<資料>
中曽根康弘総理大臣から胡耀邦総書記への書簡
胡耀邦総書記閣下
拝啓 炎暑厳しい折から、閣下には益々御健勝のことと心からお慶び申し上げます。一九八三年秋には閣下を我が国に御迎えして、日中両国の子々孫々の代までの平和と友好の契りを交わして以来、早くも三年の歳月が流れようとしています。顧みますと、その翌春の私の貴国訪問と日中友好二十一世紀委員会の発足、閣下の御提唱による我国青年三千人の御招待による日中青年大交流の成功、北京の日中青年交流センター建設の具体化などを通じて、日中両国の青年・文化交流、経済・科学技術交流は、政府民間のさまざまな分野でかつてない新たな進展を遂げて参りましT。私はこの三年間を振り返って、閣下と私の間で確認し会った日中関係四原則、すなわち「平和友好・平等互恵・相互信頼・長期安定」の考え方が、激動する内外の諸情勢の風雪と試練に耐えて、しっかりと定着しつつあることを、閣下と共に大いなる満足をもって回顧するものであります。日中両国の各分野における交流が量的に拡大するにつれて、両国関係に若干の摩擦、誤解、不安定要因が生起することを完全に避ける事は困難であります。私達にできることは日中関係四原則、なかんずく日中両国の「相互信頼」の原則に立って、日中間に生起する摩擦、誤解、不安定要因を早期に発見し、率直に意見を交換し、小異を残して大同を選び、これらの諸問題の解決のために機敏に行動することによって、問題の拡大を未然に防止し解決を見出すことであると確信いたします。
私はこの両三年間に生起したさまざまな諸問題について、日中両国がこの基本原則に従って行動し、着実な成果を収めてきた事をよろこばしく思うものであります。日中関係には二千年を超える平和友好の歴史と五十年の不幸な戦争の歴史がありますが、とりわけ戦前の五十年の不幸な歴史が両国の国民感情に与えた深い傷痕と不信感を除去していくためには、歴史の教訓に深く学びつつ、寛容と互譲の精神に基づいて、日中双方の政治家たちが、相互信頼の絆により、粘り強い共同の努力を行う必要があります。
私は、四十年の節目にあたる昨年「一九八五年」の終戦記念日に、わが国戦没者の遺族会その関係各方面の永年の悲願に基づき、首相として初めて靖国神社の公式参拝を致しましたが、その目的は戦争や軍国主義の肯定とは全く正反対のものであり、わが国の国民感情を尊重し、国のため犠牲となった一般戦没者の追悼と国際平和を祈願するためのものでありました。しかしながら、戦後四十年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕いまなおとりわけアジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました。如何に厳しい困難な決断に直面しようとも、自国の国民感情とともに世界諸国民の国民感情に対しても深い考慮を行うことが、平和友好・平等互恵・相互信頼・長期安定の国家関係を築き上げていくための政治家の賢明なる行動の基本原則と確信するが故であり、また閣下との信頼関係に応える道でもあると信ずるが故であります。
正直に申せば、私の実弟も海軍士官として過般の大戦で戦死し、靖国神社に祀られています。戦前及び戦中の国の方針により、すべての戦没者は、一律に原則として靖国神社に祀られることになっており、日本国に於いて他に一律に祀られておるところはありません。故に二四六万に及ぶ一般の戦死者の遺族は極少数の特定の侵略戦争の指導者、責任者が、死者に罪なしという日本人独自の生死観により神社の独自の判断により祀られたが故に、日本の内閣総理大臣の公式参拝が否定される事には、深刻な悲しみと不満を持っているものであります。特に過般の総選挙で圧倒的大勝を私達に与えた自民党支持の国民は殊に然りであります。私は、この問題の解決には更に時間をかけ適切な方法を発見するべく努力することとし、今回の公式参拝は行わないことを決断いたしたものであり、この事情について閣下の温かい御理解を得たく存ずるものであります。
私は、日中間の如何なる困難な問題も、両国国民及び政府間の相互の理解と思いやりにより、双方の満足する適切な解決方法を、時によっては時間をかけても解決する実績を積上げつつ、更に更に強固な相互信頼と新たな発展を拡大強化することを念願致しております。今秋九月、東京と大礒におきまして日中友好二十一世紀委員会第三回会議が開催されることになっており、既に日中双方の委員会は会議の成功のため精力的な努力を続けていると聞いております。私はこの第三回会議の成功を心から祈るとともに、閣下を通じて王兆国座長以下中国側委員の御来日を歓迎し、お待ちしている旨お伝え下さい。閣下の御家族の御健康と御多幸を謹んでお祈り申し上げます。
昭和六一「一九八六」年八月十五日、内閣総理大臣 中曽根康弘
(『中曽根内閣史』(財)世界平和研究所刊より)