04年長野県日中友好協会の日中友好新春座談会

 長野県日中友好協会では例年、会員が新年の抱負を語り合う日中友好新春座談会を開催しています。1月26日長野市のサンパルテ山王に於いて開催され県内27地区協会代表ら135名が出席し、友好の抱負を語り合いました。会は西堀理事長の司会で進められました。冒頭、昨年逝去された片桐匡副会長(県スキー連盟名誉会長)・長谷川竹雄元会計理事・鈴木哲男中条村日中会長・横山基夫前松本日中事務局長のご冥福を祈って全員で黙祷しました。
 はじめに井出会長が、「昨年は、靖国・SARS・台湾問題などが次々と起こったが、県協会としてSARS支援募金に取り組むとともに河北省との友好提携20周年事業を成功させるべく努め、友好の翼派遣や河北省から選手団を招いて、中学生卓球交流大会を実施するなど成果を上げることができた。日中友好の翼には100名が参加し、省党書記や省長との会見・式典への参加、平山県での緑化協力記念植樹、北京の人民大会堂での王兆国氏との会見など有意義な交流ができた。緑化協力は日中緑化交流基金から特別4期目の助成を認められたもので、2000年以来続いている。緑化の主体は中国の人々であり、我々の協力は補助的なものだが、緑化の熱意が現地に根づきつつあることはうれしい。本年の元旦に小泉総理は4度目の靖国参拝をし、日中関係にとって困難な状態が続いているが、こういうときこそ民間の運動が大事だ。力を合わせ、楽しく有意義な友好を進めていきたい。本日は日頃考えている課題・抱負や各地区の取り組みなど発表願い有意義な座談会になるようにしていただきたい」とあいさつしました。
 続いて布施事務局長から「2004年の年間交流計画について」報告が行われました。
 −−2003年の河北省との20周年の取り組み成果を踏まえて、新中国建国55周年記念事業や河北省との友好20周年後半の記念事業に取り組んでいきたい。記念シンポジウムの開催や河北省代表団を迎えての祝賀歓迎行事への協力、日中合作人形劇「三国志」県内公演、青年・女性・壮年世代の入会を働きかけ後継世代の育成、東北地区との交流促進、帰国者援護施策の充実と支援交流活動の取り組みなどに力を入れる、等々です。

@続いて、2004年の日中友好の抱負をそれぞれの立場から発表していただきました。

(司会)まず日中関係の現状と課題を語り合っていただきたい。
昨年の日中貿易は往復1335億ドル(対前年度比31%増)と史上最高を記録した。一方において日中関係にはいろいろな問題も発生している。こうした現状をどう見ていくか。
(長野・山根)1000億ドルを越す貿易取引は大変強い経済の相互依存関係にあると言ってよい。将来的には対アメリカを越すことになろう。経済の結びつきといういわゆる下部構造は前進したが、政治的には問題が多い状況だ。世代交代が進み、日中戦争に対する反省が薄れ、右傾化思潮が進んできていることが背景にある。この風潮に流されることなく新しい東アジアと世界の平和のために日中友好に努める必要があると思う。中国の発展は著しいが、7〜8割を占める農村の立ち遅れの状況を見過ごしてはならない。これらの地域に対する関心を持ち続け、緑化や教育などの支援を続けていきたいと思う。井出会長を先頭に、逆風に打ち勝って進んで参りたい。
(青年委員会・寺沢)昨年まで日中全国青年委員長を務めさせていただき、この間のご支援に感謝したい。昨年8月北京で開かれた日中友好交流会議に参加した。中国が急速に変わりつつある状況を目にした。伝統的な胡同(プートン)も姿を消し近代的なビルがどんどん建ち変貌している。一方一昨年旧開拓団跡地を親子孫3代で訪ねた際、昔の家がそのまま使われていた。大変なギャップがある。ある中国のジャーナリストと懇談する機会があったが、中国国内においても、経済だけで良いのか、拝金主義だけで良いのかという意見もあるという。先輩の皆さんが平和と友好の為になされた貴い努力に学び、歴史認識の必要性をアピールし、帰国者支援活動などで培った友好をどう次世代に伝えていくのか今非常に大切な時を迎えている。今、若者は大きく2つに分かれていると思う。1つは大多数の無関心派。2つは安易な右傾化。安易に右翼的なマンガ家などの影響を受ける風潮がある。日中友好は良き日本人を育てる活動とも一体のものであると思う。井出会長を団長とした日本青年代表団の秘書長として訪中したとき中国青年と交流したが、中国の青年たちは、自分たちの郷土を誇りに思い堂々と紹介していた。日本の若者は郷土のことをほとんど知らない状況だった。日本の良き伝統や地域の素晴らしさを学び、相手の国の素晴らしさも理解するということが大切と思う。日中間においてはかつての負の遺産をいかにしてプラスに変えていくかがひき続き重要と思う。
(司会)長野県から250社以上が、全国では2万5千社が中国に進出している。経済的には日中両国は強固な相互依存関係にあるといえる。そうしたなかで、いかに友好を担う後継者を育てていくかが課題となっている。
(女性委員会・清水)女性委員会は女性の友好の輪を広げるために、地区女性委員会の設立に力を入れ、また青年委員会と協力して友好キャンプやスキー交流会に取り組んできた。来る2月8日には日中友好新春女性のつどいを予定している。中国大使館の毛亜平大使夫人(参事官)の講演も予定しているので、多数ご参加願いたい。 
(中条・堀内)かつて農業研修生を受け入れたが、現在も家族ぐるみ、子供たちとの交流も続いている。また留学生ホームステイで受け入れた留学生との交流も有意義だと思う。
(飯田・小林)戦後生まれが1億人を数える時代となった。飯田日中の会長も戦後生まれだ。飯田日中の青年委員会メンバーは風越高校の国際交流課程の生徒たちと中国から来た花嫁さんも交えて懇談会を持ち関心を高める事ができた。中国の子供たちに文房具を贈る取り組みが生徒たちから出され、更にPTAに輪が広がり青年委員会の代表が学校で講演するという状況が生まれた。若い世代に関心を持ってもらう良いきっかけとなったと思う。
(信教・牛越)若者についての話が出ているが、世の文明が期待する人間像と逆の方向に進んでいるのではないかとの思いもする。PTAと文部科学省の間に立って学校教師も悩んでいる。指導を強化しようとすると登校拒否となってしまう。学校教師だけでなく家庭と地域も一体となって解決していく以外に無いだろうと思う。考え方の多様化が進み、一方に福祉ボランティアにとりくむ若者がいると思えば、他方にビルの上から子供を突き落とす子もいる。どうしたらよいか、妙案は無いが、体験交流をしなければならない。かつて行われていた青年の船は大変良かったと思う。これが無くなったことは残念だ。信濃教育会として関係団体と共に県教育者訪中団を継続して派遣しているが、東北地区を訪問する際には残留孤児を育ててくれた養父母との懇談がおこなわれ、若い教師も体験を通じて感激している。地域との関わりを深め交流することが大切だと思う。学校にも折りにふれ呼びかけていただきたい。開拓団関係者の皆さんはじめ貴重な体験をされた方々が、生きた言葉で語っていただくことが大切だと思う。    
(司会)地区の友好活動について
(岡谷・海沼)岡谷日中は1989年に青年の船の関係者の若い世代が中心になってスタートした。友情を深め平和のためにという目標を掲げてやって来て、早15年を経過した。岡谷市は6万人弱の市だが企業18社が中国に進出している。今まで協会との関わりはあまり無かったが、中国大使館の邱国洪公使参事官におこしいただき昨年5月に中国進出企業懇談会を開催して友好協会の中に経済部会を立ち上げた。11月には大使館(大阪領事館)に邱総領事を訪ね交流を深めた。この2月には再び邱先生を招いて「今後の中国経済の行方」と題して新年懇談会を予定している。地域の皆さんへのアピール活動にも取り組んでいる。
(臼田・中沢)1月25日に「春節をともに祝う会」を120名の参加で実施した。臼田日中では日頃、帰国者や花嫁さんを対象にして日本語教室を行っているが、当日は彼らがお世話になったお礼にと手作りの中華料理を準備してくれ懇談も大いに盛り上がった。
(千曲・宮坂)中国留学生のホームステイを引き受けて、交流し大変良い思い出になった。後継者づくりにも役立てようと、市内の国際交流を学んでいる学校に留学生を案内して2時間ほど交流した。双方とも喜んでくれた。早急には後継者はできないが、いろんな機会を活かして取り組んでいくことが大切だと思う。
(青年委員会・田近)青年委員会に改変されてから10年あまりが経過したが、この間青年の船のメンバーが中核を担ってきた。船が無くなり困難も有るが、飯田ではPTAのメンバー、長野では中国語を学んでいるメンバーに、またキャンプやスキーの参加者を誘って青年委員会への参加を働きかけている。現在長野・松本・飯田・上田・諏訪に地区青年委員会があり、須坂・中野・飯山などにもメンバーがいる。私が松本日中に入ったとき青年会員は一人だったが、船や青年会議所のメンバーに働きかけ松本にも青年委員会を作った。最初は一人でも核になる若い人がいればできると思う。是非、各地区に青年委員会を作っていただきたい。今年も2月21・22日に中国留学生や帰国者、中国大使館の皆さんを招いて信濃町の黒姫スキー場で日中友好スキー交流会が開催されるので、大勢参加していただきたい。
(長野中国語・大塚)長野中国語を学ぶ会は1974年にスタートしたので今年で創立30周年を迎える。現在毎週木・金曜日入門・初級・中級・上級の7クラスに分かれて130名が中国語を学んでいる。中国語弁論大会や中国語夏期スクーリング、留学生ホームステイや帰国者との交流など多彩な活動をおこなっている。講師には、中国留学生もおり有意義に交流できる。2年に1度は訪中することにしており、すでに8回訪中団を派遣している。昨年は、県日中友好の翼に参加し有意義な体験ができた。
(飯田・田中)中国帰国者一世の高齢化に伴い様々な困難が生じており、残留孤児の国家賠償請求訴訟もおこされているが、飯田日中は、飯田下伊那地区に70名ほどの一世世帯がおるので昨年5〜7月その実態調査を行った。国民年金は2万円ほどしかもらえない人もおり生活保護に頼る以外にない状況の人もいた。総じて、大変困難な老後を送っている実態が明らかとなった。早速、地域の各自治体・議会に年金を充実するよう国に働きかけていただくよう要望・請願した。県協会にも要請し、10月には県議会で請願書が採択されたし、12月には喬木村を訪れた田中知事に協会と帰国者連絡会の代表が懇談の中で帰国者の実態を訴え、援護施策の充実を要請した。その後1月には8100万円の支援金予算要求も発表されたので、関係者一同喜んでいる。是非議会でも承認してほしい。協会は長い年月がかかり、なおかつ見通しの立たない訴訟の道ではなく、このように、当面する支援策の充実および年金の満額給付実現に向けて力を入れていきたい。後継者の育成については、70歳前後が主力の現状を踏まえ、青年世代の育成・活動支援に力を入れている。前会長が先頭に立って青年委員会を作っていただいたので、我々もそれを受け継いで頑張っていきたい。
(豊科・有賀)2001年ウランホトを訪れたとき、小学校を訪問した。日本語を勉強したいという要望を聞き大変うれしかった。有志が出資してこの願いを応援した。子供のときから日中友好に関心を持ち子供同士の交流を進める委員会を作って交流を進めていきたいと考えている。また役員一人が一人の新会員を目標に会員拡大を進めていく事を決めた。
(上田・荒井)上田は寧波市と友好交流都市で毎年いろいろな交流を行っている。書道の交流もその一つで、毎年寧波市の小中学生の書道展が行われている。50点程の作品を創造館で展示したのち市内の各学校で巡回展を行い、多くの子供たちに見てもらっている。  
(中野・滝沢)中野日中は訪中団派遣などの取り組みのほか、瀋陽体育学院との交流を進めている。昨年は同学院から山梨学院に留学中の10名を中野市に招いてマレットゴルフ大会などの交流を行った。また同学院がスキー場を作ったので1000台のスキーと200足の靴を贈呈するなど交流を深めている。
(自興会・日暮)長野県は東北地区にかつて105団の開拓団を送り出した歴史がある。県協会としても積極的に訪中団を派遣するなど交流を深めてほしい。
(伊南・北沢)昨年10月に伊南訪中団を組織して北京と東北を訪問した。目的の一つに開拓団犠牲者の慰霊があり、ハルピン市郊外の新香坊の旧難民収容所の跡地を訪ねお参りしてきた。未だに現地は少し土をかくとお骨が出てくる状況で胸が締めつけられる思いでお参りした。戦後まもなく60年になろうとしているが、是非このまま放置せず、きちんとした処置ができるよう努力したい。伊南には9つの一世世帯を中心に280人程の帰国者が生活している。一世の高齢化が進むなかで、葬儀への協力、墓地問題の解決これも2004年のテーマとして腰を据えて取り組んでいきたい。
(大北・北沢)日中友好協会は民間交流の先駆者だと考えている。個人レベルでもいろいろな交流ができると思う。中国紹介の月刊誌「人民中国」の窓という読者の投書欄があり、私の投書が載ったことがある。張テツ記者が取材にきてくれて以後交流を続けていた。地域の老人クラブの名前に孔子の「詩経」の中にある詩句からとって南山会と名付けた。南山について「人民中国」で特集してほしいとお願いしたら素晴らしい特集を組んでくれた。老人クラブの仲間は大いに感激し、張記者を招き、楽しく交流した。更に、その様子を「北アルプスの南山会」という記事で紹介してくれた。90円(航空便)でできる素晴らしい交流もあるということを皆さんに知っていただきたかった。
(自興会・永原)開拓自興会はハルピン市郊外の方正県の日本人公墓近くに1995年「平和友好碑」を建立してからあしかけ10年になるのを記念して9月に友好訪中団を派遣する。関係者の参加を歓迎したい。

@まとめ(井出会長)
 それぞれの立場から、大変貴重なご発言をいただき感謝したい。
膨大な人口・広大な国土・悠久な歴史を有する巨象の中国とどう付き合うか、重い課題だと思う。中国との関わりでは、日中戦争に対する反省から参加している人、歴史や貿易等に関心を持っている方など多彩にわたっている。民間でなければできない運動もある。日中関係の現状と課題についていえば、経済の緊密化に比べて政治や意識の立ち遅れがあると思う。今年の年賀状に先人が注意深く避けてきた泥沼に足を踏み込まぬように心すべきとの狂歌を記し、また会報の新年のあいさつでもベトナム戦争の教訓を綴った「マクナマラの教訓」に触れさせていただいた。日本も重大な曲がり角にきていると思う。友好の後継者の問題は全国的な課題だ。青年の船のネットワークや留学生のホームステイで培った関係等をうまく活かせないかと思う。中国語学ぶ会がスタートから30年を数え、留学生の皆さんとも交流していることは、素晴らしいと思う。私も学生時代中国語を学んだが、当時は、極少数だった。しかし、いずれ中国は日本にとって最も重要な国になるだろうと考えていたら、今現実になった。高校での中国語学習などが取り入れるよう積極的に働きかけていったらどうかと思う。長い目で見て、後継者を育てていく努力が大切だ。核になる人を見つけて青年委員会を作るという例も参考になる。帰国者支援援護施策の充実の取り組みも大切な課題で、協会として努力したい。「人民中国」を活用して素晴らしい交流をされた事例が紹介されたが、会員一人一人が、何か一つ身近な友好に取り組んでいきましょう。

@最後に萩原秋夫豊野町長(豊野町日中友好協会会長)が「知恵を出し合って立派な組織にしていきましょう」と閉会のあいさつを述べ座談会を終了しました。