日中関係を考える(上)

                    
 馮昭奎・愛知大学客員教授

 中国社会科学院日本研究所副所長だった馮昭奎氏は、日中関係が冷え込むなかで、日中関係の重要さを訴え、発言が注目されてきた。2005年から愛知大学で客員教授として「中日関係論」を教えている。好転したとはいえ、日中間に横たわる問題は多い。07年の国交正常化35周年に次いで、08年は日中友好条約締結30周年。節目の時期に馮氏の寄稿、「日中関係を考える」の論文を3階に分けて紹介する。原文は日本語。「日本と中国」(07.12.5)より

馮昭奎(ふう・しょうけい) 1940年上海生まれ。精華大学電子工学部卒。中国社会科学院日本研究所副所長をへて、2000年退職。現在、愛知大学客員教授、中国全国日本経済学会顧問。著書に『中国の「対日新思考」が実現できるか―「対中新思考」のすすめ』(日本語)など多数。

35年の曇りと晴れの教訓

和すれば両方に利あり 闘えば両方ともに傷つく

 中日両国は「和則両利、闘則倶傷(和すれば両方に利あり、闘えばともに傷つく)」――という、中国の指導者がよく口にする名言がある。1972年中日関係は大部分の期間で「和則両利」という成果をあげていたが、2001年から06年までは、「闘則倶傷」に近い、苦しい状態をも味わってきた。
 1978年10月鄧小平氏の訪日成功以来、中日関係が大変良好な発展局面に入った。その基礎の上で、70年代末から80年代末まで、両国関係は大発展の時期が訪れた。中国側から見れば、両国関係発展に大いに貢献したのはまさに80年から87年まで中国共産党総書記を務めていた胡耀邦氏だった。

3000人の大交流を実現

 83年胡氏が訪日の際、中曽根首相との会談で「平和友好、平等互恵、相互信頼、長期安定」という両国関係四原則を確立した。
 胡氏は(1)中日は社会制度と価値観の差異を超えて真に平和共存を実現できる(2)たとえ中国経済が発展しても政治上絶対に覇を唱えない、経済上絶対に民族利己主義に陥らない(3)両国が政策と国益に矛盾がないわけではないが、アジア太平洋地域の平和と安定を維持するには完全に一致している(4)中日友好の希望は両国の青年に託す――と述べた。
 その後、胡氏の提案で中国側が3000人の日本の青年を招き、史上空前の規模で両国青年大交歓活動を実現した。

中国は和為貴の哲学を堅持

 20数年前、胡氏が提出した戦略的思考はいまでも大変重要な意義を持っている。胡氏が中日関係発展に真摯な情熱、戦略的思考と理想に満ちていたのは、彼が国家と人民の利益に忠誠で、その誠実な人柄と優れた政治家の資質に由来することはいうまでもない。しかし、もっと重要なのは、その時期の中日(米国をも含めて)には当時の「ソ連脅威」に対処する「戦略的紐帯」が存在するという歴史的背景があったことだ。
 正常化以来、中日関係は全体で良好な状態を保つが、幾多の困難で曲折の多い道を歩んできたことか。とくに01年から06年に両国関係が正常化以来前例のない困難に直面した時でも、胡錦涛氏をはじめとする中国指導部が依然として「和為貴(和を貴しとなす)」という中国の伝統哲学、毛沢東、周恩来の対日方針、鄧小平理論及び「三つの代表」思想を継承・発展し、対日友好を堅持し、「平和友好、世代友好、互恵発展、共同発展」という指導方針を確立した。
 80年代と比べて、確かに昔のような「戦略紐帯」がもう存在していないが、それに替わって、気候変動をはじめとするグローバルな環境問題と砂塵嵐、酸性雨をはじめとする地域的環境問題への対処などさまざまな中日関係の新しい「戦略紐帯」が形成されている。

和則両利は資源開発にも

 この真の脅威、両国人民生活に対する最も現実的な脅威を認識し、両国の相互不信に由来する軍事面での互いの疑心暗鬼で目をくらまされないようにすることがいま両国関係の最大課題ではないだろうか。要するに、35年来の中日関係の経験と教訓がはっきり証明したのは、「和則両利」こそ中日関係の必ず通らなければならない道であるということである。
 「和則両利」原理は現在中日の資源競争にも適用すべきである。とくに東海におけるガス田の開発をめぐって、鄧氏の「争議を棚上げ、共同開発」という方針に沿って解決する以外の道はない。「争議を棚上げ」はすなわち「平和」であり、「共同開発」はすなわち「発展」である。
 鄧氏の「争議を棚上げ、共同開発」提案はちょうど彼の言う「平和と発展こそが時代の主題である」という思想の具体的運用である。
 筆者はあえて著名な詩人裴多菲の名句をまねて、「資源は真に貴く、環境の価値はより高い。もし平和な世であれば、そのいずれをも維持できる」と言いたい。

戦後日本発展の再評価を

 「和則両利」はただ中日関係だけの問題ではなく、アジア地域とくに北東アジア地域に対しても大きな影響を与えるに違いない。中日が和すれば両利だけでなくアジアにも利があり、中日が闘えば両方が傷つくだけでなくアジアも傷つける。
 地域の視点から見れば、「和」と「闘」はそれぞれのモデルがすでに世界中に存在する。前者のモデルとしては欧州を、後者のモデルとしては中東を見て欲しい。
 もし中日のそれぞれのナショナリズムがますます昂揚し、過度に軍備競争に陥り、ついに戦うようになれば、またいくつかの周辺国を巻き込めば、北東アジア地域は紛争に紛争を重ねて、遠くない将来「アフリカ化」する可能性すら避けられないのである。

両国関係発展の根本的戦略

 「和則両利」は中日それぞれの発展にも当然適用すべきで、「和」によって、中日協力のさらなる発展を推進することは「科学的発展観」を実行する中国と「少子高齢化」問題に悩んでいる日本双方にとって欠かせないものである。
 また、党の第17回大会で強調された「科学的発展観」の視角からは、戦後日本の発展経験を再評価し、環境・省エネを軸とした協力関係を強化し、中日経済知識交流も80年代のように盛んに行うべきだ。このことに関しては、この「日中関係を考える」の(中)(下)で詳しく検証したい。
 要するに「和則両利、闘則倶傷」という句は中日両国の衆知の凝縮であり、両国関係発展の根本的な戦略理念と基礎をなすものであり、35年間両国関係の経験と教訓の総括である。
 2003年、筆者は自分なりの「対日新思考」を提出したが、その際にも、「和則両利、闘則倶傷」の考え方を最大のより所としたである。

日中関係を考える(中)
                       馮昭奎・愛知大学客員教授

 「日中関係を考える」の連載(上)で馮昭奎教授は、日中国交正常化後の35年を振り返った。その結果「和すれば両方に利あり、闘えば両方ともに傷つく」という考え方に基づく必要があることを強調。「和」によって日中関係がさらに発展するのは、根本的な戦略理念と基礎をなすものであると提言した。今号の(中)では、中国は日本よりも米国の繁栄に憧れるようになったが、アジアでの高度成長の先駆者としての日本の経験を検証する必要があると説い ている。「日本と中国」(07.12.15)より

日本の経済発展の経験と教訓 中国はその再検証を

「科学的発展観」の視点で

 ことし10月の中国共産党の第17回大会で、胡錦涛総書記の指導理念「科学的発展観」が党規約に明記された。
 貧富の格差拡大や環境の汚染、幹部の腐敗などのひずみを解消し「以人為本」(人間を基本とする)の調和のとれた社会の実現を目指すわが国経済・社会の発展の重要な指針となった。
 長年日本経済を研究してきた筆者は、「科学的発展観」を推進する視点から、戦後の日本発展の経験と教訓を再検証する必要があると思う。

鄧小平氏が注目日本の高度成長

 20世紀の80年代から90年代の半ばまで、中国のリーダーや政府、関係学者らは「戦後日本経済発展の経験」を熱心に勉強・研究した。1979年から85年の間に鄧小平氏が初めて中国の現代化と経済成長に関する考え方を披露したきっかけは、まさに当時の日本の大平正芳、中曽根康弘両首相や経済界の訪問客との会見だった。
 鄧小平氏は「戦後日本の発展は早かった。そういう経験はわれわれにとって勉強する価値が大いにある」と語ったのである。そのころ政府部門と学者らは「貧困が社会主義ではない」「発展こそ確かな道理」という鄧小平氏の思想に依拠し、主に戦後日本の高度成長の経験に注目してきたのである。

中国で強まる米国への憧れ

 しかし、90年代になって、日本のバブル経済が崩壊するのに対して、アメリカは情報革命によって長く経済繁栄を実現してきた。中国の一部の人々も経済成長によって、ある程度自信過剰感を強めた。その背景のもと、中国の学界やマスコミから「日本の経験」という話はだんだん聞こえなくなった。
 一方、アメリカの経済繁栄に対する憧れがますます中国の人々の心をつかんで、アメリカ人の生活・消費方式がいろいろな道筋で、大量に中国に伝わってきた。特に若い世代の人たちは日本人の持つ「小車子(小さい車)」「小房子(小さい家)」よりもアメリカ人の持つ「大車子」「大房子」をうらやましがっていた。
 中国政府が「西洋化」にならないようにと主張してきたにもかかわらず、中国の社会に「アメリカ化」という風潮が自発的に、ますます増大してきた。中国は1億人近い貧困人口を抱えているにもかかわらず、一部の高収入層の人々の消費の贅沢さは日本人はおろかアメリカ人さえも越えるようになった。

成長至上主義で中国が苦境に

 貧富の格差、地域間の格差、都市と農村の格差という三つの格差を放任し続ければ、一部の地区はますます「アメリカ化」に走ると同時に、一部の地区はだんだんと貧困化に向かう恐れがあるのではないか(もちろんアメリカ国内にも深刻な二極分化の問題が存在している)と心配する論者がいる。
 一部の有識者は「もし中国人がアメリカ人のように消費するのであれば、あと三つの地球が必要だ」「中国にとって脱アメリカ化は回避できない課題だ」などと主張し始めた。
 それと同時に「成長至上主義」を追求し、「高投入、高消費、高排出、低効率、非循環」という経済成長パターンを持続することによって、中国経済はますます「資源が耐えることができない」「環境が収容できない」「社会が我慢できない」「発展が持続できない」―という「四つのできない」苦境にだんだん近づいている。
 中国の発展史上で、経済発展と資源・社会の忍耐力の間の矛盾が現在のように突出することはなかったと言える。
 その背景の下、筆者はもう一度戦後日本の発展の経験と教訓を検証する必要があると確信する。
 なぜなら、日本と改革開放以降の中国はいずれも国土の条件・資源の条件・人口年齢の構造の合理性などの面において、アメリカと比較できない「先天不足」(天賦が弱い)国である。戦後日本はアジアにおける高度成長の「先行者」として、資源、環境、人口問題の制約を受けながら、経済の高成長と豊かな社会を実現し、また少子化・高齢化社会にも早々と突入した。

日本の発展検証に重要な意味

 そのプロセスにおいて、日本がどんな経験をしたか、どんな教訓を得てきたか?そういう「過来人」(経験のある国)としての日本の発展の経験と教訓をもう一度検証することは中国が「科学的発展観」を貫徹するために重要な意味があり、参考にすべきところが多くあると信じる。

中国が直面する問題日本でも

 目下、中国が発展の途上で直面している諸問題の大多数が日本もすでにぶつかった問題やまだ解決途中の問題だと言えるだろう。
 次回の(下)では、中国が「科学的発展観」の視点から、検証すべき10項目の問題を示したい。


日中関係を考える(下)
                               馮昭奎・愛知大学客員教授

馮昭奎教授は「日中関係を考える」の連載(上)で、「和すれば両方に利あり、闘えばともに傷つく」という考え方で、日中関係がさらに発展するよう提言した。(中)では、中国はアジアでの高度成長の先駆者としての日本の経験を検証する必要があると説いた。(下)では「中国はどのような問題を検証する必要があるのか」。「日本にも未解決の問題があるのではないか」。10項目にわたり問題を提起し、こうした問題の検討を通じて日中の交流が深まることに期待を寄せている。「日本と中国」(08.1.25)より

中国が直面する課題 かつては日本でも問題に

対話通し日中交流深化を

 いま中国が発展途上で直面している多くの問題は日本も直面した課題で、いまなお解決していない問題もある。こうした問題の検討の対話を通じ、日中間の交流が深まることを願っている。
 筆者はこのことについて、主に以下の10項目で戦後日本発展の経験や教訓を検証する必要があると思う。
 10項目は次のようなものである。

      *

 ❶戦後の日本で高度成長期から、格差問題にどう対処したか。一時期の「一億総中流」という局面をいかにして実現したか?近年になって「格差社会」という問題があらためて注目されるようになった原因と実態は何だろうか。

「省エネ力」が日本の国力

  ❷自然資源が大変乏しい国として、日本は如何に「資源小国」の圧力を、人間の頭脳資源を開発する活力と動力に転化したのか。特に省エネの面において世界の「模範」と言えるほど先進的な水準に達した原因と経験は何だったのか。筆者は「省エネ力」がすでに日本の「国力」の一部に組み込まれているためだと考えている。

環境の保護で成果上げた日本

  ❸日本も高度成長期に環境汚染によって公害問題が発生した。その「後遺症」や東京の大気汚染がまだ解決されていないが、総じて日本の環境保護はかなり大きな成果を上げた。いま日本を訪れる中国人が一番羨ましがるものは、ただ二つの文字で表すことができる。それは、「清潔」である。中国『環球時報』の記者が書いた「近距離で日本を見る」という報道のなかで、「日本が人々に与えてくれる第一の印象は緑色だ」という表現があった。中国にとって、「一衣帯水」の隣国日本が生産と消費の両面を進めながら環境保護に取り組んでいる経験と教訓は非常に興味のある問題だ。
 ❹戦後日本は教育の普及と国民文明素質の向上のため着実に努力してきた。1995年神戸大地震の発生後、災害と戦う日本人の姿を見た外国人記者は、日本のことを「高度に文明化された社会」(Highly civilized society)であり、その瓦礫のなかで生活する人々は世界のどの国よりも文明化されていると評した。
 しかし、経済の発展にしたがって、比較的裕福な生活環境のなかで成長してきた若者の進取・勤勉精神を如何に維持し、また、最近の日本の犯罪率、特に残酷きわまりない犯罪案件の増加は社会的問題となって「道徳危機」が現れているではないかとさえいわれるようになった。その原因と実態は何なのだろうか。

後継者不足を日本はどう解決

 ❺戦後日本は「後発国のメリット」を充分に利用し、外国の先進的な技術の導入と消化・改善に努めた。また「技術立国」とい方針を貫徹し、自主的に技術を開発し、大企業だけでなく、多くの中小企業も「世界一」を目指し、生涯をかけて専門の技術を練磨し、日本の技術の国際競争力を支える基盤的役割を果たしている。しかし、経済発展が成熟化するにつれて、町工場の熟練の職人たちも奮闘精神を受け継ぐ後継者不足問題はどう解決したらいいのか、まだ解決していないのではないか。
 ❻経済成長の過程で大多数の国民は長い間、かなりの「忍耐」精神を維持し、全体の消費レベルの底上げをしながら、高消費を控えめにしてきた。世界第二の経済大国になってからも、富を誇示するような贅沢な消費はごく一部の人々に限られている。
 それは一国の平均消費レベルが生産力発展のレベルに左右されるだけではなく、その国の資源・国土・人口などの制限にも影響されることだと、中日両国の人々は自覚すべきではないのだろうか。
 ❼アメリカ文化やその個人主義の影響が強くなっているなか、長い間日本人は「集団意識」を保っている。技術開発から海外旅行まで、集団的行動が外国の人々の目に特に目立つように映る。
 日本人の集団主義精神は経済・社会・技術の発展にプラスとマイナスと両面から見る必要があるが、集団主義と個性・個人才能の発揮とのバランスをどうとるべきなのか。

高齢化先行の日本の対処注目

 ❽経済成長が国民の生活レベルの向上を促進すると同時に、人口の少子化・高齢化をも促し、特に高齢化は最終的に国民全体の負担上昇を招いて、逆に国民の生活レベルの向上をある程度、帳消しにする結果になりかねない。中国に先行して高齢化社会に入る日本の対処方法は中国にとって注目する価値が大いにあると思う。
 ❾改革というのは、(過去のいいものの)継承と発展との統一だと理解しているが「戦後日本経済成功の秘密は日本が20世紀に一歩一歩築き上げた独特な組織力、計画性を持つ経済システムだ」と論評したアメリカの学者がいる。
 もちろん、そういう経済システムには欠陥とか時代遅れのものが少なくないが、やはり継承すべきものも存在する。改革というのは、継承と発展との関係をどう対処するかである。改革はアメリカで成果を上げている経験と制度を勉強する必要があるものの、やはり「アメリカ化」ではないことを、中日両国がともに考えるべきではないか。

中国の経済は五輪バブルか

 ❿2008年北京オリンピックに向かう中国経済状況は「過熱」しているかどうか、バブル経済になっているかどうかをめぐって中日両国の学者の間に議論百出する現在、中国はどのように日本のバブル経済の発生と崩壊の教訓を受け取るべきか。国情が日本と違う中国でバブル経済発生の可能性をどう見るべきか。

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 以上の10項目を検証することで、中国と日本が共通して抱える問題も明らかになるだろうし、検証を通して両方が学ぶことも多いと思う。