チベット騒乱と北京オリンピック

                     日中科学技術文化センター理事長  凌星光

3月14日、チベットのラサで騒乱が起こり、暴徒による略奪と焼き討ちが行われ、チベット族と漢族に犠牲者が出た。それが更に周辺各省のチベット族居住地区に波及し、当然のことながら、当局は治安回復の措置を取った。ところが、西側先進諸国のマスメディアはダライ・ラマ亡命政権側の情報を一方的に取り上げ、反北京オリンピックの一大キャンペーンが繰り広げられた。その影響を受けて、ギリシャから始まった聖火リレーは各地で妨害を受け、中国国民及び海外華僑華人の猛反発を受けることとなった。ここに来て、今回のチベット騒乱を冷静に見る雰囲気が欧米において醸し出されるようになった。ところが日本では依然として、公正な意見が出されない雰囲気にあるように思われる。

先ず、今回の騒乱が起こった原因を考えてみよう。直接的な原因は、ダライ・ラマが昨年、欧州で「2008年は鍵となる年、北京オリンピックはチベットの最後のチャンス」と語ったこと、またチベット国民民主党のヤンドルン代表が今年3月に「オリンピックが近づき、国際社会が中国を注視する時期、チベット問題を訴えるよい機会だ」と語ったことから窺えるように、間違いなく、ダライ・ラマ集団が仕掛けたものである。

ではどうしてダライ・ラマが「最後のチャンス」と焦りを感じたのであろうか。それには次のような背景があったと考える。

1)ダライ・ラマは70歳を越し、転生の定めによれば、次の指導者はダライ・ラマが亡くなってから、少なくとも20年はかかる。その間に「亡命政権」は完全に行き詰まるため、時間的余裕がなくなっている。

2)チベットの経済発展は目覚ましく、インドの「亡命政権」所在地との経済格差は拡大している。また、経済条件の改善と共に、チベット族の教育レベルも急速に向上しており、ラマ僧はともかくとして、一般チベット人のダライ・ラマ離れは避けられない。

3)中国とインドとの関係が改善し、インド政府の「亡命政権」への態度が厳しくなった。「亡命政権」の将来性はますますジリ貧傾向にある。

4)青海チベット鉄道が開通し、チベットの閉鎖性は過去のものとなった。チベットはますます漢民族や世界各国人民との交流が深まっていく。それは、とりもなおさず、ダライ・ラマ集団の影響力が弱まっていくことでもある。

5)ダライ・ラマはノーベル賞をもらったばかりでなく、昨年10月、米国議会から金メダルを授与された。欧米日先進国が支持してくれており、今こそ事を起こして「国際世論」(実際には先進国世論)を味方につけるチャンスと見た。

 中国当局は台湾問題と新疆ウイグル族独立派のテロへの警戒に注意力が奪われ、チベットに対してはほとんど無防備状態にあったようだ。それは、事件発生後の対応から見て取れる。ダライ・ラマへの非難は感情的で、文革的言語さえ使用された。しかし、時間が経つにつれて、一定の余裕が出てきて、ダライ・ラマ集団の発した虚偽情報への反撃が行われるようになった。欧米のマスメディアもことの真相がだんだん分かるようになり、反省する雰囲気が出てきた。ここで重要なことは、中国当局及び中国国民が、西側先進諸国政府及びマスメディアへの過度の不信感を取り除き、国際社会の理解と支持が得られるよう努力することである。

確かに欧米日のマスメディアには公正さに欠ける面があったが、それは中国当局の対応のまずさに原因しているところもあった。また国際的反中国勢力がダライ・ラマ集団を支援して、中国への圧力を強化し、内部崩壊を企てる、即ち中国版「イエロー革命」を画策することもあったであろう。しかし、それを過大評価するのは的を射ていないと考える。説得力のあるダライ・ラマ批判を行い、中国当局と国民が世界の有識者と共に努力すれば、8月に差し迫った北京オリンピック大会を成功させる可能性は十分にあるだろう。

対チベット政策については、1978年3月12日、ケ小平はダライ・ラマの兄と会い、次のように語った。「ダライ・ラマが帰ってくるのを歓迎するし、より多くの人が見学に来るのを歓迎する。もしも帰国したくないのなら、ただ帰ってみるだけというのも歓迎する。帰った後また出て行ってもよい。もし彼らが帰国するならば、政治的に適切なポストを与える。往来は自由である、ということを保証する。」

当時、総書記であった胡耀邦は、ケ小平の意を汲んで、1980年3月、チベット工作会議を開き、チベット族を大量抜擢する、チベット文化と宗教を尊重する、経済的支援を強化する、漢民族のチベット入りを制限するなど八項目の新方針を打ち出した。その後、ダライ・ラマはチベット独立を引っ込めたが、「ストラスブルグ提案」では「真の自治」「チベット全域の非軍事化」(即ち解放軍の撤退)「大チベット区」(青海省や四川省や貴州省のかなりの部分も含む)などを要求しており、到底、中国当局が飲めるものではなかった。そのためか、胡耀邦の寛容な対チベット政策は、彼の失脚の一要因となった。

胡耀邦の対チベット政策は、今でもダライ・ラマを含むチベット族の間でよい評判を得ていると聞く。胡耀邦の八項目方針には問題があったかもしれないが、もう一度検討し、ダライ・ラマ集団に対してより柔軟な姿勢を示すことが考えられる。
 今回のチベット騒乱は、今、第三段階に入りつつあると考える。第一段階はダライ・ラマ集団、とりわけ独立急進派の暴力的攻撃と「欧米人権派」らによる聖火リレー妨害が激しかった。中国当局は突然の事件に驚き、受身に立たされた。第二段階は4月に入ってからで、中国当局によるダライ・ラマ批判と先進国マスメディア偏向への批判がなされた。とりわけ、海外の華僑華人が立ち上がり、声を上げたことは特記するに値する。今、入りつつある第三段階は次のような特徴を持つべきだと考える。

1)中国当局は、第二段階での成果と欠陥を総括し、より説得力のある批判を展開し、国際的世論の支持を得られるように努める。

2)国民レベルでは、オリンピック精神を学び、真に「オリンピックを迎える、文明的であるよう努める、新作風を樹立する」を貫く。

3)海外華僑華人は、自らの団結を強化するばかりでなく、居住地の国民の理解と支持を得られるようにし、中国と居住国の橋渡し役を務める。

武漢などで反フランスデモが起こり、中国ナショナリズムと欧米日先進国の嫌中感情の相互促進という悪循環が発生する可能性があった。中国当局が事態を重く見て、積極的な善導を行った結果、事態の悪化は避けられた。今後の課題は、如何にして好循環に持っていくかである。中国当局には、この一ヶ月余りの総括を公表し、今後の努力方向を指し示すことが求められる。それは同時に、北京オリンピックを成功させる環境づくりに繋がる。胡錦濤国家主席が訪日した際にそれを語り、福田首相がそれに全面的に協力する意向を示せば、第三段階への転換点になりうるし、胡錦濤訪日成功の重要なシンボルともなる。関係者各位の賛同が得られれば幸いである。

2008年4月23日