辛亥革命100周年、大震災乗り越え日中の「戦略的互恵関係」を推進しよう

                             長野県日中友好協会理事長 西堀正司

3月11日の東日本大震災はマグニチュード9.0という日本では最大級のものだ。さらに大津波と原発事故が追い討ちをかけた。2万人を超す死者と行方不明者を出す大惨事となった。翌12日には県北部地震が発生、栄村を襲った。県協会では義援金を呼びかけ、会員各位のご協力をいただき、栄村と東北三県へお贈りした。ご協力をいただいた皆様には心から感謝とお礼を申し上げたい。

さて、今年は辛亥革命100周年の節目の年だ。これを記念する行事が日中両国で展開される。孫文の指導した革命運動は、一九一一年、封建王朝を終わらせた。日中友好協会元理事長であった宮崎世民さんは孫文、廖承志(中日友好協会初代会長・父は孫文の盟友といわれた廖仲ト)と親しい関係を持っていた人であり宮崎滔天(とうてん)の甥であった。その宮崎世民さんから孫文や廖承志の話を聞かされ、中国の大きな変革の中心人物に興味を持った。孫文は南京の中山陵に眠る。中山陵も訪問したい場所だ。また東京の日比谷公園内の松本楼(レストラン)で大衆食を食べて孫文と宋慶齢女史の生活した記念の場所を観てほしい。孫文の革命は大きな成果を挙げた一方限界もあった。軍閥の袁世凱に権力を乗っ取られ革命は挫折。しかし、封建王朝を終わらせ中国再生へと向かう大きな流れを作ったといえよう。孫文に協力した日本の若者は大勢いた。宮崎滔天や頭山満などは考え方の違いを乗り越えて変革に一定の役割を果たした。一九二一年には中国共産党が成立し、一九四九年の中華人民共和国建国へとつながって行く。辛亥革命から新中国誕生まで、三十九年の歳月が流れ、この間日中間では戦争状態が続いた。

明年は日中国交正常化40周年の年。人事交流は年々発展し年間550万人、経済交流は往復貿易額3000億ドルなど過去最高を記録した。文化交流や地方対地方の交流、教育・医学・学術・スポーツ交流等々広い分野での両国の交流が行なわれウイン・ウイン(ともに勝つ)の相互補完の関係に役立っている。二〇〇八年の新日中共同声明(「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」)は両国の21世紀の行方を照らす大切な指針だ。

 両国間には困難もあるが、両国指導者と両国民が英知を傾け、長期的視点広い視野で困難を克服し相互信頼を回復していきたい。発展する中国やアジア地域との平和と友好関係の構築はアジアと世界の平和と繁栄にとっても極めて重要であることを認識して、世世代代子々孫々の友好というスローガンをもう一度確認したい。県民ぐるみ市町村ぐるみの運動を協会上げて取り組み、友好都市間交流、各界交流を支援していきたい。大震災を乗り越えて平和友好の一層の発展を民間の立場で強化していきましょう。


(「日本と中国」県内版72号 2011.8/15)