大所高所からのご指導を
井出 正一 元厚相、(社)日中友好協会副会長、長野県日中友好協会会長

 「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」といいますが、この度の役員改選で多くの方々が退任されました。長い間のご苦労とご活躍に敬意と感謝の意を表します。また、平山郁夫会長と鈴木重郎副会長には、協会を代表して御礼を申し上げます。

「余人を以て代え難い」平山会長には、ご健康さえ許すならば、終身会長でいていただきたかったと思うのは私だけではないはずです。文化勲章を受章されたわが国を代表する画家でいらっしゃることは周知の通りですが、旺盛なご制作を続けられながら芸術の世界以外に、いや芸術を通して多くの分野でご活躍くださいました。
 1975年に初訪中、画題を仏教伝来、西域に求められ、日本にシルクロードブームを招来、敦煌の莫高窟の壁画をはじめ、文化遺産を守る活動の提唱者・指導者として身を挺してこられました。そんな関係もあり、92年から宇都宮徳馬会長の後を継ぎ、日中友好協会会長として8期16年間を務められました。国立大学改革の渦中にあった東京芸大の学長を兼務された時期もあり、2000年には協会の社団法人化も実現しました。また、国連ユネスコ親善大使もお引受けなさるなど、内助の功厚い奥様の支えもあってそれこそ超人的なご活躍は驚嘆のほかありません。去る5月の北京「平山郁夫展」は、いまになってみれば、ひとつの区切りをつけられたようにも思えます。

木重郎副会長は、54年の新中国建国5周年式典に日青協副会長として弱冠30歳で訪中されて以来、半世紀を超す間、日中友好活動に携わってこられました。まさに「井戸を掘った人」中の人であります。60年安保の前年、松村謙三先生訪中の際、古井喜実、竹山裕太郎両衆議院議員とともに私の父・井出一太郎も随行しましたが、その竹山先生の秘書を務められたこともあったとか。後年、静岡県知事になられた竹山先生と県会議員として連携、その後、県日中友好協会会長として静岡県と浙江省との友好提携に取り組まれ、現地に立派な友好会館も建設されています。静岡県日中は昨年、創立50周年を迎えましたが、鈴木先生は当協会では常務理事、副会長として10余年、日中友好運動の生き字引のご存在であられました。

ま、おふたりが退かれるのは、協会にとって大きな痛手ではありますが、ご健康のためゆえ致し方ありません。私たちは加藤紘一新会長を中心に力を合わせて参ります。
 両先生! ありがとうございました。これからも大所高所からのご指導をお願いし、ご自愛をお祈り申し上げます。

(「日本と中国」08.7/25号)