念館を訪問の上、過去の歴史に対する反省の上に、日本が平和国家として歩んできていることを強調しつつ、日中両国関係の発展に全力を尽くしたい旨表明。これに対し、江沢民主席は、日中関係には良い時も悪い時もあるが、良くない時に靖国神社参拝、教科書問題が出てくる旨指摘。総理としての初の訪中で盧溝橋訪問を行ったことを評価。(2) 米国での連続テロ事件に関する対応、(イ) 小泉総理より、日本は米国及び国際社会と共に、テロ根絶のため毅然と対応していく旨表明。中国側は、テロ反対は全世界の共通認識であるとしつつ、米の軍事行動は正確な目標を持って、無辜の人々を傷つけてはならない旨指摘。その考え方が、昨日のブッシュ米大統領の発言の中に反映され嬉しい旨言及。(ロ) 小泉総理より、日本の措置について、日本は武力は行使せず、それ以外の経済協力、難民支援、医療、物資輸送等の面で汗を流す旨説明。これに対し、江沢民主席は、小泉総理より説明のあった協力の分野は理解しやすい旨述べる一方、アジアの人々に警戒感があることは覚えておいて欲しい旨指摘。(3) 経済面での協力。(イ) 日中間で、今後、10月末の上海APEC、11月初めのASEAN+3等の場で、地域経済における協力を深めていくことで一致。(ロ) 小泉総理より、セーフガード問題につき、話合いによる早期解決が重要である旨指摘し、朱鎔基総理も貿易上の問題については友好的協議を通じ大局的に解決したい旨発言。

2.江沢民主席との会談(概要)平成13年10月8日
 8日、訪中した小泉内閣総理大臣は、日本時間16時00分から17時00分までの約1時間、江沢民主席との間で会談を行った。(先方:唐家セン外交部長、王毅外交部副部長、武大偉駐日大使他、当方:安倍官房副長官、高野外務審議官、阿南駐中国大使、田中アジア大洋州局長他同席)。本件会談の概要は以下のとおり。
1.日中関係全般(歴史認識を含む)。(1) 小泉総理より、自分(小泉総理)は今回が3回目の訪中であると前置きした上で、本日は、テロや上海APEC前で多忙にもかかわらず、江沢民主席とお会いできて嬉しい、自分(小泉総理)は歴史に興味があり、盧溝橋に行きたいと思っていた、戦争の悲惨さ、中国の人の悲痛さが見てとれた、お詫びと哀悼の気持ちをもって(抗日戦争記念館の)展示を見た、過去の反省に立って、教訓を生かさなければいけない、二度と戦争をしてはならないと思った、日本が戦争を起こしたのは、日本が国際社会から孤立したからだと思う旨述べた。さらに、小泉総理より、抗日戦争記念館で「忠恕」と揮毫したが、この語は、論語の一節からとったもので、「忠」はまごころ、「恕」は思いやりの意味である、このような考えで、日中関係を発展させていきたいと思う、日中関係の発展は世界の平和にプラスとなる旨述べた。(2) これに対し、江沢民主席より、靖国神社参拝、教科書問題は中国人民にとり極めて敏感な問題である旨指摘しつつ、二国間関係の発展のために、小泉総理が訪中されたことを歓迎する旨述べ、その後、唐代に始まる日中交流の歴史についての発言があった。さらに、江沢民主席より、本日の会談で日中間の緊張局面が緩和された旨の発言があるとともに、来年は日中国交正常化30周年であるが、日中関係はいい局面と悪い局面があった、悪い時には、靖国神社参拝や教科書問題が起こった旨の発言があった。
2.米国連続テロ事件への対応。(1) 小泉総理より、9月11日以来、新たなテロとの戦いで、全世界は苦悩を深めている、日本は武力行使せず、戦闘行動に参加しない形で、日本の国力に応じた貢献をする考えである、例えば、難民支援、医療活動等で汗を流したい旨述べた。また、小泉総理より8日朝のブッシュ米大統領と電話会談に言及の上、同大統領からの江沢民主席に対する伝言として、(イ)APECでお会いすることを楽しみにしていること、(ロ)中国との間で前向きの関係を作りたいということの二点を伝達した。さらに、小泉総理より、テロ対策は、国によって国情・国力が違うので、対応が異なる、いずれにせよ、意見交換をして協力していきたい旨発言した。(2) 江沢民主席より、今次テロ事件に注目している、昨日武力攻撃が開始されたが、これまでブッシュ米大統領には電報を打ったし、何度か電話で会談もした、テロに反対するということでは国際社会に共通認識がある、しかし、目標を明確にすべきであり、その方がマクロ的に効果が高い、また、無辜の人を傷つけてはいけないということを伝えてきている、昨日のブッシュ大統領の発言には、この中国の立場が反映されていたので、嬉しく思っている旨述べた。また、江主席より、総理から御説明のあった日本の協力の分野は理解しやすいものである、しかし、アジアには警戒感があることを覚えておいてほしい旨の発言があった。
3.その他。江沢民主席より、来年の2002年は日中国交正常化30周年なので盛り上げていきたい、また、これからは楽観的に世界を見るべきだと思っている、21世紀は平和で美しい世界を創るべきであると考えている旨述べた。小泉総理よりは、厚生大臣として、日本人孤児を迎える立場にあったが、中国人、中国人社会の優しさに感激した、2002年を盛り上げていきたいと思う旨述べた。

3.朱鎔基総理との会談・ワーキングランチ(概要)平成13年10月8日
 8日、訪中した小泉内閣総理大臣は、日本時間14時00分から15時30分までの約1時間半、朱鎔基総理との間で会談及びワーキングランチを行った。(先方:唐家セン外交部長、王毅外交部副部長、武大偉駐日大使他、当方:安倍官房副長官、高野外務審議官、阿南駐中国大使、田中アジア大洋州局長他同席)。朱鎔基総理との間では、冒頭、短時間の会談が行われ、その後昼食にに移り、和やかな雰囲気の中で意見交換が行われた。本件会談の概要は以下のとおり。1.歴史認識――小泉総理より、歴史問題について関心があるので、本日、朱鎔基総理との会談に先立って盧溝橋を訪問した旨述べたところ、朱鎔基総理より、歴史問題は重要である、本日、小泉総理が盧溝橋及び中国人民抗日戦争記念館を訪問されたことを歓迎する、歴史問題は中国人にとって、敏感な問題であることを理解してほしい旨の発言があった。2.米国連続テロ事件への対応――小泉総理より、今後、国会で審議しようとしている新法案については、武力行使を行わないことがはっきり書いてある、それには過去の反省が背景にある旨述べた。これに対し、朱鎔基総理より、自衛隊の海外活動の拡大には慎重に対処してほしい、いずれにせよ、対テロ対策はそれぞれの国の事情に応じて行うものであると理解している旨述べた。3.セーフガード問題――小泉総理より、セーフガード問題について、日中の経済関係には若干の摩擦がある、対話により早期に解決したい旨述べたところ、朱鎔基総理より、二国間の貿易に関する一部の問題は、関係部門の友好的協議により、大局から解決すべきである旨述べた。4.その他(1) 日中間の地域協力 小泉総理より、上海APECの後にASEAN+3首脳会議がある、この地域の発展のため、日中協力ができれば、ASEANのみならず、アジアの繁栄及び人の交流にとって、プラスになるであろう旨述べた。これに対し、朱鎔基総理より、11月にASEAN+3首脳会議に出席したら、アジアの地域間協力を考える上で、日中協力の重要性が分かるであろうとの発言があった。(2) 経済情勢 小泉総理より、日本において自分(小泉総理)は改革の旗手であると言われているが、朱鎔基総理は中国の改革者であり、お会いしたかった旨述べ、その後、経済情勢、金融改革について意見交換を行った。

江沢民国家主席は8日午後、中南海で日本の小泉純一郎首相と会見した。小泉首相は江主席との会見に感謝したうえで、「今回は首相就任以来初の訪中であり、盧溝橋と抗日戦争記念館を訪問したのも初めてだ。記念館を見学して、あらためて戦争の悲惨さを痛感した。侵略によって犠牲となった中国の人々に心からのおわびと哀悼の気持ちを持った」と語った。小泉首相は「記念館に展示された残酷な場面をこの目で見た。戦争が人々に与えた苦痛は想像に耐えない。われわれは歴史を深く反省することから将来への道を探っていくべきで、二度と戦争を起こしてはならない。当時の日本は国際社会の意見を聞かずに孤立した結果、このような結果を招いた。日本は過去を深く反省し、国際社会との相互協調を堅持していかなければならない。日本は中国との関係を非常に重視している。日中関係の強化は両国国民の根本的利益であるとともに、アジアや世界の安定と発展を促す重要な要素だ」と述べた。これに対し江主席は「首相が中日関係改善のため訪中したことを歓迎する。首相就任後、中日関係に対して積極的な態度を何度も表明してきたが、重要なのは行動だと考えている。今回、抗日戦争記念館を訪問したことは大きな意義がある」と述べ、小泉首相の訪中を評価した。江主席はさらに「歴史をどのように捉えるかが中日関係の政治的基礎であり、未来に向けた出発点だ。私は歴史を教訓に未来に目を向けていくよう強調してきたが、中日関係の発展の過程は起伏に富んでいる。靖国神社には日本軍国主義の戦犯もまつられている。もし日本の指導者が参拝すれば、深刻な問題となる。アジアの人々は日本が再び同じ道を歩むのではないかと警戒している。教科書問題でカギとなるのは歴史的事実をありのままに次の世代に伝えることだ。こうして初めて友好関係を次の世代に伝えていくことができる。来年は中日国交正常化30周年にあたる。われわれは日本側とともに、さまざまな記念活動を行って両国国民の相互理解と友好を増進していきたい」と述べた。両首脳はまもなく上海で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)非公式首脳会議や、テロ対策など共に関心を持つ問題についても意見を交換した。

朱鎔基総理、小泉首相と会見
国務院の朱鎔基総理は8日、中国を訪問している日本の小泉純一郎首相と会見した。会見で朱総理は「中日関係が厳しい状況で首相が訪中したことは重要だ。首相は北京に到着してすぐ盧溝橋を訪問し、抗日戦争記念館を見学した。日本の過去の侵略戦争が中国人民に与えた大きな苦痛は未だに人々の記憶の中にある。これらの問題の解決を重視しなければ、中国を含むアジア近隣諸国との関係の根本的な改善は非常に難しくなる」と指摘した。朱総理はさらに「江沢民主席は歴史を教訓に未来に目を向けていくよう繰り返し主張している。これについて昨年私が訪日した際、与野党の人々と共通の認識を得ることができた。しかし今年に入ってから教科書問題や靖国神社参拝問題が起こり、アジア各国の人々から大きな反発を招いた。これは問題が未だに解決していないことを示している。日本がこの問題で正しい態度をとるよう希望する」と述べた。日中関係について朱総理は「中国は日本との関係発展を重視している」と述べたうえで、「来年は中日国交正常化30周年を迎える。日本側が国交正常化30周年を契機に、中日共同声明の原則を守り、歴史問題を正しく捉えて一つの中国の原則を堅持し、中日関係の大局を維持するよう期待する。中国は日本とともに、両国の友好協力関係の発展を促していきたい」と述べ、両国関係の発展に期待を示した。これに対し小泉首相は「今回初めて盧溝橋と中国人民抗日戦争記念館を訪問した。過去を学んで現在に思いを致し、将来の発展を期するのが人間の知恵だ。過去の歴史を深く反省することが、日中関係だけでなく日本とアジア近隣諸国との関係にとっても非常に重要だ」と強調した。小泉首相はさらに「日本は日中関係の重要性を認識している。両国は政治、経済・貿易、文化など各方面で交流を強化する必要がある。日中国交正常化30周年を契機に、中国とともに日中友好交流を全面的に発展させていきたい」と述べ、両国関係の発展に期待を示した。双方はさらにアジアの経済協力や国際テロ対策などについて簡単な意見交換を行った。朱総理は「歴史的原因から、アジア諸国の人々は日本の軍事動向を警戒している。海外での武力行使について日本は慎重に行わなければならない」と指摘した。

一.二一世紀の中国と日本、東アジア
1-1.WTO加盟以後の中国経済
1-1-1.中国経済の高度成長、1-1-2.中国経済の体力強化、1-1-3.北京五輪を目標として
変わる中国の経済・政治・社会
馬成三(富士総研) 今回は、年内実現の可能性もあるWTO加盟を前に、中国の経済・政治・社会の現状についてマクロの視点から考えてみたいと思います。まず、世界経済全体は停滞状況にありますが、中国に関していえば、年間で7〜8%の成長が続いています。加えて、2008年の北京オリンピック招致にも成功しました。しかし、順風満帆とはいえない状況も控えています。政治改革、社会改革の行方はいまだみえていません。矢吹先生は、現在の中国をどのようにみていらっしゃいますか。
矢吹 まず、計画経済から市場経済へのソフトランディングが見事成功したことは高く評価できますね。ただ、馬さんがご指摘になったとおり、今後に控えている政治改革は大きな課題だと思います。ケ小平の政策では、経済改革の後に政治改革という方向性が示されていましたが、江沢民国家主席になってからは、政治改革を棚上げしてしまったという感じがします。天安門事件以後、現在の秩序維持が精いっぱいで、その先にまで手が回らなかった。その結果、市場経済化には成功したものの、多くの腐敗や汚職が起こりました。政治の枠組みが、経済についていけない状況になっています。この矛盾を払しょくするためにも、政治の変化が求められています。来年秋の党大会で胡錦濤体制が確立されると思いますが、新体制での政治改革に期待したいですね。
馬 同時に、法制度や戸籍制度など、社会制度改革にも力を入れる必要があるでしょう。
矢吹 そうですね。経済が変われば政治も社会も変わる。この連関作用が働くことは間違いないでしょう。すでに、労働力の自由化が認められることになりましたが、それに伴って納税証明や社会保障給付の番号制などのシステムの構築も考えられています。
馬 日本にも、中国の市場経済化の影響はかなり出ていますね。ですから、中国の今後をみる視点というのがますます大切になってくると思います。
矢吹 100円ショップの製品はほとんどが中国製。繊維製品も中国のものが大量に流入しています。今や、中国製品なくして日本人の日常生活は考えられないという状況ですね。現在起こっている経済摩擦にしても、実態としては、日中間の問題というより、積極的に中国に進出した日本企業としなかった日本企業との間の日日問題ではないでしょうか。こうした実情を踏まえていえるのは、これからの中国が経済改革から政治改革、社会改革へと進んでいくことは間違いないということです。韓国、台湾がたどった経緯と同じ路線が容易に想像できるでしょう。その結果、中国にも中産階級が存在するようになる。一説には、5年後には2億人の中産階級が出てくるといわれています。彼らをベースに改革が行なわれるでしょう。
改革の担い手は「新しい中国人」
馬 中産階級が伸びてきて、政治に参加する流れも自然に出てくるでしょうね。共産党も彼らの存在は無視できない。中産階級には、ある程度の財産を持ったことで安定志向が芽生えます。これが、中国社会の安定につながるのではないでしょうか。政府の次官や大臣クラスにも、米国で博士号を取得した人などが増えてきました。こうした新しいタイプの中国人が国を変えるきっかけになるでしょう。
矢吹 マイホームとマイカーを所持した中産階級の注目度は高いと思います。失うべきものを持った中産階級は、知的水準も高く、国際性も身につけている。馬さんの指摘されるとおり、新しいタイプの中国人です。この人たちが、中国の経済・政治・社会改革の担い手となってくると思います。12億人という巨大な人口を平均するのではなく、都市部で育っている人材に注目すると、こうした方向性が確かに感じられます。発展のなかで発生する地域格差をある程度認めながら、社会保障政策も考えていく必要があるでしょう。
馬 彼らが中国のリーダーになると、今までとはまったく違う政治、社会のあり方がみえてきそうです。
矢吹 こうした新しい人材に目を向ける視点は非常におもしろいですね。文化大革命の10年間に人材が育たなかったことが、今にして思えば、かえってプラスになっているのではないでしょうか。つまり、その後の若い世代に台頭するチャンスが巡ってきたわけです。日本の戦後混乱期にも、指導者的な立場にいた多くの人材が公職を追放され、引退することで、若い世代が高度経済成長の牽引役に成長しました。今の中国もそんな状況だと思います。昨年、中国に行ったときに向こうの銀行マンと話したのですが、中国とのビジネスでは英語が中心になったことを実感しました。これは、中国が国際的にビジネスを展開する準備をしてきたことのあらわれです。この変化を目の当たりにして、中国とのつきあい方を変えていく視点が必要だと感じました。
馬 中国のWTO加盟が実現すれば、外国企業の中国参入が活発化するだけでなく、中国企業が世界に出ていくチャンスも増えるでしょう。また、WTO加盟は、経済だけでなく政治、社会全般に影響を与えることだと思います。改革・開放政策にしても、これまでのようなマイペースではなく、国際社会の監視を受けながら進めていかなければならないでしよう。いわゆる法治国家であることを認めてもらえる体制づくりと実行が求められるわけです。
矢吹 その通りだと思います。これまでの中国なら、外国から指摘されても内政干渉や外圧だと反論してきたことを、グローバルなルールとして受け入れていかなければならない場合もあるでしょう。
馬 WTOでも、中国の制度を整えるための専門的な部署を設けるなど、協力していくべきですね。
矢吹 そうやってルールを整備しても、問題はどこまで実行できるかです。知的所有権も含めた法律が整っているか、さらにそれを本当に実行できるか、実行するための具体的な方法論は、というところまで解決していかなければならない。現状をみる限り、中国では中央の権力が末端まで浸透しているとはいえず、法律を100%執行できていません。その点、日本のものさしでは測れないといえますね。時間がかかることですが、日本としてはまず、中国の努力を評価するという姿勢をもちたいものです。
日本は中国市場の変化を認識すべき
矢吹 また、日本企業に求められるのは、中国との間にトラブルが起きたときの対応のノウハウを身につけていくことです。過去のいくつかの係争事例をみると、すでに中国とのビジネスに長い歴史をもっている企業でも、トラブル処理に関するノウハウの蓄積は遅れていると感じます。この遅れを早い段階でカバーすることを考えなければいけません。
馬 中国市場の変化に対する日本の認識が足りないことは事実です。中国でも、量より質を求める時代になりました。これを認識し、きちんと対応していかなければ手遅れになります。中国の法整備に関しても、国際協力の輪が広がっています。米国は中国に厳しい注文も出しますが、問題点を解決するための協力を行なっています。ヨーロッパも中国に対して、数年前から弁護士の人材育成に関する協力を実施しています。それに比べると、日本はソフトの部分で努力が足りないようですね。
矢吹 法制度の充実を助けるような仕事は確かに必要だと思います。セミナーなどを開催して、協力体制づくりに取り組むべきです。
馬 とはいえ、日中関係は、政治の分野では現状はよくありませんが、経済関係は非常にうまくいっている。今年上半期の対中投資額は大幅に伸びています。
矢吹 そこにセーフガードの問題が起こっているわけですが、これは小泉内閣の構造改革の考え方とまったく逆を行くものですね。後ろ向きの対応はよくないと思います。中国に開放を求めていたのは日本です。それが開放されたらセーフガードというのでは、本末転倒といわざるを得ません。話は変わりますが、中国経済の大きな課題のひとつに、通貨の問題、つまり人民元の交換性の回復があります。中国は依然として慎重な姿勢を崩していませんが、例えば2005年には実施するという目標を宣言して取り組むくらいの積極性が望ましいと思います。先延ばしではなく、具体的に目標を設定して金融改革に力を入れるべきでしょう。その後には、北京オリンピックも控えています。人間が交流するオリンピックは、モノと資本の交流を実現するWTO加盟と同じくらい重要ですし、東アジアの平和にも資するものです。
馬 オリンピックのときに人民元の交換性が回復していれば、本当にいいですね。アジア通貨危機がなければ、かなり進んでいたという見方もあります。通貨危機後の中国は慎重になってしまったようですが、とにかく、早い段階で目標を定め、それに向かって努力することが必要だと思います。
矢吹 アジア通貨危機を教訓にして、対応策を考えればいいのです。開放しても大丈夫という体力をどうやってつけるか、危機が起こったときにはどういう対策があるかなど、他国の経験から学ぶこともあるでしょう。環境が整うまで待っていたら永遠に実行できない国ですから、最終日標をオリンピックに置いた考え方で、通貨の整備を進めてほしいと思います。
馬 いつまでも市場開放は危ないという考え方ではいけないということですね。人民元は安定しており、海外からは切り上げを求める声も出ています。
矢吹 1〜2年前は人民元の切り下げは必至といわれていたのですから、大きな違いです。中国の競争力は非常に強くなっています。過大評価したり、過小評価したりせず、中国経済の実力を冷静に見極めるべきときですね。
中国の発展を日本の構造改革の推進力に
馬 最後に、日本企業の対中ビジネスについて考えてみたいと思います。中国のWTO加盟で、新たな間題が出てくるでしょう。まず、欧米企業との競争が激化し、さらに、セーフガードの問題など「貿易摩擦」の上壌が拡大するなかで、日本の企業はどういったことに注意して臨む必要があると思われますか。
矢吹 日中間で問題が起こったとき、日本人はすぐ「中国人は信用できない」と言うし、中国人も「日本人は信用できない」と言う。個別のケースを一般ヘと拡大しがちですが、それでは解決になりません。お互いが解決策を講ずる方法を考えるべきですね。チャンスとリスクは表裏一体のものです。チャンスが増えればリスクも増える。そこのところを認識して事に当たる心構えが必要です。
馬 日本のマスコミなどでは、中国が世界の工場になり、日本のものづくりと競合する、という論調が中心のようです。しかし、実際には、労働集約型産業は中国で、ものづくりの技術部門は日本でといったスタイルが定着しつつあります。互いが分業体制を確立していくことも、成功への条件ではないでしょうか。
矢吹 競争と協調の考え方ですね。すでに中国は、日本からの技術移転も受け、相当な技術力を身につけつつあります。単なる労働集約的な分野だけにとどまらない可能性を秘めているのです。この中国の追い上げに対して、日本はどうすれば逃げ切ることができるか。これが、今後の課題だと思います。戦後の日米関係は、これとよく似たものでした。当時は米国を追う立場だった日本が、今度は中国から追われているわけです。日本との間で摩擦が起こったときの米国の対応に、ヒントが隠されているかもしれません。
馬 中国経済を日本の構造改革の推進力ととらえることもできます。日本で役に立たなくなった技術力も、中国では役に立つ。日本でリストラの対象になる人材が、中国で技術教育のために必要とされている、などということも考えられるわけです。
矢吹 その通りですね。日本の国内だけで構造改革ができると考えないで、視野を広げるべきでしょう。自信を喪失している今の日本が、中国を含めたアジアを単なる脅威ととらえるのは問題です。外に目を向けることによって、経済再生の糸口をつかむ可能性もあるのです。排他的ではないリージヨナル(地域的)な経済をつくっていくという視点が、今後は重要になってくるでしょう。

2008年までの平和は確実
二〇〇八年オリンピックは、下馬評通り北京に決定した。私は北京五輪の最大の役割は東アジアの安全保障への貢献であろうと予感し、投票の行方を見守った。投票前インターネットをサーフィンしたが、大阪市関係のホームページの貧弱さ、無気力ぶりと比べて、中国側ホームページは熱かった。大阪は投票前から降りたも同然ではないか、いったい意欲はあるのか、という疑念を拭えなかった。経過報道も中国のそれは日本より早かった。「第一回投票で六票しかとれなかった大阪市がまず脱落」と画面に出る。さて次は、ともつれ具合を懸念したのも束の間、第二回の投票で過半数を獲得した、と北京が堂々と勝利宣言して投票劇は終わった。わずか六票を獲得するために大阪市がどれほど血税を浪費したのか知らない。財政問題についての五輪評価委員会のきびしい指摘を待つまでもなく、大阪市の惨敗は、衰弱したまま漂流する日本丸を象徴するように思われた。この惨敗はかつて世界の通商国家などと豪語しながら、いまやセーフガード発動といった後向きの対応しかできない衰弱国の危うさの象徴でもある。ジャパンアズナンバーワンなどとおだてられ、舞い上がった奢れる日本は久しからず。苦節二〇年、痛みに耐えて必至に脱社会主義を模索してきた中国の圧倒的な勝利である。
顧みると東京五輪は一九六四年、ソウル五輪は一九八八年、そして北京五輪二〇〇八年という時間表になる。概観してそれぞれの経済のテイクオフと五輪開催が見事に符合している。ここには「歴史の狡智」さえ感じさせられる。東アジアの五輪は途上国から中進国あるいは先進国への過程を後押しする役割を果たしてきた。北京五輪の波及効果についてさまざまの見通しが語られ、たとえば中国のGNPを毎年〇・三〜〇・四%引き上げる効果をもつという試算もある。経済的効果はおそらく誰もが認めるところであろう。だが、最大のメリットは「台湾海峡の安定化効果」ではないか。二〇〇八年までは台湾海峡の平和が確実に保たれる。二一世紀初頭のカナメの八年間平和が保たれるならば、「平和の構造」は確実にビルトインされ、それが次の展開の基礎構造になる。これが私の見方だ。
人為的な「疑似緊張」構造
中台双方は脱冷戦の前夜から緊張緩和が始まり、八〇年代後半から九〇年代前半にかけて両岸の雪解けは一挙に進んだ。私は一九九七年夏に金門島を訪問し、「前線の平和」を実感した。しかしマスコミに描かれる姿は、対照的なものであった。というのも九〇年代後半、レイムダックの李登輝前総統の挑発的言動に大陸の江沢民指導部が軽々と乗せられた結果として、大規模な「疑似緊張」構造が作り出されたからだ。ひとたび「疑似緊張」がビルトインされると、脅威は脅威を呼ぶ。東アジア世界が疑心暗鬼の巷と化した一つの帰結は、日本の『防衛白書二〇〇一』版に登場した中国脅威論にも見られる。旧ソ連の解体によって東アジアから冷戦構造が解体し始める過程で敢えて潮流に逆らい、人為的に新たな「疑似緊張」を求めることによって内政を導こうとする狭隘な愛国主義、民族主義運動は、たとえ人権や民主化を錦の御旗にしようと、それへの反対を掲げようと、その底意が透けて見えるというものだ。中国が資本主義の不言実行を実践しつつ、社会主義の看板を掲げるのが偽善ならば、米国が社会主義の看板だけを見て市場経済下の庶民生活の激変を見ず人権問題を非難するのはイデオロギー的偏向のそしりを免れない。中国にもし人権問題があるとすれば、社会主義の看板によるものではなく、途上国の未熟さゆえに人権を保証する条件を欠いているためと見るのが妥当である。九〇年代後半の疑似緊張ゲームは海峡両岸の指導者たちがいかに先見の明を欠いた凡庸な政治家たちであるかを裏書きするものであったと評せざるをえない。韓国の金大中大統領にノーベル賞が与えられた背景には、日本を巻き込んだ台湾海峡の疑似緊張騒ぎに対して国際世論が抱いた嫌悪の情の一端を示すものと解してよい。コソボ問題で揺れた一九九九年夏、私はハンガリーのブダペストで一夏を過ごして、東アジアの平和を考えた。
一九九七年の香港返還に先立って香港経済はすでに大陸経済と事実上一体化していた。香港に五星紅旗が翻ったとき、珠江デルタでは人民元ではなく香港ドルが取引通貨になっていた現実を見失ってはならない。香港と対比してやや事情は異なるが、近年の台湾経済の大陸依存度の強まりは著しい。GNPベースで日本の二〇分の一しかない台湾経済が日本を超える二五〇億ドルを大陸に投資している。海峡間の資金チャネルは日中間の二〇倍の太さなのだ。台湾のIT産業はいまや大陸での売り上げが台湾地区での売り上げを上回り、台湾経済の「空洞化」は急ピッチだ。経済交流に関するかぎり、いわゆる台湾問題なるものは存在しない。繰り返すが、見識を欠いた政治家たちによって作り出される疑似緊張という政治問題だけがあるにすぎない。今後八年間、海峡両岸の政治家たちは、軽挙妄動の手を縛られる。その間両岸交流は確実に広がり深まる。これは海峡問題の平和的解決にとって決定的な条件の成熟を意味する。当面の政治日程は今秋の上海APECやWTO閣僚会議(カタール・ドーハ)だが、すべては北京五輪の枠組みのなかで進められる。北京五輪は、まことにすべてを包み込む大風呂敷なのだ。中国の周辺には中国脅威論が真夏の夜の幽霊のごとく徘徊している。肝心の中国は、脅威論という幽霊に脅かされ、悩まされている。つまりは疑心暗鬼の構造である。中国人を包むコンプレックスの大きさは、ユーゴ大使館「誤爆」事件に対する反応などに典型的に現れたが、北京五輪の成功は、中国人から劣等感を払拭し、精神的ゆとりを回復させるはずだ。

1-2.中国政治の展望----第一六回党大会
1-2-1.ポスト江沢民、胡錦濤後継体制へ
1-2-2.市場経済の現状に対応した政治体制へ
1-2-3.中国的中産階級の形成(2005年に2億人)

1-1.日中関係
1-3-1.中国経済の高度成長とその自信
1-3-2.日本経済の長期不況とその自信喪失、百鬼夜行のイメージ
1-1-3.中国のWTO加盟と市場経済への軟着陸成功。
1-1-4.2008年北京五輪の意味。2001年10月上海APEC
1-1-5.[四つのT] Taiwan(台湾問題),Text(教科書問題=歴史問題、靖国), Territory(尖閣列島), TMD(ミサイル防衛網)
1-1-6.[二つのT]----Trust(相互信頼), Transparency(透明性)
――内外から注目されていた小泉首相の靖国神社参拝は、八月一五日を避けて一三日に「前倒し参拝」が行われ、これに対して韓国や中国などアジア諸国から強い、かつ抑制された抗議の声が聞こえる。靖国の戦後史は日本の戦争責任、戦後責任のとり方を写す鏡だ。顧みると、政府自民党が靖国神社の国営化を内容とする「靖国神社法案」を国会に提出したのは一九六九年であり、以後毎年提出したが、四回にわたる審議未了を経て七四年に廃案となった。これを機に自民党と推進勢力は方向を転換し、「首相・閣僚らの公式参拝」による同神社の公的復権を当面の目標に設定した。一九七八年にいわゆるA級戦犯一四名を含む戦死者二三〇万名余りを靖国神社に合祀したのは、既成事実作りの一環とみてよい。中曾根首相が終戦記念日に靖国を参拝し、マスコミの話題となったのは八五年のことであった。「これは戦犯を神と崇める行為である」と受け止めた中華人民共和国から強硬な抗議があり、中曽根首相は翌年から公式参拝を断念した。「私は昨年の終戦記念日に、首相として初めて靖国神社の公式参拝を致しました」「その目的は戦争や軍国主義の肯定とは全く正反対のものであり、わが国の国民感情を尊重し、国のため犠牲となった一般戦没者の追悼と国際平和を祈願するためでありました」「しかしながら、戦後四〇年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなおとりわけアジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは、避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました」。中曽根首相から当時の胡耀邦総書記に宛てられた書簡(八六年八月一五日付)の一部である。この年の八月一五日、昭和天皇は「このとしの この日にもまた 靖国の みやしろのこと うれひはふかし」と心中を詠まれた。ちなみに戦後の昭和天皇の靖国参拝は、六九年一〇月一九日(靖国百年記念大祭)および七五年一一月二一日(終戦三〇年記念)の二回であり、いわゆる「A級戦犯合祀問題」発生以後は参拝していない。九六年夏橋本首相は八月一五日を避けて、自らの誕生日に参拝したが、翌年は参拝を見送った。この経緯がありながら、今回の小泉騒動とは情けない。公人か私人か、玉串料か、供花料か、公費か私費か、御祓いを受けるか、二拝二拍一礼か否か、など、「神道形式」をどこまで守るか、排するか。歴代首相はこれらに頭を悩ましてきた。いずれも憲法の政教分離に抵触するか否かという国内法レベルの争点であり、国内対策にすぎない。このような内向きの「小手先」「姑息な」手段が、アジアの人々の心にまったく届かなかったのは当然である。「痛みが定まってのち、痛みを想起する」という言葉は、後遺症に悩まされる人々の日本軍国主義の亡霊への恐怖感であろう。参拝推進派は、アジアの抗議に直面した後、あわてて転換した中曽根・橋本首相の教訓を汲み取らないばかりか、これを「外圧」として排する風調が濃厚であった。曰く、靖国参拝への批判は内政干渉である、外圧を排することこそが外国からのあなどりを防ぐ道である、云々。二一世紀最初の年に、教科書問題を含めて国際化に背を向ける日本の諸問題が浮かび上がったのは、不幸中の幸い、禍福を転ずる好機である。これを機に、二一世紀における日本とアジアのつきあい方を改めて検討すべきである。韓国との関係では、九八年の日韓共同声明という政治的資産があるし、中国との関係ではWTO加盟や北京五輪協力の課題がある。北京五輪は「二〇〇八年までの東アジアの平和」を約束する女神である。東アジア世界はいよいよ相互依存と協調のなかでの競争という新時代に入る。関係改善の環境は十分に整っている――。紙幅の都合で、十分に意を尽くせなかった憾みが残るので、若干の補足を試みたい。中曽根書簡の存在は割合知られているが、その内容は知られていないようなので、まず念のために、中曽根書簡の全文を掲げておきたい。一九八六年の「高度の政治決断」を胡耀邦に直接伝えたこの書簡は、現代における日中関係のネジレを考えるうえで最も根本的な資料の一つと考えられるからである。次に、胡耀邦の失脚後に、中曽根との友好関係を失脚の一因としてあげつらう向きが少なくない。これは見当違いだ。現に中曽根は胡耀邦との約束を守ったのである。この文脈で中曽根や胡耀邦を非難するのは事実に合わない。私はかつて「中共中央三号文件」に基づいて、薄一波(当時、顧問委員会常務副主任)が列挙した「胡耀邦の罪状六カ条」を紹介したことがある(『ポストケ小平』蒼蒼社、一九八八年、四一ページ)。すなわち1)八三年秋の反「精神汚染」キャンペーンの歪曲、2)「高消費」による経済刺激論の鼓吹、3)「整党」の方向の歪曲、4)全人代(議会)の無視、5)外交活動における紀律違反、6)党中央の許可なく対外的発言を行ったこと――である。これらの胡耀邦批判のうち、(5)のなかに、中曽根あるいは日中関係が含まれる。だが、当時の中国における改革派と保守派の綱引きあるいは権力闘争を見れば、学生たちの民主化要求デモにどのように対応するか、すなわち「ブルジョア自由化」反対という「政治原則」に関わる国内問題が核心であり、外交活動における紀律違反なるものはツケタシの罪状にすぎなかった。胡耀邦のような声望のある指導者にありとあらゆる罪状をなすりつけるのは、処分する側の自信不足を意味しており、中国政治の悪しき作風だ。これを真に受けてはならない。胡耀邦事件はほんの一〇数年前のことなのに、経過がまるで忘れられ、あたかも日中問題こそが主因であるかのごとき評論が内外に散見されるのは憂慮すべき事柄である。なおこの中曽根書簡を起草したのは、当時二一世紀委員会日本側委員を務めていた香山健一(当時学習院大学教授)であり、その香山私案に対して、中曽根首相が自ら補筆を加えたものといわれる。
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胡耀邦総書記閣下
謹啓 炎暑厳しい折から、閣下には益々御健勝のことと心からお慶びもうしあげます。一九八三年秋には閣下を我国に御迎えして、日中両国の子々孫々の代までの平和と友好の契りを交して以来、早くも三年の歳月が流れようとしています。顧みますと、その翌春の私の貴国訪問と日中友好二十一世紀委員会の発足、閣下の御提唱による我国青年三千人の御招待による日中青年大交流の成功、北京の日中青年交流センター建設の具体化などを通じて、日中両国の青年・文化交流、経済・科学技術交流は、政府民間のさまざまな分野でかつてない新たな進展を遂げて参りました。私はこの三年間を振り返って、閣下と私の間で確認しあった日中関係四原則、すなわち「平和友好・平等互恵・相互信頼・長期安定」の考え方が、激動する内外の諸情勢の風雪と試練に耐えて、しっかりと定着しつつあることを、閣下と共に大いなる満足をもって回顧するものであります。日中両国の各分野における交流が量的に拡大するにつれて、両国関係に若干の摩擦、誤解、不安定要因が生起することを完全に避ける事は困難であります。私達にできることは日中関係四原則、なかんずく日中両国の「相互信頼」の原則に立って、日中間に生起する摩擦、誤解・不安定要因を早期に発見し、率直に意見を交換し、小異を残して大同を選び、これらの諸問題の解決のために機敏に行動することによって、問題の拡大を未然に防止し解決を見出すことであると確認いたします。
 私はこの両三年間に生起したさまざまな諸問題について、日中両国がこの基本原則に従って行動し、着実な成果を収めてきた事をよろこばしく思うものであります。日中関係には二千年を超える平和友好の歴史と五十年の不幸な戦争の歴史がありますが、とりわけ戦前の五十年の不幸な歴史が両国の国民感情に与えた深い傷痕と不信感を除去していくためには、歴史の教訓に深く学びつつ、寛容と互譲の精神に基づいて、日中両双方の政治家たちが、相互信頼の絆により、粘り強い共同の努力を行う必要があります。
 私は戦後四十年の節目にあたる昨年[一九八五年]の終戦記念日に、わが国戦没者の遺族会その関係各方面の永年の悲願に基づき、首相として初めて靖国神社の公式参拝を致しましたが、その目的は戦争や軍国主義の肯定とは全く正反対のものであり、わが国の国民感情を尊重し、国のため犠牲となった一般戦没者の追悼と国際平和を祈願するためのものでありました。しかしながら、戦後四十年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなおとりわけアジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました。如何に厳しい困難な決断に直面しようとも、自国の国民感情とともに世界諸国民の国民感情に対しても深い考慮を行うことが、平和友好・平等互恵・相互信頼・長期安定の国家関係を築き上げていくための政治家の賢明なる行動の基本原則と確信するが故であり、また閣下との信頼関係に応える道でもあると信ずるが故であります。
 正直に申せば、私の実弟も海軍士官として過般の大戦で戦死し、靖国神社に祀られています。戦前及び戦中の国の方針により、すべての戦没者は、一律に原則として靖国神社に祀られることになっており、日本国に於て他に一律に祀られておるところはありません。故に二四六万に及ぶ一般の戦死者の遺族は極少数の特定の侵略戦争の指導者、責任者が、死者に罪なしとゆう日本人独自の生死感により神社の独自の判断により祀られたが故に、日本の内閣総理大臣の公式参拝が否定される事には、深刻な悲しみと不満を持っているものであります。特に過般の総選挙で圧倒的大勝を私達に与えた自民党支持の国民は殊に然りであります。私は、この問題の解決には更に時間をかけ適切な方法を発見するべく努力することとし、今回の公式参拝は行はないことを決断いたしたものであり、この間の事情について閣下の温かい御理解を得たく存ずるものであります。
 私は、日中間の如何なる困難な問題も、両国国民及び政府間の相互の理解と思いやりにより、双方の満足する適切な解決方法を、時によっては時間をかけても解決する実績を積上げつつ、更に更に強固な相互信頼と新たな発展を拡大強化することを念願致しております。今秋九月、東京と大礒におきまして日中友好二十一世紀委員会第三回会議が開催されることとなっており、既に日中双方の委員会は会議の成功のために精力的な努力を続けていると聞いております。私はこの第三回会議の成功を心から祈るとともに、閣下を通じて王兆国座長以下中国側委員の御来日を歓迎し、お待ちしている旨お伝え下さい。 閣下の御家族の皆様の御健康と御多幸を謹んでお祈り申し上げます。昭和六一[一九八六]年八月十五日、内閣総理大臣 中曽根康弘(強調は矢吹による。典拠は『中曽根内閣史』(財)世界平和研究所刊である)。
この書簡は文言に関する限り、なかなかよく書けているように思われる。問題点・争点は基本的に正しく提起されているように思われる。この「中曽根誓約」は、竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山の七つの後継内閣によって継承された。竹下は「みんなで靖国を参拝する国会議員の会の会長であったが、総理在任中は自粛した。「一九八六から九五年の一〇年にわたる不参拝」という慣行(参拝派にとってのタブー)に挑戦したのは、九六年一月に成立した橋本内閣である。橋本は「八・一五」の代わりに、「七月二九日」というみずからの誕生日を選び参拝した。この橋本の「智恵」あるいは「工夫」はいかにも芸がない。し近隣諸国の反発は免れず、結局翌年は参拝を断念した。橋本に続く、小渕、森両首相は靖国を避けた。こうして「一九九七年から二〇〇〇年に至る四年間の不参拝」という第二の慣行を「聖域」と受け止め、これに挑戦したのが、今回の小泉騒動である。彼は「八・一五参拝」を公言しつつ、直前になってひるみ、腰砕けになった。
小泉は、「聖域なき改革」を掲げて「タブーに挑戦する」と繰り返したが、「タブーなるものの内実」とは何なのだろうか。「外圧に屈した中曽根と橋本を超えたい」という願望でしかなかったようだ。自らの政治決断を保証する「政治戦略」は皆無であることが事後に判明した。要するに、彼の視野のなかにアジアはなかったのだ。
参拝の意向は繰り返されたが、その説明のなかに批判派を説得しうる論理はなく、ただ感情のみが語られた。これは政治家にとっては許されない。ほとんど児戯に類するスタンスではないのか。このような政治家たちの行動を分析するには、おそらく政治学というよりは、幼児心理学なのであり、これをもって軍国主義の再来と危惧する向きには心理学のカウンセリングが必要だと思われる。
靖国は由来、春秋の大祭参拝が慣例であった。「首相による八・一五参拝」の嚆矢は、目立ちたがり屋・三木武夫であった。これに輪をかけた目立ちたがり屋・中曽根康弘は派手なパフォーマンスで出発したが、不本意ながら失敗した。類似の目立ちたがり屋・橋本龍太郎も挑戦したが、あえなく敗れた。そして今回の目立ちたがり屋・小泉純一郎騒動である。民主主義が衆愚政治に堕することをよく示す恰好の材料が靖国問題だと思われる。シアリアス・ドラマではなく、文字通り茶番劇になっている。坪内祐三の『靖国』(新潮文庫)によれば、「靖国神社アミューズメント計画」があった由だが、この政治的茶番劇よりは「力道山の奉納プロレス」がふさわしいことはいうまでもない。終わりに、歴代総理の靖国参拝の記録を以下に掲げておく。
二.日米中三角関係と東アジア
2-1.「9月11日世界貿易センタービル・ペンタゴンへのテロ事件」の見方
2-2.世界経済への衝撃
2-3.興味深い同時多発テロへの中国の反応(『世界週報』2001年10月23日)
いわゆる「米国同時多発テロ」(中国では九月一一日事件と呼ぶ)に対する中国の対応が興味深い。なによりもまず、中国はアフガニスタンと国境を接している。そして中国新疆ウィグル自治区のウィグル族はイスラム教徒である。そのイスラム教徒のなかにいわゆる原理主義者の影響が存在し、いくつかのテロを行った事実はすでに報道されたケースも少なくない。したがって隣国アフガニスタンの政治の帰趨は、他所事ではない。事件発生から数時間後には、江沢民国家主席はブッシュ大統領に見舞いの電話をかけるとともに、「中国はテロ行為に反対する」と旗幟を鮮明にした。これは小泉首相の談話よりも数時間速い。事件二日後に、NATO(北大西洋条約機構)が創設以来初めての「第五条発動」を宣言するや、さすがにこれには反発し「NATO地域外の事件」であると指摘した。ただし「国連の枠組みを通じての報復ならば、反対しない」「米国の報復にせよ、NATOの行動にせよ、タリバンが当事者であるという疑いのない確実な証拠が提示されることが必要だ」と補足した点が重要である。
インターネットなどからうかがわれる反応も興味深い。まず直ちに登場したのは、「天罰てきめん覿面」と見て、溜飲を下げる発言である。この事件は、コソボ紛争当時にベオグラードの中国大使館が「誤爆」された事件を想起させた。「米軍航空機の用いた地図は古いもので、その地図には中国大使館の位置は印刷されていなかった」と言う弁解が当時行われたことは周知の通りだ。これを踏まえて「貿易センタービルに衝突した飛行機のパイロットの地図は一九一一年のもの。その地図には高層ビルは書いてなかった」というジョークが一時流行した。大方の中国人にとって今年四月海南島における米軍偵察機と中国空軍機の接触事件も記憶に新しい。とはいえ、この種の米中対決派、反米派の論調よりは、親米派あるいは対米協調派の発言が目立つのが今回の大きな特徴だ。「中国は国家利益を最優先させよ。とうかい韜晦戦術や拱手傍観は避けよ。韜晦戦術は米国の対中国警戒感を払拭できない。それどころか利益を得る機会を放棄するに等しい」「タリバン政権はイスラム原理主義を教義としており、中国の国家統一にとってきわめて大きな危害をもたらす。パキスタンは中国の盟友であり、中央アジア五カ国はすでに『上海会議』を通じて準盟友関係にある以上、中国にとって西北国境の唯一の憂いはアフガニスタンなのだ」「中央アジアは石油天然ガス資源に恵まれている。中央アジア、西アジアから大量の天然ガスを輸入しなければならない。アフガニスタンはまさにこのルートの要衝だ」。要するに、米国とのわだかまりを超えて、「国益優先の立場」から断固としてタリバン政権を拒否し、中国の国家的安全に有効な隣国関係を構築できるような行動に参加せよ、という積極的な主張だ。これはむろん中国で行われている一つの考え方である。九月二五日、中国外交部朱邦造スポークスマンは記者会見で以下のように述べ、注目された。まず、「日本が参戦し、憲法を改正する可能性」をどう見るかと問われて、こう答えた。「これに関わる報道に注目している。テロリズムに打撃を与えることは、国際社会の直面する共通の課題だ。同時に、一つ指摘しておきたいのは、歴史的原因のゆえに、日本が軍事面で役割を発揮する問題は敏感なことだ。とりわけ日本の隣国にとっては敏感なので、日本側が慎重に事を行うように希望する」。これは従来の海外派兵問題への論評と比べて、かなり抑制された対応と見るべきである。中国はタリバン政権と対峙している北部同盟に武器援助を行うのか、と問われてこう答えた。「われわれはいま反タリバンの北部同盟と正常な接触のチャネルをもっている。しかし戦争が始まった後でいかなる行動をとり、いかなる見方、意見を発表するかは、準備していない」。中国は過去に「タリバン政権と非公式の接触をもっていたと伝えられるが、これはテロ事件後、断絶したのか」との問いには、「われわれはいまタリバン政権とは、いかなる接触もない」と断言している。ビンラディン氏は中国に逃亡したという説の真偽を問われて「イギリスの『ガーディアン』紙がそのような報道を行ったが、まったく根拠がない。われわれは当然必要な措置を採っており、ビンラディンが中国に進入する可能性は存在しない」。新疆自治区の問題にはこう答えた。「改革開放以来、新疆の経済発展と社会進歩は注目すべき成果を収め、人民の生活水準は向上した。中国政府が正しい宗教政策を実行したため、新疆の各民族人民は信教の自由をもっており、人権状況は大きな進歩を遂げた。中国政府はいま西部大開発戦略を実行し、新疆の各事業の発展のために良好なチャンスを提供している。民族分裂とテロ活動をやる者はきわめて少数であり、彼らの活動は新疆各民族を含めた全中国人民の願いに背馳している。中国は関連する問題を処理する能力を完全に保有している」。米国による「アフガン侵攻が中国の唱える内政不干渉の原則に矛盾しないか」と問われてこう答えた。米国は「テロリズムが世界の平和と安定にとって重大な脅威となり、重大な国際的公害になっている」と言明し、国際社会は国際テロリズムに打撃を与えることについて広範な共通認識をもっている。同時に中国はテロ反対の行動が「国連憲章と国際法の枠内で行われること」を希望する。中国が国連憲章の枠内を指摘しつつも、対米協調をはかることに力を入れているのは、新疆自治区の安定に直結する国内問題であるだけでなく、秋の上海APECに対するブッシュ大統領招請の課題が直近にあり、中期的には2008年の北京五輪を成功させたいという思惑を踏まえたものであることは言をまたない。


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