再認識される竹内好氏

 とし3月3日は、竹内好氏が食道ガンのため逝去されてちょうど30年になる。
 60年安保世代の私にとって、岸内閣による衆議院での新安保条約強行採決に抗議して、「議会主義が失われた」と東京都立大学教授を辞職された氏の行動は、氏が同郷(長野県臼田町=現・佐久市臼田)であられただけに強烈な衝撃を受けた。
 1943年応召直前に、「遺書」とも思って『魯迅』を世に問うた竹内氏は、一兵卒として湖南省岳州(現・岳陽)で敗戦に遭遇する。「よろこびと、悲しみと、怒りと、失望のまざりあった気持ち」で迎えた8・15は「私にとって、屈辱の事件」だったと回想する(全集第13巻77頁)氏の思想は、日本が軍国主義から民主主義へ変わった“解放の日”と考えた一般国民や多くの「進歩的文化人」と異なる独自性―それは私には難解極まるものであったが何故か魅力も感じられた―を持っていた。

 竹内氏の新安保条約反対論は、日中国交回復の妨げになるという理由のほかに、独立した日本が自らの判断で結ぶ条約が、アメリカに追随して中国を敵視する、日本という独立国の主体性のあり方=「民族の名誉」にかかわる問題の提起であった。
 過去に中国を侵略し、その償いもまだ果していない「日本人の道徳責任」を追求する竹内氏は、日本人自身による日本の変革が伴わないまま、中ソ関係の険悪化、米中接近などを背景に、政財界主導で進む日中国交回復の動きに絶望されたのか、その後マスコミに登場することもなく重い「沈黙」の傍ら『魯迅文集』の翻訳に専念され、67歳の生涯を閉じられた。あれほど愛着とともに評価していた、抵抗を通して近代化せんとする中国の土を、戦後一度も踏もうとしなかった竹内氏の真意・心境はどこにあったのだろうか。

 「自分を被害者と規定し、(戦争を)自己の責任外の出来事とし」、アジアへの膨張、侵略の記憶を忘れることで成り立った戦後社会の底の浅さを憂慮、批判した竹内氏の言動は、時には民族主義者、ファシストとの誤解、非難を受けたこともあったが、近年、国内だけでなくドイツや中国でもシンポジウムが開かれたり、著作が翻訳されているという。『竹内好という問い』(岩波書店)の著者孫歌氏は、竹内氏が向き合った「非西欧地域にとっての近代化とは何か」という問題が、米国による「イラクの民主化」によって再び歴史の前面に押し出されたと見ている(「朝日」06・3・24)。私も書架に収まったままの竹内氏の著作を、改めて取り出してみようと考えている。
  (「日本と中国」3/5)