日中国交回復の井戸を掘った人々を回顧し、今後の日中関係を展望する

                                       井出亜夫・(一社)国際善隣協会諮問委員、(一社)フォーカス・ワン代表理事

はじめに

日本近代史における日中関係は、日清戦争、対華21カ条の要求と五四運動、満州事変と日中戦争等、不幸にも日本が主導したアジア政策の下で推移した。

 宮崎滔天、梅屋庄吉など多くの日本人が支援したしんがいかくめいの指導者・孫文は、1924年「日本は欧米列強の覇道の走狗となるのか、アジアの王道の先駆となるのか、それは日本人自身が決めることだ」と述べ日本を去ったが、日本は前者の道を歩んでしまった。

 戦後、冷戦構造とサンフランシスコ講和条約・日米安保体制下で米国の世界戦略の中に組み入れられた日本政府は、独自のアジア外交、日中国交正常化のイニシアチブをとることができなかった。また、中ソ論争による中ソ関係の変化の中で、米国の対中戦略は新しい模索が求められていた。一方、中国では大躍進や文化大革命等内政上の混乱が加わり、情勢はより複雑化していた。

 こうした国際環境の下、岸信介内閣(1957~60年)、池田勇人内閣(1960~64年)、佐藤栄作内閣(1964~72年)と続く歴代内閣の対中政策の温度差がある中で、日中交流の促進、国交正常化を目指す運動が展開されていった。この間、国際政治における中国の存在感は高まり、64年にフランスが中華人民共和国を承認、国連代表権を巡る中華人民共和国の支持国は増大し、72年2月には日本政府の頭越しに米国のニクソン大統領の電撃的訪中となり、こうした内外情勢を経て72年日中国交正常化(田中角栄内閣)、78年日中平和友好条約(福田赳夫内閣)の締結に至った。

 こうした中、日中交流の促進、国交正常化目指し多数の先人による努力がはらわれた。その代表人物とした、石橋湛山、松村謙三、高碕達之助、岡崎嘉平太の4市の業績を回顧し、今後の日中関係を展望したい。

1.日中国交回復の井戸を掘った人々

石橋湛山(1884~1973年)

 戦前、石橋湛山は日本の大陸進出に一貫して反対し、「小日本主義」の下でアジアの繁栄を主張した。日中国交正常化の実現を政権構想の重要テーマと考えたが、不幸にして健康上の理由で政権を去った。総理辞任後の59年、周恩来との会談で以下のように発言し、その後の国交正常化にむけた流れを作った。

 「私が日本の総理大臣として内閣を組織した時の理念は、貴国との連携を図り、その力を梃子に世界の平和を実現したいというものであった。中華人民共和国と日本はあたかも一国のごとく一致団結し、東洋の平和を護り、あわせて世界全体の平和を促進する一切の政策を指導すること。両国はその目的を達成するために、経済において、政治において、文化において、できる限り国境の障壁を撤去し、お互いの交流を自由にすること。両国がソ連、北米合衆国その他と従来結んだ関係は、前期の目的実現のため、友好に活用することに努めること」

 石橋の日中国交正常化模索の背後には、単に両国関係の正常化だけでなく、世界平和のついきゅうという理念・理想が存在した。

 松村謙三(1883~1971年)

 石橋の構想を背負って日中国交正常化への道程を歩いたのは松村謙三であった。松村は、59~69年の間に5回にわたり訪中し、変転する国際政治情勢、中国国内情勢、日本政府の対中姿勢の中で国交正常化を目指して努力した。この間、LT貿易(廖承志、高碕達之助を代表とする長期貿易協定、62~67年)、MT貿易(覚書貿易、68~73年、年度ごとに更新)が実現し、72年の国交正常化にむけた井戸を掘りつづけた。

 59年、松村訪中に同行した井出一太郎は、「東京都北京雄距離は近くして結ば無道はなお遠し」、「厚く垂れし竹のカーテン押しひらき 入り来しは同文同種の国」、「杜甫の詩 義之真卿の墨のあと 宋の陶磁も君を待つらんか」(62年松村訪中を送る)と詠っている。

 松村の政治的同志でもあった三木武雄は、松村の死にあったって、松村死すとも日中永遠和解の灯は消さじ」と述べ、また、長年の友人郭沫若(中日友好協会会長)は、「松村謙三先生を永遠に讃える」と以下の追悼の詩を送っている。

 渤海は広々としているが、一艘の小舟によっても航海ができる。

 先生は、国外にあっては、日中の国交を親密に市、国内にあっては農業面(注:農地解放)に全力を傾注された

 先生の遺志を継ぐ人ははならず現れ、先生の偉大な遺志は必ず報われるに違いない

 先生の風格は誠に山のように気高く、水のように清らかである

高碕達之助()1885~1964年

 55年、他じゃ碕達之助はインドネシア・バンドンにおけるアジア・アフリカ会議に鳩山内閣を代表して臨み、周恩来総理と親交を得た。62年、日中貿易拡大に関する松村、周恩来戒壇での趣旨に基づき、兵頭互恵の基礎の上に、斬新的積み重ね方式によるLT貿易の枠組みを作った。

 東洋製罐の創始者でもある高碕達之助は若き日に米国に留学、プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神を学び、事業の目的は、第1に人類の将来を幸福ならしめるものでなければならぬ、第2に事業とは営利を目的とすべきではなく、自分が働いて奉仕の精神を発揮することが、モダン・マーチャント・スピリットだと唱えた。終戦時、満鉄総裁の地位にいた高碕は、自らの命を顧みず引き揚げ者の支援に全量を挙げた。

 こうした公共精神は、周恩来はじめ中国関係者にたいし、強い印象を与えてものと推察される。

 岡崎嘉平太(1897~1989年)

 高碕の後を継ぎ経済界代表としてLT貿易に続く、MT貿易の推進に努めたのが岡崎嘉平太である。中国との関係は旧制高校時代の中国人留学生との交流に始まり、MT貿易を通じて周恩来との友情は益々強いものになった。佐藤内閣の対中姿勢に対し厳しい批判を展開する中国との間で、様々な苦労があった。著書『終わりなき日中の旅』に苦心の心境が語られている。

 「私はふと、典授記への旅を続ける玄奘法師の姿を顧みた。玄奘は約1300年前仏教経典を求めて単身馬に乗り当時禁止されていた出国を果たし、念願を成就させた。昼伏し、夜行の旅を続ける玄奘を載せてくれた馬は何だったのだろうか、それは、62年松村謙三先生周恩来総理との間で申し交わされた申し合わせではなかったか。

 国境は越えた。だが、天笠―日中世世代代の友好―の道はまだ遠い。終わりなき日中の旅である。」

 

2.今後の展望

72年9月に田中内閣の下で日中国交正常化がj津原子、78年には日中平和友好条約が締結され、両国の交流は様々な分野で展開され発展してきた。この間に冷戦の終結、グローバル経済社会の展開、改革開放政策による中国経済社会の発展を反映し、2020年の日本の対中輸出額シェアは22%(対米18.4%)、輸入額25%()対米(11%)、19年の直接投資収益率14.9%(北米5.4%)と、日中のサプライチェーンの増大を物語っている。

 一方中国では1978年の鄧小平による改革開放政策以来、中国経済は大きく発展し、習近平政権が唱える中華民族の復興、中国の国内政策の積極的な展開(全面的な小康社会の建設、三農問題への対応、「中国製造2025」等)、一帯一路による対外政策の下、21世紀の世界秩序は「米国1極体制」から「米中2極体制」が形成されつつある。21世紀以降の中国の世界経済における比率は増大し、これを巡る国際政治上の対立・軋轢が際立ってきた。かかる情勢下において、我々は厳しい冷戦下で日中国交正常化の道を探った石橋湛山をはじめとする先人の思想と行動を想起し、この新しい現実に対し、未来を展望した努力を実行しなければならない。日本はいかなる対応をし、どのような役割を果たすべきか。現代世界における日本の役割を自覚し歴史の新しいページを拓く選択を追及しなければならない。

 時代は、地球環境問題、格差拡大社会をもたらす市場経済システム自体の欠陥修正、持続的発展(SDGs)の実現等を現代社会全体に求めており、情報化社会が進展する中で、人類の相互理解の増進を達成できるか、現代人の歴史的対応能力、とりわけ日本夫積極的努力が試されている。

 古代において、講師は「楚の共王が由美を忘れ、家来がこれを探そうと進言した時、楚の人が忘れ楚の人がこれを使う。探す必要はない」と言ったことを聞き、「共王は度量が狭い何故楚に限るのか、

人弓を忘れ人これを使うといわないのか」と評し、国を越えた人間に及ぶ思想を述べた故事(劉向:説苑)が残されている。また近代において、ベートーベンは交響旭第9合唱第4楽章において人類の平和と兄弟愛を唱えている。

 さらに、昭和初年に宮沢賢治は、「我らは一緒にこれから何を論ずるか…世界全体が幸福にならないうちは幸福にならないうちは個人夫幸福はあり得ない。自我の意識は個人から集団社会、宇宙へと次第に進化する。この方向は古い聖者が踏み、また教えた道ではないか。新たな時代は世界が一の意識となり生物となる方向にある。我らは世界の芯の幸福をたずねよう訪ねよう」と述べている。最近では旧ソ連のガガーリン少佐が宇宙旅行から帰還した時、「地球は青かった」と人類社会の一体性を直感的に語っている。

 2020年以来、世界的に人類意を悩ましている新型コロナウイルス・パンデミックは、現代人間社会と自然界の相克の問題であることを我々に迫っており、我々は、軍縮を含めた産業・経済、生活様式の在り方を全人類共通の問題として認識し、未来を展望した対応が求められている。バイデン政権が唱えるデカップリング政策からは、人類共同体の形勢に向かった道は開かれないことを銘記すべきであり、今後の日中関係は、こうした国を越えた人類共同体の形勢をいかに図るか展望し、歩を進めたいものである。

 改革開放政策による中国社会の発展、習近平政権による中華民族の復興訴えの中で、我々は、自然の克服を主眼とした西欧思想を一歩離れ、自然との共生に意をもった東洋思想をも想起、言及しつつ、世界平和実現に向けた対話を模索し、世界をリードしたいものである。

井出亜夫氏より:2019年秋訪中時の時に書いた一文(「日中経済ジャーナル」2019年9月号掲載)、最近の日中関係の悪化を懸念した「日中国交回復の井戸を掘った人々」をお届けします。適宜お使いください。日中経済協会に了解を取りました。(2022.10)