「前事不忘、後事之師」
長野県日中友好協会副会長 布施正幸
本年は中華人民共和国建国75周年、明年は日中友好協会創立75周年を迎える。協会の設立と日中関係の変遷は、日本の戦後の歩みと深くかかわってきた。中国とどう向き合っていくべきかは全国民的テーマであると思う。今、尖閣問題、米中対立激化の中で日中関係は、困難な状況に置かれている。国交正常化に尽力した世代が高齢化し次の世代にバトンタッチしていくべき大切な時期に、中国への親しみを持つ人の割合が低下してしまっているのは由々しきことだ。
2千年にわたる友好往来、近代50年の戦争敵対の歴史を回顧するとき、「前事不忘、後事之師」という言葉がよみがえる。長野県阿智村に11年前にオープンした満蒙開拓平和記念館の平和の碑の台座にもしっかりと刻まれている。長野県は満州事変以降「満蒙は日本の生命線」の掛け声、国策に沿って、日本一多くの開拓団を送り出した。昭和20年の敗戦の際の逃避行で半数の1万5千人が悲惨な最期を遂げた。長野県民の共通認識として、中国とは再び戦わず、平和友好を願うという社会的基盤がある。記念館もこうした中から生まれた。
戦後、開拓団関係者の現地訪問・慰霊の願いとともに、戦争末期中国から強制連行された殉難者の遺骨収集・送還・慰霊に取り組んだ先達の思いは多くの国民の共感を呼び、日中友好協会が誕生した。
日中不再戦、平和友好の精神は、日中共同声明の中に明記されている。日中戦争に対する日本側の反省と中国側の戦争賠償の放棄。平和5原則。台湾は中国の不可分の一部。社会制度の相違を超えて、平和友好関係を樹立する。覇権に反対しアジアと世界の平和に貢献する。――
「日中友好は最大の安全保障」を銘記し若い世代につないでいきたい。
(「日本と中国」2024年9月1日号 《窓》)