緑化協力・県日中友好訪中団、北京、河北、上海友人と交流を深める(5/26~6/1)

緑化協力・河北上海の旅=長野県日中友好協会訪中団(山根敏郎団長)は、5月26日から6月1日、北京、河北省の省都石家荘市や緑化協力地の邢台市の内丘県、そして邯鄲、上海を訪問しました。各地で古くからの友人や新しい友人の熱烈歓迎を受けました。
 
 北京到着2日目、5月27日は天気も快晴で青空が広がっていました。この日の最高気温は40度だったことをホテルのテレビで知りました。天安門広場は大勢の観光客が記念撮影していました。国家博物館は数年前に歴史博物館と革命博物館が全面的に改装されたものですが、古代史と近現代史に分けての展示は変わりません。鑑真和上の日本渡航展示を写真に収めました。故宮博物院は、かつてないほどの観光客で込み合っていました。壮大な太和殿をバックに記念撮影。迷子にならないようにと声かけながら神武門にたどり着くまで直線的に歩いても約1時間30分を要しました。午後中日友好協会を表敬訪問しました。関立彤秘書長や程海波交流部長と1時間余り熱心に語り合いました。日中関係が大変厳しい中で、民間交流・地方交流を進めていくことの重要性を強調されていたことに、深く同意します。先輩の皆さんが築いてこられた友好の架け橋を、私たちの世代は守り引き継いでいく使命があります。微力ながら粘り強く頑張っていきたいと決意を新たにしました。旧イタリア大使館だったオフィスの前で、全員で記念写真を撮りました。

 中日友好協会を辞し、北京西駅に向かいました。高速鉄道の安全検査を終えて待合室で改札を待ちます。広い待合室も人々でいっぱいでした。老人世代を除くとほとんどの人々がスマートフォンを片手に操作していました。携帯電話は中国では過去の遺物となりつつあるようです。G525次高速列車17:14発で北京を出発し河北省の省都石家荘に向かいました。18:33石家荘駅に到着。約300km1時間19分の旅でした。なつかしい河北省外事弁公室亜洲処の梁国輝処長や韓隷東さんらの出迎えを受け、再会を喜び合いました。ホテルでは語学研修で石家荘市から長野市に来ていた4名の皆さんとも再会できました。

 翌日5月28日は韓さんらの案内で新楽市の河北美術学院を参観しました。規模が壮大で、大きな志を持った注目すべき美術大学でした。園内には中国風の関帝廟や孔子廟なども設置され学生たちの美的感覚を涵養する環境に心がけていました。また新築中の校舎は西洋風の城を模したものでした。環境芸術・動画(アニメ)・工業設計・服装・書法などの各学部があり、8000人ほどが学んでいると聞きました。夜は、王占明河北省外事弁公室副主任・省友好協会副会長主催の歓迎宴が開かれました。日中関係は依然として厳しい状況を脱していませんが、地方・民間同士は協力して友好交流を進めていきましょうと語り合いました。杯を重ね、共に「北国の春」や中国の歌「大海啊故郷(海はふるさと)」を歌い楽しく交流しました。

5月29日は任剛・亜洲処副処長と韓さんが同行で邢台市の内丘県に向かいました。県の入口で出迎え案内の車が待っていて、緑化協力プロジェクトの現地まで誘導してくれました。現地には緑化計画を示す看板が立てられており、太行山脈に連なる丘陵地帯で赤土の乾操荒地を3年計画、6年計画で緑化しようというものです。本年は2期目に入っています。40株ほどの刺槐(ニセアカシア)を龍興洲・市外事弁公室主任や盧振江・副県長さんらと共に記念植樹し、順調に生育するよう水もたっぷりくれました。会場を県中心地のホテルに移して宋華章常務副県長らが歓迎の昼食会を開いてくれました。山根団長も熱烈歓迎に感謝し、「緑化プロジェクトの成功と内丘県が大きく発展して行くことを祈ります。長野にも是非おいでください」」とあいさつしました。歓迎に感謝してみんなで北国の春を歌いました。

 一行はその後河北省南部の邯鄲に向かいました。邯鄲は「邯鄲一炊の夢」で日本にもよく知られた趙の都だったところです。秦の始皇帝が生まれた地でもあり、鄧小平が太行山中の渉県で抗日戦争を指導したところでもあります。古代から近現代に至る歴史を思いながら邯鄲の趙都賓館に到着すると、市外事弁公室の張暁中主任や薛梅安副主任、そして懐かしい潘書生さんが出迎えてくれました。潘書生さんは20余年にわたり長野県と邯鄲との交流に携わってきた方で、長野県に国際交流員として滞在した経験もあります。武安市との交流や、渉県への希望小学校贈呈等で橋渡し役を果たしていただきお世話になった方です。邯鄲でも心温まる歓迎宴を開いていただきました。

 5月30日はゆっくり邯鄲の市内参観です。20年ぶりの邯鄲はすっかり姿を変え大きく発展していました。叢台公園では退職者の皆さんが元気に楽しくダンスを踊っていました。一緒に踊りの輪に加わることができ楽しい思い出になりました。これからもっと交流が深まることを願い邯鄲の一層の発展を祈りながら、邯鄲空港を飛び立ちました。親切に案内していただいた、任さん・韓さん、そして潘さんとの握手のぬくもりを思い出しながら、上海に向かいました。1時間近く遅れてMU5658便は上海浦東空港に到着しました。

 5月31日、豫園と魯迅記念館、現在最高の森ビル等を参観しました。豫園は日本の浅草とよく言われますが、豫園周辺の繁華街は活気に満ちていました。豫園はコンパクトな面積の中に贅と工夫を凝らした庭園が魅力的でした。久しぶりに訪れた魯迅記念館は展示に変化は見られましたが、「横眉冷対千夫指、俯首甘為孺子之牛」(眉を横たえて冷ややかに千夫の指に対し、首を垂れて甘んじて孺子の牛とならん)と言った魯迅精神はしっかり展示されていました。内山書店の在りし日の姿が館内に再現され、内山完造と魯迅が改造社の社長とともに語り合う写真も展示されていました。内山先生は新中国誕生後、日中友好協会を創立した方で、全国を行脚して、日中両国民の友好を説かれました。「中国がどのような国になろうと、日本人民は中国人民と永遠に友好的に付き合っていかなければならない」けだし名言だと思います。2人の大先輩から力をいただいて記念館を後にしました。続いて浦東開発区の新たな観光名所になっている森ビルに向かいました。森ビルは高さ492m、展望台474mまで登れます。観光客が列を成して直行エレベータ前に並んでいました。今のところ完成ビルとしては1番高いそうですが、すでに近くに建設中の上海中心大厦(上海センター)に抜かれていました。本年完工予定で完成すると東京スカイツリーを抜くことになるそうです。対岸の黄浦江公園から見た浦東の風景は未来都市の様相を呈しており、一方振り向くとイギリス租界当時の重厚なヨーロッパ風の建物群が広がっています。公園は観光スポットになっており男女のアベックはじめ大勢の観光客でにぎわっていました。

 上海の友好協会と長野県日中友好協会は30余年の交流の歴史を持っています。本年2月忙しい日程を割いて上海市友好協会の汪小樹常務副会長一行が長野県を訪問されました。このたび折角の機会でありましたので表敬をお願いしましたら、望外にも歓迎昼食会に招待されることとなりました。あたたかい心遣いに、一同感激しました。長野訪問のときの思い出や、民間交流をお互いに協力して進めていくことを語り合いました。感謝の歌声が響いたのは言うまでもありません。しっかり握手し再会を約してお暇しました。上海は、引き続き素晴らしい発展の中にありました。私たちの憧れの地でもあります。中国の模範としてバランスの取れた一層素晴らしい都市となるよう願っています。

 6月1日、7日間の訪中はあっという間に終わり、帰国日となりました。日中関係が厳しいときだからこそ、中国との相互訪問の機会を増やし国民同士の相互理解と相互信頼を深める努力を強めるべきだとの思いを抱きながら、私たちは、機上の人となりました