歴史教科書に思う 
研究不足からくる誤認はすぐ直すべき
解決を妨げているのは国家主義的歴史観


       色川大吉 東京経済大学名誉教授




韓国の修正要求
 韓国政府からの30項目におよぶ再修正要求の内容を読んだとき、私は問題の日本の教科書を精細に検討したという韓国の歴史学者たちの顔を思いうかべることができた。こうした問題での抗議は今にはじまったことではない。
 十五、六年前、私たちが韓国近代史学会を代表する学者たちとソウルで3日間にわたるシンポジウムを開いていた間にも、東京から聞こえてくる自民党閣僚らの放言が問題になっていた。「南京大虐殺などなかった」「従軍慰安婦なんて娼婦みたいなものだ」「韓国併合は合法的で、日本は朝鮮近代化のためにつくした」
 今度はこうした発言と同質の中学歴史教科書が、「新しい歴史教科書をつくる会」によって扶桑社から出版され、国の検定をパスしたのである。
私は先の会合で面と向かって言われたにがい言葉を思いだす。「お国には内的な自省など期待しても所詮ダメでしょうか。日本民族には救いがたい道義的な欠陥が宿命的にあるような気がします」と。日韓の和解を願うリベラルな知識人の間にも絶望感がひろがっていたのである。
中国政府の要求もそうだが、韓国は内政干渉にならないように問題を日韓問題に限定して、扶桑社本などの事実誤認を具体的に突いている。私の判断ではそのうちの半分ぐらいは日本の著者たちの研究不足からくる誤認で、すぐにも直すべきだと思う。


政治了解を無視
 研究不足とは韓国学者の研究業績を無視して、自国の側からの記述にばかり固執していること。あと半分は日本の国家主義的な歴史解釈を一面的におしだした個所の訂正要求である。日韓の国家間でなんども政治的に了解しあった歴史認識まで無視しているではないかと彼らは言う。
 たとえば征韓論の解釈や朝鮮半島脅威説は日本の立場からの一方的記述だ。韓国併合正当化や植民地朝鮮開発論は事実経過を無視し、相互の関係を公平に見ていない。
 関東大震災と朝鮮人虐殺については扶桑社本は故意としか思えない重大な誤認をおかしている。総じて侵略し、支配した行為の自己弁護と居直りに終始している。軍隊慰安婦をまったく無視することは許されない。
 こうした問題点をかかえたテキストであるのに、なぜ検定をパスさせたのか。小泉首相らが再修正できないと強気なのはなぜか。与党なかんずく自民党の政治家らが基本的には「つくる会」の意見に賛成だからであろう。彼らの国家主義的な古い歴史観にこそ問題解決をさまたげている根本原因があると私は思う。
 「つくる会」の発足声明は1996年12月であるが、その前年、自民党の歴史検討委員会は「大東亜戦争の総括」を出している。その結論は「つくる会」と同じ、大東亜戦争は自存自衛の戦争で、アジア解放の意味も持ち、侵略戦争ではないということ、南京大虐殺、慰安婦などはデッチあげだというのであった。
 97年2月、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が行動を開始し、各府県にも働きかけた。現在会員は1万名余、全都道府県に支部をもち、年間4億2000万円の収入があるという。保守政治家、マスコミ、財界ともパイプをもち、KSDの小山孝雄前参議院議員などを通じて国会にも働きかけていた、侮りがたい勢力である。

新憲法には冷淡

 この歴史教科書は日本人が読んでも、時代逆行である。書き出しがアマテラスの神話で、神武天皇の東征へとつづく長い叙述は、「伝承」と断ってはいるが、まるで在ったかのように描かれている。
 これでは戦前に私たちが読まされた皇国史観の国定教科書とあまり変わりがない。あの本で洗脳されて、天皇陛下のために死んだ多数の少年たちを思い出す。
 本文に「わが国の歴史には、天皇を精神的な中心として国民が一致団結して、国家的な危機を乗りこえた」例が何度もあったと書き、最後は昭和天皇の功績を2ページにもわたってたたえている。この本は教育勅語や欽定憲法を高く評価するわりには、敗戦と新憲法によって国民主権の民主国家になったことに冷淡である。
 60余年前、小泉首相のように政治の刷新を唱えて登場し、国民的な人気を得た近衛文麿がたちまち日中戦争を拡大し、東条英機の陸軍に道を開いて日本を破滅にみちびくことになろうとは国民の90%は予想もしなかった。
 その90%が間違いをおかすのである。圧倒的人気は時として危険な要素をはらんでいる。反対派の口を非国民といって封じ、冷静な判断を失わせるからである。
               (2001年6月7日 聖教新聞)


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