最澄帰朝1200年記念訪中団、友好を深めて帰国
長野県日中友好協会は9月に(社)日中友好協会全国本部と協力して戦後60周年世界平和と友好記念行事−最澄帰朝1200年記念訪中団を派遣しました。井出正一会長を団長に21名が、9/24から9/28、紹興・天台山・杭州を訪問し、記念事業に参加するとともに、友人との交流を深めました。
記念式典は9月26日午前、最澄伝教大師が1200年前修行した天台山国清寺の大雄宝殿前の広場において開催されました。日本からは、協会本部・長野代表団はじめ比叡山延暦寺の代表団、静岡、福井、関西の協会代表団など140人あまりの代表が参加し、中国側からは、浙江省人民対外友好協会の梁平波会長、沈祖倫前会長、陸国景専職副会長、可明国清寺住持、胡台州市副市長、周学鋒天台県党書記及び国清寺僧侶と信徒ら150名が参加し厳粛に行われました。
梁会長、天台宗総部代表団団長で滋賀県日中友好協会会長の小林隆彰大僧正、国清寺住持の可明大和尚があいさつに立ち、1200年前の最澄の業績をしのびながら、日中友好を発展させていく決意を語りました。両国僧侶の読経法要をもって記念式典は終了しました。日本からの一行は広い境内を案内いただき、隋代に起源をもつこの由緒あるお寺を参観しました。大雄宝殿の裏に立てられた祖師碑亭には開祖智 大師と最澄が学んだ道遂大師とともに最澄伝教大師の業績を記した碑が並んでいます。3:30に起きて早朝の勤行に参加した皆さんもおりました。
一行はその後赤城賓館に移動して、祝賀歓迎宴会に臨みました。席上、日中友好に積極的な貢献をされている、浙江省人民対外友好協会の沈祖倫前会長が、式典の成功を祝してあいさつし、続いて、わが井出正一団長が日本側を代表してあいさつしました。(あいさつ全文は下記参照)席上、日中友好協会の鈴木重郎副会長から沈祖倫前会長に平山郁夫会長名の感謝状が贈られました。民族楽器の調べに乗ってさまざまな出し物が披露される中、日中双方の和やかな交流が進みました。
訪中団はこの記念行事参加のほか、紹興と杭州を訪問しました。紹興では文豪魯迅の旧居や記念館を参観し、ありし日の魯迅の業績をしのびました。、また著名な書家王羲之ゆかりの蘭亭や本場の紹興酒の蔵元を訪れ、紹興の魅力を満喫しました。杭州は風光明媚な緑の街で西湖や霊隠寺、岳飛廟など思い出多きところでした。最後の晩は、浙江省友好協会の陸国景副会長が心のこもった晩餐会を催してくれました。長野県の歌でもある「北国の春」をともに歌った感動は団員の胸にしっかりと刻まれています。
(写真上から)
*紹興のクリーク、*魯迅記念館
*王羲之ゆかりの蘭亭、*天台山の国清寺未明の勤行
*最澄帰朝1200年記念式典、*長野から参加したメンバー
*歓迎宴会であいさつする井出正一団長
最澄帰朝1200年記念祝賀会でのあいさつ
(社)日中友好協会副会長
長野県日中友好協会会長
井 出 正 一
我是日本中国友好協会副会長、長野県日中友好協会会長的井出正一。
40幾年以前、大学生的時候、我学習中文少一点、那時候日本和中国還没到国交正常化。可是我確信将来中国成為対日本最重要国家之一。以後我没有説和聴中国話的機会、大概都忘了、所以講日本話。(私は日中友好協会副会長、長野県日中友好協会会長の井出正一と申します。40数年前大学生のころ、中国語を少し勉強しましたが当時は日本と中国は国交正常化しておりませんでした。ただし私は将来中国が日本にとってもっとも重要な国の一つになるものと確信しておりました。以後私は中国語を話したり聞いたりする機会がなくほとんど忘れてしまいましたので日本語であいさついたします。)
最澄伝教大師が御地天台山で修行を終え、日本へ帰国して1200年になります。その記念式典に続いて尊敬する浙江省人民対外友好協会前会長・沈祖倫先生はじめ友好人士の皆様ご参席のもと盛大な祝宴を開催していただきましたことに対して日本天台宗代表団、日中友好協会および各友好団体を代表して感謝を申し上げますとともに、一言ごあいさつを申し上げます。
名古屋での「地球博」における中国館の展示後、この間まで東京上野の国立博物館で、昨年の秋西安で発見された日本人留学生井真成の墓誌を中心とした「遣唐使と唐の美術展」が開催されました。私たち日中友好協会も主催団体の一つでした。大変多くの日本国民が当時の中国皇帝の手厚い配慮に感銘し、日中友好の歴史の長さを改めて認識しました。
隋から唐にかけて数百年の間、日本からは先進国の中国に多勢の留学生が苦難を乗り越えて、さまざまな分野にわたって教えを乞いに海を渡りましたし、中国からも鑑真和上はじめ多くの人たちが訪日、日本の文化の向上に力を注いでくれました。
最澄伝教大師は帰国後、比叡山に延暦寺を開き、天台宗は日本仏教の元締めとしての役割を担っています。また最高幹部であられる小林隆彰老師は滋賀県日中友好協会の会長であり、半田孝淳老師は長野県日中友好協会の最高顧問であられまして、日中友好活動にも積極的に取り組んでくださっております。
一昨日私たちは紹興で文豪魯迅先生の旧居を参観しました。昨日は魯迅先生の124年目の誕生日でもありました。清朝末期から民国初頭にかけて、中国の近代化を目指して一万余の青年が、欧米列強の植民地支配から免れた日本に学ぼうと留学しました。魯迅先生もその一人でありました。
欧米諸国との不平等条約の改正に苦しんだ日本は中国の理解者となるべきでした。すでに時代の潮流は「民族自決」「国民国家の形成」になっていたにもかかわらず、まだ植民地支配抗争の時代が続くと読み違えたわが国は欧米列強陣営の一員たらんとしました。
「遅れてきた帝国主義国家」の末路は、ご承知の通り、自国民のみならず中国をはじめとするアジアの多くの国の人たちに筆舌に尽くしがたい苦痛を与えることになってしまいました。私たちは、この反省の上に立って新しい近隣諸国との友好関係を構築しなくてはなりません。
今年は戦後60年という節目の年です。現在日中韓の人的往来は年間400万人を超え、留学生の数も両国で10万人に達しようとしています。貿易額も1700億米ドルと、いまや日中双方ともお互いに相手なくしては存在できない関係となりました。
政治的にはいくつかの解決しなくてはならないギクシャクとした状況にありますが、最澄大師のころには考えられもしなっかった発展であり、必ずや良い友好の道が拓けるものと信じています。
その意味でも民間の私たちの交流は一層重要となっております。そして友好促進のためには相互理解が何よりも必要であり前提だと思います。
今日この感激を、帰国してから今後の日中友好活動にいかしていこうと決意を新たにしておりますことを申し上げ、ご関係の地域とご参会の皆様のご発展をお祈りしてごあいさつといたします。ありがとうございました。