<80年目の夏に> 

                             満蒙開拓平和記念館事務局長  三沢亜紀

記念館建設に県からの協力を得るため知事室に陳情に伺った時だった。そろそろお時間です、となってみんなが腰を上げてから、中島多鶴さんが堰を切ったように開拓団の逃避行の苦難を語り始めた。「母親たちはね、子どもを川に流してきたんです。」阿部知事も立ったまま一緒にその話を聴いてくださった。

集団自決から一人生きて日本へ帰ってきた久保田諫さん。戦後、小さな村の中では満州の話はタブー。15才の少年が体験した凄惨な話に耳を傾ける人はいなかった。そんな久保田さんが記念館建設に向けて村内の知り合いの家を一軒ずつ回って寄付を集めてくださった。あの時の傷が残る頭を下げて。

この歴史を伝えるために、多くの皆さんの思いが結集して記念館ができ、さらに多くの皆さんのご支援をいただいて開館13年目に入った。5月26日、来館者25万人を達成。そして、この度「信毎賞」を受賞することができた。鬼籍に入られた方々も含め、当館に関わった全ての皆さんに感謝をもってご報告したい。そして、これからもこの歴史に向き合い、中国をはじめとするアジアの皆さんとの平和友好に寄与していきたい。
    (「日本と中国」県内版2025.8.1)