≪私の一言≫あれから13年

   人民中国読者会 事務局長  峰村洋         

 『それでも中国 だから中国』という書名の書籍を上梓して、早13年以上が過ぎた。中国といささか深い関係ができ、瀋陽薬科大学での日本語教師として4年間。驚嘆に値するほど数限りないことを思い出す。中国で一日ぶらついて目にし体験したことは、日本の日常で起こる1ヶ月分に値するかのようだ。

 その当時つまりは10年以上も前のことで恐縮な話であるが、令和の今と比較して見るのもおもしろかろうということで、重い筆を執ることにする。

 中国・日本の両サイドから、一方的に見た長い歴史のある両者には多種多様な文化の違いやものの感じ方・価値観が浮き彫りにされる。特筆すべきは、ここ数十年の中国経済発展の急速な進歩や変わりようには、眼をみはるばかりだ。後進国とされ貧しい暮らしが続いた生活が、あっという間に世界一の経済大国になったからだ。

 中国の人たちの日常生活習慣の実態を目にして、特に「おや?」とか「おもしろい」と感じたものの中から、今回は、中国の通貨についての思い出を述べてみよう。

「兌換券」と「人民幣」

 長年(概ね20年ほど以前)の中国に関わられた方なら「兌換券」といういかめしい名の貨幣を使われた経験がおありでしょう。海外へ出かける際に、先ず必要なお金を用意せねばならない。日本人なら日本円を中国のお金に両替しないと、旅先で動けないからだ。米ドルをお持ちの方は、米ドルで中国のお金に換金する。

 最初に中国旅行でお金を使ったのは、日本円を、中国のお金に両替した時だった。当時の中国通貨は「人民幣」が一般的であったが、空港や、ホテル、友諠商店などでは、「兌換券」しか使えない。日本円を銀行などで中国のお金に両替してもらおうとすると、この「兌換券」が渡される。しかし、一般の中国人は「人民幣」しか持たないので、まことに不自由であった。両者の金銭的価値は同じとされるが、人民元では、上等な外国製品が買えなかったり、制限される。そこで、彼らは道歩く外国人に「チェンジ・マネー」を要求する。交換率も、時に1.5~2倍になるとか。それを商い代わりにする者がいたりとか。

 「価値あった百元」

 気の合う友達と初めて湖南省の旅行をしたのは、20年以上前になる。片田舎の乗合バスに乗った車内で、切符を買うのに持っていた「兌換券」の百元札を出したら、女の車掌さんは、困ってしまい、受け取ろうとせず、乗務員としばし相談してからだった。彼女らは、普段の生活ではまだ「兌換券」なるものを見たことがなかったからだ。ましてやバス代などの小銭(1元の10分の1の角)に対して百元はとんでもない高価であったのだ。

 高級デパートに限らず、「超市(スーパーマーケット)」や雑貨屋で野菜など買う姿を見ていても、支払う時の貨幣は、兌換券ではなく、人民幣。逆に、銀行、空港、ホテルなどでは兌換券を使う。「友諠商店」でも通用するが、兌換券を持たない中国人の利用はできない。兌換券は、外貨獲得の貨幣といったところか。

 ところがその後5年もたってレジの支払いを見ていると、百元の価値が下がったか、物価の上昇のせいか、百元札が飛ぶように人民の財布から出ていくではないか。これには驚き桃の木・・・・であった。
(「日本と中国」県内版94号)