中華人民共和国建国50周年と
             日中関係の課題と展望


                              慶応大学教授  国 分 良 成 先生

 只今ご紹介頂きました慶応大学の国分です。本日は私の大好きな長野県にお呼び頂きまして非常に嬉しく思っております。又、長野県日中友好協会はその歴史と規模共に日本の中では抜きん出た存在であります。こうした日中友好協会が地道な活動を重ねて来られて今日の日中関係の基礎を築いたという意味で、この様な素晴らしい席にお呼び頂きまして非常に光栄に思っている訳であります。
 さて、本日テーマとして与えられましたのは建国50年の中国と日中関係ということですが、この話を展開致します前に若干序の様な事を話してみたいと思います。
 考えてみますと、日本と中国との関係のみならず、日本と例えば韓国との関係、20世紀の後半はどうかと申しますと確かに最終的には外交関係を樹立し、基本的には友好関係を樹立した訳ですが、しかし本当にお互いの信頼醸成が出来たかというと実は必ずしもそうではなく不十分だったと思います。勿論以前とは大分異なることは間違いないが、20世紀の我々の教訓はやはり近隣の国々と本当の意味での信頼関係を作ることが出来なかったという反省を踏まえなければいけないと思います。確かに傾向としては良くなって来た、これは正に地道に草の根レベルで交流を重ねて来た結果である訳ですが、しかしやはり、20世紀に近隣諸国と日本がどうして色んな問題を起こしたのかという事を踏まえながら、21世紀にかけては韓国、中国この地域と日本は仲良くして行かなければならないと強く感じております。それは日本、中国、韓国が近いというだけではなくて、やはり歴史の教訓の中から何を汲み取って、21世紀にどう伝えて行くかという大きな役目を持っていると思います。
 日本人のアジア意識というものを調査しますと、アジアといった場合どうかという時に日本人にとっては東南アジアですともう半分位の人が遠く感じているんですね。アジアというと日本人にとっては朝鮮半島、そして中国、この所謂北東アジア乃至は東アジアと言われる地域をアジアと考えている人達が多いんです。アジアというのは実際にはもっともっと広がりを持っている訳で、南アジアのインドになりますと、日本人の中には10%位しかアジアという意識が無い。逆に向こうで調査すると、こちら側がアジアの中に入って来ない。ただ、例えば韓国の最近の意識調査の中で見ますとアジアの中に東南アジアは含まれて参ります。その辺の日本人の感覚というのは、20世紀の歴史の反省を踏まえて消極的部分が強くなってしまった、という様な所が有るんだと思います。勿論アメリカとの関係も有りますけれども、やはりアジアとの友好関係というのは非常に重要である。その場合に日本がその隣にある韓国(北朝鮮を含んだ朝鮮半島といった方が妥当だと思いますが)や、中国とどういうふうな関係を作るかということが、重要だと思うんです。
 先週は私は韓国と中国へ行って参りました。総理の私的懇談会で21世紀日本の構想というのが有りまして、これは一つの政権とかそういう問題ではなく、日本がどういうふうに21世紀に生きて行くのかという問題を真剣に考える委員会です。私が関係しているのは日本が一体世界の中でどう生きて行くのかというテーマを与えられた分科会で、そのミッションとして韓国と中国を訪れました。つまり韓国と中国に先ず行くべきだと、それでなければ21世紀は始まらないだろうという意識から行った訳であります。
 先ず韓国との話を少ししますと、韓国では例えば金鐘泌首相等にお会いすることが出来ました。非常に印象に残ったのは歴史の問題が、非常に多くの方にお会いしましたが殆ど出て参りませんでした。これは我々が逆に問題を提起しました。しかし何時の間にか消えました。これは韓国に起こった今年からの現象だと思います。恐らく、金大中さんが大統領になられてからの現象だと思います。歴史上の日本の侵略の問題、植民地化の問題というのは勿論、根底的には皆さんに有る訳ですけれども、今は表に余り出て参りません。寧ろ先の事を考えましょうということを向こう側から言ってくれる様になって来ました。
 今、日韓関係はどうかと言うとあらゆる部分で非常に良好です。例えば日韓自由貿易協定を作ろうという話が出ていますが、これはお互いに色んな障害が有りますので当然そんな事はすぐには不可能だと思いますが、只それへ向けてどうにかやって行けないかという話はもう大分具体的に話が煮詰まっておりました。同時に観光客を見てみますと、今韓国へ行く航空券はなかなか取れません。1カ月先2カ月先もなかなか取れない状態です。殆ど観光客なんですが、女性が殆どであります。これだけ実に韓国と日本の間の色んな水面下の動きというのが起こっている。そして2002年のワールドカップが有ります。
 昔は客観的に見ますと日中関係がずっと先行していて、日韓関係はなかなか難しいという思いが有ったんですが、今や日韓関係の方がもの凄い勢いで動いています。勿論これは競争ではありません、寧ろ相乗効果で、つまりは日中との関係というものを更に結び付けて行くことが出来ないだろうかという事です。
 その過程の中で一体どうして韓国が日本との間でこういう会話を出来る様にして来たか、私も以前韓国に入る時は何時も肩肘を張って入っていたが、今回は全く肩が緩んで参りました。こうした動きの基礎の中に有るのは多分二つの要素ではないかというふうに私は思いました。
 一つはグローバリズムと言う世界の中の一つの潮流が有ってその一番大きな経済の市場化の問題、これを日本も避けれるとも思えないし韓国も避けれるとも思えない、勿論国はそれぞれの利害関係が有るし、それを或る程度理解しながらも同時に一体どうグローバルな世界で生きて行くということを考えなければいけない。つまりは世界の一員としてお互いに生きる様になって来たということで、お互いに日本と韓国だけという意識だけではなくて世界の一員として生きて行くというそういう相対的な意識が少しずつ出て来た。
 それから第二の点は、韓国の色んな人達の話の中で基本的了解事項として出来たのが民主主義という概念でした。つまり経済が豊かになっただけでは駄目だ。つまり韓国の民主化というのは丁度12年経ちました。これがベースに成っているのではないか。つまりはお互い日本も韓国も民主主義社会であるという所で色んな意見が出るけれども、お互いにマスコミも色々利用するけれども、しかし主流の部分ではキチンとやって行こう、という意識が出来上がって来た、色んな意見が出るのは寧ろ健全であるという考えが段々出来上がって来た、という訳です。或る政治学者は民主主義同士は戦争はしないと言うんです。これはまだ完全には証明されていませんが、一つの要素である事は間違い無い。社会の開放性は社会のお互いの安定を作り、お互いの基礎を作って行くという意味ですが、これは中国との関係の中でも将来的にどの様に出来上がって行くか大きな示唆を投げ掛けている。こういう感じを私は持っています。
 そこで中国の話になる訳です。ご承知の様に、此の一年ぐらい、或いはもう少し広いスパンでは、これは特に天安門事件以来ですが日本の中国に対するイメージというのは、ずうっと低下しているんですね。悪化の一途であります。これをどうにか修正出来ないかと我々思っているんですが、なかなか修復出来ない。ご承知の様に此の数年「余り親しみを感じない」という人の割合が政府の調査では高くなってしまった。これは由々しき現象であります。それ迄の80年代に於きましては、時にはアメリカ以上に親しみを感じるという位のアンケート調査が出た。大体70%台が親しみを感じていた。今、完全に50%を割っています。片や韓国はどうか。まだ韓国の方が低いんですが、逆転現象が起きるかも知れないという様な状況であります。一体どうしてこうなったんだろうか、という事を丁寧に分析しなければ行けないんですが、分析だけでは間に合わない現実の関係が有る訳です。
 私も今平均二カ月に一回は中国に行くようにしておりますが、何時も何をどの様にしたら良いんだろうと考えます。ご承知の様に昨年江沢民主席の訪日の際に歴史問題を廻って色々ギクシャク致しました。現在中国は今年に入ってからですが歴史の問題を提起することは有りません。殆どこれについては成功であったということでお互い何も言わない事にしようという大人の態度を取っています。それで解決としては良いだろうと思いますが、ただやはり水面下に有るお互いの意識を、これをどうにかくい止めないと行けないと思う訳です。丁度先週の訪中で共産党の有名な理論家に会いましたが、私は彼とかなり大論争をし、その中で、私自身の普段思っている事を率直に申し上げて参りました。日中関係との関係で面白かったのは、私の観点からすると去年あれだけ歴史問題に触れて今年は全く無くなる、つまり時には出て来たり、時には無くなる、これは中国は一体どういうふうにこれを考えているのか。過去の日本の侵略は事実だが、それが出たり入ったりして行くとそれ自体が、日本人から見たら非常に一貫性の無いものに見えて来る。今年なんていうのは日本の動きから見たらもっともっと言う時期かも知れない。にも拘わらず出て来ない、何故かと。これは非常に不自然だというふうに申し上げましたけれども、その一貫性の問題については実は非常に悩んでいることは答えから察することが出来ます。つまり外交の方針、対日政策に原則は有る。しかしそれは何時も振れてしまう。これをどうしたら良いかという問題です。
 その党の理論家が一つ最後まで繰り返した言葉が有ります。それは何かと言いますと日本と中国は「戦略的関係」を持たなければいけないという事です。戦略的関係というのはこれも実は日本の方が、日本と中国の関係をどうするかという時に、例えば江沢民主席が来る時にアメリカやロシアと同じ地位に持って行きたいという所で、それが出来ないものかと打診した時に、中国側はそれは出来ないということになった。ところが今回は「戦略的、戦略的」と繰り返しました。実は「戦略的」という言葉は、此の間小渕さんが7月に中国に行きました時に一回だけ江沢民さんが喋っているんですね。今回この理論家は多分10回以上「戦略的関係」という言葉を使いました。この「戦略性」というのはどうも軍事用語の様に聞こえますが、長期的な広範囲に亙る関係ということです。日中関係では何故嫌がったかというと日中は日中だけで良いんだという理解が若干有った訳です。つまり戦略性ということで、アメリカとの関係或いはロシアとの関係或いは世界的な問題に於いて日中関係をどうするかという観点を中国側は余り取りたくなかった。それが今回出て来たということは多分方針が変わったなということです。私はそれ自体を批判しました。それが急に出て来るとはどういう事か、これはアメリカに苛められているからそういう事になるのか、WTOに入れて貰えないからか、コソボで色々有るからか、台湾で色々問題を起こしているからか、だから日本が必要なのかと。そういう状況的なものでは困る、もっと真剣に日本の事を考えて欲しいということを私は申し上げた。勿論向こうは、そういう事ではなく日本の事を考えているんだということを言いました。しかし、全体としてはやはり我々が客観的にものを見て行くとずれが有る。ずれが有るのは良く分かります。それは中国自体が国内の状況が非常に不安定であるというのが有ると思います。それが色んな形で出て来るというのが有るんです。その辺の所が日本人から見ると一貫性に問題が有るではないかという気がしている訳です。勿論向こう側から見れば日本の中にも何処かの政務次官がああいう発言をして問題を起こしておりますので、そういう問題は日本側にも有るということを申し上げなければ行けないだろうと思います。
 今回、もう一つ日中関係で面白い話を聞きました。胡耀邦さんは1984、5年の段階で日中関係で一つ言葉を使うのを止めた、それは何かと言うと子々孫々(世々代々)という此の言葉で、実は日中関係ではそれ以来使っていない。私はびっくりしました。胡耀邦さんが日本との関係が子々孫々では長過ぎて何の事かよく分かりにくいと、つまりこれでは抽象的過ぎて分かりにくいので、もっと具体的にした方が良い、胡耀邦さんは21世紀に向けての日中友好関係にした方が良いと言った。それについて 小平さんも承認した。それで日中友好21世紀委員会が出来たんだという話を聞きました。これは私も全く知りませんでした。つまり胡耀邦さんにしても実はそういう所にメッセージが有った訳ですね。我々知りませんでしたそんな事は。 中国は漢字の国ですから漢字の一つ一つの中に先程申し上げた様に戦略性という言葉を先ず江沢民さんが一回何処かで使ってみる。日本ではそんな事誰も気が付かない。しかしそういうことをきちっと言ってくれれば良いんですけれども、なかなか我々の側からすると分かりにくい。そういう所で少しずつ言葉を変えたり、色んな順番を変えたりするというのが、中国の実際の政策のやり方なんですね。その辺を如何に我々が読み取るかということですが、それ自身なかなか難しい所が有る気がします。その意味では説明が欲しい感じがします。
 何れにしても私は日中関係の中で一つ問題なのは、今言った一貫性とかお互いにそれぞれの国内政治が影響を与えて来るという所が有りますけれど、関係そのものがどうも政府の問題、つまりお互いの国家と国家で起こる問題に実は下の方まで巻き込まれ過ぎるのではなかろうかという気がします。どうも日中関係の基本というのは依然として政府主導型という形になってはいないのか、これは勿論中国の政治体制の問題も有りますけど、どうもあらゆる問題が政府でないと駄目だという傾向が日中国交回復以後強過ぎるのではないかと思う。関係の基礎は普通の民主導型、民間主導型で草の根レベルで出来上がって来ているのに、それをどうも上の方だけで壊してしまう、そういう傾向が有るんじゃないかという気がする訳です。従って我々がやるべき事は、やはりどういうふうに関係を考えて行くか、日韓関係が良くなって来たというのは実はそこなんです。勿論政府は有るんですけど、それに金大中さんが一言言ったのは大きいんですが、それ以上に現実の社会レベルの色んな交流がもの凄い勢いで進んでいます。同時に観光客も増えている。そういう所のレベルの交流というのが重要なんです。我々の日中関係を考える場合にどうやって交流することが出来るか、つまりこの様に日中友好協会が地道にやっている活動が、どうやってそれが政府や或いは中間層との間でサポート出来る様なシステムが作れるかということの方が重要であって、上が崩れると全部崩れるという関係では困るんだと。これは21世紀にどうにかして行かなければいけないと私は思っております。
 実は此処迄が前段階のお話しでありまして、もう既にかなり結論めいたお話しをして参りました。此処から先は私の本題になる訳でありまして、私の本題の話は一つは建国50年をどう評価するかということ。二つ目はその中で日中関係をどうするかという、この大きな枠の話を今から約1時間に亙って、私なりの考え方を申し上げてみたいと思います。
 さて、中華人民共和国建国50年、これは1949年から1999年の50年を指しています。この50年中国は非常に大きな変動を繰り返して来ました。例えば指導者というものを考えてみますと最初は毛沢東主席、それから華国鋒さんという方が一時期政権を担当したが、そのケ小平さん、そして現在の江沢民さんという形に移って来た。人物はこの様に流れたけれども、実は政策はもっと大きく揺れています。最初はソ連型の社会主義を目指すということでソ連のモデルを学習し、ソ連との友好関係を作りました。しかしそれは10年も続かなかった。そして中国自身が自力で開発するんだということで、大躍進或いは文化大革命というのを展開しました。その後ケ小平さんの時代になって、改革開放という時代に入ったんです。その間、天安門事件も有りましたが、基本的にはその後90年代に入って経済成長の時代を謳歌するようになった。最近ではやや経済に陰りが見えておりますけれども、基本的にはそういう流れです。そこには大きな揺れが有ったということは間違い無い。これは指導者とその権力の関係と大きく繋がっていたと言えるだろうと思います。
 又、外交という点を考えて見ましても、最初は中ソ同盟が有ったものが、その後、米中接近という形で冷戦体制の中でいきなりアメリカと手を結びました。この時日本が通過された訳ですから日米のコミュニケーションギャップというのがその頃よく叫ばれた訳です。米中の接近は中ソの対立ということから起こった。その中ソの対立は何故起こったかというと中国自身の主体性の問題、中国自身がソ連との関係の中でかなり主体性を失って来たという部分に於いて中国のメンタリティも有ると思いますけれども、その自立性をソ連に対して主張するようになった。その辺から大きな矛盾を生み出すようになった。そして冷戦後どうなったかと言いますと、中国の外交というのは基本的に全方位外交です。これは元々日本の福田首相が言い出した言葉ですけれども、現在の中国の外交方針は全方位外交で何処とも仲良くする。ただ中国自身は公式文献でも、何処でも明らかにしていますが、全方位外交と言っても外交の機軸はアメリカであることは明文化させております。しかし同時にアメリカとの関係をきちっとしながらもそのパートナーシップをどういうふうに作って行くかということで、日本或いはヨーロッパの国々、同時に中国自身は最近パキスタンやインドに対しても、或いは中央アジアの状況についても非常に敏感になっていますけれども、そうい所ともパートナーシップをとっている。
 この様なつまり色んな動きの中で予想を越える様な展開は幾らでも起こって来た訳です。先程の米中接近にしても文化大革命というものについてもその中身が何であろうかということは終わってから10年しないと分からなかったという現実が有ります。大躍進政策にしても一体何が有ったか、ご承知の様に大躍進政策そのもので大失敗を起こし約3000万人の餓死者を出してしまったという事実は中国政府も公認している訳ですけれども、そういうことも20年経って漸く分かって来たということが有る訳です。
 つまり中国というものを見ておりますと、この揺れの激しさ、その中で如何に我々はどうやってそれを見て行くのか、研究をしている我々にとっては現代史を研究することの怖さ、難しさというもの非常に感じる訳であります。私も学界に居ますが自分自身の研究の軌跡というのが有りますから、それ自身を引きずりながら現代というのは存在している訳で、今の時代の中で中国の変化を如何に捉えるかをもう一度考え直さなければいけないと思っております。つまり中国に関心を持っている人も、これ迄かなり振り回されて来た。中国を見る目というのはどうやって一つの、一つではないと思いますけれども視点は何なのかと、そこが大事だと私は常に思っております。ある一定の線でもって中国を見て行くのでなければ絶えず揺れてしまう、つまり状況によって揺れてしまうことも有ります。中国が揺れる以上に回りが揺れてしまうということもそうであります。それはつまり何処をどう見るか、例えば中国の「脅威論」とかそういうものもそうであります。私はあれはおかしいと思いますけど軍事的な傾向というのは80年代の方が実は問題は沢山有ったです。核実験にしても軍事費の増強にしても或いは人権の問題など色々有った。しかし80年代は米中関係は非常に良かった。何も言わなかった。それが天安門事件が起こってからワーッと言い出して「中国脅威論」になった訳です。軍事的な傾向から言いますと実は90年代に入って良くなっているんです。核実験回数も減っているし、それから国防費も全体の財政費の中では減る傾向にある訳です。その意味では悪くない傾向にある訳ですから何で以前「脅威論」を言わないで今言うのか。これは状況的であるというふうに私は思います。
 何れにしても、一貫した線をもって物事を見ていく、そのトレンドをどう捕らまえるかが大変重要であると私は思っております。何れにしても中国から今色んな資料が沢山出て来ておりましてその資料を見ているだけでも間に合いませんが、その中に書いてある中国の50年間の歴史というものは如何に凄まじいものであったかということが伝わって来る訳です。我々は学者ですからそこにどういう政策の論争が有ったのか、或いはどういう路線の色んな違いが有ったとか言いますけれども、もっとどろどろした人間のドラマというものを感じさせるような資料とか回顧録とか或いは内部の色んな文献が出て来ます。中国人が書いた物を見ますと大体権力とかもっと人間のどろどろした葛藤とか、そういうところに主眼が有りますが、同時にそれらをもう一度相対化してどういうふうに中国の50年を位置づけるかは、もうちょっと先にならないと恐らく無理だろうなという感じがしております。そういう前提を置きながら50年の歴史をどう総括するかということであります。
 やはり先ず我々がやらなければいけないのは、この50年でどういう成果が有ったのかということであります。その50年の成果という点で考えてみますと私は大きく分ければ2つ有ったと思います。
 先ず第一の成果は中華人民共和国という独立国家を一応樹立したということであります。中国の歴史で近代史は大体1840年の阿片戦争から始まります。如何に中国は侵略されたかという観点から記述が始まり、それがどうやって社会主義に到達したかという歴史の記述になっている訳です。
 実は昨日も中国社会科学院の近代史研究所の所長さんと一緒に夕食を食べたんですが、中国でも色々な解釈が有ることを教えてくれました。それはどういうことかと言いますと1840年の阿片戦争から近代を起こすことは基本的に変わらないけれども、それが社会主義政権をどうやって打ち立てたかという共産党歴史観とは若干違うものも有る様です。例えば、1840年から中国がどういうふうに自らの主権を回復して来たかという民族主義、ナショナリズムの歴史を基軸として近代史を描くという傾向がこれから必要なんだという主張も有ると言っておりました。つまりこれまでの中国で書かれた歴史というのは全て中国共産党の歴史観でした。何故中国共産党が政権を取れたのかという歴史観だったんです。勿論関係は有るんですが、それが何故社会主義に正統性が有るのかというところに若干修正を加え始めて、寧ろナショナリズム(民族主義)としてどうして必要だったのかという様に記述が変わりつつある物も多い様です。ご承知の様に中国は主権という言葉を繰り返して使います。中国の外交文書の中で言葉としての頻度数というのを数えたことが有るんですけれども、主権いう言葉は確かに多い。実は今どの国際会議に出ても中国の代表は必ず主権、国家主権という言葉を入れろと必ず言います。問題は今のグローバリズム、つまり国境を越えるような市場経済化の社会、情報化の社会の中で主権ということが何処まで拘れるかという状況にある訳です。この主権という言葉に中国が拘るのは勿論阿片戦争以来中国は、西欧列強にずたずたにされた、そして毛沢東の言葉を借りれば、半植民地の状態にされた、そしてその後日本の侵略に遭った、ということになる訳です。それを打破したのが中国共産党だった、つまり中国共産党が無ければ今の中国が無いんだという、そういう言い方になる訳です。
 であるが故に香港の返還ということに関しては中国はもの凄く心を砕きましたし、同時に今年の12月20日にあるマカオの返還ということに関しても最も大事な目標として設定している訳です。勿論最後は台湾の統一です。考えてみますと毛沢東は中国革命を成功させ中華人民共和国を作ったという、その建設に関しては色んな問題が有りますけれど、そこに於いて業績が有る。ケ小平さんは改革開放を始めた。天安門事件という苦しい状況は有ったけれども改革開放をやった。では江沢民さんは何をやるのか。江沢民さんは台湾問題の解決、これを心に決めた訳ですね。そして、彼が国家主席をやめるのは2003年ですが、それまでにはどうにかしたい、ということを言い始めた訳です。それで台湾問題でアメリカに対して要求をしました。アメリカとの関係改善の過程で中国は大分譲歩しましたけれども、その時に中国がアメリカに要求したのはアメリカに台湾を押さえてもらう、これに対してかなりアメリカは躊躇しましたけれども、昨年度までは台湾に対してかなり圧力を加えました。その結果として台湾は対話に応じて来た。中台の対話というところまで来た訳です。その様な背景が有った訳ですが、こうして中台関係が軌道に乗るかと思ったところ、ご承知の様に李登輝さんの台湾と中国が「特殊な国と国の関係である」という発言で、こじれた。その間中国はアメリカとの関係で色々な問題でこじらせました。最近の台湾の地震でもって、またちょっと中国は前の状態に戻って落ち着いた。中国は非常に苦しい状況にあると思います。既に江沢民さんは発言を変え始めました。最近ヨーロッパで彼は台湾問題を来世紀の半ばまでに解決したいという言い方に変えました。私は先週中国へ行きましたけど中国は今あらゆる面で苦しいだろうと思います。中国というのはご承知の様に面子の国でありますから、それを表にすることは出来ませんけど、台湾問題で江沢民さんがそう言わざるを得ないというところまで来てしまった。こうした中でまだ台湾については今後もどういう動きが出てくるか分かりませんが、中国は次の次の次の手ぐらいまで読んでいます。ただそれに対してどう対応するか非常に困っています。
 ついでながら台湾問題で中国が今一番気にしているのは憲法改正の問題です。台湾の憲法改正というのは日本よりもっと容易に出来る可能性が有るんですね。これは先程言った特殊な国と国の関係をいう文言を憲法の中に規定して李登輝さんはやめたいと思っている可能性が有ります。これを規定したら独立と見做す、と中国は最近言っています。独立と見做してしまったならば武力を使わなければならない。武力を使ったら国際非難を浴びる。それから経済的にも苦しくなる。外資も止まるかも知れない。それ以上に李登輝さんは又次の手を打って来るかも知れない。そういう思いが有るものですから武力は使えない。それを李登輝さんも知っているから次の手を打って来るだろう、そういうやり取りなんですね。頭の中でのシュミレーションがサーッと何時でも浮かんで来ます。何でそんなことをお互いやっているんだ、最初の所で紐解いてまあまあという気持ちになるんですけれども、やはりお互いの面子とかそういうところが有りますのでなかなか頭が熱して来るとどうもうまく行かない。客観的に言えばもう少しお互い落ち着いてという気持ちになる訳ですが、なかなかその辺が難しい。何れにしても私が申し上げたいのは、台湾を最後に統一して中国はこの主権の問題を回復するというのが一貫した主張であるということです。
 第二の中国の成果それは何かというと、中国は飢餓の問題を解決した、つまり食べられない状況から食べられる状況にした、これはもの凄い変化であるということです。毛沢東さんの言葉を借りれば半封建時代、つまり半分封建社会だったのを変えたという訳です。それによって平等な社会を一応作って来た。これは社会主義という理念によって平等を実現したと、確かに飢餓と貧困というのは中国では大変なものでありました。1850年〜1860年にかけて太平天国の乱が有りました。この10年間に中国の人口は4.3億人から1.7億人死に2.6億人に激減しております。こういう歴史を経験しております。これは太平天国の戦乱及び飢餓が原因です。それぐらいのもの凄いことが中国に起こり、それが実は人口調節という形にも実質的にはなって来た訳です。1840〜50年から1949年くらいまでの間に人口は殆ど変わっていません。約4億から5億というのがずっと続いていたのは侵略、同時に一番大きかったのは飢饉による餓死であります。そういう状況が中国に有ったのが、49年以降は現在でも農産物が余っています様に、問題も解決することが出来たということであります。ただ勿論先程申し上げた様に大躍進で3000万人の餓死者を生んだことも有る訳ですが、しかしこの50年間で人口を7億人も増やした訳ですから、これは歴史上無い「人権国家」であると言えないことはないくらいに飢餓の問題は解決することが出来た。問題はこれからまた色んな問題が出るかも知れないし、確かに格差の問題も有るかも知れないということです。
 ただ、先程の二つの成果というのは1950年代くらいまでの段階で大体解決して来たものであるということと、同時にこの二つというのは50年前までの中国共産党の正統性の問題になって来ると思います。過去にこんなことが有ったんだからそれで良くしたんだ、つまり解放したんだ、つまり過去の中国共産党が政権を取れた正統性という所にどうしても偏り過ぎている。つまり主権の確立と飢餓からの解放というところに偏り過ぎている。問題はどういう豊かな社会を作るか、どういう民主的な社会を作るか、そうして如何に国際社会の中で一定の地位を有する、そういう世界から信頼される様な安定した社会を作るか、そういう点から見て行きますと中国のこの50年の歴史に、実は問題が無かった訳ではない。この点について私はお話をしていきたいと思う。
 つまりは次にお話ししたいのは50年の歴史的な課題ということです。中国に於ける49年以来、と言うよりは多分20世紀中国の課題を、21世紀にどういうふうに解決して行くか、そこにポイントが有るということを申し上げたい訳です。これからお話し申し上げることは別に私自身が思っている事ではありますけど、同時に中国でもオープンにかなり議論されている事であります。勿論まだ人民日報とかそういう公式なメディアには出ておりませんが、中国の内部では百家争鳴状態ですから中国の中では何を言っても良い状態です。本当に中国の中ではもの凄い議論が起こっています。それこそ中国に於いて大統領制を導入するかとかそんな話まで出て、エリツインのやっていることを見ていると大統領というのは結構権限が有るなと、上からやって行くことが出来るということで大統領制は出来ないだろうか、江沢民大統領は無理だろうかとそんな様な議論まで実は内部では有ります。或いは連邦制の議論とか色々有ります。 そうした内部の議論を色々整理して行く形で私の考え方をアレンジして申し上げたいんですが、先ず第一の課題は何かというと社会主義体制そのものということであります。先程申し上げた様に中国の歴史学者に社会主義という命題よりも寧ろ、民族主義ということを価値として捉えるということも出て来ている訳です。それは社会主義というものが本来は生産力の高い社会であったはずだけれど中国は遅れた社会であった。そこで社会主義を入れた、つまり社会主義というのはある意味では中国を独立させるための解放のためのイデオロギーであった訳であります。社会主義をどう建設するかということについては毛沢東とケ小平さんは大論争を繰り返して来ました。社会主義というのは一体どういう社会かというと生産力の高い豊かな社会だと、しかし中国は豊かではない、その為にはどうやったら社会主義に行くのか。毛沢東さんは先ず社会主義の制度を作った方が良いだろうと、社会主義を作ってしまえば従来有った封建的体制が崩れて皆生産に従事して、一生懸命労働したいという気持ちになる、社会主義にした方が生産が増えると考えた訳です。ところが 小平さんや劉少奇さんはそう考えませんでした。先ずある程度生産を増やしてからでないと社会主義に行けないぞと、つまりある程度豊かな社会を作らないと分配するということの意識が出て来ないというふうにケ小平さんは考えた。これが文化大革命での大論争になった訳です。でも毛沢東は社会主義はとにかく作るんだ、体制を作って、それをやれば生産が増えると思った訳ですけれども、それでもって社会主義革命ということで毛沢東は革命を繰り返した。ところが結局生産は増えなかった訳です。それは平均主義の問題で、働いても働かなくても結局給料は同じだという様な状況が起こって来た。そこでケ小平さんの時代になってから元に戻した訳ですね。もう一度生産を増やそうと、そのためには社会主義といっても、我々は豊かでないんだから社会主義の前段階の資本主義を少し入れてやりましょうよということで、最終的には社会主義初級段階とか或いは社会主義市場経済として折衷型の発展モデルを出して来た訳ですね。つまりは社会主義は将来目標であって現在は市場経済、つまりは資本主義を入れるんだということを実質的に容認した訳であります。そこで残念ながらケ小平さんは亡くなられてしまった訳であります。ケ小平さんの亡くなられた時代までは、まだ経済成長が有った時代であります。今何が問題として起こって来ているのかということでありますけど、幾つかもう既に問題は起きて来ております。それは何かと言いますと、社会主義か市場経済かという問題であります。社会主義を採るのか市場経済を採るのかという問題です。これまで経済成長という名の下でこの問題が矛盾を来たして来なかった。これがどうしても矛盾を来たし始めた。どういうことかと申しますと、社会主義というのは公有制つまりは国家が土地、国有企業を所有する。株の多くを保有している。そういう状況を指す訳ですね。同時に共産党の指導ということです。これが社会主義の意味ですね。しかし、最近の憲法改正でももう既に出て来ましたけれども公有制だけつまり社会主義のそういう様な形だけだと土地をそのまま公有制で私有制を認めないと、なかなか最終的に市場経済への道へ進むことが出来にくいということですね。つまりは最後に誰がこの権利を持っているんだという時に、いやこれは国家が持っているんだと最後に言われて全部没収されてしまったらこれは困る。海外の企業にしても、その辺の所は非常に不安な訳ですね。契約をしても最後の責任は誰が取ってくれるのかと、最近起こったGITICという広東の信託投資公司の問題もそうですけれど最後に潰れた時に責任を誰かが取ってくれるんだという時に、それが元々政府系の企業だったから政府がバックアップしてくれるのかと思ったら、全然政府は関係無い、あれは民間の問題だから政府はタッチしないということで日本が怒った訳ですね。その辺の所がどうもクリアーじゃない、つまり財産権の問題或いは私有権の問題、この辺の事について実は中国の経済界でも論争になっています。しかし私有制を認めたらこれは資本主義です。社会主義をやめたということになってしまいます。それはつまり共産党の指導に響いて来る訳ですね。今問題になっているのは、「資本家」と言って良いかですか、民間の企業家が今沢山出て来た訳ですね。その人達を共産党に入れようとしています。しかしそれで共産党が本当に労働者の政党なんだろうかというと、これについても中国内部では色んな論議が有ります。ですからそこまで踏み込む勇気は多分今の段階では無いだろうと思いますし、やってしまったら、今の政権そのものの前提というものが崩れて参りますから、これは大きなビッグバンです。で江沢民さんはそこまでやる気は無いと、ちょっと前までは言ってたそうでありますけど、どうも状況が難しくなって来た。中国がWTOに入りたい、入りたいと言っているのもこれはやはり経済の問題です。外資が無ければ中国経済が動かない。
 第二の問題は50年の課題としては民主主義というものをどう考えるかということであります。これはまだ中国に於いては未成熟であると。民主主義というのは分裂することでも混乱することでもありません。つまり国民の政治参加をどういうふうに制度化するかというのが民主主義です。これは一般的に選挙という形になるんですけれども、つまり国民の声をどういうふうに政治に投影させて行くかというその制度を作ること自体が民主化であります。例えば村民選挙とかやってますけど、最近では共産党が負けてしまうと、いきなり副村長として共産党が入って来るとか、そういうことをやっています。そういう問題がどうしても民主主義の過程ではある。何故そういうことを導入したかというと多分共産党が勝てるだろうと思ってやっている訳ですね。実は勝っている所も多いんです。勝っている所も多くてそれでもって信任投票の形で共産党が指導するということになって来る訳ですけれども、やはりそれで本当に国民の声が届くかどうかということであります。今では非常に政治腐敗が多い訳ですね。これは何故かと言えば共産党が指導している市場経済ですから、つまりは共産党が政治的に介入することを制度的に保障している訳ですね。こういう政治体制ですから当然汚職が生まれるのを制度的に認めているということにもなりかねない訳であります。やはりこの辺はどうにか考えなければいけないけれども、やはり根底的に有る問題は共産党の中の民主主義だと。共産党の中をどういうふうにもうちょっと透明性を高め、そして同時にどうやって上のリーダーを選ぶかの手続きを作るか、つまりは最大の問題はやはり今のトップのリーダーをどうやって党の中で選んで行く手続きを作るかということだろうと思います。これ迄は必ず前任者がその後を指名するという形になっていますがそれで国家全体の13億を束ねる訳ですから、後継者を選んでいくかというそのメカニズム形成を少なくとも共産党の中で始めて行く努力が必要だと思っております。何故かというと毛沢東は劉少奇を最初に選んで文化大革命で切り、その後林彪を認めたが林彪を自ら切りそしてその後華国鋒さんを任命したけど華国鋒さんは落ちて行った。ケ小平の時代は先ず胡耀邦さんを任命したけど胡耀邦さんを切った。その後に趙紫陽さんを任命してまた切った。そして最後に江沢民さん、これではやはり国民の信頼は受けないだろうというふうに思うんですね。此処の部分は踏み込める勇気が有るか無いかという感じがして来る訳であります。ただ私は中国の指導部の悩みもよく分かります。それは自分自身が、例えば私も中国共産党の大幹部でど真ん中に居たらひょっとしたら自分の持っているもの全部を失うかも知れないという恐怖とか、それは人間だから誰でも有るだろうと思います。同時にもっと国家のことを考えれば、それをやった時国家がどうなっちゃうだろうかと、全体としてこの一体性が持つだろうかとかそういう危機感を持つのは大体理解出来ます。しかし遅らせれば遅らせる程問題が大きくなる可能性も有るということをやっぱり考えなければいけないし、その為にはどういうふうに先を作って行くかということを考えなければいけないんじゃないかと私は思っているんです。
 何故かと言うと第三番目の起こっている問題が国家の統合力が緩んで来ていることですね。つまり今申し上げた様に共産党の中にしても何にしても百家争鳴の状態です。地方で何が起こっているのかよく分かりません。こんな所で3000人の暴動が起こっているとか、或いはあそこで飢饉が起こって餓死者が何万人出たとか、北京に居ればそれだけで色んな情報はもうゴシップの様に沢山入って参ります。チベットで又暴動が起こったとか噂だけは沢山伝わるけれど何が起こっているかは分からない。ただ確かに地方に行ってみると色んな事が起こるだろうなということが何となく感じられる状況は我々のこの肌身で感じて来る訳ですね。そういう状況の中で格差が広がり、或いは少数民族の問題が有り、中国が非常に国家主権の問題に拘るというのは正に此処に有る訳です。コソボの問題に対し何故あれだけ拘ったかと言えば最近漸く国際会議で中国は言う様になりました。あの問題は我々の問題だと、新疆ウイグルで何か起こったらどうするんだ、と最近言う様になりました。確かにそのとおりですね。つまりは新疆ウイグルにしても考えてみたら漢族とウイグル族が約半分ずつです。全然同化していませんから境界線に沿って機関銃を持った兵隊が並んでいる訳です。だから何も起こらない。しかし中央が緩んだら漢族の兵隊たちは怖くなって逃げるはずです。その時に此処で何が起きるか非常に不安ですね。これがつまりコソボである様な、或いは東チモールの様な、そういう問題が起こらないとも限らない訳ですね。中国の北京から考えればそういう事が心配になる訳であります。中国の指導者にとってみればそれはそうだろうけれども、歴史の歩みというのは一体何だろうか。今皆が言う言葉は「メイバンファ」仕方ない、どうしょうもないという話になって来る訳ですね。とはいえお互いに痛みを感じなければいけないだろうと思う。これは他人事ではない、日本も色々問題を抱えているけれどその規模が違う。日本の26倍の規模が有る。
 第4番目に中国は国際的な信頼感をかなり勝ち取ったことは間違い無い。しかしまだ不十分である。中国は国連安保理の常任理事国の一国であり拒否権を持っている。確かに中国の拒否権の使い方というのは慎重です。ただ台湾の問題についてのみ拒否権を使ったことが有る。台湾がごちょごちょ動いた時にだけ使います。それ以外に使ったことは無い。ただ台湾の問題といってもヨーロッパでやっているPKOに中国は反対した訳です。何故なら台湾がその国と良い関係を持ったからですね。そういうことをやるということ自体の感覚はちょっと問題が有るというふうに思います。中国は国際組織に殆ど入っています。中国は口で色々言いますけれども実際の行動はかなり現実的でありますから、色々言いますけれども国際の取り決めには殆ど入っています。国連の人権A規約B規約もですね、アメリカに対してはぶつぶつ言いましたけれどもアメリカとの関係改善の過程でアメリカの要求に応じて人権のA規約、B規約に調印しました。ですから人権については普遍的な原理として中国は一応認めているということになります。WTOについてもそうです。多分中国はWTO無しにやって行けないだろうという意味が有るだろうと思います。それは外資が無いと困るということでありますが。それで中国の構図を見ますと第三世界のリーダーと言いますけど第三世界の組織には殆ど入りませんでした。中国というのは面白いこと言っております。社会主義の一員だと言って社会主義の国際組織に入りません。或いは第三世界のリーダーと言って第三世界の組織に入らない、そこには多分中国の特色を持つ社会主義、中国の独自性とか主体性とかそういうものが絶えず出て来るんだと思います。これで実は外交行動にも出ちゃう訳です。やっていること自体は凄く普遍的でCTBTという核実験の包括的禁止条約にしても中国はぶつぶつ言いながらも調印しましたし、色んなものを認めて来ている。そういうものを認めるんだったら比較的素直にハイと言えば良いんだけれども、色んなことを言って最後にやるもんだから外から嫌われてしまう。つまりやり方が非常にまずいと思うんですね。それは勿論国内向けということが有る。国内にどうしても説明しないといけない。しかも煩い奴が沢山居るから困るというので中国はそうやる訳ですけども、然し乍ら国際社会から見ると中国のやっている事が必ずしも、良いことをやったりしてもいるんですけれども、その説明の仕方があまり巧くなかった、或いは非常に公式的だったり。
 もう一つの問題は透明性ということですね。私も中国社会とは本当に面白い社会だし色んな人が居て、色んなことを考えてそして温かい社会だということがよく分かっています。そういうものが表に出ないで、表に出て来るのは固い顔をした中国の国家の顔しか出て来ない。これはやっぱりもったいないというふうに思うんですね。つまりはそういう点では透明性を広げて中をもっと見せて欲しいということ。一つの声じゃないということを見せて欲しいということ、これがやはり重要なんじゃないかと私は申し上げているんです。社会の透明性といのは市場の透明性を含めてそれによって責任の所在が明確になれば良い訳です。これはそう言っても中国自体が何千年来抱えて来た問題であり別に社会主義という問題ではないでしょう。中国自身の歴史の中の問題だと、これを払拭することはそんなに簡単ではないけれども、しかも我々は別に中国を変えることは出来ません。ですから我々は中国の自助努力というものを促して行く、そういう姿勢が必要だろうというふうには思っています。中国は面子の国でありますからやはり言い方というものがある。言い方に気を付けさえすれば聞いてくれる国だと私は今でも思っています。何れにしても私が20世紀中国そしてこの50年の中国を振り返った中で申し上げたいのは、それは中国自身が国家主権に拘る意味は分かる、しかし20世紀の最後の段階において我々はこの市場経済化と民主主義化という大きな命題をこのアジアの地域でも考えて行く必要が有る。その時に中国がその中でどういうふうに考えて行くかというビジョンが必要になって来るだろうと思いますね。過去の1949年まで中国はどんなに酷い目に遭ったかというのは勿論、それは歴史として我々は残さなければいけない、しかしそれだけを中国共産党の今の正統性にしてしまっては困ると思うんですね。つまり中国共産党の正統性というのは如何に中国の人達の生活が豊かで、且つどういう民主的でどういう明るい社会を作るか、それと同時に国際社会の中で名誉ある地位をどうやって占めるかという、ここに焦点を絞って行く、これが中国共産党の今の正統性であります。そういう所に移っていかなければならない。それは実は中国もよく分かっているんだと思いますけれども、分かっちゃいるけど止められないのが中国の現実でありますけれども、しかし何処かにやはり大きなある程度のショックを伴ってもやらざるを得ない瞬間が来るだろう。
 中国は今急激な世代交代が伴っていますね。ご存じだろうと思いますけれども文化大革命の世代が今50代、これが世代のリーダーとして殆どいない訳ですね。中国の場合は、60歳定年制がもの凄く厳格に敷かれていますからそういう点では今中国人のアンケート調査をしますと、一番関心の有る点は社会保障になって来ました。中国も高齢化社会を迎えて行く、急激な世代の交代が起きる、文化大革命の50代これもいない、45歳ぐらいもいませんね。ですから、殆ど相手方は40歳ぐらい一挙にこの数年で落ちます。ですから最近中国へ行くと、相手方は殆ど全てが私より年下、45歳より下でありました。それも喋る事が本当にこれは変わったなと思うのは中国自身を自ら相対化出来る様に大分なって来ているという点です。彼らはこう言います。私たちの様な此処に出て来ている人達は、中国の中ではまだ一部だが、中国を相対的に見て中国の問題も分かっています、問題は言えるけれども中国を全体に変えるのは時間が掛かりますよ、という様な内容ですね。公に言う様になって来ていますね。それから中国は如何にビジョンが無いとか、一貫性が無いとか、そういうことを認めている様になって来ました。ただこういう国際感覚を持っているけれどもそうでない連中も沢山いるんだということまで言ってくれるようになって来ました。これはやはり変化だと思いました。そういう意味では世代の交代で若い世代にはナショナリストも沢山いますけれどもその交代がうまく社会のソフトランディングに直結してくれれば良いなと思っている訳であります。
 時間がかなり迫っておりますので、日中関係ということについてあと10数分でお話しを申し上げておきたいと思う訳であります。最初に申し上げました様に日中関係というのは現在イメージが相対的にお互いに低下している。お互いにと言ってもただ中国の中での本当の意味でアンケート調査が有るか無いかというのが一つの問題になって来るんですが、かなり政治化された部分のアンケート調査も結構有りますので、ただ今例えば上海あたりへ行きますと日本のトレンディドラマがもの凄く流行っている訳です。それこそ上海あたり歩いていると茶髪の人達なんかが沢山いる訳です。どうしてこうなっているかというと、日本のトレンディドラマとかそういうものが台湾に入る、台湾に入ったものが香港に入る、香港に入ったものが中国に入って来る。そして皆がトレンディドラマを見てですね、そして日本のファッションとかそういうものを真似しているし、ご承知の様に日本料理を食べるのが中国のファッションになったり、そういう状況というのが起こって来ているんですね。だから如何に我々が固い政治の話をしても若者はもう自分たちの文化でもって共通の語り口を持ち始めているということも有るんですね。ですからこういう人達の純な気持ちの中で日本をどう思うかと言った時に、例えば本当に昔のことだけに拘るかどうかというと多分そうでないと思います。今の日本の人達にもやや歴史に拘らな過ぎるところが有りますけれども、然し乍らやはりもう少し相対化してものを出来る世代というのが出て来ているんじゃないかと私は思っていますけどね。その世代をどういう様にくっつけて行くかが重要なんだろうと思うんですけれども。
 ただ私は日中関係をもう少し政治のレベルに上げて全体の中でものを考えて行くと、大きく言えば、所謂日中国交回復の1972年(昭和47年)ですが、この72年に出来上がった体制、これ私72年体制と呼んでいるんですが、日中72年体制というものが実は大きな曲がり角に来ているんではないかと思っております。72年体制の中でも色んな問題が起こりました。教科書の問題にしても或いは尖閣の問題にしても色々起こりましたけれども基本的に解決していたんです、と言うより問題を棚上げにしたというのも多く有りますけれども、とにかくうまくやって来た訳です。何故うまく出来たのかというと、それは72年体制のお陰だと、そこには四つの構成要素が有ったというふうに思っております。私が申し上げたいのはその四つの構成要素が90年代に入って急激に変わって来たという事を申し上げたい。
 先ず第一の72年体制は何かと言いますと、その柱は所謂歴史の反省という事と日中友好という事の大原則であります。つまり歴史を鏡とするということが最大の前提だったということですね。それは戦争と侵略を経験した世代のコンセンサスとして成り立っていたということですね。お互いの合意として、もうこういう時代には絶対ならないようにしようというですね、ある種の強固な信念、これによって支えられていたものが有る訳であります。ですから日中友好と言えば問題は解決した。つまり何か起こっても日中友好、これにはもう昔の様にならないという気持ちが有った訳ですね。ところが今や世代が交代して来た訳です。日中友好という言葉を唱えただけでは実はその意味が理解出来ない訳です。私の学生ももう例えば1980年代生まれまで出て来ている訳です。彼らは戦争が終わって35年後に生まれた訳です。こういう感覚の中で実は中身だけ、やはりその問題の本質が分かって来ない訳です。勿論歴史を伝えなければいけない、しかしもっとある意味ではリアルな関係、ビジネスライク的な関係というのは、大きくなって来ています。だから中国は何を言っているんだと、中国を一つの貧しい発展途上国というふうにも見るし、同時に何かかなり口煩い国だなあというふうにも見えている。その部分でしか見えないということですね。こういう事を思っている人達でも、一旦中国の中へ行って社会を見ていると、何だこういう所かというふうに思ってある種安心な所も出て来る訳ですけれども、どうも表だけ見ていることが多い。つまり世代交代をどうやって繋いで行くかという問題がお互いに有るんだということですね。歴史を伝えると同時に一体どういう新しい関係を作る可能性が広がっているのかという事について考えなければいけません。それは若者達の先程申し上げた様に難しい事を言わなくても、それこそトレンディドラマの世界で広げて行ってくれています。そういうものをどうやって我々は理解しながら更にそこをもっと強いものにして行くかという事ですね。
 第二に72年体制を支えていたのはこれは日米中関係であります。つまりアメリカ、中国との関係を加えた形で日本が存在していたという事であります。それはどういう事かと言うと、日米中関係というのは、何故かと言うと72年の国交回復はアメリカが中国に接近したことが大きい。何だかんだと言っても大きい訳です。勿論日本の主体性は有りましたけども、同時にそれが大きい。その時に日本の条件としては実は二つ有った。一つは日米安保を認めてもらうという事と、もう一つは何か言うと賠償についてどういうふうに考えるのかと、この二つの微妙な問題を例えば竹入さん等が一生懸命水面下でやった訳ですね。そこで中国側の理解が得られたのは日米安保は中国は認めると、それについてはアメリカも説得をした。何故かと言うとソ連を封じ込めの為必要だという、そういう説明だった訳です。当時中国にとって最大の敵はソ連でしたから、そういう事でソ連を封じ込めるという事で日米安保を容認した。賠償問題についてもこれを放棄するという話は、中国の内部でかなり前に決定していたようです。つまりは日米安保の容認が無いと日中国交回復ということは難しかった部分が有る訳でありまして、その点がつまりは日米中関係という中で実は日中関係というのは存在していたという側面が有るという事ですね。これは今でも否定出来ない訳です。昨年、アメリカと中国が仲良くなった時に、日本側ではジャパンパッシング(日本通過)だと、アメリカと中国が日本側を通過してお互いに仲良くやっているとの風潮が広がりました。江沢民さんは一昨年アメリカに行く時にパールハーバー、真珠湾に立ち寄ったと。その次にクリントンが中国に行く時に日本に立ち寄って欲しかったのに、中国の要求によって日本に立ち寄らずに真っすぐ行ってしまった。それによって日本側では随分悲観論が出て来ましたね。経済危機の中で人民元がアジアを救うとか何とか言われたもんだから、それでもって非常に落胆していた訳です。しかしこれは非常に状況的な問題でありますけれども、何れにしてもアメリカという存在が実はこの中に有る訳です。ですから日本と中国という関係に於いてどういうふうに自律的に物事を考えられるかというと、日本は実はアメリカとの関係を無視して考えられない傾向が有る訳です。それ以外を除くと日本は中国との関係の中でのみしか日中関係は考えられない。中国は、例えば日本とは一衣帯水とか言いますけど色んな国と全部言葉が有るんです。全部使っている言葉が有る訳です。中国自体はあれだけ多くの国と国境を接している訳です。その中でも勿論日本との関係は最も重要な関係の一つであることは間違い無い訳です。その場合にどうもやはり、中国は戦略的思考の中で日本を位置付けて行くという、そういうパターンが強かったんですね。ですから日本とどうやるかと、日本はもう少し世界の中で中国とどう付き合うかという意識が必要であると思います。この辺の日米中関係の72年体制の組み替えが必要である。何故ならソ連がいないんですね、そういう「悪い奴」を作る必要ももう無いし、日米中で中国を敵にする必要も無いし、かといってアメリカを敵にも出来ない。日本が米中の橋渡しをするという議論が有りましたが、米中のパイプというのは異常に太いです。これは信じられないぐらいです。アメリカといってもそこにはAチームも有ればBチームも有ればCチームも有ればDチームも有りますから、Aチームが有ればBからDチームがそれを倒そうとして色んなことを言います。だから何時も何時もやり合っていますから、色んな勢力で中国政策も違います。それでもって状況的に変わって来る訳ですね。例えば今中国人でアメリカに留学してアメリカに残って先生やったりプロフェッショナルとして色々やっているのが14万人です。それからワシントンだけで色々政策に影響を与えようとしてやっているのが8000人います。こういう状況でありますから、その人達がしょっちゅう米中間を行ったり来りしてやっている訳です。この辺のパイプというのはですね、凄いものになりつつあります。しかし日本が少ないかというと世界の中ではやはり二番目に多い訳です。日中関係というのは中国にとっては極めて重要である。ですから中国にもどういう日本との関係が意味を持つのかということをやはり考えてもらいたいと思うんですね。
 それから第三番目の前提は、中国の近代化を支援するという事でもって日中関係の72年体制が有ったという事です。中国をとにかく豊かな世界にしないといけない、近代化を支援しなければいけないという事で、アメリカと中国そして日本こういう関係を含めた中で合意が存在していたと。そして日本と中国の間の経済的な補完関係出来上がる事が、日本にとってもアメリカにとってもプラスであるという理解が有った。ところが90年代に入ってこの点がですね、中国が大きくなったらどうなるんだという様な中国大国論みたいなものが出始めて、そして中国が何んか色々煩いことばかり言っているんだから、それに対して一体我々には中国にODAをあげる必要が有るんだろうかという意見が沢山出て来たんですね。つまりは何が問題なのかというと中国の現代化という事に対する基本的了解が、段々日本の中でもまたアメリカの中でも段々無くなって来ている。21世紀の中国の大国というイメージの中でやや怖さが出て来ているという事なんですね。私はそんなに単純ではないと思います。中国の中がこれだけ色んな問題を抱え、今日は具体的なお話しはしませんでしたけれども経済状況が色々問題が起って来ている。その中で全てはそんなに単純ではない。中国は日本の26倍、そして沿海だけをとれば日本と大体同じ大きさですけれども、それが26カ国有る訳です。その背後が貧しい訳ですから中国は発展途上国だと思います。そういう意味ではやはりこの辺の理解の仕方にも問題が有る訳です。
 それから第四番目は台湾問題です。これが最後ですが、台湾問題について72年体制の下では中国の領土の不可分の一部であるという事について、お互いに強い了解が有った。それによって国交回復も出来上がった。正統政府は中華人民共和国である。この点は今でも変わらないんですね。ただ問題は台湾が変わってしまった、ということです。台湾が昔の蒋介石時代の国民党独裁政権ではないという事ですね。今でも蒋介石さんの故郷とか色々中国では気を使っていますけれども、そういうパイプは今でも中国と台湾の間には有るんですけれども、台湾自体が民主化と共により台湾人の社会になって来た。台湾人は歴史的に日本との関係が深い。ある意味では中国にとってみると日本と台湾の関係というのは中国にとっての歴史問題なんですね。ですから台湾の中で有る日本の統治によってこれだけ経済発展が起こったという様な言い回しについては中国は牙を出して怒る訳です。これは歴史問題なんですね。しかし台湾が変わってしまった。台湾の民主主義、こういうものをどういうふうに我々は考えたら良いか。
 以上の様に、72年体制というものが実は90年代に入って大きく変わって来た。私はただ最後に申し上げるとすれば、毛沢東の言っている様に問題や矛盾が有ればそれを解決するのがつまり弁証法の発展でありますから、正にこれから前向きに解決する以外に無いということです。私は色んな意見が有りますけれども、一番大事なのは信頼関係だけれども、信頼関係を作るためには人のネットワークを作る以外に無いという事です。人のネットワークを3つに分けて考えると、一つは政府間、政府間では今首脳同士の話し合いを年1回必ずやるというふうに決まっています。ですからどちらからの首脳が行くという事になります。ホットラインも間もなく出来るでしょう。そういう意味ではこの関係は一応安定するかなというふうに思いますが、ただ政府間のチャンネルというのは意外に強そうで弱いんですね。誰か変な発言をしたりとか何か有ったりすると意外に弱いです。基礎としてある第2に重要なのは草の根レベルであります。正にこの友好協会であるとか、そういうものがきちんと出来上がって、それが制度化されて上からも守られていくという体制であれば良いのです。草の根というのはある意味では観光まで含めてですけれどね、それは大事だと思います。お互いのビザの問題もどうにかすべきでしょう。それから第3番目にはその中間項として一般にトラック2(ツー)と言うんですがこれが大事です。例えば自治体や有識者の様々なレベルでお互いにやり合う意見の交換会だとか自由に語れるという場を色んな所に作っておく。それが実は政府と草の根の中間項として、その繋ぎ目として重要な役割を果たし得るだろう。これらは時間が掛かる事ではありますけれども、然し乍ら着実にやって行かなければいけない。その意味ではまさに今日長野のこの日中友好協会にお招きを頂きまして、この様な私の勝手なお話しをさせて頂きましたけれども、こうした協会の活動がやはり何と言っても最後には帰るべき原点であるということを申し上げて私のお話しの最後の結びと致したいと思います。