長野県日中友好協会の活動紹介



 日中友好協会は、日本と中国の不再戦、平和友好の願いにたって、新中国の成立とともに発足し、以来、60余年の歴史を刻んできました。長野県日中友好協会は、1956年9月発足しました。

 長野県は、特に戦争中、中国との関わりが深く中国との平和と友好を願う社会的基盤が広くあります。

 長野県は、満蒙開拓団を全国一(12%)送り出し敗戦時、約半数1万5千人が無残な最期を遂げました。同時にまた日中戦争においては数多くの青年が徴兵され中国各地に送り出されました。特に河北省には松本50連隊が戦闘部隊として侵攻し、また島兵団の構成員として約3千人が駐屯しました。さらに戦争末期労働力が不足すると河北省を中心に2千百余人がダム建設工事のために長野県に強制連行され、うち240余人が悲惨な死を遂げました。

戦後、日中不再戦・平和友好の願いの下、多くの心ある人々が中国との負の関わりをプラスの関係に転換すべく満蒙開拓団として中国で亡くなった県出身者の慰霊や、戦時中に県内でなくなった中国人殉難烈士の遺骨を故国に帰す活動に取り組む中で県日中友好協会が誕生しました。初代会長は先頭に立ってこの慰霊事業に取り組んだ半田孝海・善光寺大勧進大僧正でした。


 現在、県下には、25の地区協会と青年委員会と女性委員会があり、約2千名の会員がいて、日中友好にかかわる幅広い活動を創意工夫を凝らして、県レベル、地域レベルで取り組んでいます。

 友好協会の主な活動としては、中国事情の紹介(雑誌「や会報の普及、京劇や雑技の公演・講演会・文化展示・映画会の開催など)や友好使節団の派遣と受入れ、農業・医学・工業研修生の受入れ、中国帰国者の自立支援・交流、中国留学生の支援・交流、そして友好都市提携の促進などです。県内では県が河北省、長野市が石家荘市、須坂市が四平市、伊那市が北京通州区、松本市が廊坊市、上田市が寧波市、さらに3町村が提携しています。また、中国語の普及や太極拳・東洋医学の普及、日中経済交流の促進等にも関係団体とともに取り組んでいます。

 近年の特徴的な取り組みには次のようなものがあります。1998年2月の長野オリンピックには、3千余名の協力を得て3年間にわたって実行してきた1日10円貯金の真心を集め中国各地から約2百名の友人を招待し、ホームステイやオリンピック観戦・各地における交流に友好の成果を上げることができました。
 また、1998年10月には恵まれない農村地域の子供たちのための希望小学校を贈る取り組みをすすめ、県や長野オリンピック国際協力募金・関係友好団体など数多くの県民の皆さんの積極的な協力をいただき石家荘市や刑台市・邯鄲市などへ4校を贈ることとができました。石家荘市平山県丁西冶村小学校の贈呈式には祝賀代表団50名も列席し村民の熱烈な歓迎を受けました。
 2000年10月には日中緑化協力基金の助成を得て河北省平山県の太行山緑化協力事業をスタートさせました。2006年からは河北省易県で実施しています。
 1983年から継続されている中国にスキー用具を贈る運動は関係者の協力の下すでに7万台以上のスキー板が贈られ中国のスキーのレベルアップに貢献しています。
 2007年11月には中国国際放送局との間で「長野ラジオ孔子学堂」を開設する協定書を取り交わし、翌年から長野ラジオ孔子学堂中国語教室を開講してきました。

 青少年の交流としては、信州青年洋上セミナーが1984年以降、17年間に亙って毎年約350名が中国河北省を訪問したのをはじめ、1982年からは長野県児童生徒訪中団が中国を訪問し、累計300名を越えています。また、少年少女の文化使節の派遣事業等も行われました。

 中国留学生との交流のとりくみとしては、各地域における日常的な交流支援のほか、(財)日中友好会館と協力して毎年40〜20名を招いてのホームステイの実施、日中友好スキー交流会や日中友好キャンプへの招待、スポーツ交流会・記念植樹・ハイキングなども行われています。また帰国者も4300名を超え、各地区で日本語教室や「帰国者への理解を深める県民の集い」をはじめとした激励交流会や餃子講習会等が開かれています。

 相互誤解の溝を取り除き、相互尊重と相互理解をもとに相互信頼と友好協力の促進に努めていきたいと思います。


 戻る