「竹内好の人と思想」(第19回わがまち佐久・市民講座)を聴講

                小諸市日中友好協会 会長 笹本常夫

 12月11日(土)に佐久平交流センターにおいて、第19回わがまち佐久・市民講座が開かれ、講師に評論家・作家である佐高信氏を迎え、「竹内好の人と思想」と題して講演が行われました。竹内好に関心を持っていた私は講演を聴講しました。当日170名を超える受講生が熱心に聞き入りました。

 講師からは、佐久臼田ゆかりの先人である竹内好の人物像や「沈黙」「否定」「絶望」という3つのキーワードから物事をどう捉えていたかの解説がありました。そして、疑うこと、立ち止まることを恐れず、流れに抗う精神を持つことの大切さについてお話しいただきました。また「竹内の思想は現在にも深く関係していて、日米・日中の二次方程式を解くことが出来なければ、80年前のような戦争を起こし、滅んでしまうことになる。竹内好が忘れさられることは日本にとって誠に惜しいことである」と結ばれました。

 講演を聞きながら私なりに書き留めたメモを紹介したいと思います。

 ―竹内好は、魯迅の『故郷』の翻訳者・研究者である。竹内は、佐久の臼田に生まれたが、臼田についてあまり書いていない。中国戦線に兵士として従軍している。国民を兵隊として戦地に行かせたのは、天皇制があったからだと言っている。一木一草にすべて天皇制があるとしていた。反近代の問題としてとらえていた。魯迅は、儒教思想に抵抗した。そうしなければ精神革命は起こらないとした。魯迅は「私は人をだましたい」と言っている。藤沢周平は、「故郷とは辛いところである」と言っている。故郷に受け入れられない時もある。魯迅は儒教を批判し続けた。竹内は、優等生が大嫌いであった。新安保条約の強行採決に抗議し大学教授を辞め「沈黙」した。沈黙の意味は、いつも”それは本物であるか”を問い続けていたからだ。ナショナリズムを深く考察し、それを内側から破ろうとした。「沈黙」と「否定」の両方から切る。常識を破ること。学ぶとはすなわちイメージの変革である。魯迅の生き方の中の「希望」とは「稀なる欲望」であると考える。決して安心させる思想ではない。

 ―最近の中国問題は日中関係、日米関係の問題でもある。我々日本人はいつも、ニクソンショックを忘れてはいけない。現在の状況は、ニクソンショック時に似ている。日本人の知らぬ間に1971年7月キッシンジャーが中国を訪問し、1972年2月にはニクソン大統領が訪中して、中国を正式代表として承認、台湾にかわり中華人民共和国が中国の代表になった。日本政府は置き去りにされた。佐藤内閣が倒れ、1972年9月には田中角栄首相が中国を訪問して日中国交正常化が実現した。来年50周年になる。日本は、アメリカと中国の両方に付き合っていかねばならない。これからの日本の総理大臣は、日米と日中の二次方程式を解く人物でなければならない。最近の総理大臣で、この方程式を解いた人物が見当たらないことは残念である。竹内好の思想は、この方程式を解く鍵である。もし、日本の指導者が日米・日中の二次方程式を解くことが出来なければ、80年前のような戦争を起こし、滅んでしまうことになる。竹内好が忘れさられることは日本にとって誠に惜しいことである。