<長野県の友好の歴史を引き継いで>

―日中友好協会創立60周年を迎えて―

 日中友好協会は今年10月創立60周年を迎えます。日中の相互関係が激しく変化しているとき、日中友好の原点とその歴史を振り返ることは有意義なことと思います。我が長野県もまた、日中戦争の反省の上に立って戦後の日中友好の祈りと決意があったことを、改めて想起したいものです。

 長野県は、戦争中、満蒙開拓団を全国一(12%)送り出し敗戦時、約半数1万5千人が無残な最期を遂げました。同時にまた日中戦争においては数多くの青年が徴兵され中国各地に送り出されました。特に河北省には松本50連隊が戦闘部隊として侵攻し、また島兵団の構成員として約3千人が駐屯しました。さらに戦争末期労働力が不足すると河北省を中心に2千百余人がダム建設工事のために長野県に強制連行され、うち240余人が悲惨な死を遂げました。

戦後、日中不再戦・平和友好の願いの下、多くの心ある人々が中国との負の関わりをプラスの関係に転換すべく満蒙開拓団として中国で亡くなった県出身者の慰霊や、戦時中に県内でなくなった中国人殉難烈士の遺骨を故国に帰す活動に取り組む中で県日中友好協会が誕生しました。初代会長は先頭に立ってこの慰霊事業に取り組んだ半田孝海・善光寺大勧進大僧正でした。

現在、県下には、28の地区協会と青年委員会と女性委員会があり、約2千名の会員がいて、日中友好にかかわる幅広い活動に取り組んでいます。県が河北省、長野市が石家荘市、須坂市が四平市、伊那市が北京通州区、松本市が廊坊市、上田市が寧波市などと提携しています。

 過去の取り組みで思い出深いのは、1998年の長野冬季オリンピックに中国各地から約2百人の友人を招待したこと、1998年に多くの県民の皆さんの積極的な協力を得て河北省の石家荘市や邯鄲市などへ希望小学校4校を贈ったこと、2000年以降日中緑化協力基金の助成を得て、河北省の平山県や易県で10年にわたる緑化協力事業に取り組んできたことなどです。

また1979年から中国滑雪協会派遣のスキー研修団約250名を受け入れ選手養成に協力しました。1983年からは中国にスキー用具を贈る運動に取り組み、すでに12万台以上のスキー板等が贈られ中国のスキーのレベルアップに貢献しています。日中スキー交流の基礎の上に、1998年長野オリンピック招致の際、中国が全面的に支持してくれたことは深く関係者の心の中に刻まれています。(財)日中友好会館の要請で毎年30人の中国留学生のホームステイを実施し外務大臣表彰を受けました。また県協会青年委員会や女性委員会は日中友好スキー交流会や日中友好キャンプを行っています。帰国者が4300人を数える中で、中国帰国者自立研修センターの運営を国と県から委託され20年間に500人余りを受け入れ教育指導しました。2007年には中国国際放送局と提携して「長野ラジオ孔子学堂」を設立し、中国語や中国文化の普及活動に成果をあげています。2008年春には北京オリンピック聖火リレーを静かにあたたかく迎えようと県民に呼びかけその成功に貢献しました。四川大地震義援金活動とともに忘れがたい取り組みでした。

13億の中国人民と1億2千万の日本国民が隣人として、平和・友好・共生の思いを持って付き合っていくことが、いかに、かけがえのない素晴らしことであるか、「戦争と平和」、「敵対と友好」の歴史を振り返り、これを若い世代に伝え友好活動に取り組んで行きたいと思います。


(2010.3.15 長野県日中友好協会事務局長・布施正幸)