34年目の9月29日に思う

れにしても日中が国交を回復して34年も経つのに、歴史問題がいまだ両国間で問題になるのは何故だろうか。
 日本が戦後、戦争責任の総括を曖昧にしてきたことは、最近の「靖国問題」や「極東裁判」をめぐる国内議論からも明らかだ。一方、中国は「中日両国人民の友好のために」との論理で「共同声明」で賠償請求を放棄したが、その際何故日本の侵略で蒙った具体的被害=歴史的事実を明確にし、日本にも認めさせる交渉(それは日本にとって厳しい作業になるはずだった)をしなかったのか。あまりに寛大であったが故に、多くの日本人はすべてを「水に流せた」と思ってしまったのではないか。

の点に関して、加々美光行愛知大教授は、「“対ソ核戦争”で中国は米・日に譲歩」せざるをえなかったと、当時の日本を含めた国際状況、中国の国内事業、交渉当事者であった周恩来首相の言動を分析されている(『週間金曜日』9・22号)。ソ連との深刻な対立、「文化大革命」の混乱、米中接近をめぐる林彪との対決、「四人組」との綱渡り的対応に加えて、自身の健康問題を抱える周首相は、米中関係を後戻りできなくするためにも、日本との早期国交正常化を図る必要があった。したがって長い時間を費やせず、本来ならばありえなかった歴史認識問題の棚上げを余儀なくされた。
 80年代半ばにソ連による核の脅威が解消すると、棚上げの制約がなくなり、中国は歴史認識にこだわるようになる。それは「72年時点で日中両国が本来解決しておくべきだった原点の問題に戻った」わけで、「日本がみずから解決すべき問題を残したまま国交を正常化し、形式的にのみ戦争状態を終結させた点を自覚せねばならない」と加々美氏は結んでいる。
(2006.10.15「日本と中国」フォーカスより)