北京オリンピック 2008 Beijing Olympic Games

  北京オリンピック
    盛大に開幕


 第29回オリンピック北京大会は8月8日、メーン会場の国家体育場(愛称・鳥の巣)で午後8時(日本時間同9時)から開会式が盛大に行われ、開幕しました。国を挙げて7年越しの開催準備を進めてきた中国。アジアでの夏季オリンピックは1964年の東京大会、88年のソウル大会に続き20年ぶり3度目です。大会には、前回アテネ五輪の202を上回る史上最多の204カ国・地域が参加しています。
 アジアの友邦・中国におけるオリンピック初開催、成功を願い心からエールを送ります。困難を乗り越えオリンピック出場を獲得した日本選手の大活躍を願っています。

 
 加油(ジャーユー)中国、
            ガンバレ日本!


  <北京放送・中国国際放送局の北京五輪開会式特別番組より>


 北京時間の8日夜、第29回夏季五輪が開幕しました。

 8日夜、北京市の全体が盛り上り、中国は国をあげて、喜びに沸き立ちました。

 204の国と地域から集まった1万1000人余りの選手たちは、北京五輪の開会式で五輪の旗の下に集まり、一つの家族になりました。

 これは、中国の人々が待ち望み、全世界が注目していた瞬間でした。

 中国の胡錦涛国家主席は開会式の席上、全世界に厳かに宣言しました。

 「第29回北京オリンピック大会が開会します!」

 IOC・国際五輪委員会のロゲ会長は開会式で挨拶し、中国が五輪のために払った努力を高く評価した上で、感謝の意を表しました。

 「長い間、中国は世界各地からのスポーツ選手を北京に招いて、オリンピックに参加してもらうことを待っていました。今晩、その夢はようやく叶いました。北京、おめでとうございます!オリンピックの夢が叶うこの時、私は心から北京オリンピック組織委員会に感謝致します。また、数多くのボランティアに感謝致します。皆さんの努力がなければ、この夢は現実にならないでしょう」。

 五輪は初めて、世界の東方にある歴史ある国、中国で開催されました。「一つの世界、一つの夢」、「グリーン五輪、ハイテク五輪、ヒューマン五輪」、北京五輪の理念と中国の人々の情熱は、204の国と地域から1万1000人余りの選手を招きました。北京五輪は、五輪史上、参加選手が最も多い大会となっています。

 4年に1回開催される五輪は、全世界のスポーツ選手の戦いの場だけでなく、世界に各国の文化を示す大舞台でもあります。8日の開会式はとりわけ、期待されていました。5千年もの歴史文化を持つ中国は、開会式を通じて、一体何を世界に伝えるでしょう?北京五輪開会式の総監督を務める張芸謀(チャン・イーモウ)監督は、こう語ってくれました。

 「5千年の文化をいかに表現するかについて、次の2点にまとめました。一つは、私たちは誰なのか?もう一つは、みんながひとつの家族である。今回の開会式で世界を驚かせ、中国の人々が満足できる開会式にしたい」

 北京五輪開会式の演出テーマは、「美しい五輪」、それが「素晴しい文明」と「輝かしい時代」の2部に分けられます。主に、中国の悠久の歴史と文化、現代の中国の改革開放による成果と中国の人々のスタイルを表現します。1時間にわたる公演は、オリエンタルな神秘さがあり、現代の中国の生き生きしたイメージもあります。中国の人々が世界各国の人々と共に、調和の取れた世界を作るという美しい願いをも表しています。

 北京五輪開会式最初の演目は、古い時代の服装を着ている2008人の楽師が缶(ほとぎ)を打つ場面です。缶とは、中国の古い打楽器で、3000年の歴史を持っています。缶を打つ演目の最中、開会式会場のスクリーンに、中国古代の思想家・孔子の名言ー「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」という言葉が中国語と英語で表記されます。全世界の友達を歓迎する理念は、開会式の全体を貫いています。

 北京五輪の開会式には多くの中国文化の要素が取り入れられています。公演の全体は、長さ20メートル、幅11メートル、重さ800キロの「絵画の巻物」をめぐって展開されます。絵画の巻物、扇子に張る紙、京劇の舞台など、中国らしい舞台セットになり、筆、凧などさまざまな中国文化を代表するものが用いられています。出演者の服装も、中国らしいものです。

 今お聞きいただいたのは、中国古代の発明「活版印刷」をモチーフにした活字陣立ての演目です。張芸謀監督はこれを最も自慢しています。

 「私は、活字陣立ての部分を一番自慢に思っている。中国古代の活字印刷からインスピレーションを得たものだが、パソコンのキーボードのようにも見える」

 活字陣立ての中で、漢字の「和」というシーンがキーポイントとなり、観客に中国古来の「調和」という理念を伝えました。

 「火薬」、「羅針盤」、「紙」、「活版印刷」は、中国古代の4大発明であり、人類社会の発展を進めることに重要な役割を果たしてきました。北京五輪の開会式は芸術の形で、この4大発明へ焦点をあて、「ハイテク五輪」という理念で中国古代の科学技術の成果に敬意を示しています。

 国家体育場(通称:鳥の巣)の上空で輝く花火は開会式の全体にわたって打ち上げられ、中国の「火薬」の発明に対する継承と敬意を表しています

 北京五輪の花火は、独特な形をしており、広い範囲にわたって開きます。公演が始まった途端、北京の天安門広場から鳥の巣までの北京市の中軸線で29個の足跡の形をした花火が打ち上げられ、五輪が中国を訪れたことを意味しています。

 開会式の真っ最中に2人の宇宙飛行士が空から降りて、一つの大きな地球儀が鳥の巣の地下から徐々に上がってきました。直径18メートル、重さ16トンの地球儀は九階に分けられ、58人の出演者が違う場所で歩いていました。これは、「私たちは同じ地球を持っている」ことを意味しています。

 ここ数年、中国は宇宙航空分野で、大きな成果をあげました。「神舟」有人宇宙船、「嫦娥1号」月探査衛星、これらの名前から、中国人が宇宙を探査する願いが分かります。

 2003年、中国初の有人宇宙船「神舟5号」が打ち上げられ、宇宙飛行士・楊利偉さんは、宇宙から人々へ挨拶を送ってきました。

 「同じく宇宙で働いているみなさん、こんにちは。祖国のみなさん、香港・マカオ・台湾および海外の同胞たちのみなさん、こんにちは。全世界のみなさん、どうもこんにちは」

 世界中で多くの人々が孔子は中国の偉大な思想家であることを知っています。北京五輪開会式で行う文芸の夕べでも孔子が諸国を周遊していたシーンを再現しました。俳優たちが芸術的にアレンジした孔子の時代の服を着て、竹筒を手にしたパフォーマンスを披露しました。現場の音楽は中国に古くからあった「詠唱」で、多くの孔子の名言を読みあげました。

 孔子は2000年余り前の人で、礼儀と仁愛を尊び、道徳・倫理教育や人の自我修養を重視します。儒家思想は中国伝統文化の神髄を表すものであり、世界にも久しくかわらない影響を及ぼしています。現在、孔子は中国と外国との交流の架け橋になっています。2004年から、中国は海外で中国語を教えたり、中国文化を伝えたりすることを目的とする孔子学院を設立し始めました。現在、孔子学院は100余りの国に設立されており、これらの国で中国語を学習する人は3000万人を超えています。

 五千年の歴史を持つ中国文化は広くて深いものであり、数十分間の文芸の披露の中で世界の人々にそれを全面的に示すのは容易ではありません。しかし、中国と言えば、中国の武術に言及しなければなりません。

 「自然」と呼ばれる演目の中で、2008人が白い色の武術服を着て太極拳を披露しました。太極拳は中国武術の一つで、静をもって動を制し、柔をもって剛を克服することを重んじている中国人哲学思想をも示すことができる武術です。

 この披露中、国家体育場(愛称:鳥の巣)をめぐるLED大型スクリーンで唐時代の偉大な詩人李白が詩の中で描いた「飛流直下三千尺、疑うらくは是れ銀河の九天より落つるかと」の境地が現れました。それと同時に、体育場の中では多くの子供たちが画筆で一幅の中国山水画を緑に染めました。これは同時に北京五輪の「グリーン五輪」の理念を示しています。張芸謀監督は「これは人類の環境保護への関心をも表している」と述べています。

 「今後、環境保護は人類が直面している非常に厳しい課題です。われわれは芸術的な形で共に関心を寄せることを表したい」と述べました。

 文芸の夕べの最後に、中国の有名な男性歌手の劉歓さんとイギリスの女性歌手のサラ・ブライトマンさんがともに北京五輪のテーマソング「You and me」を歌います。この歌は世界各民族が文化を融合し、友情を深めている「一つの世界 一つの夢」の五輪テーマを表しています。

 北京五輪のテーマソングが会場の中で響き始めた時、場内の雰囲気は盛り上がりました。2008人のボランティアは五大陸の子供の笑顔が写っている傘をひらきました。この時、体育場の上空に上がった花火から2008人の子供の笑顔も見られます。このアイデアについて、開会式の張芸謀総監督は、

 「こういった子供の笑顔を見た時、だれもが感動することだろう。肌の色は異なっているが、とてもキラキラした笑顔である。その瞬間は人々をとても感動させるものだと思っている。われわれは、人類と世界が麗しい未来を持つことを期待しているからだ」と述べました。

 3年間に渡って準備し、1万人が出演し、世界的な監督と顧問団体が作り上げた北京五輪の開会式の文芸の夕べ。視覚面は雄壮で華やかでモチーフとなった悠久の歴史を持つ中国文化は、見る人の心に深く刻まれ、五輪史上にも美しい足あとを残しました。

 盛大な文芸の夕べの後、選手団の入場です。北京五輪組織委員会の劉淇会長は歓迎の挨拶をしました。

 「オリンピックを開催することは中華民族の百年の夢です。オリンピックの魅力は巨大な包容力にあります。今日、世界204の国と地区の異なる民族、宗教信仰の人々が五輪の旗の下に集まり、理解を深め、友情を促しています。一つの世界、一つの夢。ようこそ、北京へ!北京は皆さんを歓迎します!」

 オリンピックの故郷から来たギリシャ選手団はこれまで毎回、五輪で常々に先頭に入場します。今回の五輪で、ギリシャ選手団は白い色の服装を中心としています。デザイナーは、「最初に入場するギリシャ選手団が人々に明るく愉快な感じをもたらし、平和、友愛、団結のシグナルを伝えることを期待している」と述べました。

 開催国の中国代表団が最後入場しました。旗手を務めるのはバスケットボールのヤオミン選手です。ヤオミン選手は一人の男の子と並んで入場しました。この子は9歳で、林浩と言い、四川大地震の被災地から来ました。大地震の中、林浩君は2人のクラスメートを救出し、多くの人々を感動させ、小さな英雄とも呼ばれています。ヤオミン選手と林浩君の入場は中国人民は四川大地震の被災住民と共に故郷を再建し、オリンピックの夢を共に叶える願いを表しています

 五輪は各国選手が夢を追う舞台で、五輪精神を伝える場所でもあります。

 国連のパン・ギムン事務総長は、「五輪は国際社会が平等に競争し、調和を分かち合い、相互に理解する場である」と述べました。

 戦後再建に当たっているアフガニスタンとイラクも選手団を派遣しました。イラクは困難を克服して北京五輪に7人の選手を派遣することができました。イラク五輪委員会のムスタファ会長はこのように述べました。

 「北京五輪に参加できたことを、われわれは非常に誇りにおもっている。イラクはこれから親密な国際社会の中の重要な一部分となるよう期待している。北京五輪に参加できたことは、イラク人民が勝利したということだ。イラク選手が今回の五輪でよい成績を取るよう期待している」。

 今年88歳のIOCのサマランチ名誉会長も北京五輪の開会式に出席しました。中国人の心の中で、サマランチという名前は北京五輪と緊密に繋がっていると思っています。サマランチ名誉会長は2001年モスクワで北京の五輪招致の成功を発表した時のIOC前会長だっただけでなく、中国人民にとっての古い友達でもあります。サマランチ名誉会長は、

 「北京五輪の開会式に出席でき、私はとてもうれしい。私は中国人の今回の五輪に対する夢がいかに熱烈で、また今回の五輪のためにどのぐらい努力を払ったかを非常に理解している。私は、今回五輪がすばらしいものとなり、成功することを信じている。また世界で最も良い五輪大会となるかもしれない。私が北京でこの目で見たものは7年前の期待にまさに合うものだ」と述べました。

 また、世界各地の40万人の観光客が五輪期間中に北京を訪れています。これらはいずれも北京五輪が世界で極めて影響力の大きいイベントとなることを示しています。

 北京オリンピックは、中国を世界にアピールする絶好の機会であり、また、中国が世界に歩みよる良い機会でもあります。「礼儀を重んじる国」と言われる中国は、いま、世界中から、お客さんを暖かく迎えようとしています。

 「私は全員選手を代表致しまして誓います。スポーツの栄光とチームの名誉のため、真のスポーツ精神を発揮して今回のオリンピック大会に参加し、大会の各競技規則に遵守してドーピングのない大会になるよう頑張ります。」

 これは中国の卓球選手、張怡寧選手が選手全員を代表して宣誓しました。また、中国の体操審判員、黄力平さんは審判員全員を代表し宣誓しました。

 「私たちは、すべての審判・役員を代表して、オリンピック精神とスポーツマンシップにのっとり、公平に職務をまっとうすることを誓います」

 3時間半にわたって開かれる開会式の中で、最も注目されるのは、やはり聖火への点火方法でしょう。133日間、世界中をまわってきた聖火は、いよいよ終点に辿り着きました。会場9万人の観衆の期待は最高潮に達しています。

 栄光と夢、期待と希望が託された聖火。聖火は古代オリンピック会場で採火され、世界と中国国内をまわり、いよいよ2008年8月8日、北京国家体育場「鳥の巣」で点火されます。

 現場にいるすべての観客に見届けられながら、中国の元体操選手李寧さんがラストランナーとしてトーチを受け取りました。その後、「鳥の巣」の屋根に飛び、走り出しました。遠くから見ると、まるで「空中のトラック」を走っているようです。走りながら中国式の絵巻が「空中トラック」に沿って徐々に開いていきます。絵巻にはアテネから北京まで、全世界で行われた聖火リレーのダイナミックな映像が映っています。そして、絵巻が「空中トラック」に沿って、360度開いた後、自然と巻き上がり聖火タワーになりました。李寧さんが導火線をともし、炎は延々と上り、聖火は勢いよく燃えています。

 これはオリンピック史上、初めて全世界での聖火リレーと現場での点火を結びつけた情熱的な表し方といえるでしょう。

 聖火の点火式は、毎回常に極秘にされています。北京オリンピックの開会式は、中国独特の特色が満ち溢れるとともに、ハイテク技術によるすばらしいコラボレーションで人々を魅了しています。

 現在、「鳥の巣」が沸き立っています!また、中国も全世界も沸き立っています。

 五輪の輝き、赤々と燃える聖火の炎。北京オリンピックはいよいよ開幕しました。これからの16日間、世界中から集まってきた選手たちは北京で、「より速く、より高く、より強く」、「勝敗よりも参加することに意義がある」というオリンピックの精神を確実に貫いていくことでしょう。

 北京オリンピックは、必ずや、「平和、友好、進歩」の輝かしい一ページになることでしょう。


長野県からも9選手が北京オリンピックに出場。
夏季大会では最も多い出場者数。奮闘を期待しましょう。がんばれ長野!(下記は長野県政タイムス8/5号より)


<資料>
 開会式に関連した報道がたくさん報じられました。北京放送・中国国際放送局の北京五輪開会式特別番組(前掲)とともに参考になる記事が朝日新聞に載ったのでここに紹介します。

少女の口パク「私が決めた」 五輪開会式総監督単独会見(朝日新聞8/18)

写真張芸謀氏

 北京五輪の開閉会式の総監督を務める中国の映画監督、張芸謀(チャン・イーモウ)氏が北京で朝日新聞との単独会見に応じ、開会式の演出に込めた狙いなどを語った。9歳の少女の「天使の歌声」が「口パク」だったことなどで批判されている点は「演出で認められる範囲だ」と弁明した。主な内容は次の通り。

 ――開会式の自己採点は。

 「上出来だった。複雑な構成だったが、チーム全員がミスを犯さなかった。3年近い準備期間があり、中国国民の強い期待を肌で感じ、プレッシャーは大きかった。映画づくりとは程度が違う」

――古代中国の4大発明を結び付けた演出が印象的だった。

「舞台にした紙は幅11メートル、長さ22メートル。古代の山水画の世界、現代の子供の笑顔、色彩など、念入りに考えた」

 ――世界に伝えたかったメッセージは。

 「一つは中国の輝かしい歴史。二つ目は世界の人々と同様、素晴らしき未来を願うということだ。今日の世界は中国と外国を分けられないし、地球は一つの家族だ」

――多くの人々を感動させた少女の歌声が実は「口パク」だった。中国のネットでも論争が起きている。

 「あれは私が決めた。議論が出るとは思っていた。我々は開会式の完璧(かんぺき)な美しさを追求し、3人の女の子を準備した。モラルの問題ではないし、そんなに重大な問題とは思わない。一種の創作だ。子供たちにとっても誇張して騒ぐべきではない。演奏も多くは録音を使っている。過去の五輪でも演奏は録音が多く、それはごく正常なことだ」

――外国メディアの批判的報道をどう思うか。

「気にとめない。芸術の創作上のことで小さなことを意図的に拡大するのはよくない。それで開会式を否定しようとするのはなおさらよくない」

 ――チベット、ウイグルなど少数民族の問題にも関心が集まっている。

 「我々は小さい頃から中国は多民族国家だとの概念を持ってきた。中国の立場からは56民族が団結するのが望ましい。開会式でも皆で一つの家庭を作るとの考え方を示したつもりだ」

――五輪後の中国はどこに向かうのか。

 「五輪がいい刺激になり、開放政策が保たれ、世界との交流がより進み、文明的であることを願っている。開会式で『和』の精神を強調したように、古代以来の哲学や様々な資産と密接につながった発展をめざすべきだ」

 「20年前、30年前と今は違う。私が子供の頃は政治の時代で、文化大革命のときは農村で3年、工場で7年労働し、それから進学できた。政治的動揺や戦争がなければ中国は安定した道を歩めるだろう。私は楽観している」

――閉会式の演出を少し明かしてくれないか。

 「男子マラソンが終わってからで準備時間がほとんどなく、大がかりなハイテクは使いにくい。選手たちがお別れするパーティーのような面もあり、観衆と一緒に楽しめるような場にしたい」(北京=編集委員・加藤千洋)

   ◇

張芸謀氏 中国を代表する映画監督。50年生まれ。87年に「紅いコーリャン」で映画監督としてデビューし、ベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞を受けた。主な作品に「あの子を探して」「HERO」「初恋のきた道」など。06年に日本で公開された「単騎、千里を走る。」では高倉健さんが主役を務め、注目を集めた。

資料
福原晴れやか=広がる充足の笑み

Photo女子シングルス4回戦 中国の張怡寧戦で笑顔を見せる福原愛=北京大体育館(KYODO NEWS)

 試合終了直後の福原は晴れやかだった。「満足してます。北京五輪に出るのが小さいころからの夢だった。そこで世界王者と試合もできて自分としてはよかった」。天を仰ぎながらも、笑顔が絶えなかった。
 序盤はいいようにやられた。アテネ五輪金メダルで、現在も世界ランキング1位の張怡寧に果敢に挑んだが、相手のサービスに苦しみ、確実にスマッシュを決められた。第2ゲームは出だしから9連続失点。第3ゲームまではなずすべもなかった。
 しかし、この五輪を通じて「精神的にも、技術面でもつかんだものがある」と振り返る福原は第4ゲームに入って、長いサービスを思い切って打ち、ラリーを引き合う作戦に活路を見いだした。粘ってこのゲームをものにする。最後はやはり「強かった」という張の実力に屈したが、出せるものは出した充足感が福原の中に広がっていた。
 「卓球を始めた時から、19歳で出る北京五輪が夢だった」。試合後、何度も繰り返した。「悔いは残ってない。強いていえば『王子サーブ』を出せなかったことぐらい」と笑いも誘う。
 団体戦も、メダルにこそ届かなかったが、「あのまま終わったら笑えなかった」という序盤の不調を脱し、力を出した。「今後のことは決めていない」と福原。11月から、20代が始まる。(北京時事8/21)