チベットについて思うこと
        元厚相、(社)日中友好協会副会長  井出 正一 



 年7月、1年前に開通した天空列車に魅せられ、長野県日中友好協会の仲間40人と北京からチベットのラサまで48時間の旅をした。標高4、5千メートルの凍土地帯の雄大な情景は生涯忘れられない。
 現地の大学で日本語を学んだというチベット族のガイドSさんがあいさつと自己紹介の後、「どうか政治の話はお尋ねにならないでください」と念を押すように訴えたのが、列車がチベットに入るか入らないかの地帯2、3カ所で軍用トラック数10台の駐屯隊を車窓から見かけたことと併せて気に懸かった。
 翌日、自治区政府の迎賓館で催された歓迎宴で、洛桑江村・政協会議副主席が「チベットは前世紀前半まで政教一致の農奴制の閉鎖社会だったが、50年来中央政府の指導のもとで自治区として豊かになる道を歩んできた。チベットの伝統を尊重しながら地球上で汚染されていない最後の地を守り発展させていきたい。日本の友人にチベットの様子を伝えてほしい」と、中国共産党の指導の成果を力説するのを聴きながら、私は多民族国家である中国が統一を維持するために抱える難しさ、大変さに思いを馳せざるをえなかった。

 四方自然の防塞といってもよい天険に守られてきた「鎖国」が、近代技術の発達の結果、帝政ロシアの浸透政策、イギリス=インド政庁の巻き返し、中国の宗主権の主張という三極によって打ち破られ、1949年に中華人民共和国が成立、チベットを中国の一部とみなし解放軍が進駐、51年、チベットはダライ・ラマ制の存続など自治権の承認の代わりに新中国による解放=軍の進駐、改革を受け入れるという「17条の協約」に同意したのである。

 8月の北京オリンピックを前に発生した“チベット暴動”は、鉄道開設など中国政府がチベット自治区に重点的に進めてきた投資開発が、必ずしも現地チベット族の経済発展、中央政府への信頼感の醸成に繋がっていないことの現れではなかろうか。
 中国が国際社会から“人権問題”で非難され信頼を失うのは、隣国の日本にとって見逃すことができないし、日中友好を願うわれわれにとっても極めて残念かつ遺憾なことである。
 ダライ・ラマ側は「独立は求めない」と明言している。事態収拾に向けて歩み寄れるはずだ。改革・開放政策を進めて30年、真の改革・開放は透明性が伴わなくてはならない。中国当局は信頼できる情報をもっと提供してほしい。
 来る4月26日には、10年前、冬季オリンピックが開催されたわが長野市を聖火が走る。

                                      (「日本と中国」08.4.24号)