矢吹晋氏招き、国交正常化35周年記念講演と祝賀のつどい(9/30)

 長野県日中友好協会と県日中学術交流委員会・県日中経済交流促進協議会は9月30日、長野ホテル犀北館において、日中国交正常化35周年記念講演と祝賀のつどいを開きました。170名の会員、各界来賓らが出席して、日中国交正常化35周年にあたり、日中関係の課題と中国の行方等について、矢吹晋・横浜市立大学名誉教授の記念講演や講師を囲んでのパネルディスカッションを聞きながらともに考えました。また祝賀パーティーが日中関係の好転が期待される中、和やかに開催されました。

 第1部の記念講演では、内藤武男・県日中経済交流促進協議会会長の開会あいさつに続いて、井出正一会長が主催者を代表してあいさつし、日中国交正常化35周年にあたり、昨年の安部首相の訪中・温家宝首相の訪日そしてこのたびの福田内閣の誕生によって日中関係が、戦略的互恵関係を確認して明るい雰囲気の中で迎えられることに喜びの意を表しました。また、8月北京での卓球交歓大会や11月の中国高校生100名の受け入れ、長野孔子学堂の開設、帰国者支援活動の成果、飯田の「満蒙開拓平和記念館」建設の取り組み等を紹介し、今後とも有利な状況をいかして日中両国国民の相互信頼関係を回復するために努力していきたいと述べました。
 記念講演では、矢吹先生が「中国の現況と日中関係の今後」と題して講演しました。
 冒頭、福田政権誕生に対し、ケ小平来日時首相補佐官であった福田康夫氏の対中関係を前進させようとする意欲が大きいことを紹介し、安倍訪中と温家宝訪日で改善されたとはいえまだ溝が残っていた状況が改められていくことに期待すると述べました。
 続いて、35年前の田中訪中を回顧し、特に「ご迷惑をおかけした」とのあいさつのなかに、その後の日中間の誤解の種が蒔かれたことを詳しく紹介しました。−田中首相は「ご迷惑をおかけした」という言葉を日本人として強い反省の気持ちをこめて発言したが、中国語の「迷惑」の意味は極めて軽く周恩来総理から抗議を受けた。田中氏はこの際、日本ではこの言葉はきわめて重いものであることを強調し、最終的に中国側も同意した。(毛主席も会見の中でご迷惑の解釈は田中首相のほうがうまいそうですねといって「迷惑」の用例が載っている『楚辞集註』を贈った。ちなみにこのときの日本からの贈り物は東山魁夷画伯の「春暁」だった)、しかしこのことが日本側外交記録の中に抜け落ちており、周総理の抗議に対し「大筋において周総理の話はよく理解できる」との表現だけになってしまっている。このことが日中戦争に対する謝罪が不十分と言われ続けるきっかけともなっている。
 また、1978年の平和友好条約批准書の交換に際してのケ小平訪日は改革開放の路線の必要性をPRし先進日本のイメージを大きく転換する契機となった非常に大事なものだった。また、天皇との会見も行われた。天皇のほうから心情を語り、ケ小平は天皇に対して好印象を持ったといわれる。「両国には長い友好的な歴史があり、一時は不幸な出来事がありましたが、すでに過ぎ去りました」との発言にケ小平も「われわれもこの条約は深遠な意義を持っていると考えています。過去の出来事は、すでに過ぎ去りました。今後われわれは前向きの態度で両国の平和な関係を樹立しなければなりません」と応じている。この会見について宮内庁は、順序を逆にして発表し日本の新聞社もそのように報じた。また、6年後の入江日記に「長い間ご迷惑をかけました」と述べられたとの記述があるが、これは誤記である。一方、発言の順序を逆にすると、天皇の言葉の重みは減じてしまう。歴史的重要な場面でのやり取りは正確に伝えられていかなければならないということを、その後の両国関係の行き違い・誤解をみるにつけ痛感している。
 先生は続いて、10月15日から始まる17回党大会について最新情報の分析を交えわかりやすく解説されました。−胡錦濤体制が2期目に入り政治局常務委員メンバーも大きく入れ替わり自前の体制ができていくことになるが、新たに選出されるメンバーも人材の宝庫である共青団系統はじめ背後にそれぞれの利益グループが存在している。年齢制限やこの間の大臣ポストの順次入れ替えなどによって体制固めが図られてきている。胡錦濤指導部のキーワードである「和諧社会」(調和の取れた社会)の言葉は、一昨年の党中央委員会コミュニケでは6回だったのが昨年は54回となっており、胡錦濤氏の指導力が増していることをあらわしている。経済発展を持続させる上で、開発独裁型は効率は良いが腐敗も生じやすい。親民政治を標榜している中で、政治改革の課題もあり舵取りは大変だ。中国社会の矛盾は大きいが高度経済成長は長続きするだろう。
 続いて先生を囲んでのパネルディスカッションが行われました。信州大学学長の小宮山淳・県日中学術交流委員会会長をコーディネーターに、パネラーとして岡村重信・県経営者協会事務局長、相沢孝夫・相沢病院院長(松本日中会長)、西堀正司・県日中友好協会理事長が登壇して活発な議論を展開しました。岡村氏は県内企業が390件あまり中国に進出している現状を紹介し、経済発展の中で人件費や土地代の高騰、税の優遇の打ち切り、元高等の問題が表れており、また安全性についても問題が顕在化してきていることを指摘しました。相沢氏は看護研修生の受け入れなどを通じて、日中の考え方の違いを実感することがあるが話し合っていく中で分かり合える、あいまいな内容は誤解の元になるなどと述べました。西堀氏は、「日中友好は最大の安全保障」との宇都宮徳馬先生の言葉を紹介しながら、経済と文化は車の両輪であり、相互理尊重・相互理解そして相互利益の実現を図ることが重要だと述べました。
 これに対し矢吹氏は投資環境はこのところ経済発展につれて変化してきており、労働契約法に見られるように、今まで外資に有利だったのが労働者保護策に転換してきている。自社企業の特性を良くみて対応を考えていく必要がある。またきちんとした労働契約を弁護士を頼んで結ぶことが必要だ。元高基調は変わらないので輸出に頼っている企業には厳しいが、中国国内市場向けには有利だ。安全性の問題では農民の意識の問題があるが、間に入っている日本の商社がチェックしていくことで防げるのではないか。温家宝首相は社会問題を報道で取り上げるよう指示したが偽肉まん事件などが起きたりして曲折がある。報道の自由の問題もある。
 また、会場からも友好の原点について、心を通わせることの難しさが提起されましたが、パネラーからは、実際交流を持って相互理解を深める、思いと気持ちは言葉にしなければならない、光化学スモッグや黄砂など環境保全の分野での協力を大いに進めていくべきだ、などの意見が出されました。
 最後に矢吹氏は、長野県は満州開拓団などの歴史を踏まえ、腰をすえて日中友好を実践してこられた。今後も活躍に期待している。日中両国は相互依存関係にあるにもかかわらず、過去数年は「中国嫌い」と「日本嫌い」が表に出てきて空中戦をやっていた。こうした状況は終わるだろう。お互いに率直に意見を言い、誤解や間違いは早く直して付合って行きたいと述べました。矢吹先生はじめ、パネラーの皆さんに、会場から大きな拍手が送られ第2部が終了しました。
 第3部祝賀パーティーでは、宮本経祥・信濃教育会会長が開会を宣言、井出会長のあいさつに引き続き服部宏昭・県議会議長と近藤光・連合長野会長から祝辞をいただきました。倉田竜彦・県日中友好促進議員連盟会長の音頭で乾杯、会場は日ごろの活動の交流などが行われ盛り上がりました。小坂憲次・羽田孜代議士秘書、若林正俊・羽田雄一郎参議院議員秘書、村石正郎・今井正子県議から激励のスピーチをいただきました。女性委員会メンバーの合唱や、北島良一氏の堂に入った田中角栄節には満場の拍手でした。湯原康夫・県信用保証協会会長の音頭で日中友好万歳を高らかに三唱して会は終了しました。