中国人養母ら招き阿智村でシンポジウム(12/12)

 満蒙開拓平和記念館(河原進館長)と飯田日中友好協会(清水可晴会長)は12月12日、阿智村中央公民館で中国残留孤児を育てた養母を招き「中国養父母を知るシンポジウム」を開きました。元残留孤児やその家族、支援者、市民ら約100人が参加し、養母と孤児の話に耳を傾けました。

 来日したのは、黒竜江省ハルビン市在住で残留孤児の日本人女児を育てた養母、李淑蘭さん(88)や中国に残る孤児や養父母の生活を支援している「ハルビン市日本孤児中国養父母聯誼会」の丁一平副会長ら7名。昨年6月、記念館代表が訪中した際に交流したのがきっかけで今回の招請が実現しました。

 丁副会長が1985年に設立された養父母聯誼会の活動を紹介したのち、李さんは記念館の三沢亜紀事務局長の質問に答える方式で、日本人孤児を育てることとなった経緯や思いを語りました。おかゆやマントウを売る店を営んでいた李さんは1945(昭和20)年秋、日本人女性からやせ細った女児を託されました。自身も養女として育てられた経験から「ほっておけない気持ちで預かった」。日本人の子を預かったことで非難も浴びたが「孤児なのだから誰かが面倒を見てあげなければかわいそう」と揺るがなかったと李さん。娘が81年実母がわかり日本に帰ることとなった際は「別れはつらかったが娘が実の母と会えると思うとうれしかった。自分は母が誰なのかいまだわからない」と述べました。

 中国の養父母に育てられた元残留孤児、多田清司さん(76)=飯田市=も登壇。「(収容所で父母を亡くした多田さんを)養父がおぶって自宅へ連れて帰り、養母がおもゆを作って一口一口たべさせてくれた。中国の養母(ママ)のおかげで生きながらえることができた」と話しました。

 東京から駆け付けた元残留孤児の中島幼八さん(73)は、花束とともに自身の体験をつづった書『この生あるは』(中国語版)を贈り、感謝の気持ちを表しました。中国残留孤児長野訴訟副団長を務めた石坂万寿美さん(72)=塩尻市=も「中国と養父母は私たちが生活し学ぶすべてを支援してくれた。健康で長生きされることを心から願っています」と語り、感謝の意を表しました。

 小林勝人・飯田日中友好協会理事長が日本側における残留孤児の受け入れ活動の概要を報告し、寺沢秀文・平和記念館副館長がシンポジウムのまとめを行いました。

 なお、平和記念館では「日本人残留孤児と中国養父母展」(ハルビン市日本孤児中国養父母聯誼会提供)を11月21日から12月26日にかけ開催しています。引き続き、県内各地区日中友好協会と共催で巡回展示を予定しています。


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