中国と心の交流を

        稲盛和夫・京セラ名誉会長

稲盛和夫(いなもり・かずお)1932年鹿児島市生まれ。碍子メーカー勤務を経て59年京都セラミツク(現京セラ)、84年第二電電企画(現KDDI)を創業。日本航空の経営再建を果たして、今やカリスマ的存在。しかし、若いころは進学も就職も失敗続きで、どこにでもいる不器用な青年だった。たゆまぬ努力によって道を切り開いてきた点が、人を引き付ける。経営塾「盛和塾」には約8000人の経営者が集まる。

 日本は今、中国と難しい関係にあります。この問題にどう向き合っていくべきでしょうか。私は中国の経営者の方々と心と心が触れ合う交流を長い間、続けてきました。その経験から、ある確信を持っています。

 ささやかな中小企業から身を起こした私は、今日までいろいろな悩みを抱えて、どう生きるべきか真剣に考えざるを得ませんでした。その結果、自分なりに思想、哲学みたいなものを培い、本などにまとめてきました。幸い世の多くの方に関心を持っていただき、例えば『生き方』という本は110万部を超えました。これが中国でも出版されて150万部も読まれています。

 私は本だけでなく、中堅中小企業の経営者の方々を集めて「盛和塾」をやっていまして、米国やブラジルにもあります。中国の方がこれを見て、中国でも盛和塾をぜひ作って、私の経営哲学や人生哲学を直接聞かせてほしいという声が高まりました。それが10年ほど前のことでした。

 現地に参りましたら、1000〜2000人の経営者が集まって大変な熱気なのです。日本からも盛和塾の会員の経営者が同行し、期せずして日中の経営者による大きなハーモニーが生まれました。私の話のほかに、中国の方が「私は稲盛さんの経営哲学に基づいて、こう経営してきました」と経験談を披露し、日本の方も発表しました。それを1日がかりで皆さんが熱心に聞くというのが最初です。

 近く浙江省杭州で盛和塾の会を開くので出席します。これも2000人くらい集まるようです。この前は成都、さらにその前は重慶でした。どこも私を熱狂的に歓迎してくれて、学ぼうとする意欲が伝わってきます。

 中国にアリババ(アリババ集団)という有名なネット企業があります。本社が杭州にあって、創業者のマーさん(馬雲氏)が今度、私が盛和塾のために来るなら、会にも出るし昼食もともにしたいというので、会おうと思っています。家電最大手のハイアール(中国海爾集団)の創業者である張瑞敏さんから「稲盛さんの経営哲学を勉強しているので、幹部社員に話をしてください」と言われて、数年前に行ったことがあります。通信機メーカーのファーウェイ(華為技術)の創業者、任正非さんも日本に来ると私を訪ねてくれます。

 尖閣の問題などで中国政府の日本に対する姿勢が厳しさを増しても、私を熱烈に歓迎する経営者の方々の姿勢は全く変わりません。何の報酬も求めずに私が訴え続ける考え方に、心から共感しているからだと思います。なぜでしょうか。

 広大な国土と多くの人民を抱えて中国は、第2次大戦後も苦難の道を歩みました。経済的に困窮し、謙虚な気持ちで共産主義をベースに国を再建しようと努力したのです。しかし経済が急速に発展すると、中国政府は自信を深め、列強に侵略された苦い経験があるだけに、もっと強い国になろうとする方向に進みました。さらに昔からの中華思想に目覚めて、それが覇権主義といいますか、外に強く出る形になってきたのでしょう。

 その流れの中で「先に富める者は先に富んでよい」というケ小平さんの市場経済を容認する思想(先富論)の下で、みんなが経済活動にまい進してきました。もともとビジネスマンとして大変才能がある民族ですから、成功する人がたくさん生まれました。

 欲望のおもむくままに努力すれば報われ、巨万の富が手に入る。われもわれもと金持ちになろうとすさまじい生き方をした結果、経済的に豊かになり、人生も充実したように思えた。ところが静かになって我に返ると、何か忘れてきたものがある。精神的にうつろなものができているわけです。

 それに気づいたとき「経営とは単に欲望に従って富を蓄積すればよいというものではありません。正しい生き方の軸となる哲学が必要です」という私の考え方に接して、「これだ」と共鳴したのでしょう。

 「利己的な欲望によって成功しても、そのままいけば必ず欲にまみれて破綻します。あるところまで行ったら、利他という、他を慈しみ、他を愛する、他人のために尽くす精神が無ければいけません。それが伴って初めてバランスが取れるのです」――。こうした私の話を聞いて、心の安らぎを感じるのだと思います。

 日中間では、今後も政治的ないさかいは起こると思います。しかし人間の心の世界には何の障壁もありません。今の厳しい日中関係をほぐしていくには、心による交流を進めていく以外には無理でしょう。

 先の戦争では日本は軍国主義を標榜しましたが、その昔、大和の国の人々は平和で温和な、礼儀正しい、和を貴ぶ民族だったのです。その日本人本来の美徳である美しい心を、中国との関係でも前面に出していけばよい。そんな弱々しいことでは相手に利用されるだけだ、と言う人もいるかもしれませんが、それでも構わないと思います。集団的自衛権の問題など安全保障上の対策はある程度講じなくてはいけないが、もっとやるべきことが他にもあります。

 今こそ日本人の素晴らしい徳を、中国では仁といいますが、それを中国に伝える努力が求められます。その素晴らしさに多くの中国人は歓迎し、強い姿勢を取る中国政府も徐々に尊敬の念を抱くようになると思います。私は82歳で疲れますが、何も求めずに人間の善について説き続けることに対して、中国の経営者はたくさんの好意を返してくれます。そこに打開する糸口があると信じています。

(2014年6月16日   日本経済新聞 電子版)