尖閣諸島の領有権についての基本見解

平成249

日本国外務省

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 尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895114日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、18955月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971617日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
 なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。
 また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。

尖閣諸島に関するQ&A

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【基本問題】

Q1 尖閣諸島についての日本政府の基本的な立場はどのようなものですか。

A1

 尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり,現に我が国はこれを有効に支配しています。したがって,尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しません。

Q2 尖閣諸島に対する日本政府の領有権の根拠は何ですか。

A2

1.   尖閣諸島は,1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で,1895114日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って,正式に日本の領土に編入しました。この行為は,国際法上,正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています(先占の法理)。

2.   同諸島は,それ以来,歴史的に一貫して日本の領土である南西諸島の一部を構成しています。なお,尖閣諸島は,18955月発効の下関条約第2条に基づき,日本が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれません。また,サンフランシスコ平和条約においても,尖閣諸島は,同条約第2条に基づいて日本が放棄した領土には含まれていません。尖閣諸島は,同条約第3条に基づいて,南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ,1971年の沖縄返還協定(「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」)によって日本に施政権が返還された地域に含まれています。

【参考:サンフランシスコ平和条約第2条】

b) 日本国は,台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。

【参考:サンフランシスコ平和条約第3条】

 日本国は,北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。),孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島,西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで,合衆国は,領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して,行政,立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

【参考:沖縄返還協定第1条】

2 この協定の適用上,「《琉球諸島》及び大東諸島」とは,行政,立法及び司法上のすべての権力を行使する権利が日本国との平和条約第三条の規定に基づいてアメリカ合衆国に与えられたすべての領土及び領水のうち,そのような権利が千九百五十三年十二月二十四日及び千九百六十八年四月五日に日本国とアメリカ合衆国との間に署名された奄美群島に関する協定並びに南方諸島及びその他の諸島に関する協定に従つてすでに日本国に返還された部分を除いた部分をいう。

【参考:沖縄返還協定 合意された議事録】

第一条に関し,
同条2に定義する領土は,日本国との平和条約第三条の規定に基づくアメリカ合衆国の施政の下にある領土であり,千九百五十三年十二月二十五日付けの民政府布告第二十七号に指定されているとおり,次の座標の各点を順次に結ぶ直線によって囲まれる区域内にあるすべての島,小島,環礁及び岩礁である。

·        北緯二十八度東経百二十四度四十分

·        北緯二十四度東経百二十二度

·        北緯二十四度東経百三十三度

·        北緯二十七度東経百三十一度五十分

·        北緯二十七度東経百二十八度十八分

·        北緯二十八度東経百二十八度十八分

·        北緯二十八度東経百二十四度四十分

Q3 日本は尖閣諸島を有効に支配しているとのことですが,具体例を教えてください。

A3

1.   明治17年(1884年)頃から尖閣諸島で漁業等に従事していた沖縄県在住の民間人から国有地借用願が出され,明治29年(1896年)に明治政府はこれを許可しました。この民間人は,この政府の許可に基づいて尖閣諸島に移民を送り,鳥毛の採集,鰹節の製造,珊瑚の採集,牧畜,缶詰製造,燐鉱鳥糞の採掘等の事業を経営しました。このように明治政府が尖閣諸島の利用について個人に許可を与え,許可を受けた者がこれに基づいて同諸島において公然と事業活動を行うことができたという事実は,同諸島に対する日本の有効な支配を示すものです。

2.   また,第二次世界大戦前において,国又は沖縄県による尖閣諸島の現地調査等が行われていました。

3.   第二次世界大戦後,尖閣諸島はサンフランシスコ平和条約第3条によって,南西諸島の一部として,米国の施政権下に置かれたため,その後昭和47年(1972年)515日に,尖閣諸島を含む沖縄の施政権が日本に返還されるまでは,日本が尖閣諸島に対して直接支配を及ぼすことはできませんでした。しかし,その間においても,尖閣諸島が日本の領土であって,サンフランシスコ平和条約によって米国が施政権の行使を認められていたことを除いては,いかなる第三国もこれに対して権利を有しないという同諸島の法的地位は,琉球列島米国民政府及び琉球政府による有効な支配を通じて確保されていました。

4.   さらに,尖閣諸島を含む沖縄の施政権が日本に返還された後について,幾つかの例を挙げれば以下のとおりです。

1.   1)警備・取締りの実施(例:領海内で違法操業を行う外国漁船の取締り。)。

2.   2)土地所有者による固定資産税の納付(民有地である久場島(Kuba Is.))。

3.   3)国有地としての管理(国有地である大正島(Taisyo Is.),魚釣島(Uotsuri Is.),等)。

4.   4)政府及び沖縄県による調査等(例:沖縄開発庁による利用開発調査(仮設へリポートの設置等)(1979年),環境庁によるアホウドリ調査の委託(1994年),沖縄県による漁場調査(1981年)。)。

【中国(乃至台湾)の主張に対する日本の見解】

Q4 中国(・台湾)による尖閣諸島の領有権に関する主張に対して,日本政府はどのような見解を有していますか。

A4

1.   従来,中国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的,地理的乃至地質的根拠等として挙げている諸点は,いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません。

2.   日本の領土たる尖閣諸島の領有権について,中国政府及び台湾当局が独自の主張を始めたのは,1970年代以降(参考)です。それ以前には,サンフランシスコ平和条約第3条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対しても,何ら異議を唱えていません。

3.   なお,19205月に,当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては,「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」との記載が見られます。また,195318日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」においては,琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があるほか,1960年に中国で発行された中国世界地図集では,尖閣諸島が沖縄に属するものとして扱われています。

【参考:中国政府及び台湾当局の主張の開始の背景】

 1968年秋,日本,台湾,韓国の専門家が中心となって国連アジア極東経済委員会(ECAFEUN Economic Commission for Asia and Pacific)の協力を得て行った学術調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性ありとの指摘がなされ,尖閣諸島に対し注目が集まった。

【参考:中華民国駐長崎領事の感謝状】(仮訳)

 中華民国8年冬,福建省恵安県の漁民である郭合順ら31人が,強風のため遭難し,日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した。
 日本帝国八重山郡石垣村の玉代勢孫伴氏の熱心な救援活動により,彼らを祖国へ生還させた。救援において仁をもって進んで行ったことに深く敬服し,ここに本状をもって謝意を表す。

中華民国駐長崎領事 馮冕
中華民国9520

【参考:195318日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」】(抜粋・仮訳)

 「琉球諸島は,我が国(注:中国。以下同様。)の台湾東北部及び日本の九州南西部の間の海上に散在しており,尖閣諸島,先島諸島,大東諸島,沖縄諸島,大島諸島,トカラ諸島,大隈諸島の7組の島嶼からなる。それぞれが大小多くの島嶼からなり,合計50以上の名のある島嶼と400あまりの無名の小島からなり,全陸地面積は4670平方キロである。諸島の中で最大の島は,沖縄諸島における沖縄島(すなわち大琉球島)で,面積は1211平方キロで,その次に大きいのは,大島諸島における奄美大島で,730平方キロである。琉球諸島は,1000キロにわたって連なっており,その内側は我が国の東シナ海(中国語:東海)で,外側は太平洋の公海である。」

Q5 中国政府は,「釣魚島」などの島嶼は日本側が主張するような無主地であったのではなく,明代には中国側の冊封使によって既に発見・認知されており,中国の海上防衛区域に含まれた台湾の付属島嶼であったと主張していますが,日本政府はどのような見解を有していますか。

A5

1.   日本は明治18年(1885年)以降沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,これらの島々が単に無人島であるだけでなく,清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認した上で,沖縄県編入を行ったものです。

2.   従来,中国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的,地理的乃至地質的根拠等として挙げている諸点は,いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません。最近,中国側は中国国内の多くの歴史的文献や地図を根拠に,中国が「釣魚島」等を歴史的に領有している(無主地ではなかった)旨主張していますが,その根拠とされている文献の記載内容は,原文を見れば分かるとおり,領有権を有することの証拠とするには全く不十分なものです。日本側が行った調査では,むしろ20世紀以降1950年代や60年代までにおいても,中国側が尖閣諸島を日本の領土であると認めていたと考えられる事例があることが確認されています。

3.   例えば,

1.   i 19205月に,当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては,「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」との記載が見られます。

2.   (ii)また,195318日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」においては,琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があるほか,1960年に中国で発行された中国世界地図集では,尖閣諸島が沖縄に属するものとして扱われています。

3.   (iii)更に,1958年に中国の地図出版社が出版した地図集「世界地図集」においては,尖閣諸島を「尖閣群島」と明記し,沖縄の一部として取り扱っています。

【参考:中華民国駐長崎領事の感謝状】(仮訳)

 中華民国8年冬,福建省恵安県の漁民である郭合順ら31人が,強風のため遭難し,日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した。
 日本帝国八重山郡石垣村の玉代勢孫伴氏の熱心な救援活動により,彼らを祖国へ生還させた。救援において仁をもって進んで行ったことに深く敬服し,ここに本状をもって謝意を表す。

中華民国駐長崎領事 馮冕
中華民国9520

【参考:195318日人民日報記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」】(抜粋・仮訳)

 「琉球諸島は,我が国(注:中国。以下同様。)の台湾東北部及び日本の九州南西部の間の海上に散在しており,尖閣諸島,先島諸島,大東諸島,沖縄諸島,大島諸島,トカラ諸島,大隈諸島の7組の島嶼からなる。それぞれが大小多くの島嶼からなり,合計50以上の名のある島嶼と400あまりの無名の小島からなり,全陸地面積は4670平方キロである。諸島の中で最大の島は,沖縄諸島における沖縄島(すなわち大琉球島)で,面積は1211平方キロで,その次に大きいのは,大島諸島における奄美大島で,730平方キロである。琉球諸島は,1000キロにわたって連なっており,その内側は我が国の東シナ海(中国語:東海)で,外側は太平洋の公海である。」

【参考:『世界地図集』(1958年)】

 1958年に中国の地図出版社が出版した地図集。尖閣諸島を「尖閣群島」と明記し,沖縄の一部として取り扱っている。中国側は,同地図集には,「中国との国境線の部分は,抗日戦争前(すなわち台湾が日本植民地だった時代)の地図を基にしている」との注記があり,1958年発行の地図における記載のみをもって当時の中国政府が日本の尖閣諸島への支配を認めていたという根拠にはなり得ないと主張。しかしながら,中国側が指摘する注記は,原文では「本地図集の中国部分の国境線は解放前の申報(注:当時の中国の新聞)の地図を基に作成した(中文:本図集中国部分的国界線根据解放前申報地図絵制)。」とのみ記述。具体的にどの部分が解放前のものかは不明。そもそも,同地図では,台湾を「中華人民共和国」の領土として記載しており,台湾の付属島嶼であると主張する尖閣諸島に関する記述だけを台湾が日本の植民地であった時代の表記で残すことは不自然。

Q6 中国政府は,日本は,「釣魚島」等編入前に同島嶼が台湾付属島嶼の一つであることを認識していたが,日清戦争を通じて,同島嶼をかすめ取った,その後,台湾とそのすべての付属島嶼及び澎湖列島が不平等条約である「馬関条約」(下関条約)によって割譲され,そのまま日本に編入されたと主張していますが,日本政府はどのような見解を有していますか。

A6

1.   日本が尖閣諸島を沖縄県に編入することを決定したのは明治28年(1895年)1月の閣議においてであり,また,日本が台湾及びその付属島嶼を譲り受けたのは明治28年(1895年)4月に調印された日清講和条約(下関条約)によるものです。したがって,そもそも中国政府の主張は成り立ちません。

2.   日清講和条約(下関条約)によって,日本が清国より譲り受けた台湾及びその付属諸島嶼については,同条約はその具体的範囲を明記していませんが,交渉経緯等からしても,尖閣諸島が同条約(第22)の台湾及びその付属諸島嶼に含まれるという解釈を根拠づけるようなものはありません。

3.   他方,日本は既に日清戦争以前から,尖閣諸島に対して清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認しつつ,同諸島を正式に日本の領土として沖縄県に編入するための準備を行っています。明治28年(1895年)の閣議決定を経て,日清戦争後においても,尖閣諸島を,割譲を受けた台湾総督府の管轄区域としてではなく,一貫して沖縄県の一部として扱っていました。

4.   こうした事実から明らかなとおり,日本は,日清戦争の前後を通じて,尖閣諸島が清国の領土であった台湾及びその付属諸島嶼の一部であったと考えたことはありません。したがって,講和条約による割譲の対象とすることもあり得なかったわけです。

Q7 中国政府は,日清戦争に際しての経緯等から,台湾の付属島嶼である「釣魚島」等は第2次大戦後,台湾とともに中国に返還されるべきものであり,中国政府は一貫して「釣魚島」等が日本の領土と認めていない旨主張していますが,日本政府はどのような見解を有していますか。

A7

1.   日本は,サンフランシスコ平和条約第2条(b)により,日本が日清戦争によって中国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島の領有権を放棄しましたが,尖閣諸島がここに言う「台湾及び澎湖諸島」に含まれないことは,尖閣諸島については,サンフランシスコ平和条約第3条に基づき,南西諸島の一部として米国が施政権を現実に行使してきたこと,及び昭和47年(1972年)の沖縄返還により日本が施政権の返還を受けた区域に同諸島が明示的に含まれていることからも明らかです。

2.    また,日本の領土たる尖閣諸島の領有権について,中国政府及び台湾当局が独自の主張を始めたのは,1970年代以降(参考)です。それ以前には,サンフランシスコ平和条約第3条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対しても,何ら異議を唱えていません。これらのことについて,中国政府は何ら明確な説明を行っていません。

【参考:中国政府及び台湾当局の主張の開始の背景】

 1968年秋,日本,台湾,韓国の専門家が中心となって国連アジア極東経済委員会(ECAFEUN Economic Commission for Asia and Pacific)の協力を得て行った学術調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性ありとの指摘がなされ,尖閣諸島に対し注目が集まった。