相互信頼に基づく安定した日中関係を如何に構築するか

           早稲田大学アジア太平洋研究科教授 天児 慧

1、現段階の危険な日中関係

4月、北京はじめ各地で突如起こった「反日デモ」の嵐は多くの日本人にとって衝撃だった。もちろん中国は「中国の理屈」で日本への苛立ちを爆発させたのだが、他方「日本の理屈」でその現象を受けとめた日本人には理解できず、相互の不信感を増幅させているのが現実であろう。アメリカンオンライン(AOL)が行った日本人を対象としたネットアンケート結果を見ても4月18日時点で、反日デモに「理解できない」が74%とほぼ4分の3を占め、「とても不愉快で反中感情を持つ」が実に80%を占めていた。

しかし、中国の行動が理解できないのは単に反日デモの爆発それ自体だけではなさそうだ。改革開放路線を推進して四半世紀が過ぎ、確かに中国は大きく変化した。しかしそれがあまりにもドラスティックな変化であるだけに、日本人には驚きと動揺が走っている。増大する経済成長、軍事力は「中国脅威論」を高めた。政治的プレゼンスとしてはもう既に日本は中国に抜かれている。経済もそう遠くない将来に抜かれる。そうした「おびえ」にも似た感情が日本人の中に広がっている。他方日本の対中輸出が大幅に伸び、昨年は日本にとっての貿易相手国として初めて中国(含む香港)が米国を抜いて第1位になった。日本の景気回復にも中国の存在は間違いなく一石を投じた。これらによって「中国特需論」が生まれた。そもそもこのように日本人の対中国観自体が大きく揺れ動いているのである。そして、不安と期待の相半ばする対中心理状況の中で起こった反日デモの広がりが、冷静な判断を欠き、実態以上に中国に対するネガティブ・イメージを膨らませている。対中円借款など中国経済社会発展への協力を長く続けてきたにもかかわらず、何故あのような大規模な反日デモが起こるのか?もう中国の傲慢さには嫌気がさした、といった声が高まっている。

他方で中国の対日感情も決して好転していない。例えば04年末に公表された社会科学院日本研究所の「対日世論調査」結果では、日本に親近感を「持つ」がわずか6.3%に対し、「持てない」は53.6%と圧倒的であった。2003年の西北大学「オチャラケ卑猥寸劇事件」に端を発した西安での反日暴動、04年夏のサッカーアジアカップ重慶・済南・北京競技場での激しい「反日行動」、そして今年春の各都市での反日暴動は、これまでの対日不信の抗議活動とは激しさも規模も異なっている。しかし、彼らが抗議している中身をきちっと見てみると、日本に対するはなはだしい「誤解」によってなされているもの、日本の一部の現象を拡大鏡で大きくしてあたかも日本全体の動きであるかのような理解の下に行っているもの、別の意図をもって「反日を叫んでいる」ものなどさまざまであることに気づく。

そもそも中国全体が激しく「反日感情」を膨張させているのだろうか?この点はあとで詳しく検討する。しかし、日本ではあたかもそのように受けとめることによって、「中華思想」「中華ナショナリズム」「中国覇権主義」の膨張とみなし、反中国感情を煽り立てる雰囲気が高まっている。私自身はこれまで一貫して冷静に、是々非々の態度でもって中国を見てき、関わってきたつもりである。しかしこのような私でさえ、最近の某雑誌・新聞などでは「媚中派」と誹謗を受けるようになってきた。それ自体は個人的にはたいしたことではないが、そうした雰囲気がいつの間にかわが国に醸成されてきたことは重要視しなくてはならない。もう1つ確認しておくべき点は、かりにいくら中国が嫌いでも、巨大な中国の隣りからは引越はできない、しかも関係は深まっていくばかりだという事実は否定できない。今日、日本も中国にも必要なことは、双方の現実を冷静に正しく理解すること、日中双方の誤解のイメージを減少させ、相互不信の連鎖を断ち、一定の信頼関係の下に冷静に問題に対処できる雰囲気を醸成し、問題処理メカニズムを構築することであろう。言い換えるなら、相手の国や人を良くも悪くも自然体で見ることができ、客観的な事実をきちっと把握して判断できる雰囲気や相互関係をつくること、さらには日中とも、相手との関係をメリットとデメリットをあわせ、両国関係を戦略的視点から考えること、その上で双方関係の強化が如何に重要であるかをしっかりと考え、認識する必要があるのである。

2、相互誤解、相互不信の深刻な現実から日中関係を考える

 日中関係を考えるとき、もちろん基本的な歴史認識や国家戦略などで重要な相違がありそれが双方のギクシャクした関係を形成している側面があることは承知しておかねばならない。しかしそれ以上に、双方の巨大な相互誤解に基づく相互不信によって、摩擦・対立が生まれ、今日の「政冷」という深刻な事態を生み出していることを問題にすべきであろう。

 最近の反日行動の中で主張されている項目を見ると、やはり第1が「小泉総理の靖国参拝」である。ついで「歴史教科書の反動化」、「台湾独立への日本の関与」、「政治・軍事大国化」などであり、これらに関連して、日本の「国連安保理常任理事国入り反対」「尖閣列島領有権および周辺海域資源開発」主張などであろう。「靖国参拝」問題は、客観的に見れば中国当局側の姿勢は従来と比較してかなり譲歩していると言える。今問題にしているのは「A級戦犯の合祀された靖国神社に総理およびコア指導者が任期中に参拝する」ことだけである。したがってこのことは、中曽根総理以来の歴代総理がとってきた対応に戻れば問題にしないということを示唆している。但し情報が自由に流れ、国民もそれなりに発言できる状況が生まれ始めた今日、中国の国民感情がこれで黙るかどうかは疑問である。

 歴史認識に関わる問題として、「靖国参拝」をめぐる日本国内の議論が賛否両論に分かれている現実、今日では「総理参拝は控えるべき」との国内世論が高まっている現実を中国側は認識すべきだし、日本からも積極的に発信すべきであろう。日本を一面的にこうだと決めつけて、批判するスタイルの転換が必要なのである。「歴史教科書問題」でも、中国・韓国が批判してきた扶桑社の本は「申請本」の段階のものであり、他の7冊の申請本はすべて基本的には「日本のアジア侵略の歴史」が適切に描かれている。「検定合格後」の扶桑社の教科書でさえ、これを用いて学ぶことにより少なくとも「日本のアジアにおける戦争は正しかった」と受けとめることはない内容であると判断できる。しかし、こうした事実に関する中国側の理解はまったくない(7月初旬の桜美林大学での国際シンポジウム、8月中旬の『世界知識』社での座談会、社会科学院近代史研究所での講演など)。

確かに「東京裁判への異議申し立て」「大東亜戦争の見直し」をめぐる声が近年特に大きくなってきていることは事実である。そうした主張には確かに「一理ある」部分もある。しかし「東京裁判」を否定するなら、では「日本は戦争責任を自らどのように取るのか」が改めて日本人自身に問われることも承知しておかねばならない。日本社会の歴史への全体的な見方は、決して「過去の戦争への反省」を根底から覆すような趨勢ではない。こうした事実を必ずしも中国側は理解していない。したがって中国側にこうした事実をもっとしっかりと伝えるべきなのである。

 次に「台湾問題」に関してはどうか。昨年末の「李登輝訪日許可」、2月の日米安保協議2+2における「台湾問題平和的解決の言及」などによって、日本は「台湾独立派」を事実上支持しているとの認識が深まり、日本への警戒感が強まっている。7月に王毅駐日中国大使と会った際にも、彼はそのような言及をした上で「日本は限りなく独立支持に近づいている」と批判した。私はそこで「確かに近づいているかも知れないが、限りなく近づくということと、一線を越えるということは違う。日本は日中共同声明の原則を破らない。その前提で台湾との関係を強化したいと考えているのだ」と答えた。

 日本の「政治・軍事大国化」問題では、1つには「国連安保理常任理事国入り」のイシューがあり、もう1つは「イラクへの派兵」を含めた「国際貢献」の名の下に、自衛隊の国際軍事活動への参加を拡大していくことに関連している。常任理事国入りも自衛隊の国際貢献活動も、軍事大国化とは無縁であるが、そのことの中国側理解の不十分さ、日本側の説明不足は否めない。但し、こうした中国の「政治・軍事大国化」への過剰な認識の背景に、1つは日本の歴史認識に対する不満があり、もう1つには対米依存、日米同盟を強めることによる「対日警戒感」が高まっていることを指摘しておかなければならない。

 以上の点は主に、中国の対日イメージ、理解から発生した問題であったが、尖閣諸島領有、海底資源開発に関しては主に中国の最近の行動から来る日本の対中イメージ、理解に関する問題である。尖閣諸島領有権に関しては、中国の民間の民族主義的団体が騒ぎを起こしているのであって、中国政府は従来の「棚上げ論」を放棄しているようには見えない。海底資源開発については、中国の急増するエネルギー需要に対応するエネルギー確保戦略全体の中で考えるべきで、これだけをとって中国大国主義・拡張主義の現われと見るのは過剰反応過ぎる。さらに中国側の言い分に耳を貸すなら、日本側の引いた中間線(これ自体を中国側は認めていない)よりも外側であり、かつ海底天然ガス田は1つの大きな塊として中間線をまたいでいる可能性は少ないとのことである。もちろん中国側の言い分をすべて受け入れる必要はないが、日本側も試掘調査などを行い、事実確認をしっかり行った上で、冷静な対応を目指すべきであろう。

中国側から出てきた日本の対中不信を膨らませるもう1つの議論として、日本が中国に対してこれまで取り組んできた「善意」の活動があまり評価されていないのではないかという問題がある。8月23日共同電によれば、北京大と日本の民間団体などが行った世論調査(回答者1900人)で、中国市民の78%が日本の対中経済援助を「知らない」と回答し、日本の対中経済協力は中国で一般にほとんど理解されていないことが明らかになったと報じている。あるいは日本が民間レベルで長年行ってきた中国大地緑化のための植樹運動(ある団体では既に168万本の植樹を実施)、環境保護・貧困支援活動、人材育成プログラムの実施などの努力が中国の一般社会に伝わっていない。少なくともこうした事実が中国の普通の人々に伝わることが、日中関係の改善に大きく役立つはずである。中国当局が真に日中関係の改善を求めるならこうした事実を適切に社会に伝える努力をすべきであろう。

もちろん、日中当局者同士の意図や試みとは別次元で日中関係が動き始めてきたことも事実である。対日感情問題も、決して悪化する一方だとは考えない。筆者はここ数年来の中国の対日感情は、地域、年代層などによって多様化する傾向にあり、同時に総合的なトレンドとして「好感、反感、無関心の三分化傾向の進展」と判断してきた。もっとも前述した日本研究所による世論調査のような結果もありいくつかの留保が必要である。しかし、それとほぼ同時期に実施された同じ社会科学院の世論信息与伝播研究所などの北京・上海・瀋陽・西安・成都・広州の6大都市で実施した世論調査(回答4000)では、日本が「嫌い、やや嫌い」39.8%に対して、「好き、やや好き」も28.5%と健闘している。また「ふつう」が31.7%で、ほぼ「三分化傾向」ということができる。また同調査結果では、「日中関係の現在をどう見るか」の質問に対し、「良い」が30.4%、「普通」33.4%、「良くない」26.5%と三分化傾向になっている。しかも「今後日中関係はどうなるか」に質問に対しては、「好転」が実に46%で「悪化する」の10.6%を大きく上回っている。もちろん、今春の反日デモ以前の調査であり、その後の事情の変化は考慮すべきであろう。しかしいずれにせよ、こうした傾向は感情問題に絡みやすい幾つかのホット・イシューに関して、それらの冷静できちっとした処理の努力を続ければ、必ずや事態は好転するという可能性を十分に示しているといえるのである。

3、構造的視点から日中関係を考える

 私は以前から「中国は確かにものすごい勢いで発展しているが、それは血を流し、痛みを伴いながらの発展である」と何度も言い続けてきた。そしてその出血や痛みが大きくなりしっかりとした手当てをしなければ前に進めなくなる状況が近づいてきたように見える。少し具体的に事情を見てみよう。

中国の経済成長を支える最大の要因は、一定の質を有した安価な労働力をはじめとする安いコストを確保できることにある。もちろん13億人という巨大な人口による潜在的市場の魅力が投資誘引になっていることも事実である。しかし、ここに来て中国経済の先行きを懸念する論調も着実に増えている。例えばCLSA首席経済学者ジム・ワーカーは、専門技術者と中間管理職などの不足による労働力コストの値上がりや、生産力向上が引き起こすマイナス影響にもっと関心を持つべきと警告した上で、「今後1年間の変化は目に見えて大きくなる。銀行システムの悪化は、経済失速の前触れとなるだろう。……中国経済は2007年、低迷期に突入するだろう」と厳しい予測を行っている(『中国経済時報』05.5.20)。同じCLSAの証券董事長兼中国研究部責任者・李慧も「中国経済は、短中期的にみれば高度成長を続けるだろう。しかし、農民税の減税、免税を実施した後の農村経済、そして貿易拡大を減速させる圧力などは、来年以降、中国経済の成長にとって不利な要素となる可能性がある」などと指摘している(「中国情勢24」05.5.20)。05年1〜4月の投資・輸入の伸びの鈍化現象などをもとに樊鋼・改革基金会国民経済研究所長は、「中国経済は巡航速度を保って成長していけるかどうか、重要なタイミングにさしかかっている」と楽観論的な経済見通しに警告を発している(『朝日新聞』05.6.15)。

経済成長要因を考える場合、直接的には@高い投資の維持、A安価な生産コストの確保、B市場能力の向上、C経済合理性を高める制度改革の推進などが不可欠になる。@は依存度が極端に高い外国の投資が今後も持続するかどうかが最大のポイントになる。そのことはBCに加えて政治社会の安定が確保できるかどうかが重要である。今回の反日デモの広がりは社会不安の表れで、外国投資に躊躇の影響を引き起こしている。Bを保証する一般人の購買力向上は、逆にAの安価な労働力確保に影響を与えディレンマにもなる。Cは国有企業改革、金融改革、知的財産保護制度の確立などが急がれていると同時に「世界最悪国の1つ」とも言われる腐敗・汚職への抜本的な改善が求められることになろう。

しかし現実には腐敗は改善されるどころか悪化の一途をたどっている。社会調査専門機関の「新秦調査」によるアンケート5000人の有効回答結果(2003/2/25〜04/1/9)によるならば、現在の「深刻な社会的問題は何か」の回答で、「腐敗」が82%でトップ、以下「環境汚染」が75%、「収入格差の拡大」が74%、「失業率の上昇」71%、「治安の悪化」が69%であった(複数回答)。05年の全人代会議における最高人民検察院報告では、04年に汚職で検挙された公務員が4万3757人(一日当たり平均約120人)に、容疑の中では、収賄が3万5031人で最多、収賄・横領の額が100万元を超える事件は1275件で前年比4.9%増となり、汚職の深刻化と大規模化が進んでいる。また中国国有資産管理委員会発表によれば、中国政府が直轄管理している大型国有企業181社で不正に流出した損失額が4100億元(約5兆3300億円)で、株式化に伴う国有資産使途の深刻な不透明性が明らかにされた。

 さらに社会の不安定性を見る指標として、@異常な「格差」の増大、例えば沿海地域と内陸地域、従来からの都市と農村の格差、都市のなかでも富裕化する階層(企業経営者、弁護士、進学校の教師)と貧困化する階層(国有企業の一般労働者、特に失業した者)への二極分化が進んでいる。加えて、失業者問題は、これまで大体3.1〜3.2%であったが、02年は4.2%、05年見通し5%弱と漸増し、レイオフ未再就職者プラス都市失業者は、実際には公式統計に基づいても大体8〜12%の状況と考えられる。丸山知雄『移行期の中国経済』、ゴートン・チャン『やがて中国は崩壊する』は、公式発表の6倍以上、25%前後が実際の失業者と指摘している。

こうした状況は確かに徐々に社会不安定化を促しているように見える。とくに昨年の報道を整理してみると現実各地で暴動・デモ・ストライキなどが相次いでいる。そのいくつかを紹介するならば、10月22日報道: 安徽省蚌埠市で退職女性ら1万人が抗議 年金不満で道路封鎖。11月:四川省漢源暴動農民10万人規模、17名以上の農民の死者と40名(100名の説)の逮捕者、11月8日に中央から公安部副部長の田期玉、国務院副秘書長の王洋成都入り、四川省の党、公安、軍、人民武装警察、警察、行政の責任者および周辺の地方政府幹部およそ数百名があつまって、緊急対策会議を開催し軍出動、農民を封じ込めの事態となった。11月には重慶市や河南省でも大規模な暴動が発生。貧富の格差や役人の腐敗に対する不満が各地で爆発。12月25日報道では、広東省東莞市で出稼ぎ労働者5万人が警察と衝突。04年1月から半年間で130件以上もの大規模抗議行動発生したと報道もあり、しかも社会や経済の歪の多くは、解決が05年以降に持ち越し、胡錦濤・温家宝政権は重大な試練を迎えているとも言えよう。

さらにここ3年来、党・政府の最大の懸案事項として「三農問題」(農業、農民、農村問題)が取り上げられ、農業の停滞、農民生活の実質的低下、農村の荒廃などが深刻に討議されるようになって来た。例えば、財政基盤の弱体に伴う「農村基層政権の脆弱化」に関して、農業部統計によれば、全国の郷政府債務は01年で合計1776億元、一郷平均400万元の借金、03年はさらに悪化している。その下の村政府の場合、01年では合計192億5000万元,一村平均で61万元の赤字、90%以上の村で債務あると報告されている。農村の政権運営は現実には厳しく、地方政府の威信低下、郷鎮幹部の不足、農民の村からの「脱出」現象の増大などによって社会の安定を脅かすほどになっていると言われる。

今後の成長拘束要因になると考えられるその他の問題としては、@「一人子」政策が2010年で30年に達し、都市は一挙に老齢化社会に突入し、社会保障制度の拡充が重大課題となっていく。Aエネルギー需要の急増に伴うエネルギー不足による投資、生産環境の悪化、B黄河流域一帯の水不足の深刻化、大気汚染、砂漠化など環境汚染の深刻化などが考えられる。これまで成長路線一辺倒で走り続けてきた中国の近代化路線が、2010年あたりで、社会生活の質の改善・拡充に重きをおいた安定路線への大きな転換が迫られることは必至であろう。

こうした経済社会面での「深刻化する問題」に対して、もちろん中国自身の自助努力が最大のポイントである。2005年の全人代会議での温家宝総理「政府報告」のキーワードが「和諧社会」(調和バランスの取れた社会)であったことは、その方向性を明確にしたものである。しかしそのためには「先に豊かになった人・地域」から「貧困な人・地域」に富が流れ、成長から福祉へ流れるような再配分メカニズムを構築せねばならない。これには相当の抵抗が予想される。何よりも共産党幹部自身が「甘い汁」を吸う構造の改革=民主化が求められる。さらに従来再生産に投資していたものを社会充実に向かわせねばならず、成長鈍化は必至である。成長鈍化は失業者を増やす。環境・エネルギー問題はどうする。社会不満、社会不安は今以上に高まるだろう。しかし独裁体制を強化する方向では、一時期の社会安定を確保できても長期的には悪循環に陥る。

 こうした数々の難題を考えるとき、中国はもはや国際社会との協調、協力を断っては生きていけない構造が出来上がっていることを痛感する。対外貿易依存度も60%を超え、世界最大の受入国になった外資も経済成長を牽引している。環境・エネルギーも外国との共同、協力なしには解決不可能である。税制度、金融制度の改革は無論、民主化へのソフトランディングも海外との協力抜きには考えられない。愛国主義で国内を引き締め、外を利用して経済を走らせてきた時代は終わりつつある。しかも、隣りの大国・日本との協調・協力こそ、実は中国が最も必要とし、難題を克服していく上で最も効果的なアプローチなのである。確かに幾人かの中国のリーダー、ブレーンたちはこのことに気づき始めている。したがって現在の中国指導部が繰り返し強調している「対日戦略重視」は、決して見せかけのものではなく、本音からそう考えている可能性が高い(この点は次節で述べる)。もっともこうした認識に達していない指導者、知識人たちも少なくないことも事実であろう。

 これに対して、日本にとっての中国とは何か。経済レベルでの相互依存関係がますます緊密になり、構造化してきたことを否定する人は少ないであろう。少し具体的に確認しておくと、@2004年の日中貿易総額1,680億ドルに達し、前年比27%増、6年連続で史上最高更新した。対中輸出738億ドルで29%増(03年は43.6%増の572億ドル)、対中輸入942億ドルで26%増(03年は21.9%増の752億ドル)で、貿易赤字も米中関係のように極端でなく、比較的バランスが取れている。しかもA日本の対中経済依存度は年々増大の傾向にある。2003年に中国に香港と台湾を合わせた対「中華圏」向け輸出が初めて対米を上回った。そして04年は日本の対中国(含む香港)貿易だけで日本の貿易総額の20.1%を占め、対米貿易(18.6%)を超えて貿易相手国として第1位となった。

 直接投資に関しても、最近公表されたJETORO「2005年上半期対中投資動向」によれば、米国・香港など主要国・地域からの対中投資が大幅に減少する中で、日本の対中投資は20.4%増と堅調に推移している。この背景には、2002年頃から日系自動車メーカーの大型投資案件が相次ぎ、これに追随して部品メーカー、関連素材分野の投資が拡大していることがある。もっとも契約ベースでは0.4%減となっており、その要因として@投資がほぼ一巡したこと、A03年のSARS発生以降中国一極集中を避ける「チャイナ・プラス・ワン戦略」の定着などに加え、「05年4月の反日デモなど中国リスクに対する意識の高まりによる懸念が減少要因となった可能性もある」と指摘している。しかし、見方を変えれば反日爆発が起こっても影響はそれほど大きくなく、基本的には「堅調」ということで、日中経済関係の構造化を示しているといえよう。

 人の交流も、感情悪化、「政冷」現象の中で増加の一途をたどっている。昨年は日中往来の総計400万人に達した(参考:97年128万人、2002年180万人)。中国人の日本への入国者数も昨年は米国の75万人についで4位の74万人(参考:96年26万人、2002年53万人)と増加している。05年に関して日本人の中国観光者数の減少の可能性はあるが、中国人の日本入国者数は増加していると聞く。このように日中関係におけるヒト・モノ・カネの動きは、すでに止めようのない潮流になっているといえるのである。

4、戦略的思考から日中関係の未来を考える

そこで最後に戦略的思考から日中関係を考えることにしたいが、とりわけ近年ホット・イシューとなっている「東アジア共同体論」にスポットを当ててみたい。前述したように、中国自身の日本に対する戦略的位置づけは、実はかなり高まっていると判断できる。胡錦濤・温家宝政権発足以来、中国は対日重視政策を採ってきた。2002年末から話題となった「対日新思考」は第1のメッセージであった。この時注目を浴びた人民大学の時殷弘教授は、「対米関係を最重視し中米の良好な関係を維持するだけでは、十分ではない。……米国に対する受動的立場を緩和し、対米外交レバーを増強することが必要である」、「日本は1億以上の人口、世界最先端の経済実力と技術水準を有し、軍事強国になる条件を備えている。……中日接近がきわめて重要だ。米国、台湾、敵対の可能性のあるインドに加え、日本が敵対的になれば中国は持ちこたえられない」(『戦略与管理』2003年第2期、73ページ)。

したがって日本の対米癒着・依存を軽減させ、米からの相対的自立化を何とか促したいと考えるのは戦略的には当然のことである。さらに東アジア経済統合の面でも、世界第2の経済大国日本が不参加となればその国際的プレゼンス、インパクトは激減であり、日本の存在はらかに不可欠である。「政冷経熱」といわれる今日、反日デモが吹き荒れた05年4月以降さえも、ジャカルタにおける日中首脳会談(4月23日)での胡錦濤主席の「日中関係改善4原則」提案にも見られるように、基本的には前向きの姿勢が続いている。

では、肝心の日本自身がどのように考えているのか。もともと日本は地域協力には熱心であった。例えば、1980年前後の大平首相の下での「環太平洋構想」や、89年豪州とともにAPECを提唱、かつ97年には拡大ASEAN会議で橋本首相がASEAN+3を提唱するなどである。しかし米国との同盟的関係の堅持、中国脅威論に直面することによって「東アジア共同体」構想には慎重であった。ただし、「事実として進展する」経済面での地域協力に対しでは、積極的に受けとめ推進するようになった。それが経済産業省提唱の「東アジアビジネス圏構想=自由貿易圏」構想に集約されるようになる。

「東アジア自由貿易圏」とは、域内貿易率が低く、対外依存度が高いASEANに、日本やNIES、中国を加えて自由貿易圏を構想する。それにより域内貿易圏は高まり対外依存度が低下するようになる。さらに技術協力、金融支援の面からも経済統合の条件がそろい「自由貿易圏」が形成されると構想したものである。2002年11月ASEAN+3首脳会議で「東アジア自由貿易圏」の創設に向けた作業部会が設けられた。同会議で通貨危機の再発に備えた金融支援=通貨スワップ協定(チェンマイ・イニチアチブ)に合意するなど、経済レベルの地域統合への動きは着実に進んでいる。

日本は経済統合に関しては以上のとおりであるが、安全保障における地域協力メカニズムの構築に関しては積極的ではない。もちろん日本にとって安全保障戦略は日米同盟を基軸とし、その枠組みを揺るがす動きに対しては極力警戒的であるというスタンスなのであろう。むしろ、北朝鮮の核兵器問題、中台関係、中国の将来的な脅威論などを考えるなら、日米同盟基軸の強化こそ、安全保障の根本であるという考えは根強い。ガイドライン策定、MD参加、さらに05年2月の日米安保協議2+2枠組みなどは、まさにそうした考えの具体化といえよう。したがって今日の日本政府の基本的なスタンスは、経済の地域統合は積極的に推進するが、安全保障の地統合は視野に入れないというところであろうか。

しかし、だからといって対アジア外交、とりわけ対中外交を蔑ろにしていいということにはならない。そこでライジング・チャイナを最大の動因とした東アジア地域統合の動きを、東アジア、ひいてはアジア太平洋における新しい地域秩序形成のプロセスとして捉え、従来の日米同盟を基軸とした従来の当地域秩序との関係で如何に理解すべきかという問題を考えてみよう。2つの解釈が考えられる。

1つ目は、いわゆる<ゼロ−サム>ゲーム的なパワーポリティックスの発想からの解釈である。「台頭中国」、さらにはそれを軸とした上述の<EU・北米・EAC>という「3地域圏型秩序」は、本質的には日米さらに現状のアジア地域秩序にとって脅威であり、経済統合進展の現実を踏まえれば、中国のイニシアティブ抑止の枠組みとして東アジア共同体を機能させるべきであるとの考えが出てくる。もちろんこのような考え方が日米には強いことを中国も承知している。先ほど引用した時殷弘論文では「もちろん、日中協力で米国を押さえることを企図した“外交革命”は、日本は受け入れないし警戒するだろう」と指摘している。同時に中国自身がこうした発想によって日米同盟基軸への脅威感を抱いていることも事実である。日中関係の論客・馮昭奎は『世界知識』04年第10期で「東アジア共同体」論を展開しているが、そこで「日本は、直接的にも間接的にも日米安全保障条約において中国を標的とするようないかなる部分もないように留意しなければいけない」と力説している(『旬刊中国内外動向』895号、9ページ)。

2つ目は、<ゼロ−サム>ゲーム的な現実の存在は認めつつも、主要な潮流はむしろ国際社会の相互依存、複合依存の急速な進展によって、「新しい東アジア秩序」のあり方が重要なイシューになってきており、今日の「東アジア共同体論」はそのような文脈で考えるべきであるという主張である。経済における相互依存の構造化は、まさにそうした考え方の基盤になっている。その上、安全保障においても「朝鮮半島をめぐる6カ国協議」や、日中インドなどの東南アジア友好条約(TAC)加盟、さらに反テロリズム、エネルギー・食料・環境などいわゆる「人間の安全保障」などを考慮するなら、明らかに新たな安全保障メカニズムの創造が求められていることも否定できない事実である。

中国自身は「米国の脅威」、それゆえに「日米安保の脅威」を否定できず、1つ目の解釈を払拭できないが、基本的には2つ目のような意味での「東アジア共同体」形成に向けて何とか意欲的に推進していきたいと考えているようにも見える。そうした考えを示すいくつかの発言、行動がある。例えば、鄭必堅(現日中21世紀委員会中国側座長、前中央党校常務副校長)が2003年11月、博鰲(ボアオ)アジア・フォーラムで行った講演で初めて提唱した「中国平和台頭論」はまさに「中国脅威論」という他国の懸念を払拭し、中国は政治的軍事的脅威にはならないことを力説したものであった。

また、上で引用した馮昭奎は、「当地域のいかなる大国も中小国に恐怖心を抱かせないようにする一方、当地域のいかなる大国も中小国を自国の勢力範囲とみなすべきではない。……日中両国は『一国主導型』の東アジア協力モデルではうまくいかないことを認識する必要がある」「当地域の大国、強国は“言行を一致”させ、域内の他の国々や世界に対し『平和的発展』『平和的台頭』は普遍だとの国家的意思、決意を堅持していることを表明すべきである」と力説している(同上、 B7,9ページ)。これらは中国自身が問われた問題であることから、中国政府自身に向けたメッセージでもあると読める。

かつて90年代前半、「中国脅威論」をめぐって筆者自身が馮昭奎と論争したことがある。彼は「中国は王道外交を歩むので脅威とはならない」と強調し、私は「王道という発想自体が自分を周囲より上に立たせ、上から下を見下ろす発想だから問題である」と反論したことを鮮明に覚えている。その本人が上記のような指摘をするようになっているのは、重要な変化と見るべきであろうか。

中国は長い間「社会主義陣営の一員」「第3世界の一員」―ただしその中では「社会主義の第二の大国」「第三世界の先頭に立つ」の意識―という自己規定はあったが、「アジアの一員」という水平的アイデンティティは有していなかった。「アジアの一員」という考えは最近のことである。したがって、馮昭奎の主張するような「東アジア共同体」構想の実現の1つの重要なメルクマールは、まさに「アジアの一員」、さらには「アジア共通の家」というアイデンティティをどう醸成するかかかってくると思われる。したがって、東アジア共同体論においては、上下関係的な「王道型秩序」=アジア権威主義的秩序の道を目指すのか、それとも水平関係的な「アジア共通の家」型秩序を目指すのかが問われてくることになる。

日本は、@先にも述べたように日本が加わらない東アジア共同体は国際社会に大きなインパクトをもたらさないであろうこと、またA日本が加わらない場合、アジアは中国中心の「王道型秩序」に組み込まれてしまうであろうこと、B日本が加わることによって水平型で、かつ米国にも開かれた「東アジア共同体」の可能性が出てくることを十分に自覚すべきであろう。そして他のアジア諸国さらには中国国内の今日の馮昭奎的主張も取り込みながら、水平型「アジア共通の家」を目指し、かつその中での役割分担的なイニシアティブの構築を試みることが賢明な選択である。そうした役割分担的なイニシアティブの中に、ASEAN、韓国はもとより、台湾の役割も前向きに考える余地が生まれてくる。

「台湾問題」は、実は中国・台湾間の単純な問題ではなく、非政治領域に限定した上で、中国が「アジア共通の家」的な東アジア共同体を目指す重要なメルクマールになっている。なぜなら、注意深く中国の「東アジア共同体論」を見ていくと、経済領域においてさえ間違いなく「台湾排除」が貫徹されているからである。言い換えるなら中国の東アジア共同体における「台湾の孤立化」戦略は、自らの意に従わない「台湾排除」という権威主義的な東アジア共同体の構想が内包されているのである。そうなれば台湾はますます米国「1超覇権秩序」に入ろうとするであろう。それは「東アジア共同体論」は米国を軸とする現状維持的秩序への挑戦になり、台湾は2つの「秩序構想」がつばぜり合いを行うキー・プレイスとなる可能性が高い。したがって、2番目のような解釈の水平的「東アジア共同体」を推進しようとするなら、「台湾問題」の扱いに関しても中国には「新思考」が必然的に求められてくるのである。

東アジア地域統合は中国あるいは日本がこの地域の想定しうる未来状況をどのように考え、同地域の平和的安定と繁栄を実現するために如何なる地域枠組みを構築するのかという問いへの創造的な思索と実践のプロセスと位置づけるべきであろう。特に、日本が、東アジア地域統合を巡る可能性と問題点をしっかりと分析しながら、中国の最近の主張をどのように受けとめ、地域統合の多様なプロセスの中で着実かつ適切な制度的調和を進めるかという点での重大な役割を担っているといって過言ではない。もしそうした意味での統合が進むとするなら、それは中国自体の根本的な変革を進めていくことにもなるのであろう。

最後に付言するならば、第18回共産党大会に当たる2012年は、北京オリンピック(08年)、上海万博(10年)を終え胡錦濤体制の終焉となり、「新しい中国建設」のスタートとなるはずである。そして、そうした段階は間違いなく、中国の政治体制の重大な転換、中台関係の筋道などが見えてくる時期となるであろう。日本が、如何にして日本自身、さらにはアジア地域の将来を展望しながら、戦略的思考を持ってこの隣りの大国との関係をどのように考え、うまく付き合っていくのか。それこそがこれからの日本の行方を左右する最大の問題でもあるのである。