<年頭ごあいさつ>


歴史を回顧し日中相互理解・交流促進へ
 友好協会60周年記念集会に参加して

        長野県日中友好協会会長 井出 正一

 ご健勝にて新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。昨年のわが協会の諸事業に賜りましたご支援ご協力に心より感謝します。

 昨年()日中友好協会は創立六〇周年を迎え、一〇月一五日秋天の北京・人民大会堂で全国各地から参集した一二〇〇名の仲間と、宋健中日友好協会会長はじめ中国の友人一〇〇余名の皆さんともども祝賀の大集会が盛大に開催されました。長野県からは一七五名の参加者数を数えました。

 また大会直前に加藤紘一会長が体調を崩されてしまい、急遽私が代役を仰せつかる破目にあいなりました。九月以来難しい日中関係の状況下でしたので、挨拶の内容・表現には可成り神経を使いました。(『日本と中国』2011・5号に全容が掲載されています。)

 「政冷経熱」といわれた時代から「戦略的互恵関係の包括的推進」が唱われ、二〇〇八年六月にその象徴的柱ともいうべき東シナ海の排他的経済水域の線引き争いを、曽てケ小平副首相が提唱した「棚上げ」を再確認したガス田の共同開発の合意が、昨年九月の尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件によって、一気に崩壊の危機に晒されてしまいました。閣僚級交流の停止、中国政府が招待した日本青年の上海万博受け入れの突然の延期、日本向けレアアースの輸出停滞や、日本人四人の「軍事管理区域侵入」容疑での拘束など経済や観光、民間交流にまで影響が出始めました。

 年頭初以来決定していたとはいえ、そんな状況下での北京・人民大会堂での行事であります。正直のところ内心いささか不安でもありましたが、その心配は杞憂に終りました。宋健会長以下中日友好協会の皆さんは心からの歓迎と祝意と、今日までの私たちの活動に対して敬意と謝意を表してくれました。宋会長は「中日友好関係の発展は依然として任重く、道遠しであり、目標を達成するため引き続き努力していかなければなりません」と挨拶を結ばれました。まさに同感であります。「戦略的互恵関係」がまだまだ如何に脆いものであるか、それだけにその構築をより確かなものにしなければならないこと、そのためには両国のより一層の相互理解と国民感情の改善を図る民間の諸交流活動、とくに青少年交流が必要であることを痛感した大集会でありました。

 今年は辛亥革命一〇〇年の年であります。一〇年刻みに「年表」を追ってみますと、中国共産党の創立(一九二一年)、満州事変(三一年)、太平洋戦争の始まり(四一年)、サンフランシスコ「単独講和」会議(五一年)等々日中近現代史に看過できない年が連なっています。両国の相互理解を深めるには歴史を学ぶことも重要です。先輩の皆さんが一つ一つの石を積み上げてこられた石垣に、私たちもさらに積み重ねていこうではありませんか。     (2011.1.1)