さようなら、長野県中国帰国者自立研修センター
井出 正一 元厚相、(社)日中友好協会副会長

国残留邦人への「新支援法」が施行されようとするなか、長野県中国帰国者自立研修センターは、老後のサポート、2・3世への支援などの課題を残したまま、ここ数年中国からの帰国者がないとの理由で、「その使命を終えた」として今月末開所20年を目前に閉鎖される。新法は、“満蒙開拓”という国策によって生じた彼らの「特別の苦難」に対して「特別の措置」を講じる必要性を国に求め、国のこれまでの対応は十分ではなかったと指摘している。その通りだと思う。94年に「中国残留邦人帰国促進・自立支援法」が施行された。それに伴って国民年金法の「特別措置」により、日本に帰国して25年経っていない孤児らも国民年金を受ける資格を持てるように、中国での在住期間は「免除期間」とし、保険料の国庫負担分3分の1に相当する受給額を加入期間に関わらず受け取れるように改正した村山内閣の厚生大臣だった私も、当時はそれが精一杯ではあったが、決して十分とは思っていなかった。

んななか、当センターは開設以来、立派にその任務を果たし、多くの帰国者及び家族に感謝されてきた。全国20カ所に設けられたセンターが国、県、法人格の団体への委任事業であるなか、長野県は唯一任意団体である県日中がその運営を引き受けた。満蒙開拓に全国で最多の人たちを送り出したという歴史的事実があるにせよ、特筆に値する事例といえる。長野県日中友好協会編『紅の架け橋(2)』によれば、自立研修センター構想が打ち出された87年11月協会は知事に対し、「中国帰国者自立援護対策に関する要望書」を提出、知事もその実現を約束したが、帰国者の定住希望地が大都市に集中しているため、長野県は対象外になりそうなので厚生省に陳情してほしいとの要請が社会部長からあった。そこで部長ともども花岡堅而会長(前日本医師会会長)以下協会幹部が厚生省へ押しかけ、当県の官民挙げての熱意が実現にこぎつけたと記されている。改めてボランティアを含め歴代の関係者の皆さんの献身的なご苦労に感謝の意を表したい。

年秋の「日本語弁論大会」、暮の「交流会」で、帰国者やその家族が懸命に頑張っている姿や、それを支援する方々の心優しい活動に接することは、私たちにとっても忘れ難い思い出だ。センターとしての活動が幕を閉じるのは残念かつ淋しいが、協会としての支援活動はこれで終るわけではないし、終ってはならない。県や国へ働きかけながら、これからも出来る限りの応援をしていこうと考えている。

「日本と中国」(2008.2.5号)