<らんだむ・のおと(384)>     

 
「六六、九二一人」              驥山館館長   川村龍洲

 

 十一月に西泠印社副社長の童衍方兄から招待を受け、兄の故郷・前童鎮の記念館と、西泠印社オークションの預展を見てきた。もう一つは徐三庚生誕百九十年記念の作品集が現在制作中だが、そこに2年前に松本市で開催した「秋山白巖展」の徐三庚の資料を収録すべく届けてきた。

 久しぶりの中国旅行だったが、帰国前日、上海の現地通訳が「遅くとも三時間半前には必ず空港に着くように!」と何遍も我々の添乗員に念を押しているのが気になった。通常は二時間前である。帰国当日、上海浦東空港で託送荷物を預け、パスポート検査も通常通り。次の機内持ち込み品とボディチェックになって早く早くというガイドのアドヴァイスがやっと判明した。それは物凄い人で、殆どが中国人の団体。手荷物と身体検査もかなり厳しいので時間がかかる。なるほど我々が日本のリーズナブルなホテルの予約が取れない理由も判った。空港の免税店で最後の買い物を楽しみにしていた女性陣も、搭乗口に着いたのが搭乗時間寸前という状態なので諦めざるを得ない。国内旅行を楽しむ中国の人達が多かったが、こうして外国旅行に出かける人の数を、自分の目で確かめ改めて経済的に余裕が出てきたのだなと実感した。

     *

 さて、タイトルの数字(六六、九二一人)は昨年四月から五月の四十日間に亘り、天王寺の大阪市立美術館で開催された『王羲之から空海へ』展の入場者数。これは、日本書芸院の藤井氏に確かめたので正確な数字である。そのうちの中国人の数は判りますかという小生の質問に対し、正確には判らないが、北京・上海からも団体で見学に来たし、台湾・香港からも相当数見え、図録もかなり売れ、展覧会の終り頃には台湾から百冊の注文があったそうだ。純然たる書の展覧会としては、最近では驚異的な入場者数といってよいだろう。そのうち仮に中国人が二割として一万三千人余、一割として六千七百人、五%でも三千三百人が見に来たことになる。左程に中国の人たちにとって、書の展覧会の関心度は高いといえる。

     *

 こうした現況なのに、我が長野県をはじめ他県の美術館で大勢の中国人観光客が来て、対応に追われたという話はいまだ聞かぬ。

 以前から、童衍方兄はじめ中国の友人たちにも、長野県は全国でも美術館の数が多いし、善光寺や温泉に入るスノー・モンキーもけっこうだが、もっと美術館にも来てほしいと言っているが、友人達は「日本には国公立の書道美術館が無い。教育県長野と言われながらも、県立の書道美術館が無いではないか。歴史・地理・思想・哲学・宗教・文学・教育・芸術の基礎は総て〝書道〟だと思うが、その専門の美術館が無い理由が理解できない。我々中国人は美術館には優れた書道作品を見に行くのであって、逆に書道の無い美術館には行かないよ」と答える。

 先日も、長野県日中友好協会の祝賀会で中国大使館関係者から、ここ数年の間に、日本に来る中国人観光客は一千万人を超すという祝辞があった。こうした実数字が示されているのだから、一割の人たちが美術館に来てもらえば百万人になる。

 長野県も、二千二十一年開館を目指して、県立信濃美術館の建て替え計画が始動したが、書道作品の収蔵数は、僅か数点と語るも恥ずかしい数で、これではとても中国人観光客を呼べる状態にあらず。

 実は、驥山館の収蔵品全部を長野県に使って貰えないかと真剣に考えている。中国にも誇れる内容の、全国初の県立書道館が実現したらこんな素晴らしいことはない。
  (2017年春)

 <らんだむ・のおと (388)>     

 

 平安堂長野店の開店             驥山館館長   川村龍洲

 

 信州で本屋といえば、殆どの県民は「平安堂」と答える筈。平成9年にJR長野駅前に移転してから二十年間経ったが、今度は、同じ駅前のながの東急百貨店新館の二、三階に移った。その新店舗の正面に筆字のサブタイトルを書いてほしいという依頼が来た。

 前の店の時には、県内の異業種異分野から35名の「駅前大型書店を考える会」が設置され、小生もその中の一人に加えて頂き、今までにない書店を、ということで様々かつ斬新な意見が多く出され、その内の約八割が実現された。

 今回決定的に違うのは、平安堂さんの親会社が高沢産業さんに変わったこと。つまり、驥山館を造っていただいた大恩人の会社だから。FC店を含め計18の店舗をもつ長野県で最大の書店である。平安堂はもちろん、高沢産業とながの東急百貨店にとっても新店舗の果たす役割は途轍もなくデカい。その店内の正面に小生の筆文字を入れたらどうか、というアイディアは、ある支店の女子社員からであるという。これはこれで良い話である。社運を左右するかもしれない重要なことに、一新人社員の意見が採用されたのだから。しかも設計とトータルプロデュース担当が、これまた友人の宮坂信之兄。平安堂の幹部諸氏も、プロパーで前社長の平野稔氏の遺志「長野県を代表する本屋」を強固に抱いている方々ばかり。平面図や担当諸氏の熱き思いをお聞きしているうちに、これは全力で書かせてもらわないと!という気持ちになってくる。

 その場所は、歴史書と美術書の壁面が店舗の正面になり、上りエスカレーターと向かい合う形になる。指定の文字は「歴史 クロスオーバー&アート」。こういう依頼は、小さな紙に書いたものを拡大せずに原寸で書く主義である。大きさは一字が40から50㎝。この様な例は他の書店では見たことがない筈だと、本部長の浅田兄と宮坂兄が熱く語る。加え浅田兄は、年間来客数を百万人と予定しているという。同社の支店の設計を担当してきている宮坂兄も、今回は本店ということで、思い入れの強さが違う。先ずは開店日から逆算して納入期日を決める。次は、サンプリングを見て社内の意見を決めたいので、数種類書いてもらえないかとの注文。楷書・行書・隷書の三体を書いて送る。草書と篆書は最初から外してほしいとのこと。数日後、小学生にも読めて尚かつ親しみを感じさせる書体が良い、という社内意見が圧倒的に強く、サンプリングで送った楷書に、少し行書の筆遣いを加え、かなり太めに書いたものを納入した。

 開店し半年。売り上げも客の入りも順調と聞いてホッとしている。
 (2017年春)