村上春樹氏の11月3日毎日新聞のインタビュー記事中に「日本の問題は責任回避-終戦も原発事故も」と言うのがあった。この発言が中国や韓国で関心を持って取り上げられている。それは、村上氏が次のように述べたところだ。

-僕は日本の抱える問題に、共通して「自己責任の回避」があると感じます。45年の終戦に関しても2011年の福島第1原発事故に関しても、誰も本当には責任を取っていない。そういう気がするんです。

 例えば、終戦後は結局、誰も悪くないということになってしまった。悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、ひどい目に遭ったと。犠牲者に、被害者になってしまっています。それでは中国の人も、韓国・朝鮮の人も怒りますよね。日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思います。

 原発の問題にしても、誰が加害者であるかということが真剣には追及されていない。もちろん加害者と被害者が入り乱れているということはあるんだけど、このままでいけば「地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった」みたいなことで収まってしまいかねない。戦争の時と同じように。それが一番心配なことです。ー

 環球時報は人民日報傘下の大衆紙で中央日報は韓国の有力紙。村上氏の作品は両国でも多数の愛読者を有している。彼の言葉とともに、両国が日本人の歴史認識を注視していることを記憶に留めておきたい。

<資料>

村上春樹氏「日本人は自らを第2次大戦の被害者と認識している」

人民網日本語版 2014年11月5日

作家の村上春樹氏(65)はこのほど日本メディアの取材に答え、第2次世界大戦や福島原発事故などに関して、日本は責任を回避していると批判した。環球時報がAFP通信の報道を引用して伝えた。

日本で最も有名な作家の1人であり、幾度もノーベル文学賞の候補に名が挙がっている村上氏は、「終戦後、悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、ひどい目にあったという考えがある」とし「結局、誰も悪くないということになってしまった」と述べ、日本人が自ら犠牲者であり被害者という誤った認識の中にいるとの見方を示した。さらに、「1945年の終戦に関しても2011年の福島第1原発事故に関しても、誰も本当には責任を取っていないという気がする」と述べた。

村上氏はまた、「(日本が起こした戦争に)中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う」と指摘した。日本が過去の侵略行為を真剣に反省しないことは、隣国との間に緊張関係をもたらしている。

このほか、福島原発事故に関しても「誰が加害者であるかということが真剣には追及されていない」と指摘。「このままでいけば『地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった』みたいなことで収まってしまいかねない」と懸念を表した。(編集SN   「人民網日本語版」2014115


村上春樹「日本、戦争を起こして責任回避」

2014114 中央日報日本語版

  日本の小説家、村上春樹(65)が日本社会全般に広まっている責任回避傾向を批判した。

  
村上春樹は3日、毎日新聞とのインタビューで、「日本の抱える問題に、共通して自己責任の回避があると感じる」と述べた。「1945年の終戦に関しても2011年の福島第1原発事故に関しても、誰も本当には責任を取っていないという気がする」ということだ。来年の終戦70周年を控え、近代日本の戦争を小説で扱った作家の考えを尋ねた質問の返答でだ。

  
村上春樹は「終戦後、悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、ひどい目にあったという考えがある」とし「結局、誰も悪くないということになってしまった」と述べた。日本人が自ら犠牲者であり被害者という誤った認識の中にいるという説明だ。

  
村上春樹は「(日本が起こした戦争に)中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う」と付け加えた。

  
福島原発事故にしても「誰が加害者であるかということが真剣には追及されていない」と指摘した。村上春樹は「加害者と被害者が入り乱れているということはあるが、このままでいけば『地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった』みたいなことで収まってしまいかねない」と懸念を表した。

  
村上春樹は普段インタビューをしないことで有名だ。社会問題について、小説家はステートメント(声明)を出すのではなくて、フィクションという形に思いを昇華させ、立ち上げていくべきだということだ。

  
村上春樹は「僕らの世代は60年代後半に、世界は良くなっていくはずだというある種の理想主義を持っていた」と述べた。「ところが、今の若い人は世界が良くなるなどとは思わない、むしろ悪くなるだろうと思っている」とし、遺憾を表した。

  
その一方で「ある程度、人は楽観的になろうという姿勢を持たなくてはいけない」と強調した。村上春樹は「60年代に持っていた理想主義を新しい形に変換し、若い世代に引き渡していくことも重要な作業」とし「若い世代に向けても小説を書きたい」と述べた。

  
79年に『風の歌を聴け』で文壇にデビューした村上春樹は毎年ノーベル文学賞候補に挙がり、全世界に多くのファンを確保している。彼の作品は英語・韓国語など約50言語に翻訳、出版された。昨年夏には英語版『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』がニューヨークタイムズのベストセラー1位になった。

村上春樹さん:単独インタビュー 「孤絶」超え、理想主義へ

毎日新聞 20141103日 

 作家の村上春樹さんが、5年ぶりに本紙の単独インタビューに応じた。1979年のデビューから35年。創作活動や海外での読まれ方、現代における文学の役割まで、幅広い話題について語った。

 米国1位うれしい

 −−村上作品は欧米、アジアなど約50の言語に翻訳・出版されている。現役作家の作品がこれほど読まれるのは世界でも異例だ。

 10月に約1週間、イタリアに滞在しましたが、毎日、誰かに声をかけられました。日本で街を歩いても月2回ぐらいしかかけられないのに(笑い)。80年代後半、しばらくイタリアに住みましたが、その時とは事情が一変しているのにびっくりしました。

 いちばん驚いたのは今夏、(小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の英語版が)米紙ニューヨーク・タイムズでベストセラーランキングの1位(ハードカバー・フィクション部門)になったこと。米国で最初に翻訳が出たのは80年代末で、初めはあまり売れなかった。それから25年かけて、だんだん実績を積み重ねてベストセラーの1位までいった。そういう伸び方はすごくうれしい。

 日本離れゼロから

 −−90年代初めには、自ら米国で文芸エージェントや出版社を探し、独力で開拓する苦労もあった。

 ずっと日本で仕事をしていてはだめだと思って、外国へ出て行きました。日本にいたら一応、本も売れるし、それなりにやっていけるんだけど、そういうホームグラウンドを離れて、もう一度ゼロからやり直すわけだから、大変だったですよ。サイン会をしても十何人しか人が来ない、とかね。今は2000人近く来るようになりましたが。

 やっぱり日本では居心地が悪かった。日本の文芸システム、文壇システムみたいなものに、なかなか受け入れられず疎外感を持っていましたし、風当たりも強かったですから。要するに、僕のやりたいと思っていることや、採りたいと思っている方法と、文芸メディアの考えが基本的に合わなかったということが大きいと思うんです。どちらが正しいとかじゃなくて。そういうフラストレーションみたいなものが、僕の中でたまっていたということはあります。システムの中での付き合いみたいなのもあまり得意じゃなかったし、志を同じくするような人も特に見当たらなかったし。

 欧米、アジアで違う評価

 方法とストーリー

 −−村上作品の魅力は、現実と非現実が交錯する物語の面白さにある。国・地域によって読まれ方は違うのだろうか。

 欧米の人々はどちらかというと論理的に読みます。この小説はポストモダニズムだとかリアリズムだとか、論理的に解釈する傾向が伝統的に強い。僕の場合は「日本的ポストモダニズム」として読まれているようです。ストーリーやテーマ性よりは文学的なメソッド(方法)で評価されることが多い。リアリティーと非リアリティーがどのように重なり複合的になっていくか、という点を、ポストモダニズムの新しい方法として評価しているようです。

 これに対して、日本以外のアジアではストーリーの要素が大きい。ストーリーラインのダイナミズムに読者は自然な魅力を感じるのかもしれません。また、ある種の小説的ソフィスティケーション(洗練)、登場人物のライフスタイルやものの考え方に対する興味もあるみたいですね。「何とかイズム」みたいなことはあまり関係ない。

 例えば、僕の作品で主人公が井戸の底に座っていて石の壁を通り抜けてしまうといった場面を、欧米人は「ポストモダニズムだ、マジックリアリズムだ」みたいに解釈するけど、アジアの人は「そういうことはあるかもな」と自然に受け入れてしまう(笑い)。アジアでは荒っぽくいえば、何がリアルで何が非リアルかは表裏一体なんです、日本でもそうだけど。そういう物語の風土の違いは確かにあると思います。

 簡単な言葉で深く

 −−風土の違いを超え、世界で広く読まれるのはなぜか。

 小説というのは物語が面白くなければ人はまず読みません。それが基本です。「次はどうなるんだろう」と思わずページを繰っていくドライブ感が必要で、読者を立ち止まらせたらおしまいです。だから「簡単な言葉を使って、複雑で深い物語を書きたい」というのが僕の理想です。でも少なくとも最初のうち、そういう考え方はあまりすんなりとは受け入れられなかった。

 −−今年4月に短編集「女のいない男たち」を刊行した。収めた6編それぞれの主人公の「男たち」は30代から50代まで年代が幅広く、描き方もいっそう自在になっている。

 少し前までは、こういうものは書けなかったなと思います。僕は20代から30代ぐらいの人を書くことが多かった。「海辺のカフカ」では若い人を書こうと思って、15歳の少年を登場させ、「ナカタさん」という老人も入れましたが、あれはまあ特殊なキャラクターでした。今回は、もう少し自分に近い年齢の人物も描いてみようというのが、一つの目標でした。チャレンジというか。

 ここでは「孤絶」が一つのテーマになっています。女の人に去られた男の話が中心ですが、具体的な女性というよりは「自分にとって必須なもの」が欠如し消滅し、孤絶感を抱え込むことの表象だと思っています。若い時の孤独はあとで埋め直したり取り戻したりできるけど、ある年齢以上になると、孤独は「孤絶」に近いものになる。そういう風景みたいなものを書いてみたかった。僕ももう60代半ばになって、こういうものが少しずつ書けるようになってきたかなという気がします。

 日本の問題は責任回避

 終戦も原発事故も

 −−来年は戦後70年。作中で近代日本の戦争を描くこともあった作家は何を思うか。

 直接的な意見を述べるとステートメント(声明)になってしまいます。小説家はステートメントを出すのではなくて、フィクションという形に思いを昇華させ、立ち上げていくものだと思います。ただ、僕は日本の抱える問題に、共通して「自己責任の回避」があると感じます。45年の終戦に関しても2011年の福島第1原発事故に関しても、誰も本当には責任を取っていない。そういう気がするんです。

 例えば、終戦後は結局、誰も悪くないということになってしまった。悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、ひどい目に遭ったと。犠牲者に、被害者になってしまっています。それでは中国の人も、韓国・朝鮮の人も怒りますよね。日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思います。

 原発の問題にしても、誰が加害者であるかということが真剣には追及されていない。もちろん加害者と被害者が入り乱れているということはあるんだけど、このままでいけば「地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった」みたいなことで収まってしまいかねない。戦争の時と同じように。それが一番心配なことです。

 軸を喪失した世界

 −−冷戦崩壊の後、世界は混沌(こんとん)(カオス)的な状況にあるという認識を語ってきた。同じ状況は今も続いているのか。

 そうですね。冷戦が崩壊して、東か西か、左か右かという軸が取っ払われ、混沌が平常の状況になってきました。僕が小説で書こうとしているのも、いわば軸の取っ払われた世界です。ベルリンの壁が崩壊した頃から僕の小説はヨーロッパで受け入れられ始め、アメリカでは9・11事件の起こった後で受け入れられ始めた。軸の喪失がおそらくキーワードになっています。

 僕らの世代は60年代後半に、世界は良くなっていくはずだというある種の理想主義を持っていました。ところが、今の若い人は世界が良くなるなどとは思わない、むしろ悪くなるだろうと思っています。もちろん、それほど簡単には言い切れないだろうけど、僕自身はある程度、人は楽観的になろうという姿勢を持たなくてはいけないと思っています。

 −−そのためには、まず「孤絶」に耐えなくてはいけない。これが村上作品から伝わってくるメッセージだ。

 いったんどこまでも一人にならないと、他人と心を通わせることが本当にはできないと思う。理想主義は人と人とをつなぐものですが、それに達するには、本当にぎりぎりのところまで一人にならないと難しい。一番の問題は、だんだん状況が悪くなっていくというディストピア(ユートピアの反対)の感覚が、既にコンセンサスになっていることです。僕としては、そういう若い世代に向けても小説を書きたい。僕らが60年代に持っていた理想主義を、新しい形に変換して引き渡していくのも大事な作業です。それはステートメントの言葉ではなかなか伝わりません。軸のない世界に、「仮説の軸」を提供していくのがフィクションの役目だと信じています。