2004.vol.2
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約4年の間、停止していた日記のコーナーですが、なんの気まぐれか再開する事に決めました。理由は特に無いのですが… 何となくまた日々を綴ってみたくなったので。概ね自分の為の備忘録って感じです。ここ数年、仕事で文章を書くことが増えたせいか、しかし仕事じゃないので気楽なせいか?とりあえずやたらと書き散らかす事になりそう。どうか乱文をお許し下さい。
ほとんどなんの推敲せずにまずはアップしちゃうので、文がおかしくても気にしないでね。(言い訳です。)気付いたところからちょこちょこ直したり、さらに書き加えたりしてるので、数日前の日記の内容がこっそり変わってたりしますが…それも気にしないで読んでやってください。...(simizu)




■2004/09/28(tue)
数ヶ月ぶりに若干時間に余裕がある週が巡ってきたせいか、気が抜けて呆けている。やることはまだまだあるのに、マズイな。夕方、FMぜんこうじでいつもの番組収録、終わってからナノグラフィカにてミーティング。その後またぼさっとしそうになるが堪えて、数ヶ月ぶりに暗室に入る。もうずっと使っていなかったので、まずは掃除からだ。…日付が変わる頃、やっと作業が出来る状態になる。本当に久しぶり。焼こうとして手元にあるネガに目を通すと、どれも凄く古く思えて、ちょっと驚いた。目の前のことに追われているうちにも時間は流れ続けているってことか。がせっかく準備が整ったので、取り敢えず見繕って作業に入る。この季節は気温・水温ともに現像向きで、温度合わせが楽。気分で前より小さい印画紙を使うと気持ちよかった。作業を始めると夢中になり、ひとりでひたすら焼き続けた。 ...(simizu)


■2004/09/27(mon)
最近、本棚の奥から発掘?したリルケの「若き詩人への手紙 若き女性への手紙」を持ち歩いている。ご飯やなんかを待つ間、ゆっくり読むのが楽しい。大学のゼミに絡んで買った本。今また違った響きをもって、一節一節が頭に心地よく滑り込んでくる。若い詩人に宛てた手紙は、今からちょうど100年前に書かれたものだ。あと、前からちゃんと観たかったフィッシュマンズのライブDVDを入手したので、ちょこちょこみている。このバンドの大ファンというわけではないので、所々粗くて残念だな、と思うところもあるが…演奏というか音が作っている立体感がとてもいい、なあ。現役時代はあまり興味がなかったけど、いつの間にか好きになってしまった。今更ながら、いいバンドだったんだなあ。
雨が降っていて、少し寒い。秋なんですね。夕方、久しぶりにカフェ・ハーツにてご飯を食べる。その後たまちゃんと久々に飲みに行った。元チャップリンのバーテンダー・上市君の新しいバー、おまかせカクテルがすごく美味しかった。 ...(simizu)


■2004/09/26(sun)
午前中から松代の某スタジオにてスロウライの練習。新曲に取り組むが、なかなかまとまらず。スロウライではまだまだ新鮮な気持ちで弾いてるので、今後の展開を楽しみにしつつ、焦らずに取り組みたいな。たっぷり3時間練習してから、ネオンホールに戻って会議。オムニバスCDの曲順を最終的に決める。その後、ネオンを離れ家でCD絡みの作業をするが…はかどらない…。 ...(simizu)


■2004/09/25(sat)
午前中からナノグラフィカ会議。秋以降一気に仕事が増えて、忙しくなりそうだ。もともと編集を通じて集まった4人なのに、西之門に居を構えてから個人作業はしても集まってそっち方面の仕事をすることがなかった。いよいよ動きが出るのか? 上手くいけばいいが…って、人事ではないな。頑張らねば。長引いて2時頃終了。今日は哲郎と二人でPAだ。元はっぴいず・じゅんが主催するイベントで、ガレージ系というかR&R系のバンドが集まった。ゆるいけど、音楽好きで気取らないヒトビトが集まるいい時間だったな。最初に出演した高校生のトリオ“チュッパチャップス”のドラマーが、お世話になった駅前の中古レコード屋・グッドタイムス松坂さんの息子らしい。そういえば10年ほど前一緒にお祭りに行った気が…。ううん、時が経つのは早い。リズム感の良さは父親譲りなのか、なかなか上手かった。じゅん・サッシー・リーダーのバンド、セルボ&テレキャスターズは、だんだん演奏が上手くなってきたみたい。じゅんのバカパワーはライブが減っても衰えず。ホントにこの人は演奏中、いい顔するなあ、と思う。今回はサッシーのバラードがよかった。長野で一番慎ましやかなロッカーではないかと思える彼の、日常を綴った歌に胸を打たれました。じゅんの嫁のサヤカがそろそろ臨月に近いのに、密かに客できていた。秋が終わる頃には二人は親になるのか…。最近、ネオンホール周りではベビーブームだな。出生率が最低を記録したなんて信じられない。 ...(simizu)


■2004/09/24(fri)
今日はボスダブの活動休止ライブだ。約7年間続けてきたバンドが止まってしまうというのは…上手く言えないが空虚感、或いは習慣をひとつ無くしてしまうような・・しばらく一緒に世界を作ってきたメンバーに会わないというのも、なんというか、…って、言葉にすることもないか。しかし、こうして休止を宣言するライブが出来るというのはとてもうれしい、それは間違いない。朝9時頃、いつもプライベートで髪を切ってくれるNさんにお願いして、散髪。夏の間ほったらかしにしたので、めちゃくちゃスッキリした。静かな会話と貴重な時間をくれるNさんに感謝。その後何も仕事をしないで、芝居やらなにやらで手に入れたままだったフィッシュマンズのDVDを観たり、独りでベースを弾いたりしながら昼過ぎまで過ごした。3時頃から最後の練習、そのままリハーサル。今日の対バンは大阪のアズミさんとタテタカコさんで、無論相手として不足なし。リハの最中に雨が降り始め、日が落ちる頃にはすっかり大雨みたいになった。6時半から客入れ。思ったよりも多くの人が来てくれて、うれしい。7時半頃ステージに上がる。久しぶりに少し緊張…これでもうしばらくこのバンドで音を出す機会もないかと思うと、身体がこわばるのを感じる。しかし一音目を出してしまうとそんな不安もふっとんで、いつもの熱気が身体を、バンドをつつむ。これに身を任せすぎると音が崩れてしまうので、冷静さを忘れずに。少しヴォリュームを絞って、一歩一歩確かめるように音を出す。4曲目にやった新曲“南の空”が、今回のハイライト。このライブが決まった8月の終わり頃にサチコが突如作った、今までのボスダブを総合するような曲だ。噛みしめる間もなく時間は過ぎ、ラスト“終わりのインスト”でライブは終了。…気持ちよかった。
続いてタテタカコ。あの映画を観た後なのでどこか神々しさまで漂う気がするが、彼女自身は何ら変かがないように見える。いや、ステージ上での集中力、そこから発する気の濃さは前よりも幾分増しているようではあるが。たまたまなのか、聴きたかった歌ばかりやってくれて、嬉しかった。「心細いときにうたううた」、ほか、単純に見える言葉からしみ出すなんて豊かな感情。どっぷりと彼女の世界に浸りきったところで、アズミさんが登場。ジェットコースターに乗るようなめくるめくブルースワールドを展開。ブルーズって、芸なんだなと改めて実感。たっぷり演奏を聴いて10時半頃、全ての演奏が終了した。来てくれた人々と飲みながら話しをして、今日の幸せな時間を噛みしめました。 ...(simizu)


■2004/09/23(thu)
東京の劇団・プロジェクトMのネオンホール公演“飯縄おろし”を観た。洗練された、ストレートな台詞劇。作演出の丸尾さんが長野出身って事で、前編を通じて北信方言使われている。最初の5分は違和感があったが、すぐに慣れた。60年代の北信・山沿いの高校での話。高校生が感じる地方都市の閉塞感が、とてもよく出ていた。地方(長野)への幻滅・都市部(東京)への憧れって、60年代も今も殆ど変わらないんじゃないかな。コンパクトながら、とても良くできた芝居で勉強になった。終演後、バラシて打ち上げにも出させて貰う。そこでカフェシアターの中沢座長とちょっと久しぶりに沢山お話し。 ...(simizu)


■2004/09/22(wed)
ううむ、何から書いて良いのか解らないくらい久しぶりです。久々に舞台に没頭し、限界までエネルギーを使う時間を過ごしました。9/18・19にまつもと市民芸術館で行ったネオンホールプロデュース公演“ラブ☆ダイヤモンズ”です。先週は毎日ずっと松本に通い、何とか一つの芝居を作ることが出来ました。終わった後も芝居の残り香が体の周りに漂う、濃い体験でした。舞台作品としての完成度、プロデュース側としての仕切方などまだまだベストというには程遠い部分もあったけど、得る物の多いイベントだったと思います。約一週間は全てにおいて芝居を優先して過ごしたので、溜まりまくったルーチンワークを抱え、ゆっくり休んだり振り返ったりする時間も持てず。…けど、そんな贅沢に時間が使える訳もないよな。頭は割とスッキリしている。次に向かって、進むぞ!って感じです。

朝から劇団・プロジェクトMのネオンホール公演の為の仕込み。非常にツアー慣れした方々のようで、受け入れ側としては楽だ。先週までの自分たちと逆の立場になってるのが、なんだかむず痒い。しかしネオンホール、劇場としては元々設備が乏しい(というか無理矢理やってる)が、半ばそれを逆手にとって楽しんでしまおうという要素がある…としても、最近は老朽化もますます加わって、かなり使いにくさを増しているのではないか。受け入れ側として仕込みをみていてそう思った。根本解決は建物の構造上難しいとしても、まだまだ改善(もしくは復旧)の余地はあると思う。
仕込みの間、溜まっていた原稿に手を付ける。その後集中のため場所を権堂・奈良堂に移して書き続ける。夕方遅くに完成、ネオンに戻ってもう一本、日付が変わってかなりしてから書き上がる。そういえば最近無性に暗室に入りたいと思っている…とかしたいことを巡らせつつ眠りにつく。 ...(simizu)


■2004/09/19(sun)
朝、興奮からか8時頃には目が覚める。連日の寝不足と疲労でへとへとだが、今日の寝覚めは悪くない。パンなど買ってきて、ちゃんと紅茶を煎れて飲み…10時頃に久保君、たまちゃんと車で松本へ向かう。今日はラブダイヤモンズ公演二日目。12時頃に開場入りし、色々をチェック。二日目の昼公演というのは、大体気持ちが入らず散漫になることが多いので、なるべく役者とダラダラしないように心がけるが…昨日なんとか本番を乗り切ったことと、お客の入りも良かったことからか、ピリピリした雰囲気は薄れている。…大丈夫なのか? 昨日足りないと思ったことをさらに補うべく、宮下と話す。エリちゃんをもっと活躍させたい!とか、いろいろ。山のような雑用をしているうちにもう本番。今日もお客さんの入りは上々だ。舞台は…昨日よりノリがいい、しかし細部は粗い。台本通りにどんどんストーリーは進行し、数ヶ月の苦労は一瞬にして過去になっていく。演劇って、ホントに儚い。3時半頃に終演。即座にバラシに入る。苦労して作ったセットは一瞬にしてただの木材に戻り、舞台の素顔が顔を出す。6時頃に完全撤収、ピカデリーホールへ移りロビーに畳を敷いて打ち上げだ。役者、スタッフの他に集団シーンに出てくれたろんづら信大ビー研や天守閣の面々(このネオンの松本バンド人脈の人々が出演してくれて、舞台裏を見せる事ができて、一緒に酒まで飲むことができてほんとにしあわせ。)経帷子の人々を交えて。何だかんだ言って美味い酒が飲めている。ああ、そういう意味で芝居は成功したのか。ここで初めて実感した。無論、山のように問題点はあって、とにかくギリギリいっぱいだったので、手放しに成功だなんて言えないけど。個人的には、自分の中の芝居欲や演劇の本番感覚は確実に生き返り、きっとそれは大事なことなんだと思ってます。10時頃、後ろ髪を引かれながらピカデリーを後にする。〆はダイちゃんによるアカペラメタル「重い鉄骨」だった。無理矢理バイクにまたがって、長野に着いたのは12時頃。一瞬ネオンに顔を出してから、ダイちゃんの先導で裏権堂の飲み屋で二次会。ほとんどの役者と宮下、清水、久保で。3時過ぎまで盛り上がり、宮下、ゆかり、ゆみ、たまみ、久保でナノグラフィカで飲む。宮下が泥酔と眠気で意識混濁してて面白かった。打ち上げで最後の最後まで飲み続けるってのも久しぶり。いいなあ、やっぱ。手空が白む頃、歩いてうちに帰った。 ...(simizu)


■2004/09/18(sat)
ラブダイヤモンズ公演初日…だが、全然作業が間に合っていない。まず焦って朝から(演劇の)サントラのCDジャケ作り。出発直前に仕上げて、ネオンにてテツローに託してから宮下リエちゃんの車でたまちゃんと松本へ。主役二人が話しているのを聞いているとあっという間に松本着。12時過ぎに劇場入りし、大道具やあれこれの雑用に走り回る。2時過ぎから役者の最後の稽古が始まる。本番当日だというのに決まっていない細部が多く、全く予断を許さない。こんなスケジュールで芝居を進めるなんて良いわけがないし、一体何年演劇や舞台に携わってるのか!と自分で自分に憤るが、なってしまっているものは仕方がない。ベストを尽くすまでだ。作業の合間に演出の宮下と一緒に色々を詰めたり…とにかくあたふたと時間が過ぎていく。メイク、衣装を合わせつつもさらに稽古は続く。開場5分前、最後のシーンの詰めが終わり、役者がスタンバイ。いよいよ本番の幕が開ける。松本でやって、しかも再演で、果たして人は来るのか? ギリギリに“抜き”で練習したことが、ちゃんと一本の芝居としてまとまるのか? 不安で落ち着かず、必要以上にウロウロしている自分に気付き、ともかく本番時の持ち場(客席奥の上、ピンスポット)で待機。少し平静になる。それから少しトラブルがあって15分も押し、やっとの思いで開演。お客さんの入りは上々だ。本番…何とか稽古で詰め込んだことは再現でき、中盤から役者のノリも上がり…ギリギリで形になったと思う。観ながら役者よりも緊張して、何度もピンスポットを持つ手が震えたが。9:30頃一応無事に終演。お客さんとロビーでゆっくり話す間もなく、急いで片付けて退館。例によって芸術館前でミーティングした後、演劇祭の実行委員さんに誘われた交流会?飲み会へと久保君、ダイスケ、宮下リエ、の4人で出向く。眠さも限界だったが、どうしても出席したかったので。駅前の居酒屋に集まったのは演劇祭実行委員長でピカデリーホール・オーナーの西堀さん、副実行委員長で演劇祭苦労人の田中さん、経帷子・猿ロマンの方々、プロジェクトMの方々、など。飲みながら、信大生だった頃、始めて松本演フェス絡みで芝居をしたことをしきりに想い出していた。20歳だった自分は“お病気シアターリウマチ”というロクでもない名前の劇団で初めて役者をやっていた。そのリウマチが劇団ごと演フェス事務局の方々にかわいがって頂いてた?ので、何かと理由を付けては飲み会を催して実行委員の方々に奢って貰ったものだ。当時も演フェス実行委員長だった西堀さん、そしてやっぱり苦労人だった田中さんは、最も若手に優しいおじさん(失礼)の筆頭だったが、こうして10年以上も立った今、同じように演劇祭の飲み会の上座にはお二方がおられて、そしてやっぱり帰るときにはポーンと大枚を置いていかれる。自身で劇団を率いているわけでもないのに、ピカデリーホールを解放されたり(西堀さん)、そこの改造に骨を折られたり(田中さん)、そんなことを延々と続けている…全く松本の演劇人というのは凄い。バカ話をしながらしみじみと感動した。流石に明日も本番があるので、1時過ぎに退席し、久保君と、芝居を観た後別で飲んでいた三島さんが合流、駅前のラーメン藤で軽く腹ごしらえをしてから帰路に就く。帰り着いたら3時を越していた。 ...(simizu)


■2004/09/17(fri)
朝起きて急いでラブダイヤの当日パンフをまとめ上げる。ナノグラフィカのタカエに預けて印刷に出してもらい、宮下と久保君の車で松本へ。2時頃に松本駅でエリちゃん(ゴーグルエース)を拾い、一緒に芸術館入り。先ずは“謎の女”の歌演出。何度も聴いたテーマソングだけど、エリちゃんの歌唱のなんとパワフルなことか! 元々バックトラックもゴーグルエースを意識して作った部分があるが(少なくともベースを弾くときはそう思ってた。)百戦錬磨のヴォーカルが入るとこうもイメージが変わるのか! 素晴らしい。しかしエリちゃんって今更ながら、お洒落で綺麗になったなー。いや、元々綺麗だったけど、長野にいた頃は結構テロテロのセーターとか着てたのに(よくカマチ君に怒られてたっけ)、今や普段からピシっとしてる。ロックスターだな。歌に満足しつつ、まだまだ山のようにある大道具関係の雑用をこなす。夕方、バイクで買い物に出たとき夕日がとても綺麗だった。長野よりも山が遠くて美しくて、雲の流れ方も違う、松本の黄昏。懐かしくもあり、5日も連続で観ると目に馴染んだような気もしたり。8時よりゲネプロ…というよりも、最終的に残っている問題を洗い出すための通し稽古。段取りも、小道具も、細部の全てが間に合っていない。照明も音響もバラバラだ。これで本当に本番こなせるのか? 不安を残しつつ…終了したらすぐ退館時間。慌てて飛び出して、その場でミーティング。皆の疲れもストレスも極限に達しているようだ。でも、本番当日も詰めなければ完成しないだろう。個人的にやらなければならない作業(刷り物系ほか)も山積み。11時過ぎ、久保君と車で松本を後にした。 ...(simizu)


■2004/09/16(thu)
朝からアヤコと駅前の定食や“アブアブ”の撮影に行く。某商工会の新聞のため。いつも通ってる店だけど、写真に収めるのは殆ど初めてなのでなんか新鮮。帰ってすぐにボスダブのポストカードデータをちょこちょこいじってまとめ、その後すぐに宮下と成田さんと待ち合わせ、宮下の車で松本行き。4時過ぎに芸術館入りし、大道具の作業に入る。やってもやっても終わらない。今日は初めて現場に千里がやってきた。色々と並行して、照明を詰める作業が続いている。仕事の合間を縫って一緒に舞台をつくってくれる照明家の広田さんは、今回一番の功労者だろう。会場の都合、作品の都合を摺り合わせて、辛抱強く作業されている。仕事しなくて大丈夫なのか?とこっちが心配するほどだが、広田さんの働きが無ければこの芝居は恐ろしく陳腐なものになるだろう。心から感謝。10時頃終了、ミーティングの後久保君の車で帰る。内部サンプルとして第一稿的に上がってきたネオンホールのオムニバスCDを二人で検証しながら。 ...(simizu)


■2004/09/15(wed)
早朝、起きて、すぐに描き始める。その後ネオンホールで某イラスト原稿のデジタル処理。昼頃に完成して提出。長くお世話になった担当さんが辞めてしまわれるってことで、ショックを受ける。いつものことながら、やっぱり寂しいな。夕方になる前に今日はバイクで松本に出発。買い出しや色々でバイクがあった方が都合がいいので、一旦乗っていって今日から本番まで置いておこうという魂胆。運転を始めると眠くて、明科辺りで限界になり、駅で一休みしている間に眠ってしまう。夕方遅れて市民芸術館入り。大道具を調整したり、煩雑な作業が山ほどある。今日は場当たり(照明・音響の合わせ)だ。徐々に舞台が出来上がっていく。 ...(simizu)


■2004/09/14(tue)
朝起きて、遅れているイラスト原稿を描き続ける。午後に差し掛かる頃、完成に近い状態になるが、少しの水彩と更なる描き込みをしたくなり、電話して明日提出の許可を貰い、すぐに松本行きの準備。駅前の和光照明を訪ね、中沢座長にご挨拶、小道具を借りる。仕込みに関する愚痴を短時間ながら沢山聞いてもらって、少しスッキリ。3時前に久保君と落ち合い、そのまま車で松本へ。5時前に到着、雑用をこなす。久保君は今日が初めての舞台入りだ。今回の舞台でネオンホールのスタッフとして、色々を得てくれたらいいな。舞台上では照明の仕込みが延々と続いている。9月にオープンしたばかりで、聞くところによると我々が3番目・プロ劇団の興業以外では初めての劇場使用者になるので、未知の問題が沢山おきる。ピンスポットを点けてみたら新品のせいか煙が出てきたり、(アイリスのオイルか何かが焼けるのだろうか。)、ロスコ(スモークマシン)を使ったら許可を得たにも関わらず火災報知器が鳴ったり、図面にはあるバトンがなかったり…その度に驚くが、まあそういうものなのだろう。作業は山のようにある。本当に本番が無事迎えられるのか不安。1時過ぎに帰り着き、原稿に手を入れようとするが寝入ってしまう。 ...(simizu)


■2004/09/13(mon)
7時半にナノグラフィカに待ち合わせのはずが、その少し前にたまちゃんの電話で起こされる。大道具を運ぶためにトラックを借りた帰りに、中条村で故障して立ち往生してるとのこと。今日から一週間に渡るまつもと市民芸術館での仕込み作業の、出鼻が見事にくじかれた事になる。会館側に伝えた入り時間は10時。あまり考えている余地はないので、車でこちらに向かっていた大道具のヒデさんに迎えに行ってもらい、他のスタッフ(といっても月曜の朝から仕込みに向かえるのは自分とゆみちゃんの2名)はJRで一刻も早く松本入りすることに。9時頃の特急に慌てて乗り、10時過ぎに芸術館に入る。一度下見に来た事があるが、改めて立つと綺麗で、思ったよりも広い舞台だと感じられた。照明で入ってくれる劇団・経帷子の広田さんと、芸術館の舞台さんに挨拶、早速作業にかかる。まずは仕切の暗幕を貼って袖を作ったり、大道具を設置する位置を確認したり。昼過ぎにたまちゃんとヒデさんが無事に到着、半分組まれたセットを下ろして舞台上に展開し始める。しかし、舞台さんとのコミュニケーションがなかなか大変。こちらはプロの舞台集団ではないし、何しろ初めての会場なので、図面に書いた通りに舞台を組んでいく…みたいなことがスムーズに出来ないのだが、どちらかというと舞台スタッフさんはそういうプロフェッショナルな仕込みを要求されているように思える。ほか、色々とすれ違い多数。市民芸術館という立派なハードは予定通りに完成しているが、結局そこを切り盛りするのは人間なわけで。人が動くときのルールや姿勢みたいなもの、ソフト的な部分はハードと同時にハイ完成、とはいかないんだろうな。しかし、何億も使ってハコモノを作ることは出来ても、その予算の何百分の一かをつかって、事前に念入りにスタッフを養成したり、よりよい運営法を模索する…みたいな事って、何故出来ないんだろう。プロのいわゆる舞台屋さんと、地方のアマチュア劇団との間に、舞台を制作する感覚の大きなズレがあるのを、作業しながら痛いくらいに感じた(前々から思っていた事でもあるが)。このまつもと市民芸術館が、その名の通り市民のための芸術館であろうとするなら、直接市民と向かい合って舞台を作っていく運営スタッフが如何に大切か、ハードよりもソフトが如何に重要か…。悲しいことに、この立派なハコモノを作った人々は殆ど考えてないように思える。館長職には有名な舞台人が就いておられるが、その効能は(非プロが舞台制作者として芸術館を利用するという点において)あまり感じられなかった。3月の竣工から9月のオープンまで半年もの時間があっただけに残念。(照明などについて、幾度かの講習会は行われていたようだが…そういう問題ではないような。まあ、ソフトは運営しながら育むもの、かもしれないので、今の時点でとやかく言いすぎない方がいいのかもしれない。けれど、余りにハードとして立派なのでどうしても…ソフトに目がいってしまう。おっと、なんか日記の範疇を超えてきたかな。)
作業をしているといつの間にか宮下・ヤマちゃんも合流していて、大道具の立て込み、そして照明のつり込みが始まる。10時頃まで作業して、挨拶して退館、ミーティング。その後大町までトラックを返しに行き、長野に戻ったら午前2時近くになっていた。 ...(simizu)


■2004/09/12(sun)
午後、ネオンホールでボスダブの練習。新曲が弾いていて楽しい。サチコの調子もいいみたい。その後ネオンホールでラブダイヤモンズのサントラCDのための録音。役者達が順番に吹き込みにやってくる。終了後、少しネオンの話しをしてから徳間の方の公民館で最後の通し稽古を観に行く。帰って原稿や明日からの芝居の仕込みの準備をしていたら寝れなくなる。 ...(simizu)


■2004/09/11(sat)
11時からYMサウンドでスロウライの練習。終わった後、ネオンで舞台準備の後、突然段ボール、おにんこ、天守閣のリハーサル〜本番。前座として久々に元・女子高生お笑いコンビ“菩薩”が登場。なんか下ネタが増えてて、年月が過ぎたのを感じたなー。しかし勢いが無くて未消化だった。がんばってほしいなあ。天守閣はちょっと緊張気味だったけど、だんだん脂っこさというかステージ慣れした図々しさが出てきてよかった。突然段ボールとおにんこは…なんか、ほとんど一体化してて不思議。おにんこも突ダンも、昔の曲に感じ入った。なんでかな、疲れているのか? ...(simizu)


■2004/09/07(tue)
時間が過ぎるのが早い…また暫く予定過密な日々が続く。ネオン関係、芝居関係みんなテンパってて、せわしない。朝から今日〆切のイラストを描く。なかなか乗り切れないで、夕方の提出時間ギリギリになってあたふたする。なんとか間に合わせて、外回りを少ししてからFMぜんこうじにていつもの番組の収録。古着屋メロンの話しをした。終わってから門前ぷら座にて芝居の稽古を観る。久保君の音効が入って、いよいよ煮詰まってきている。ひとしきり話して、ネオンに戻って雑用。 ...(simizu)


■2004/09/06(mon)
昼、8月いっぱいで閉店してしまった“古着屋メロン”の主催者、ガクちゃんと昼食。軽い取材だけど、聞きたいことが沢山あったので、ゆっくりと話した。決して儲かっていたわけじゃないだろうし、とても商売を第一に考えているとは思えない運営方針だったので(自分こそ、人のことを言える状態じゃないけど…それはさておき。)何か辛いことでもあって止めたのかと思ったら、至って前向きだったのでほっとした…というよりこっちが元気になった。曰く、「新しい事をするために、そろそろ止めてもいいと思った。やりたいことは大体実現できたし、メロンで築いたものに縛られずに前に進みたい。」 あの高校か大学の部室みたいな、何の緊張感も遠慮もなくアート好きがわいわいと集まっていたメロンの雰囲気が大好きだった。(ネオンホールの初期にもかなり似ていた。)また面白い場所が一つ減ってしまったな…。 ...(simizu)


■2004/09/05(sun)
雑用をしているとあっという間に午後になる。2時、ネオンホールにて芝居のテーマソングの仮歌録り、たまちゃんと。終わってから久保君とPA席周りの大掃除。その後、飛田愛さんと演劇の刷り物の打ち合わせ。…ほか、などなど…なんか話して決める、みたいな事ばかりしてる。ネオンホールは岩、ヤマショーズ、下島ソロのライブ。人は少な目だけど雰囲気は悪くなかった。岩、なんか惜しい所で止まってる気がするのだが…ただ着実に上手くなってる。ヤマショーズっていつの間にかバンド編成で固定してるのだけど、回を追う事にまとまってきてるような。ベースの人、すきだなあ。下島君のソロは、観るといつも気が引き締まる。noteよりも力が抜けているが、より本人の素の色が強くて、彼が世界と誠実に向き合おうと格闘しているのが筒抜けに伝わってくる。あまり調子はよくなかったかもしれないけど、感じ入りました。終わってからネオンスタッフにてラーメン会議(ラーメン食いながら会議、の意)。 ...(simizu)


■2004/09/01-04
・4日--スロウライで松本ピカデリーホールで行われた“Tシャツロックアウト”に出るために、朝からYMサウンドで練習の後、松本へ。(その合間を縫ってボスダブの練習もした。)ピカデリーの色々がさらに改良されていて驚く。グラインドオーケストラで山本精一が来ててさらに驚く。とうじ魔とうじがとてもよかった。スロウライはまあまあ、頑張って演奏できた。回を重ねるのが嬉しい。 ...(simizu)


■2004/08/31(tue)
あっという間に起きる時間になって、あたふたと準備をして朝食へ。急いで山手線〜新幹線にて長野へ戻る。電車の中で熟睡。10時前に着いて、そのままアヤコと待ち合わせして長野駅駅長さんの取材。豊科出身、とても気さくで話がわかりそうな方だった。デジカメにて写真を数枚押さえて11時頃取材終了。家に帰って仕事の整理を試みるが、そのまま眠ってしまう。夕方起き出して再び仕事準備、ナノ経由でネオンに行って芝居用音楽のためのレコーディングにかかる。録りに入る前に飛田愛さんと遅れに遅れた芝居のフライヤーについての最終打ち合わせ。ギリギリで仕事を受けて下さった愛さんに感謝しつつ。録音は千里が現場監督で、メンバーはドラムにカモちゃん、パーカッション久保くん、千里がギターで自分がベース。60年代映画音楽とガレージロック、嘘ソウルをごちゃ混ぜにしたような2曲と、ゴーグルエースの偽物みたいな曲を録る。マイクたったの2本で、テープMTRへの一発録りだが、千里が長年の芝居音楽制作の中で編み出した録音法なので、これが案外音が良いのだ。テープMTRにハマり続ける録音マニアがいるってのも頷ける。11時頃までかかって、その後たまちゃんとさらに芝居の打ち合わせ。 ...(simizu)


■2004/08/30(mon)
8時の新幹線で軽井沢へ。新聞記事のためセゾン美術館の取材。台風のせいか、空はどんよりと曇っている。ウォーホール、J・ジョーンズ、ステラ、シーガル、クレメンテ、荒川修作に 篠原有司男などなど。見慣れた作品を味わって、館内の写真を数枚撮らせてもらってから、学芸員さんとお話し。一時間ちょっとで終えて、12時過ぎの新幹線にて大宮経由で渋谷方面へ。沖縄のシンガー・伊波緑さんと待ち合わせをして、代官山の老舗洋食屋“小川軒”にて昼食。流石に美味い。その後東京都写真美術館に行ってみるが、休みだった。久々の東京は、軽井沢から行ったせいか、風が強く曇っているにもかかわらず…いやに蒸し暑い。その後青山のスパイラルに行って、ギャラリーなどを見てから、みどりさんと膝を会わせて話し込む。7時からお目当てだった京都の映像パフォーマンス集団“キュピキュピ”の歌謡ショー?“キャバロティカ”をスパイラルホールにて観る。昭和歌謡+クラブカルチャーの現代美術フレイバー…って感じ、映像をふんだんに使った派手な舞台。次回の自分たちの芝居とカブる部分が多かったので、どうしても観ておきたかったのだ。 しかし…会場の大きさにマッチできるゴージャスさが演出し切れていないようで、ちょっと物足りない。以前は京都カフェ・アンデパンダンやその上のアートコンプレックスでやってたらしいが、そこならバッチリ楽しめたはずで…惜しい。先週ピジョンズと風博士を観たあの会場で、スパイラルホールと同じくらい気合いが入ったステージを展開してたとなると…そりゃ凄いはず。ずっと前からアンデパンダンに行くたびにキュピキュピの事が気になっていたんだけど、無理をしてでも観ておけばよかったな…。そういえば去年観た維新派の国立劇場での公演にも同じような事を感じた。関西の面白い集団の作品って、東京に持ってくるとつまらなくなるのか?な。といいつつも“キャバロティカ”、それなりに楽しむことは出来たけど。終わってからみどりさんとまだまだ話そうという感じで、青山周辺を歩き回って骨董通りの端にある飲み屋“小いし(だったっけ?)”へ。気さくな感じの小さな居酒屋だが、入ってみてわかったけど所謂ゲイ専門のお店だった。みどりさんのお友達の紹介だったが…どういう含みでここを勧めたのだろう? 恋人同士だったというおじさん(50代?)と30代のお兄さん二人で切り盛りしている。“ママ”のおじさんが僕らのテーブルに座ってずっと一緒に話していた。何度も触られたり抱きつかれたりしたけど、舞台とか芸術方面に明るい粋で感じのいい方で、とても美味しいお酒を飲むことが出来た。そこを出てからもう一軒、今度は老舗バーの“ラジオ”へ。そこでは二人でまた沢山話す。みどりさんとは滅多にこんな時間は持てないので、堰を切ったように色々なことを話し合う。その後彼女が取ってくれた宿にて一泊。品川の、とても景色がよい某高級ホテルで…深夜一人でただ寝るために来るなんて…なんかすごく勿体ない気がした。うまく眠れず、部屋のテレビでどうでもいい映画を観て明け方になってしまう。 ...(simizu)


■2004/08/29(sun)
朝起きてすぐに、最近録ったベートルズとTheEnd、じゅんソロのトラックダウンを続ける。それにしても、やっぱりべーちゃんていい声だなあ。聴いててとても和める。今回敢えて自宅の居間でTDをしたけど、気分的にはかなり楽で、いい結果が出せそう。昼過ぎ、ネオンホールにて久々にボスダブの練習。約3ヶ月ぶりで、曲を覚えているかどうか不安だった。しかしベースはスロウライにて弾き続けているので、個人的な演奏の調子はとてもよい。病み上がりに近い状態のサチコは、やはり辛そう。しかしいきなり新曲を書いてきて、しかもそれがなかなかよくてすごくうれしかった。9月末のライブに間に合いそう。途中、下島くんが仮トラックダウンの上がった“逃避行”を持ってきたので、メンバーで聴いて検討する。4時過ぎに終了、そのまま飛田愛さんと芝居のフライヤーの打ち合わせ。その後ネオンのPAは休ませてもらって、家に帰ってTDの続き。さらに深夜、千里とたまちゃんとナノにて芝居用のオリジナル曲録音についての打ち合わせ。しかしこうして書くとほんっと打ち合わせばっかりしてるよな。 ...(simizu)


■2004/08/28(sat)
奈良の実家で目覚める。少し体調が悪く、朝一番で出発しようと思ったがもたついて昼前になってしまう。近鉄、新幹線、特急と乗り継いで長野へ。帰ってすぐにTheEnd桜井君のレコーディング、自宅にて。去年上手くいかなかったので、2年ぶりの新曲吹き込みということになるか。8時頃に終了。その後門前ぷら座での芝居の通し稽古を観て、ナノグラフィカにて打ち合わせ。千里と些細な事で口論となり、疲れを倍増させる。お互い仕事が込み入ってきてピリピリしているのか…。言い方が悪かったかと反省。深夜、帰ってこの週末に録った音のTDを始める。 ...(simizu)


■2004/08/27(fri)
実家にて昼頃まで寝てから、持ち帰ったパソコンで少し仕事。夕方帰ってきた一番下の弟と少し話す。春に結婚して、少ししっかりしたように思えた。6時前に京都に向けて出発、近鉄と京阪を乗り継いで三条のカフェ・アンデパンダンへ。今日は風博士とピジョンズのライブだ。元々は明日に拾得でするはずだったボスダブ・風博士・林いとさんのライブに繋げて風博士スギさんに組んでもらったプログラムだった…が、自分たちが出れなくなってしまい、残念かつ後ろめたく、そもそも好きなバンドによるライブなので、とにかく観に来たという次第。アンデパンダンは相変わらず小洒落た雰囲気で、いいな。戦前からの西洋建築の地下だなんて、…そんなのアリ?ってくらいいい感じ。入るといきなり数人の知り合いに会う。オオヤミノルトリオの今泉くん、ペルペトゥームの社長さん、そしてスギさんなど。ぼーっとビールを飲んでいる間にも続々と顔見知りの人が現れて、なんか楽しくなってくる。8時過ぎから風博士の演奏。今日は3人の少人数ヴァージョンだ。アンデパンダンの壁・床・天井は石造りというか古いコンクリートで出来ているので、当然のように音がすごく回る。けど、風博士のまったりした曲調と教会みたいなこのエコーは馴染みやすく、PAもそれを計算しているのかとても気持ちがいい輪郭のぼやかし方だ。スギさんも心地よさそう。さらっと演奏してるけど、けっこう難しいことをやってるんじゃないかな。次はピジョンズ。ライブを観るのは約一年ぶり。ドラムとエレキギターで、基本的にロックなピジョンズの演奏は、どうもアンデパンダンの音場とは合わないみたい。ヴォーカルがぼやけて聴き取りづらい…もっとエッジを効かせた音が欲しいと思い少しじれったかった。結婚・出産を経てやっぱり少し落ちついたべーちゃんの演奏は、さらに前よりだらっとしてるが…やっぱり好きだ。サミーも気のせいかちょっとお姉さんになったような。酔っぱらいながら幸せな時間を過ごしたあと、最終に近い京阪に乗るため惜しみながらその場を後にした。 ...(simizu)


■2004/08/26(thu)
徹夜明けで原稿を編集部に届けて、そのままささっと用意をしてJR特急に乗り込む。行き先は京都、目的は“ベートルズ”のレコーディングだ。殆ど全く寝ていないのに目が冴えて、車内で眠ることが出来ない。仕方がないので予定の整理をしたり、雑文を書いたり。2時半に京都着、電車とタクシーを乗り継いでべーちゃんの家へ。久しぶりの自宅レコーディングだ。担いでいったハードディスクレコーダーをセットして、数曲を一発録り。終わってから預けていたべえちゃんの子ども・しょうちゃんと共に近所の食堂でご飯を食べて、久しぶりに色々話して、9時前に帰路につく。近鉄って、子どもの時から乗り慣れているせいかとても落ち着く。10時半頃奈良の実家に辿り着いて、少し親と話してから泥のような眠りに落ちた。 ...(simizu)


■2004/08/25(wed)
昨日から取りかかってる某誌の原稿が進まず、悶々とする。またまた仕事が込み入ってきて、全然予定通りにこなせなくてストレスを感じること甚だしい。メインは半年ほど前からずっと書きたかった原稿で、ビッグコミック・スペリオールに連載されている漫画“キーチ!!”について。この作品の舞台が途中から松本市になっていて、その背景があまりに実際の街に忠実なのだ。主人公が住むのはナワテ通りの向こう側、女鳥羽川にかかる橋の横。通っている小学校は、信大病院の南にある旭町小学校。その周りの風景はもちろん、ほかにも女鳥羽川土手、浅間温泉入り口、駅前、中町に人形町…辺りが頻繁に出てくる。彗星倶楽部のすぐ横にあるタクシー会社の木造ドーム?が出てきたときは、渋すぎてコンビニでうなってしまった。みなさりげなく描かれているが、知っている者が見ると一目でどこかわかる正確さ。メジャー・マイナーを問わず、松本をここまでしっかりと、長期に渡って描き上げた作品は、きっと今まで一つとしてなかっただろう。しかし悲しいかな、媒体が“マンガ”であるためか、映画でロケをした場合のように話題にもなっておらず…なんか悔しくて早く記事にして紹介したかった。やっとそのタイミングが巡ってきたと思ったら、全然スケジュールに余裕がなくて焦ってしまう。…いつもの事だ。(“キーチ!!”松本編は単行本でいうと5巻・6巻と連載中の分。日記に書くのも変ですが、ぜひ一読をおすすめします。想い題材だけど、子どもが主人公のせいか、救いようがなくは、ないです。連載分もどんどんとんでもない展開を見せてて…毎回ドキドキするはず。)書いていくと夜9時も過ぎたあたりから進み始めるが、他の原稿とダブルで〆切だったので、…結局翌朝の8時くらいまでかかってしまった。 ...(simizu)


■2004/08/24(tue)
なかなか仕事が進まずイライラ。しかし長野はお盆が明けて以来、完全に秋の気候だな。毎日涼しい。世の中オリンピックで湧いているが、何の関係もなし。そういえば柔道・金メダルの野村って、高校の時に柔道を習った野村先生の息子だったのか…今日気付いた。朝方からナノグラフィカに行ってたまちゃんと芝居の話をして、その後奈良堂で仕事の整理。夕方ネオンで雑用をして、6時頃にチサトとミーティング。その後いつものようにラジオの収録にFMぜんこうじへ。終わってから少し芝居の練習を見に“門前ぷら座”に顔を出す。ネオンに戻って、また仕事。
先週グッドタイムスで買ったブリンズリー・シュウォーツのBBC音源集第二弾「Cruel to be kind」を繰り返し聴いている。ニック・ロウのヒット曲として知られるこのアルバムタイトル曲は、ブリンズリーズの後期の作品だったのか。ソロ時代とアレンジも違うけど、聴き慣れたブリンズリーズ節なので、いきなり耳に馴染む。収録されている一曲一曲が素晴らしい、素晴らしすぎるよ。ああ幸せ。 ...(simizu)


■2004/08/22(sun)
午後一番でネオンホールに寄って、レコーディングをしている久保くんとじゅん(はっぴいず)に一瞬会う。じゅんのソロを一曲だけ、試しに録ってみよう!という提案をしたところ彼がやってきたのだが、タイミング的に自分が全然動けなかったので久保くんにお願いしたわけだ。仮録りを聴かせてもらうとどうもヴォーカルが弱かったので「権堂のアーケードまでダッシュして戻ってきて、それですぐに歌ったらどうか!」と言ってみたところ、ホントにやったらしい。それでこそじゅん、だ。  平安堂ミュージシャンコンテストの最終審査のため県民文化会館へ。昨日のライブ審査を勝ち残った3組の演奏を観てから、会議室にて話し合いに入る。「ミュージシャンコンテスト」を掲げているが、実情としては賞である「CD発売」「番組エンディング等での曲使用」のためのオーディション的な側面があったり、今までこの賞が築いたイメージにどうしても縛られてしまったり、…ほか、純粋に今回応募してくれた「ミュージシャン」に対する審査を行っているのか?という疑問は拭えない。おそらく何度か参加している審査員はみな感じている事で、でも、その中で真剣にどの一組を残すのか、を話しているのはきっと間違いがない。一時間近くもめた末、今年は松本の高校生二人組が受賞することが決定。例によって考えすぎてどっと疲れるが、色々と勉強になりました。何故か最終審査に突然加わったエイベックス(!)の方々と意見が全く合わなかったことが、逆に面白かった。
その後ネオンに戻ってリハーサルを横目でみつつ、雑用をしたり。たまたま他の場所でライブがあって近くにいたカミナリグモの上野くんと、昨日のコンテスト審査で思ったことを話す。(彼も出場者だったが、昨日の審査で落選していた。)高校生のユニットに、経験豊富な彼らが負けてしまうというのは何故なのか。理由ははっきりしているので、はっきりと話しました。
 今夜のネオンホールはブッキングの都合上、6組による長尺ライブって事になった。PAは久保くんと下島くん。一組目はじゅん、中嶋君、サッシーによるセルボ&テレキャスターズ。R&Bを基調にしたメチャクチャロックだけど、やっぱメチャクチャなりにこの3人がやったらまとまるんだなと感心。久々に観たじゅんのステージングもハッピーでよかった。やっぱじゅんっていい顔してるよなぁ。しかし全然練習もライブもしていないのに、何かが進歩していると思わせるのは何故?なのか。次は東京から来た“ウチヤマユミエとスージーギター”。楽曲も演奏もまとまってる。R&B〜ソウルっぽい土台に日本語のリフレインが気持ちよく絡んで、サビが頭に残る感じ。…けど、ステージングがこなれてなくて残念だったなー。初ツアーって事だったので、アガってしまったのか? ちょっと勿体なかった。3組目は、有無を言わせずダウナーな世界に誘うTVdinner。あまり調子がよくなかったのか? 今日はイマイチ音の世界に没入出来なかった。(そういえばTVdinnerってヴォーカルが前に出るというか、上手くなったなー。)4組目はハナダイズ。不安定でつたないリズムが一種のウリ?(でもないか)だったけど、最近ドラムが上手くなってきて、徐々に重厚になってる気がする。どっちかというとシリアスな歌詞なのに、いつも微笑ましい雰囲気を作ってくれるのも、いいよな。5組目は京都から来たロカコンボ。ここらで場全体が疲れた雰囲気になってきた…はずのところを、打ち破るように無闇に激しくハイテンションなパフォーマンス。一見R&R〜ガレージシーンの住人に見せかけて、実は軸足は80年代に置かれていて、あちこちにダサくてエグいメロやアレンジが見え隠れする…のが大好き。京都のライブシーンの狭間から湧いてきたようなアホなグルーヴ感を楽しませてもらいました。拾得のぼんぼりが彼らの背景に見えた気がしたな。ラストはTheEnd。真っ赤なカウボーイスーツ?を着込んで、フル装備。ロカコンボの後にやるせいか、気合いが漲っているのを感じる…。ライブはいつもの通り。先月からの定番になりつつある「くノ一忍法帳のビデオが発売される」ってあの歌も、なんかまとまってきたような。(そういえば先週の高円寺ライブでは演ったのだろうか?)
全てが終わると11時頃になっていた。残っていた人たちにヒサエちゃんがご飯をふるまう。1時頃にスージーギター、ロカコンボのみなさんを連れて宿泊場所のナノグラフィカへ。入れ替わりに宮本くんを連れて、自宅に帰り着いて。結局朝まで話し込んだ。 ...(simizu)


■2004/08/21(sat)
朝10時からYMサウンドにてスロウライの本番前音合わせ〜12時半まで。軽く昼食をとって、家に帰って着替えてから県民文化会館にて平安堂コンテストの二次審査。審査員席に座ってコメントを言う事に抵抗がなくなってた…その事実に抵抗がある。今回は飯田のライブハウス「キャンバス」の桑原さんも参加されていて、合間に沢山話す。相変わらずアツイひとだ。ライブは割とバラエティに富んでいて、観ていて飽きはしなかった。で、審査は例年の如くもめる。6時半頃に結果発表。会場に来ていたエイトヤマザキと少し話してから、急いでネオンホールに戻る。not rat vain、スロウライ、東京から来たデリシャスィートスのライブ。ネオンのスタッフが久保くんとヒサエちゃんの二人だったので、バタバタと手伝ったりしていると、あっという間にスロウライの出番になって焦る。が、ライブは興奮しつつ楽しくできた。まだこのメンバーで2回目なので、まだまだこれから、だとは思うが。bubblesweetのメンバーに褒められて?うれしかった。次のデリシャは、女性メンバーが10人近くで踊りまくりの歌謡ショー(60年代後半テイスト?)を繰り広げるというユニット。ネオンホールのアングラ感とバッチリ一体化して、素晴らしく奇妙な物に仕上がっていてとてもよかった。今日の市内は、ライブイベントがカブりまくりで(最近の長野は本当にこういう事が多い。)、お客さんが分散してしまう、あるいは全然来てくれない事をすごく心配してたのだけど、思ったよりもぎっしり人が入って、それも本当によかった。
終わって打ち上げ…の最中に、時間が取れなかった芝居の打ち合わせ、宮下とタケちゃんと。さらにその最中…に、映画「誰も知らない」の試写会ライブで長野に来ていたタテタカコご一行が、突然顔をだしてくれてびっくりする。スーパーネオン〜映画試写会を観て以来、タテさんにたいする自分内のヴォルテージが上がる一方だったので、本人を前にすると妙に気恥ずかしかった、けど彼女はいい意味で何も変わってなくて、安心しつつうれしかった。あと、色んな人と割と込み入った話した。なんかそういう日だったみたい。 ...(simizu)


■2004/08/20(fri)
午前中、ボスダブ・サチコと会って色々を話す。実に2ヶ月ぶりくらいだ。こんなに顔を見れなかったのは、彼女とバンドを始めて以来(6〜7年くらい前になる)初めてのことかもしれない。音楽の話、表現の話、生活の話、さらに以前はよく語った、世界観のはなし、などを結構じっくりと。彼女とこういう向き合い方をして、ある層よりも中に入り込むと、とても興奮する。久々にライブが出来そう…かな。その後千里とレコーディングの打ち合わせ。カフェハーツにてまたまた話し込む。帰ってネオンで少し雑用して、夕ご飯を兼ねて駅前の“サンダルウッド”へ。おしょうさんとしださん、みのるさんらがDJをするというので、ちょっと顔を出そうと思って。そこにサチコがいたのでまた色々はなす。夏の終わりの夕方、オープンカフェバーでいい音楽を聴きながらダラっとする…心地よかったです。しかし各種〆切に追われているのを想い出し、暗くなる前に家に帰って仕事に勤しんだ。 ...(simizu)


■2004/08/16(mon)
原稿に手を付けつつ。またまた仕事は込み入っていくが、気は引き締まらず効率は悪い。午後3時半からナノグラフィカにてちょっとした集まりをもつ。信大の劇団“おまつり研究会”〜こおろぎ探偵事務所で役者をやってたえんちゃんが色々あった末?芝居で知り合った井沢君(埼玉在住)と結婚して、その報告にやってきたのだ。出席者は宮下(こおろぎ)、みゆきちゃん(元おま研、ネオン住人)、その夫のたけちゃん(こおろぎ)、二人の子ども、田沢(バンドの頃のTheEndメンバー〜カフェシアター)、宮本くん、成田さん(元おま研、ほか) 、ますやの伯母さん(信大教育学部裏にあった飲み屋のおばさん)ら。お盆にあつまるってのが、また同窓会っぽい。実際顔を合わせてみると…まだ懐かしむには早い気がした。みなが帰った後、また宮本くんと話し込む。その後ネオンに行ってヒサエちゃんと夜仕事。帰って原稿に向かおうと思って…へばる。 ...(simizu)


■2004/08/15(sun)
雑務をこなした後、午後三時からネオンホール会議、久保くん・ヒサエちゃんと三人で。レコーディングや機材について、など。終わってから久保くんはイベント“punkrock freedom”のPA、ヒサエちゃんと自分は二人で事務所で運営色々他…について話し続ける。リハを久保くんに任せてネオンを抜け出し、ナノグラフィカに芝居の話しをしにいくと、ひょっこり宮本くんに出くわす。(信州大出身・三重で先生をしていて、10年ほど前に所謂信大“ビートルズ研究会”の長野での展開を最初に始めた始祖の存在のようなひと。あの“ディスクオリバー”の信大生バイトの始祖でもある。TheEnd桜井と同じ学年だったか?)今回は長めに滞在するとの事だったけど、久しぶり過ぎて(前回会ったときに全然話せなかったし)堰を切るように話し込んでしまう。“punkrock〜”のリハがかなりストレートに格好良かったので、スタッフをしなかったことを後悔。 ...(simizu)


■2004/08/14(sat)
8時過ぎに起きて、すぐネオンホールに向かう。途中ナノグラフィカに寄って、草花に水をやる。スロウライの一人練習をしたあと、10時から1時半までYMサウンドにてバンド練習。まだまだ慣れない部分も多いけど、楽器を弾くのは単純に、やっぱり楽しい。坂田くんの個性を活かした面白い曲が出来たらいいな。終わって3時頃、遅い昼食を食べてから水野美術館に取材に出る。若い学芸員さんが勉強家で収蔵作品(或いは日本画全般)に愛を持っていて(当たり前のことだけど案外そういう人って少ないような。)、面白いお話しができた。その後ネオンに戻るも、ステージは久保くんとテツローに任せて仕事の整理をちょこちょこやらせてもらう。
未整理だった8月の日記を二週間分、一気に見直しました。世の中はお盆なわけですが、例年のように何の関係もなく仕事を続ける毎日。しかし、あっという間に半月が過ぎたんだなー。ううむ、状況に流され気味だ。暫くこの仕事密度が続くはず…気を引き締めていかないと。 ...(simizu)


■2004/08/13(fri)
久しぶりに(一瞬)〆切から解放されて、清々しい朝を迎える。ナノグラフィカに寄ったら、関係者はお盆休で出かけたり帰省したりでお休み。小綺麗に片づいてしんと静まりかえった店で(誰もやってなかったので)「お盆だから閉店します」と小さな紙に書いて、入り口に張り出した。玄関の草花に水をやって、鍵をしめて、出かける。まずはいつもお世話になっている中央通りの“中沢時計店”へ。先週オーバーホールに出したモノを取りに行く。頼んだのは先日安く入手したシチズンの“ダイヤモンドフレイク”という1960年代の腕時計。当時手巻き式の三針時計では世界で一番薄かったという、メーカーの執念がこもったような製品だ。この時代の日本の腕時計は、実用品なのにモデルチェンジごとに限界まで新技術を盛り込んで真剣に作られている。かかりつけの時計士さんはこういう時計をリアルタイムで修理してきたベテラン。一日に数秒しか狂わない精度まで追い込んでもらって、あとはもちろん日々実用する。調整品を受け取るときにいろいろと話しをするのが至福の時間。時計そのものが好きなのか、修理師さんの技術とか蘊蓄とかが好きなのか…わからなくなってしまうくらい。
その後、買い物ほか外回りをしつつ、数日前から無性に大滝詠一の初期作品が聴きたかったので、CD屋をまわる。いままで同居人のものとかもらったテープとかで聴いてきたんだけど、やっとCDを買う気になった。1stはタワーレコードにあった。“ナイアガラ・ムーン”は暑い中何軒回ってもどこにも置いてない。こういう時、長野で買い物するのがホントに嫌になる。観念してグッドタイムスにて注文。
なんか久々にお休みっぽくて嬉しい…と思いつつ、奈良堂にて仕事の整理。夕方〜夜は芝居の打ち合わせをいくつか集中して。ネオンのフロアではサッシーとキャプテンがDJしていた。終わってから、二人と少し“レコード”のお話など。二人とも、今が一番レコ屋通いする時期なんだろうな。その気持ち、よくわかる!って感じだったけど…最近自分では全然アナログ盤を買ってないのが、ちょっと寂しい。 ...(simizu)


■2004/08/12(thu)
一日“長野日記”の絵を描いて過ごす。お盆進行でいつもよりも前倒し…のはずだったけどさほど早く出来なかった…。細かい部分をひたすら描き込んで、夕方ネオンホールでデジタル作業。ごはんを食べに来ていたモリさんとちょっと話した。日付が変わる前に出来て、編集部に持ち込む。 ...(simizu)


■2004/08/10(tue)
某誌の原稿を遅ればせながら提出。なんかバテてるかな? 〆切遅れ気味が多い。夜、FMぜんこうじにていつもの番組の収録。暮シノ手錠いっちゃんと、イイダゴウくんと。すごく久しぶりにT&T小林君が番組にゲストとして現れる。最近は農業に精を出しているとかで、話しの中心は今彼が作っている“オクラ”についてだった。「音楽も農業も、モノつくりという点で同じ」と、何度も言ってたのが印象的。気持ちはよくわかる気がする。大雑把に書くと、それならば軸足をどっちに置くのか、がポイントになってくるんじゃないかな。特に地方で生活に根ざした表現…みたいなモノを続けようとしたら、きっと常に考えなければならない問題だとおもう。なんて事を考えたが、口にするのは野暮な気がして、ただ小林君がくれたオクラをかじって一人で納得しておいた。水で洗っただけなのに、美味かった。 ...(simizu)


■2004/08/09(mon)
起きてすぐナノグラフィカに泊まっている山川ノリオさんとヤギヌマリョウさんを訪ねる。アヤコ・たまちゃんと5人で朝食。ノリオさんとリョウくんは先週の金曜から彼らはここに泊まってるので、なんか4人は寝食?を共にしているせいか、どこか家族みたいな空気が漂ってて面白かった。ぼーと話した後に車で次のライブに向かう2人を送りだした。
何かと雑用と原稿がたまっていて、何かに追われている感覚は拭えない。焦っても仕方ないが、落ち着かない…けどそういう仕事だから仕方ないか。とにかく目の前のモノから手を付ける。夜、ネオンホールにてネオンホールプロデュース公演『ラブ☆ダイヤモンズ』松本版のための撮影。その後すぐにデータ処理。 ...(simizu)


■2004/08/08(sun)
朝からカンカンに日が照っている。暑い! 昼前にYMサウンドにてスロウライの練習。はじめて新曲が出てきた。坂田君の曲作りの感覚は相変わらず面白い。3時からネオンスタッフミーティング、遅刻して出席。次期ネオンCDの名前をみんなで考える。終わってから、9月にネオンホールと松本市民芸術館で公演するプロジェクトMのスタッフさん・座長の丸尾さんと打ち合わせ。夜、ギターパンダ、TheEnd、ろんづのライブ。ろんづ、新曲がよかった。たまちゃんが見終わった後「ホントに儚いバンドだ。今しか出せない音を精一杯出してて、それをメンバーも痛いくらいわかってて、見てる方も演ってる方も泣きそうになる。」なんて的を得たことを言ってた。20代前半で、学生の時にしか出せない感覚、それに基づいた曲・ステージ。普遍性があるかどうかは別にして、そこにしか存在しない濃い何か…この場所での生活の積み重ねや、音楽で・ステージで自分を表現することに素直に全身で感動している様、持てる気力や精神力の多くを費やし出来た結晶、それが今のろんづには凝縮している。美しくてはかないな、と思う。(例えばゴーグルエースはそこを通過して、今は少し違った地平に立っている、僕もきっとそうだ。)彼らが何処に向かうのかわからないけど、観れる限り、見続けたいと強く思った。
ギターパンダ、相変わらずパワフルだった。前よりも落ち着いて聴けるようになったのは自分のせいか?バンドの変化なのか。いい歌、いい声、いい演奏なので、じっくり聴き入る曲が多いと嬉しくなる。 ...(simizu)


■2004/08/07(sat)
午後一時、駅前のクラブ“High Five”を某誌記事のために取材。春に取材したシネマティックスペースと、全然方向性とか考え方が違ってて面白かった。現在長野市内で所謂DJを入れた“クラブ”のみで営業しているのはこの2カ所だけ。対照的で見方によっては補完的でもある。オーナーの山崎さんは弱冠23歳。自分がネオンホールを始めた頃と同じくらいだけど、考え方というか立ち方が全然違うので、それも面白かった。
夕方、某誌に書かせてもらうためにBubbleSweetのおーちゃんを撮影。街は夏祭り“びんずる”だが、二人ともそこに行く気にならず、城山の外れの神社にする。撮りながら、久しぶりに色々と話し込んだ。何だかんだ言ってもおーちゃんとのつきあいも長くなるな。いつもバンドとか録音機材の話ばかりだけど、ずーっと変わらないテンションでそういう話しが出来る友達って、実は少ないので嬉しい。終わってネオンに戻ると、イベント“星の王子様信濃路をいく”が始まる。事務所で作業しようかと思ったら、1バンド目のベルガモッツの音が格好良かったので、思わずフロアに出てじっくり聴いてしまった。モッズ以外の何者でもない!彼ら、久々に見ると勢いのあるライブバンドに化けていた。あと、東京から来た男女二人組の“禁断の果実”?だっけ、それが凄く妙でよかった。あまりにリアルで滑稽な70年代歌謡の再現で癖になりそうな感じ。あと、久しぶりに見たTwist☆3。相変わらず不安定で勿体ない。なんか高校生の頃と全然変わってないなー…続いてるってのは嬉しいけど…ううむ。今後に期待!って感じか。ライブの後、またまた久しぶりに帰省していた村山ひとし君と少し話した。若くして天才的なアングラフォークシンガー(三上寛ばりでホントに凄い。続けていたら絶対名を成してると思う。)なのに、今はほとんど歌ってないという。勿体ない…けど、仕方ないか。浪人後、初めての独り暮らしで不自由・右往左往してるようで、何か食い物でも送ってあげたくなった。 ...(simizu)


■2004/08/06(fri)
昼前から某音楽コンテストのテープ審査のため、テレビ信州へ出かける。そういえば今年で5年目。最初の頃には自分がコンテストの審査をしていると事にすごく抵抗があって、複雑な気持ちで悶々とした挙げ句自己嫌悪になったりしたが、今はそうでもない。その頃は記事を書いていたわけでもないし、いちバンドマンやイベンターとして、他者を評価するということに馴染めなかったのだろう。いつの間にか、他者や状況を分析的に見ることと、自分の制作活動を考えることを、ときに分けて出来るようになったのかもしれない。どっちでもいいような事ですが…舞台のあっちとこっちを行き来する際、(自分にとっては)大事なことなのかも。
とか思いつつも、やはりクーラーの効いた部屋で、訳知り顔で人の作品の評価をするのはある種の罪悪感を伴って、疲れる。審査員間の認識の違いにも、いつもながら驚くというか、正直イライラしたりする。こんな地方発のコンテストの一次審査ですら、楽曲や作家をまず商品扱いするような語り口が横行するのか。そして気付くと自分もそんな視点を織り込んで話したりしてる。ううむ…、と、ここで不満を申し立てても仕方がない。それでもこの企画に自分が絡むのには意味があると思って、ありがたくテープを聴かせていただく。
真摯に聴かせてもらったうえで、…しかし正直、心に響く作品はほとんどなかった。その印象はライブ審査で変わるのだろうか?(数年前、そういう事があった。嬉しい誤算、って感じだった。)5時頃まで話し合って、解散。ネオンに戻ると久保君がリハーサルを開始していた。今夜は宮入恭平のライブ。 ...(simizu)


■2004/08/05(thu)
風が強く少し曇っていて、涼しく気持ちのいい目覚め。松本、彗星倶楽部の二階、時刻は朝9時半だ。もそもそと起きて顔を洗って店に降りると、テーブルに朝ご飯が置いてある。ユウホのお母さんのみよさんが、朝から仕込みに来ていて、作ってくれたみたい。茶粥とおさかなを有りがたくいただいた。ゆっくりとヒゲを剃って、もいちど顔を洗って、お礼の手紙を書いて机に置いて。10時半頃、重い撮影機材を背負って帰路につく。
長野に帰ってすぐ、今夜の演劇のミーティングに向けて台本を最終調整。書けるところまで書いて、昼過ぎに宮下とナノグラフィカで改定案の突き合わせ。夜8時にネオンホールにてダイスケ以外のメンバーと会合、台本の発表、そして読み合わせ。こおろぎ探偵事務所/カフェシアター出身で、今は静岡のSPACにて武者修行中の山ちゃんが夏期休養中で、急遽この芝居に参加してくれる事が決定、顔合わせに駆けつけてくれた。 ...(simizu)


■2004/08/04(wed)
松本へ取材に出る。仕事が休みだった美咲さんに久しぶりに会う。夜、松本エンギザにて映画『誰も知らない』の試写会へいく。プレス扱いで入れてもらって、タテタカコのミニコンサートを少し撮影。映画は…すごく、よかった。主演の柳楽くんが大きな賞を獲って有名になったけど、彼だけでなく4人全員にとても存在感があって、魅力的だった。自分の兄弟の幼いときの映像を見ているように、照れくさいほどのリアルさがある。台本なしで、ドラマが進行する一年間と同じだけの時間をかけての撮影、実際にあった事件を下敷きにしている、監督はドキュメンタリー出身、など…その“リアリティ”にまつわる要因を言葉で解いていくとなるほど、とも思えるが…よくもこんな映画を成立させたものだ。危機的に歪んだ状況に転がるストーリーをタテマエに、ドキュメンタリーよりドキュメンタリーらしく子ども達のナマの姿を定着することに成功している。コンビニ店員として度々登場するタテタカコも彼女の素のまんまで、それもまたよかった。(ちょっと褒めすぎかな…。)この映画、長野(市)でやらないのかな。出来たらもう一度見たいと強く思う。
夜10時過ぎ、見終わってすぐにナワテ通りに演劇実験室・経帷子のメンバーを訪ねる。そのまま“日和”次回企画のための撮影。オレンジ色の街頭が煌々と灯る路地で、中判カメラに400のリバーサルを詰めて看板アングラ女優・松岡詩野さん(白塗りに着物姿)をじっくりと撮る。ファインダーを覗きながら、松本ってやっぱりアングラが息づく街だとおもう。時代に忘れ去られたみたいな、情緒、いや情念溢れる路地がたくさん残っている。終了後、ナワテの小さな飲み屋で座長の広田さんと詩野さんと3人で飲む。この店も、ちょっとの違いだけど、長野では得られない小粋な感じ…。最終電車を逃したので、ふと思い立って“彗星倶楽部”に電話して伺いを立てて…今夜の寝床を決める。1時頃に経帷子のおふたりにお礼を言って別れ、歩いて彗星へ。店主のユウホと、骨太かつお洒落な若者が迎えてくれた。ユウホによる「ギネスビールの正しい飲み方」講義などを聞きながら、3人で飲む。若者はヒョウ柄に染め抜いた髪とは裏腹に、素朴で気のいいヤツだったな。ユウホのともだちって、いつも突拍子もない外見とか経歴?を持ってるけど、話すと優しくていい人が多い。2時過ぎに2人が帰った後、彗星の二階にて窓を開け放して、快適で幸せな眠りについた。 ...(simizu)


■2004/08/03(tue)
連日の舞台仕事でバテ気味。取材〜原稿書き、ステージにまつわる制作(バンド、演劇など)〜裏方仕事…バランスを取るのが難しい。二日に渡ったNIPAFアジア連続展は、12時頃終了した。今回は東京の柴田さん(ここ数年スタッフの中核として貫禄がついてきた。)の半裸でヨダレをダラダラと垂らす作品が印象的だった。 ...(simizu)


■2004/08/02(mon)
NIPAFアジア特集の一日目。また今年もアジアの怪しい“前衛芸術家”達が沢山やってくる。長野は彼らの2週間に渡るパフォーマンスツアーの最終地だから、きっとみんなバテバテなんだろうな…。それにしても暑い。 ...(simizu)


■2004/08/01(sun)
朝9時頃からヒサエちゃんと機材を準備して、車にぎっしり積み込んで平安堂川中島店へ。“晴晴"”のインストア(正確にはストア前)ライブのPAの為。機材を下ろして、ささっと準備をしてると…すごく暑い。にもかかわらず、早くも炎天下で場所取りに来ている熱心な人々(中高生?)がいる。日射病で倒れないかと心配しながらセッティング。12時半からライブ。晴晴"、また上手くなってるんじゃないかな。ミキサーは一応日陰に設置したが、音の確認のために何度も炎天下の駐車場を走り回ったため、熱射病みたいな状態になって頭がクラクラする。2時頃終了して、今度は駅前に移動、もう一回セッティング。3時半から再びライブ。中低域の美味しいところがハウりやすい場所なんだけど、数百人のお客さんに上手く音が吸われて、PA作業はいつもよりもやりやすい。5時頃終了。昼間の熱が抜けず、まだ動悸が激しい。ネオンに帰るとラブラブスパーク、京都の栗本さん、飯山ガキデカジャグストンパーズ、noteのリハーサル中。哲郎にお願いしてPAはnoteだけにさせてもらう。この日のライブは、初めて見た京都の栗本さんがよかった。エレキギターでの弾き語りなんだけど、音響的な感じで小技が利いてていい感じ。木訥な風貌と相まって、独特の世界を作ってる。砂場とかろんづみたいなバンドのイベントで観たいと思った。スーパーネオンで感じたことをしょこちょこと盛り込んだnoteのPA、なかなか上手くいったと思う。というか、noteってバンドとしてほんとによくまとまってきたなー。終わってからラブスパ長谷川くんと少し話した。 ...(simizu)


■2004/07/31(sat)
今夜のネオンホールは最鋭輝さんと“メルシーマジックオーケストラ”による舞台『お世話になりまSHOW』だった。いつもはギター一本で弾き語り的に、しかしショー的な要素が強いステージを展開する最鋭輝さんに、ウッドベース、バイオリン、ギター、ドラムのバックバンドが加わって、まさに歌謡ショー的なエンターテイメントに仕上がっている。最鋭輝さんもそうだけど、みんな手練れたプレイヤーで、演奏はカッチリしている。全体的に、ちょっとレトロで小粋な感じ。木造のネオンホールの雰囲気ともとても相性がよいなあ。ほとんど客となって楽しませてもらいました。
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■2004/07/30(fri)
予定が入り組んでいて身動きが取れない日々が続く。なかなか日記が更新できない…。久しぶりに昼間に時間が空いたので、今後の予定を整理したり、外回りをしたり。そのあとスロウライの練習、YMサウンドにて。終わってからメンバーで話し込み、12時前に帰宅。
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■2004/07/29(thu)
早起きして遅れ目の原稿を仕上げて、送信する直前に掲載延期の電話。今回は書き直しにならなくてよかった。提出後すぐに今度の演劇の台本直しに入る。ひたすら台詞をいじったり、シチュエーションを整えたり。終える前に夕方、ナノグラフィカ会議に出て、終わってすぐにネオンホールにて演劇の台本会議。台本作りに会議が必要なのか?という疑問はさておき、今回は宮下の原作に徹底的に手を入れている。面白い作業だが、それなりにエネルギーを使う。午後7時からぶっとおしで話して、終わったら午前1時。頭を使いすぎて頭痛になった。さらに終了後チサトとラーメンを食いながらなおも美術に関する打ち合わせ。今まで得た様々な経験と人脈をつぎ込んだ、ネオンホールの演劇プロジェクト。やれるだけやらないと満足しないし面白くないのは解ってるけど、大変だな、こりゃ…。つい最近の電話で、何とゴーグルエースのエリ・ザ・ズクリーミングことえりちゃんの出演が決定! 否が応でも気分は盛り上がる。
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■2004/07/27(tue)
ナノグラフィカにて昼食。シネマセレクト宮崎さん、ケーブルテレビ某氏ほか、色んな人が偶然現れて驚き…つつ話す。その後信濃美術館にて取材、「JAPANファッションの軌跡」展。明治天皇着用のフロックコートと、やまもと寛斎が23歳の時に“装苑賞”を獲った黄色いツーピースが格好良かった。他にもダイアナ元妃着用のドレスとか、なんか皇室の人が着たっていう冗談みたいに巨大な式服とか、色々あったんだけど…ただの洋服として、全てを対等に観れたのが面白かったな。見終わった後、学芸員さんに詳しく話しを訊く。しかし信濃美術館の事務所って雰囲気が変わったな。自分が実習に言った頃(10年ほど前か)に比べると、遙かに明るくオープンになった気がする。これは学芸員さん自身も仰っていたが、間違いなく田中康夫知事のもたらしたことだろう。明確な運営方針を力強く話してもらって、なんというか気持ちよかったです。終わってからFMぜんこうじにていつもの番組の収録。さらにその後門前ぷら座にて演劇の稽古の様子をみにいく。
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■2004/07/26(mon)
ここ数日準備していた次号臨時版“日和”の写真記事を一気に仕上げる。ブローニーポジからのスキャンの繰り返し。カラーマネージメントが中途半端なので、悩んでも悩んでも答えが出ない。でも日付が変わる頃には提出。編集部は不夜城と化していた。
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■2004/07/25(sun)
完全に朝まで飲んだので、さすがにすぐには起きられず。それでも午後イチで待ち合わせ通り、喫茶奈良堂へ。綿内克幸さんと久しぶりに諸々の事をはなす。綿内さん、やっぱり完全にアーティストタイプの人だなあ。(いや、アーティストなんだけど。)そういうひとが、ある程度でも…自分で自分の活動をマネージメントしていくのって大変だと思う。しかし、幾つになっても青年のようでかっこいい人だ。その後ネオンスタッフ会議。議題は次期CDについて、など。今夜のライブは綿内さんと小池さんのツーマンライブ。ここ半年以上、他の仕事と重なってネオンでやってもらってたのに全く観ることができなかった。今回は客席でカメラを構えて、しっかり体験させてもらいました。バックバンドのメンバーがすっかり入れ替わったのだけど、二人との一体感が素晴らしくて、結果としてグルーヴ感溢れる展開を楽しめた。綿内・小池のwebbコンビによるライブでは、僕の知る限りベストだと思う。綿内さんもいい顔してたし、とてもよかったなあ。 終了後、9月の芝居の打ち合わせ、宮下、たまみと。さらにチサトも合流して、午前1時過ぎまで。
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■2004/07/24(sat)
朝から某誌の原稿を書いたり、雑用をしたり。夕方にネオンのリハーサルが始まる。今夜のプログラムは「華麗なるあいつ」。東京でガレージ・R&R系のイベントを主催するロック姉さん・ヨコチさんの企画で、謎のDJ(ロックかつ冗談音楽というかモンドというか)、謎のビデオ(なんていうかkinkyな感じの映像)、アルコールは飲み放題という一風変わったイベントだ。思ったよりお客さんは少なくて勿体なかったが、イベント自体は和やかな?(いや、妙だけどヘンに落ち着く)雰囲気だった。終わって、片付けなどをしてから三島さんと連絡を取ったりして、深夜に飲むことになる。イベントにコメンテーターとして来てたクイックジャパン誌編集長・森山さんと3人で、権堂の某居酒屋へ。森山編集長は、元ミニコミ・“ミエナイザッシ”の編集でもあり、確かその雑誌関連のイベントで会ったのが5年ほど前のことだ。当時は眼光鋭く頭の回転が早そうな文学青年?だなあ、と思ったりしてたのだけど、久々に会ったら…当時の雰囲気も残しつつ、すっかり貫禄タップリな編集長さんへと変貌されていた。雑誌というかマスコミ関係の話しとか、長野ネタなんかを割と真面目に話した。酔ってきて「森山さんは長野のような地方都市で、“新しい”地域文化って成立すると思いますか?」みたいな事を臆面もなく聞いてしまった気もするが、それよりもその後3人で妙な暴露会みたいなネタになって、無邪気に楽しかった。三島さんと森山さんは長野高校の同級生。二人がいたクラスってどんな雰囲気だったんだろう。クイックジャパン誌の編集って、あのテキスト量から察するに相当キツイと思うのだが…森山さんは変な疲れを感じさせない、飄々とした面白い人でありました。帰ろうと思って時計を見ると、午前6時…、空は真っ白。
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■2004/07/20(tue)
奈良の実家にて昼過ぎまで寝過ごす。まあ最近のスケジュールじゃしかたない…が、せっかく関西にいるのに勿体ないことをした。ぼーっとしてるうちにあっというまに夕方になり、急いで荷物をまとめて出発。色々と行きたいところもあるんだけど、長野に残してきた仕事が心配ですぐに帰ることにする。眠るために実家に寄ったみたいだな…。近鉄特急の車窓からだだっぴろい平城京の旧跡が見える。中学の頃に部活でジョギングやトレーニングをしたり、高校の頃は夜、友達と話すためだけに来たり…と色々を想い出し、今度来たらゆっくり歩いてみよう、なんてここを通過するたびにおもうのだが、もう何年も実現していない。新幹線に乗り換え、名古屋で特急「しなの」を待つ。疲れが抜けなくて、なんだかフラフラしてしっかり立っていられない。特急で名古屋〜上松辺りを通る辺りで夕暮れ。逆光が綺麗で何度も車窓からシャッターを切った。
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■2004/07/19(mon)
日記に書くことではないかもしれませんが… 18・19日の『スーパーネオンホール04summer』に来てくださったみなさん、出演者のみなさん(そしてスタッフも)、どうもありがとうございました。色々と変化もありますが…またこの2日間を過ごせてとてもよかったです。プログラムに少し書いた通り、こんなイベントを始めて10年・回数は多分20回以上。しかし今まで10年あったものよりも、これから10年あるもののほうが大事なんじゃないか…今年はまた、やりながらそんな事を考えていました。あ、詳細はまた時間のあるときに書きますね。

“スーパーネオン”2日目は結局朝の3時頃までステージが続き、終わった後に残った人々でぼーっと話していると空がどんどん白んできた。そのまま寝ないで準備をして、始発の特急「しなの」に乗り込み関西を目指す。バタバタの極みみたいな時期にあって、今日はなんと弟の結婚式なのだ。新幹線、近鉄と乗り継いで、朝11時過ぎに奈良の実家に到着。身体が興奮したままなのか、車中ではあまり眠れなかった。駅から出た途端に熱気でクラクラ。やっぱり長野とは暑さが違う。着替えを済ませて家族と大阪へ。梅田の駅前すぐのところで(ライブハウス“ハードレイン”に割と近いと思う)結婚式。ぞろぞろと集まった親戚一同に混じり、スーツを着てビルの中にあるチャペルみたいなところで事の成り行きを見ていると、昨日のスーパーネオンが嘘のような、目の前の光景が嘘のような、なんだかわからなくなってくる。もちろんそんな気持ちとは何の関係もないところで式はすすむ。いつもふにゃっとして、酒を飲まないと言葉も少ない弟が今日はキリっとしている事に気付いて、ちょっと驚いた。表情も子どもの頃のそれに近い。ボケロウさんとバンドをやってるとき(彼は“リッチドールズ”のベーシスト)とは全然違った顔だ。結婚するってこういう事なのかな?と少し思った。(しかしリッチドールズのライブ、今週、大阪のどこかで予定が入っていたような…。)幸せな姿がみれたのは、よかったな。嬉しかった。挨拶をたくさんたくさんして、車で帰るという親戚達と別れ、一人大阪に残る。
少し写真関係の買い物でもして帰ろうかと思ったが、何故か無性に結婚式と正反対?の場所に 行きたくなって、思いつきでミナミのライブハウス“ベアーズ”を目指す。自分が知る限りさっきまでいた場所から最も遠いのがそこだと思ったから。地下鉄で難波まで出て、南海電車沿いをどんどん歩いて…久しぶりのベアーズ、微妙に場所がわからない。すでに大阪球場跡地もないし、道が変わったのか。行き過ぎて新今宮の方まで歩いてしまう。路上にはそこで暮らしている人、焼けただれて朽ちた自動車、ぐちゃぐちゃのゴミ、叫び声、異臭が溢れる。コンビニで道を訊くと逆方向を教えられ、さらに迷う。大阪の熱帯夜のなかスーツにネクタイのままなので、全身汗まみれだ。小一時間も迷って足がパンパンになってきた頃、見慣れた道に出て、やっと到着した。プログラムは半分くらい終わっていたけど気にせず入ると、“ナスカ・カー”が電子音とハウリングの洪水の中で絶叫している。随分前にCDを聞かせてもらったことがあったが、なんか全然違うぞ。ドラムとかベースとかじゃなくて、ステージにはただギターアンプが山積みにされているだけ。これはこれで面白いからいいか。要するに今夜のベアーズはノイズ方面…まったくおあつらえ向きだ。ビールを飲んで汗をダラダラ流しながら、爆音で意味不明だが実は和気藹々としているその場の空気に埋没した。ベアーズっていつ来ても変わらずメチャクチャでいいなあ。終了後、また近鉄で奈良に帰る。長い一日…というかいつからちゃんと寝ていないのだろう。実家の弟の部屋で、電気を付けっぱなしにして眠ってしまった。 ...(simizu)


■2004/07/18-19
整理中。 ...(simizu)


■2004/07/16(fri)
最近深夜まで何らかのミーティングが入っていることが多くて、生活のペースがメチャクチャになっている。多分7月が過ぎればマシにはなると思うのだが。昼から、某誌のグラビア的コーナーのための撮影を、駅前のc-oneビルの前の路上花屋さんで行う。デジタルで鈍感になった頭だと、ブローニー・カラーポジの撮影はリズムをつかむまで少し時間がかかる。モデルのようこさんは、今まで何度か絵にさせてもらった事があるひと。とても面白い顔をした女性で(変な意味じゃなくて…いい顔ってことです。)ずっと見ていて飽きない。天気もあまりよくなかったけど、取り敢えず何カットかだけでも押さえが欲しくて、ちょっと粘った。
そのままナガノフジカラーに現像をお願いして、外回りのあとネオンスタッフミーティング。明日からのスーパーネオンを控えて。始まる直前に京都から風博士の杉さんが到着。いっしょにミーティングする。ほかに秋リリースのオムニバスについて…など。終了後、チサトとウマ台本打ち合わせ。さらに終わってから、権堂のジャズバー“ミュージシャン”にて杉さんとCDの予算面やスケジュール面を話し合う。話がだいたい終わったところで三島さんと合流、3人でインディアにいって、少し飲んだ。三島さんの報道現場からみた選挙の話、面白かった。 ...(simizu)


■2004/07/15(thu)
提出したり、描き込んだり、ゲラを直したり、考えたり、モニタに向かったり、電話をしたり…そんな感じ。実は今週って、ネオンホールにとっては一年で一番忙しい時期なんじゃないか?な。チサトと馬のミーティングをした気がする。何をしていたのかぱっと思い出せないような感じ。うおー! なんかストレスやぞ。そういえばたまたまゴーグルエースのwebを見たら、掲示板のカキコミが半分以上英語(+他国の言葉少々)になっていてびっくり。ヨーロッパツアーも無事に終盤を迎えてるみたいだ。英語の書き込みにも日本語の書き込みにも、カマチ君がひとつひとつ丁寧に答えていて、かつ文面からはまさに転がるようなロック魂が溢れていて、読んでてなんか涙が出てきました。がんばってるんやね、おれもがんばるよ…って、疲れてるのか?自分…。 ...(simizu)


■2004/07/14(wed)
ひたすら原稿に手を入れつつ、合間に雑用をこなす。夜、ネオンオールのカウンターでは小原さん、テツロー、theEndサクライの3人がもそもそと話しをしていた。ギター夜学のミーティングかな? 22時からナノグラフィカで、9月の松本演劇祭で演る芝居の改訂台本チェック。ダイスケ、宮下、チサト、たまちゃんと。宮下が少ない時間の中で、内容の濃い手直しをしてきたので、話しがすすんでとてもよかった。でも終わったのは翌日2時。 ...(simizu)


■2004/07/13(tue)
色々と雑用をこなしながら、新聞原稿に手を入れる。いつからか、週の前半は〆切前の原稿を仕上げる時間になってるな。ペースが出来ているといえばそうだけど…まだまだ乗りこなせていない?かな。夕方、今日は休ませてもらおうと思っていたラジオの収録に結局参加。でもそれはそれで楽しかった。近頃また自分の中で流行ってきた?ソフテロの曲を流す。終わってすぐに“もんぜんぷら座”の地下リハーサル室へ。演劇の稽古を見て、演出めいた話しをあれこれとする。その後チサトと夕ご飯を食べて、家に帰って少し仕事。 ...(simizu)


■2004/07/12(mon)
仕事はたまっているけど、疲れに負けて身体を休める。夜、YMサウンドでスロウライの練習。やっとすこーしグルーヴが見えた気がして、嬉しかった。 ...(simizu)


■2004/07/11(sun)
朝起きて、まず選挙に行った。長野市・鍋屋田小は朝から混雑してました。そもそも現行制度で参院になんの価値があるのだろうか?とか、近頃の(いや、別に近頃でなくてもそうだけど)政治を(報道を通して)見ていると、どんどん馬鹿らしくなって政治関心が失せる…とか、参院選挙に対して消極的になる理由がけっこうある。でも年金問題にしろ派兵にしろ…ここんとこあまりにも、ぞっとするくらい酷いと思う。あと、少し前にあった「参院で審議されている輸入CD規制法案に反対する署名」の事も強く記憶に残っている。友人に賛同するつもりで署名に協力したんだけど、やっぱり署名するだけして投票に行かないってのは、自分にとって明らかにおかしいと思ったから。主体的に署名(=政治決定_の可能性_に対する意思表示)するのに、選挙に対しては思考停止ってのはどうなんだろう。で、選挙って当たり前だけどやっぱ軽視しちゃイカンよな…と思いつつも、あまりそれを人に話す気にならない自分。どうして輸入CD規制には大手を振って反対できるのに、選挙に行こうって言うのは声を大にして言いにくいんだろう。結局ファッション性に振り回されてるだけ? 
で、ともかく行かないでほんの少しでもウダウダ言うのは嫌なので(積極的に投票に行かない、という思想が自分にあるわけでもないし。)まあ疑問を抱えたまま、投票には行きました。そこで改めて思ったけど、「比例代表」って酷い制度ですね。このひどさを実感して、危機感を募らせるだけでも行く価値があると思うくらい。あと、おっと、こういう事を書き始めると日記から逸脱するので、取り敢えず止めておきます。(矛盾するようだが今の自分が考えるとこんな感じが近いかも。)

その後、ヒサエちゃんとしのみの車で一緒に駒ヶ根へ。駒ヶ根高原美術館の取材だ。更埴インターから高速に乗って、駒ヶ根へ。天気予報は雨だけど、雲の多い晴れって感じの天気で涼しい。昼過ぎに美術館に到着して、早速作品展を見る。まずはお目当ての特別展「選ばれた21の表現」から。常設展示の本館からは独立して立てられた別館、それ全体を使って21人の作家による作品が、約40点展示されている。最初は何も考えずに、さーっと全体を見る。一息ついてから、もう一度スタートラインに戻って、今度は一点一点をゆっくりと見ていく。そして、次は常設展示…ゴヤ、草間、池田、などに専用の展示室があり、ちょっと大きいギャラリーの集合みたいだ。中でも一番気合いの入った展示、藤原新也の“メメント・モリ”を円を描くように配置した部屋が面白かった。写真集で見るよりもずっと迫り来るものがある。受付で挨拶して学芸員さんに話しを聞いて、またもう一回特別展を見て、写真を押さえて、また話して。あっという間に時間が過ぎた。
待ち合わせをして、しのみ・ヒサエカップルと車で帰った。ちょうど夕日が沈んでいく時間になり、車窓から見えた伊北の田園風景がとても綺麗だった。
あ、プログラム上の都合で今日のネオンホールは臨時休業でした。 ...(simizu)


■2004/07/10(sat)
松代に取材撮影にいく。いままで某誌の連載をずっと見てくれてたという珍しいひとと、ひょんなところでつながったので、モデルを頼んだ。ネオンホールで待ち合わせて、彼女の車にのせてもらう。30分ほどで到着、撮影。さびれまくった駅が何ともいい雰囲気を醸し出している。雨が降ってきたので避難を兼ねて、近くの旧松代藩文武学校でやっている木村仁先生の“羽プロジェクト2004”を見に行く。受付に先生がおられて、少し話した。信州大学教育学部美術科のなかでは一番活発に作家活動を続けられていて、見習うべき点は多い。文武学校は江戸時代に藩学所として建てられた立派な木造建築。武士の学校だけあって、簡素かつ機能的で装飾的要素が少なく、気持ちがいい。人があまりいないせいかものすごく静かで落ち着く。そこに巨大なアルミ製の羽がどかん!って感じで置いてあって、意味不明といえば意味不明だが、鶴の羽だってことは多分日本人なら誰でもわかるだろうし、場所が松代だって事を考えたら何となくシンプルなメッセージが滲み出て来るような気もする。
雨の様子を見ながらゆっくりと巡ってから、もう一度駅前で撮影。終わってからネオンホールに戻ると、もうリハーサルの時間だ。今日のPAは久保君とテツロー。
本番、一バンド目はハナダイズ。Kレーベル的しょぼロックと内向的な日本語詩…な愛すべきトリオ…が、ショボくなくなってきている? 特にドラムが上手くなっていてうれしかった。音も分厚くなって、より広い層に受け入れられそう。ハナダイズも結構長いもんなー、と独り感心。二つ目のバンド・ふきだまりはアコースティック5人で女性のツインヴォーカル…曲は割と普通の恋愛っぽい歌が多いと思うんだけど、この日はヴォーカルの片一方の子が、ごくフツーのTシャツのうえに水着のブラジャーをしていて、全スタッフに疑問抱かせていた。ああいうのって流行っているんだろうか? 久保君もテツローも、理解できずにいろんな妄想を繰り広げていた。構成とか楽曲は面白いんだけど、歌詞とヴォーカルがごくごく普通で聞き流してしまう所がもったいないバンドだなあ。ラストは今や重鎮…って空気さえ漂う孤高のシューゲイザー?TVDinner。各パートの演奏が安定するのはもちろん、構成やフレーズもどんどん面白くなっていくので、見ていて飽きない。長野では他に例を見ない美意識を貫く、希有なバンドになってると思う。逆に好きじゃない人にはとことん興味を持たれないかもしれないけど、そこがまた潔くてよい。 ...(simizu)


■2004/07/09(fri)
ネオン関連でする仕事がたくさんあって、右往左往する。昼ご飯をナノグラフィカで食べてから、2時過ぎにネオンでダイちゃんと芝居についてミーティング。終わった後、夕方さらに宮下と台本についての話し合い。綿密に、慎重に…。ネオンにて8月予定の情報誌さん向けデータ作り、スーパーネオンについての電話連絡…など。そういえば夕方に雷が凄かった。1時間くらい、スタジオでストロボを連射しているような派手な閃光が続いた。あまりに凄いので作業を中断して窓から眺めたほど。長野の雷はとても近いので、迫力がある。この世の終わりみたいだった。
近頃スケジュールが密集しすぎて、どれも頭を使うものばかりで(…それのみかも。なんか肉体労働が恋しくなってきた。)意識が飛びそうな感じ。しっかりしなくては…! ...(simizu)


■2004/07/08(thu)
近頃過密だったので、ちょっと長めに眠って。平安堂に入って、資料本とマンガなどを買い込んで、その後このまえ書かせてもらった記事の掲載紙を持って「モノクロームあおば」へ。一息ついて、たまった雑用をこなす。夜10時からネオンスタッフミーティング、清水、宮島、下島、久保で。次回オムニバスCDの詳細について。随分に詰まった。12時頃終わって、すぐにチサトと9月・松本演劇祭での芝居についてのミーティング、参考ビデオを見ながら。「馬」の時とは違い、熾烈な話し合いになる。3時頃終了。うー、ヘロヘロだけど、プロデュース側の作業としては最初が肝心なので、ここで気合いを入れておかないと。 ...(simizu)


■2004/07/07(wed)
遅れた某誌の原稿を書く。飯田のシンガー・タテタカコについて。書きながら新譜のサンプル盤を繰り返し繰り返し聴いた。数十回も聴いたけど、全然飽きなくて、むしろどんどん癖になった位。今年の初めに撮らせてもらった写真をスキャンして、ちょちょっとレイアウトして仕上げる。編集部に持っていって、もう一本に取りかかる。日付が変わる頃に完成。久しぶりに自分の部屋に帰って、眠った。 ...(simizu)


■2004/07/06(tue)
起き出してネオンホールで雑用。身体が重くて、机に突っ伏して眠ってしまった。外はバカみたいに暑い。遅めの昼食の後、古着屋メロンに寄ってガクちゃんと話す。ちょっと行かないでいたら、大幅にシンプルに模様替えされていた。話しながらふと気付くと、奥に移動したカウンターになんか見覚えが。あ、これはもともと古着屋メランポにあったものだ。まわりまわって、ここに来たのか。メランポが新装で開店したときは、自分のことのように嬉しかったな。T&T三井君の手作りで、シンプルにかっこよく作られたこのカウンターを囲んで、何でもないような話しに夢中になったものだ。少し古びたけど、また好きな場所で会えてなんかうれしい。なんてことを考えながら、絵とか展覧会のことをガクちゃんとしばし話す。帰ったら、いよいよ差し迫った原稿に手を出す。7時頃からFMぜんこうじでいつもの収録。綾子が急用でこれなかったので、宮沢さんとイイダゴウと3人で咄嗟に乗り切る。終わったらすぐに“もんぜんぷら座”の地下練習室へ、芝居の練習で。ラヴダイヤモンズ改訂版の初期トレーニングだ。終わってから宮下とたまちゃんと進行全体を詰めた。ネオンに帰って、また原稿をいじり始めたが、どうにも怠くて、そのままネオン泊3日目。 ...(simizu)


■2004/07/04(sun)
朝・早起きして一人でバンドの個人練習などする。スロウライは構成とフレーズを覚えないと全然進行しないタイプの曲が多いので、せっせとトレーニングするのだ。どうも物覚えが悪いので、すぐに忘れてしまうのだけど、とにかく繰り返し練習するのみ! 11時からYMサウンドで練習。なんとか少しずつ仕上がってきた。終わってネオンに戻って、すぐに3時からスタッフ会議。スーパーネオンについて、あと会計関連、ブッキングの事など、けっこう重い話題がつづく。今までそういう問題は自分やヒサエちゃん(以前はたまちゃん)が話していることで、スタッフの話し合いにのっけるようなことはなかったのだけど。どうなんだろうか。4時半からリハーサル。今夜は今沢カゲロウさんのライブ。で、対バンは松本の天守閣と我々“馬”。今日は「我が輩は馬である」ってタイトルで漱石ネタをするつもりだったのが、いつの間にかアルミニウムと島耕作の話しになっていたという訳のわからなさ。台本の仕上げが出来ていなかったので、抜け出して大急ぎでノートにまとめにかかる。完成したら、全く何も考えていなかった現代美術講座を考え始めて…もう6時半だ!今までにも増してホントに時間がない。大正時代の前衛アート集団“マヴォ”について話そうと思ったが、どうしても資料の本が見つからない。家に帰ってまで探してみたがどうしてもない、ので…1組目の天守閣のライブ中にヨーゼフ・ボイスの“7000本の樫の木”の話しに切り替えて、ギリギリのところでレジュメをつくった。なんとか本番を終え(苦労してやるような舞台でもないのだけど…でも、結局楽しいってことは…やっぱりああいう不条理モノが好きなんだろうな。かなり。)そして今沢カゲロウのステージだ。ベース一本でどこまで面白くできるか、って姿勢は一種の芸人だと思う。最近は演奏よりもトークが磨かれて行くような気がするが…それだけ沢山ライブをされてるんだろうな。終わってから、カウンターで遅くまでカゲロウさんと話し込んだ。そのままネオン泊。 ...(simizu)


■2004/07/03(sat)
はやしいとさん達と、note、TheEndのライブ。何しろステージ上のいとさんに久々に会えて 嬉しかった。 えーと、まだまとまってないので後日こっそり更新します。 ...(simizu)


■2004/07/01(thu)
早朝に起きだして記事の仕上げ。まだまだ時間がかかりすぎる。些か散漫な文になるが、池田満寿夫の活動が多様すぎるということで…無理に納得して提出。しばらく放心して、雑用にかかる。夕方、自分の作業をしに権堂の奈良堂へ。手術でしばらく休まれていたママさんと再会して、試しに池田満寿夫の事を聞いてみた。やはり、高校生の頃から奈良堂に出入りしていたとのこと。公式な記録にも、上京後に「長野市権堂の喫茶店・奈良堂にてグループ展」とあるが、長野北高(現在の長野高校)在学時代から顔を出していたらしい。実家は市内の緑町にあったとのことだから、奈良堂へは歩いても10分とかからない。当時の奈良堂は画材も扱っていたと言うし、画学生の溜まり場だったらしいから当たり前といえばあたりまえのことか。「あの人の画風に馴染めなくて、よくケンカした」「奥さんが変わるたびに連れてみえた。私は最初の人が好き」(池田満寿夫は3回連れ合いを変えている。)なんて言ってママは笑ってた。10代の池田満寿夫と、20代のママが会話している図って、うーん、すごい。その約50年後の常連の僕としては、ただただ想像するしかないのだけど・・別に僕は池田満寿夫の大ファン?などではないが、同じ場所に通ってきているのがとても不思議だ。そういえばトイレの脇に愛嘔の版画が何気なくかかっているのも、池田満寿夫繋がりなのだろうか。階段に貼られている茶色に変色したポスターが、今日はなんだか輝いてみえた。 ...(simizu)


■2004/06/30(wed)
某誌の記事を仕上げにかかる。家にこもってそれだけしかやってなかったような…。なんか身体が怠くて眠ってしまった。昼間、とんでもない夕立が降った。スコールみたいな(って、スコールは見たこと無いけど。でも沖縄の台風と同じかそれ以上だと思った。)集中豪雨で、すごい大粒の雨が完全に横向きに降っている。いや降るって言わないか、吹いているって感じ。この世の終わりかとおもった。これが一時間も降り続いたら相当沢山の場所で河川の決壊が起きるぞ…なんて思っていると、15分程度でピタリと止んだ。ちょっと残念な気持ちになりつつも、すぐに忘れて机に向かった。そういえば今日はたまちゃんの誕生日だった。それで、という訳でもないが、記事の合間に何故か一緒にラーメンを食べにいった。 ...(simizu)


■2004/06/29(tue)
雑用の後、ナノグラフィカへ。お昼をもらってから、県民文化会館近くの風呂屋さんの廃屋に、家具などをもらいに行く。綾子が埼玉に転居している家主を捜し当て、交流した!結果、取り壊しになる前に古家具を持ち出す許可をもらったのだ。哲郎、なつみちゃん、綾子、はるかちゃんと出かける。追ってカワムラ君とその後輩も来た。10年以上営業してないボロボロの風呂屋に、さらに何十年か人が近寄った気配のない住居スペース。長年積もったチリやカビ、タンスの中のナフタレン、得体の知れないすえた匂い。廃屋には慣れっこなので、(ネオンホール自体、元廃屋みたいなもんだし。)あまり不気味にも思わないが、熱気と汗でからみつくホコリは如何ともしがたい。タンスや棚を持ち出した所で時間切れになり、皆を残してもう一度松代へ。池田満寿夫美術館の取材だ。元祖マルチタレントと言われるだけあって、残した作品は多様・展示作品も大量。見るだけでも結構エネルギーをつかう。初期の鬱屈した油絵や、60年代の妖しくエロティックで単純に言ってオシャレな版画が、やっぱり馴染みやすくて好きだな。エロだがグロではないし、実験的というほど過激なことはしない。大衆的で、今見るとアート作品というよりはグラフィックデザインって感じ。それも横尾忠則みたく時代を超えて圧倒的なパンチ力があるわけではなく、よくも悪くも目に優しいというか。当たり前だがちょっとレトロで、そこがまた親しみやすいのだけど。無理矢理言うなら、クウネルとか最近の暮らしの手帖的な意味で今日的かも。こんなこと記事には書けないな。なんて、どうでも良いことを考えながら色々に見入った。出るときに館長の宮沢さんに出てきて頂いて、そのまま横の喫茶部門でお話しを聞かせて頂く。今回の展覧会の話しが脱線して、1960年空70年代の前衛芸術とロックがテーマになる。宮沢さんは60年代に“みづゑ”“美術手帳”の編集長を務めて、さらに音楽ライターもされていた。つまり日本の戦後現代美術の一番美味しかった頃を、専門的なマスコミの中心人物のとして見聞きされたとても貴重な人だ。(60年代の美術手帳は散々古本屋で探して読ませていただきました。)ベルベットアンダーグランドほか、そのテのロックアーティストの邦盤ライナーノーツも多数書かれている。僕にとっては池田満寿夫本人よりも館長の宮沢さんをリスペクトしたいというか。ルー・リード“メタルマシーン・ミュージック”のライナーを書いた頃のエピソードが面白かった。来日したルーが宮沢さんの文章を気に入って呼び出した、その時のリーリードの顔つきといったら…なんて話しに夢中になり、気付くと閉店時間。もっといろんな逸話を聞きたかったなー。現代美術(とりわけ反芸術方面)にせよ、ロック系の事にせよ…面白すぎるので、講演会を企画したいと思ってしまうほどだ。
6時頃、後ろ髪引かれつつ長野に戻り、FMぜんこうじでいつもの番組の収録。終わって帰って、昼間もらった家具を綺麗にして、そして机にむかう。 ...(simizu)


■2004/06/28(mon)
週末の重い疲れが抜けきらず、午後2時頃まで眠りこけた。こんなのは久しぶりだ。寝坊を悔やみながらのそりと起き出して、思い立って予備取材?に行くことにする。一応電話を入れてからバイクに飛び乗り、松代の池田満寿夫美術館へ。久しぶりで道に自信がなかったので、国道18号から行こうとして、標識通りに進んだが逆にめちゃくちゃに迷ってしまい激しく後悔。閉館時間ギリギリに到着して、ざーっと中を見せてもらった。久々に館長の宮沢さんとお会いした。数年前に信濃美術館の細江英光展で挨拶して以来ではないか。長野に戻って、チサトと芝居のはなし。彼がいろんな提案を受け入れてくれて、9月の公演が一層楽しくなりそうな気がしてきた。 ...(simizu)


■2004/06/27(sun)
ネオンで目覚めたら10時半。坂田君が迎えに来る時間だ! 幸い少し遅れると電話があり、簡単に身繕いして待つ。バンドの練習で松代のスタジオへ。完成した楽曲に合わせて弾くってことを、ここ数年あまりしてこなかったので、なんというか不思議な気持ち。ボスダブと使っているコードというかスケール感が全然違うので、戸惑いつつも、久しぶり(一ヶ月ぶりかな。)にベースを鳴らして興奮した。ネオンに戻ってスタッフ定例会議。スーパーネオンのスケジュールがほぼ、決定する。程なくリハの時間になり、今日はスタッフ総出だったのでまかせて、壊れたベースアンプの部品など買いに行く。今日のライブ、1つ目はエイトヤマザキ。また歌が上手くなってるんじゃないかな? さらに力が上手く抜けていったらいいな。2つ目は伊那から来たgnosis。なんというか、久々にデッドロックを見た気がした。皮肉じゃなくて面白い。開き直ったパワーって、凄いな。下島君が異様に興奮していたのが面白かった。次はスタートルガーデン。久しぶりにゆっくり聴くと…すごくよかった。いつの間にか数段パワーアップしている。特にドラムの重さが飛躍的に増して、全体に突き抜けるような疾走感がある。ストレートなギターポップもステージを積み重ねると、どんどん深くなっていくんだなあ。何となくヴォーカルMCがポップガイ和田君を彷彿とさせた。最後はろんづ。新曲が細野というかジンタを思わせて、個人的にはとても好き。若干ドラムが不調だったようだ。終わってからヴォーカルのまーしとも話したが、楽曲もメンバーのキャラクターも、最初に到達したある点・・ろんづがろんづとして認知された(まだまだ壊したり再構築したりする余地がある、)最初の到達点をなかなか越えることが出来てなくて、ここのところ若干停滞気味な気がする。次の展開を心待ちにしているのだけど、新曲はその萌芽だと信じたい、です。そんな事を言いたかったのだけど、少し酔ってたのと昨日の疲れでうまく話せなかった。終わってからまた、出演者やスタッフとだらーっと話して、結局遅くなってしまった。そのままネオン泊。 ...(simizu)


■2004/06/26(sat)
まとめてる途中です・・。
(…まとまんない気もする。なんせ、キングブラザーズは凄かった。記録的・記念的な夜だったかも。) ...(simizu)


■2004/06/24(thu)
先週、姫路に帰っているジュンとサヤカから夏みかん?が一箱届いた。昨日、小豆島に移り住んだ河本から熟れたすももが二箱届いた。スタッフで食べるには多いので、ネオンを訪れる人々やナノグラフィカにおすそわけ。離れた友人に、自然と食べ物を贈れるような生活っていいな。食べながら、送り主のことに想いを馳せた。どんな気持ちで送ってくれたのだろう。何となく、彼らの周りには緑が広がっているような気がした。

ネオンに仕事に出る前にナノで朝食。おみそ汁に玄米ごはん、近くの豆腐屋で買ったできたての油揚げに、いただいた野菜のサラダ。生まれ育ちのせいか、古い町屋ってやっぱり落ち着く。ふと見ると、週明けにもらってきた柱時計が元気に動いている。恐らく戦前の製造で、かなり使い込まれたものだけど、時間は正確だ。素晴らしい。何日巻きなんだろう。止まるまでほっといて試してみるか。しかし、じーっと見ているだけでも退屈しない。が、そうもしてられないので出掛ける。かんかん照りの中央通りを自転車で下るのは、とても気持ちがいい。

ネオンにて事務作業と原稿書きを進める。最近とにかくデスクワークが多い…。仕事をしながらスロウライの練習録りMDを繰り返し聴いた。夕方、メールにて原稿提出。なんかつぶやきみたいな内容になるが、まあずーっと続いている中の一つだからいいか。この連載ももう60回を越えてる。最近長野(市周辺)の音楽関係とか舞台関係、映画関係ってちょっと元気がないと思うのは僕だけだろうか。(…もちろん自分たちも含めて。)何事にも波があるから、また盛り上がることもあるのかもしれないけど。いや、長野に限った話しではないのかな? 
提出し終わってすぐ、芝居のミーティングでの配布物作り。で、即ミーティング。〜11時頃まで。 ...(simizu)


■2004/06/23(wed)
たまった事務作業を少しずつこなしながら、原稿を書く。まだまだ効率が悪いなー…。頭が文章モードになるまでのタイムロスが長すぎる。夜も更けた頃、某編集部に提出に行く。どよーんとした蛍光灯の下で、疲れた人々が作業している。あ、今日はまだピークじゃないんだ。一番ヤバイ日は、みなさんの疲れが最高潮に達しているにもかかわらず、張りつめた緊張感からか、逆にギラギラとみなぎるパワーを感じさせられて…わかるのだ。チェックの後、ちょこっと雑談してネオンに戻る。さらにチサトと馬や芝居についての即席ミーティング。もう一本の原稿を残して、でもやっぱり眠ってしまった。ネオンホールも夏に向けての仕事が溜まっている。効率的に進める術を考えなくては。思いやりと思い切り、だな。 ...(simizu)


■2004/06/22(tue)
文章原稿の事を考えつつ、雑務に追われる。昼、ナノグラフィカで昼食。訪れていたオリンピック選手兼新聞記者!の中山さんと身体のはなしなどしつつ。アヤコがこの前行った風呂屋の廃屋の家主と交流した結果、柱時計をもらってきた。八角形でいかにも振り子時計!という面構えをしている。恐らく戦前のもので、持ち主によるとドイツ製らしい。煤を払ってゼンマイを巻くと元気に動き出した。その後、権堂の喫茶奈良堂にて仕事の整理。夜、いつものラジオの収録、その後ミーティング。

約10日ぶりに一気に日記を更新しました。やっぱ頻繁にやらんと駄目だなー。 ...(simizu)


■2004/06/21(mon)
移動して人に会って…がちょっと多かったからか、疲れ切った週明け。午後一番で緑町・“モノクロームあおば”さんの取材に行く。前から何か記事にさせてもらおう!と思っていたのでうれしい。台風のなか、写真現像についてのお話しを沢山聞く。県内でモノクロ専門の現像所はおそらくここだけなので(他にあったら知りたい)、何とか発展的に展開してほしいなあ。白黒プリントについて語るご主人は心から写真を愛しているといった風で、聞いてるだけでもじーんとしました。奈良堂で色々をまとめ…家に帰ってさあ、原稿。
...(simizu)


■2004/06/20(sun)
午後一でカフェ・ジョリにて某編集さんとずっとストップしている某誌の会議。新展開が始まるか?というか始めなきゃ。 久しぶりにいったジョリのランチメニューがヴォリュームたっぷりで美味しくて、うれしかった。3時からネオンスタッフ会議、ヒサエ・下島・久保・清水の4人で。今まで定例会議を持たなかったのだけど、思うところあってステージスタッフを中心に週一で話し合いを開始。もっと早くこうすればよかったんだよな。夏のイベントや次のCDについてなど。終わって、5時前からネオンホールプロデュースになった演劇公演『ラブ・ダイヤモンズ』のおはなし。宮下とたまちゃんと。全体イメージの変更や、ストーリーのシミュレーションなど。結構白熱する。7時頃に終わって、ネオンホールへ。テケテケ天狗、月ノ民、アコースティックアンバーランドのライブ。PAは下島くんとテツロー。地元バンドで言うとTVDinnerとビーグルスと与良ヨットスクール(或いはnote)で三角形をつくって、その重心に位置するような“テケテケ天狗”がよかった。色んな人に見てもらいたくなった。久保君がドラムを務める〜アンバーランドは、妙なテンションでちょっとグチャっとしすぎだったか? でも良いバンドだと思う。終わった後、三島さんと連絡がついたので駅前まで出て飲む。少しのつもりが話し込んだ…いつものことか。 ...(simizu)


■2004/06/19(sat)
京都のべーちゃんとダイちゃん宅での朝。二人の子どものしょうちゃん(2歳)が大人の眠さなどモノともせずに、暴れ回っている…が、めちゃくちゃ可愛い。臨月の時にレコーディングをしたのがつい最近の事なのに、子どもってこんなに早く大きくなるんだな。朝食をいただいて、仕事に行くダイちゃんと一緒に家をでる。バスで京都駅まで行って、まっすぐ新幹線に乗り、夕方に長野着。電車の中では殆ど熟睡していた。今日はネオンホールの階下に出来たカフェで初めて電気モノのライブがあるので、様子をみなければならない。ネオンホールのライブは クレーム・ザ・ノーツとスラッピードランク。PAは久保君と自分だ。ライブはいい感じでフレンドリーでブルースな?雰囲気だったな。スラッピーの唐沢ボスもご機嫌。この人のライブの時の顔っていつみても幸せいっぱいで、見てる方も楽しくなる。終わった後、たまちゃんと芝居の打ち合わせの為ナノグラフィカへ。
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■2004/06/18(fri)
大阪のアパートで朝を迎える。じっとりとした湿り気が関西に住んでいた頃を想い出させる。9時前、バイトに出かける弟と部屋を後にする。二人乗りをして難波へ。限りなく頼りない弟だけど、いよいよせっぱ詰まって少しはしっかりしてきたようだ。別れて、近鉄で奈良へ。10時頃家に着くと、用事があって仕事を休んだ母がいた。遅い朝食をとりながらひとしきり話した後、昼前に映画監督の河瀬直美さんの家を母と共に訪ねた。映画“萌の朱雀”で彼女のことを知ったときは、同じ奈良出身(しかも家も学校もかなり近い)で、生まれ年も学年も全く同じなのでちょっと驚いたり。その後、彼女が奈良で持っていた民家を改造した事務所兼・映画製作者集団詰め所?の“組画(くみえ)”のスタッフと仲良くなったり、何故か母が監督本人と顔見知りになったりと、まあ色々と気になる事はあったのだけど、本人と会ったのは初めて。家は佐保川の側・中学校の頃の通学路をちょっと入ったところにあった。薄着でまだ生まれて2ヶ月の子どもを抱く河瀬直美さんは、和風のきりっとした美人。写真や映像で見るとピリピリと音がするような緊張感をまとった人だと思っていたが、子どもがいるからなのだろうか?それとも実際は違っていたのか…自然体でリラックスしていて、部屋の中は不思議な安心感であふれている・・ような気がした。在宅出産した時の生々しい写真や、出産直前に山の中で夫と撮ったヌードなどを見せてもらいながら、ぼーっと話をしをした。その間にも子どもは彼女の両胸から母乳を吸ったりしている。初めて会った人・初めて行った家なのにとても落ち着いて、また彼女が発している強い意思からくる思念の力?みたいなものが心地よくて、僕にとってはとても幸せな時間だった。帰り際にたまたま持っていった一眼レフで少し撮らせてもらった。いつも使っているモノクロフィルムが入っていたものの、全然使いたい画角じゃないレンズしかなかったのがすごく残念。それでも夢中でシャッターを切る。
親が出かけた後、実家で少しメールの整理などをしているうちに、疲れが出てきて眠ってしまった。そういえば最近、睡眠不足だったな。5時頃起きて、荷物をまとめて再び近鉄で大阪へ。生駒トンネルを抜けたところで大阪平野の夕暮れが目に飛び込んでくる。空気が汚いせいか遠くは霞んで見えず、うすい朱色に染まった高層建築のシルエットと空のグラデーションが渾然一体となっている。長野で見る夕暮れとは全然違う美しさだ。予備校の帰りによくぼさっと眺めたものだが、随分とビルが増えたな。鶴橋で降りて環状線で梅田へ。今夜はライブハウス“ハードレイン”で催される『ビート・ゴーズ・オン』というイベントを観に行くのだ。8時前に走って着くと、加納良英くんが歌っていた。うねうねとしたメロディーと言葉、ロックバンド然としたギターリフ。油断すると客に突っ込まれる和気藹々とした?MC。久しぶりだ、大阪だ。ボケロウ、ベートルズ、正垣祐樹と、僕にとってはお馴染みの出演者。ボケロウのハーモニカ吹き語りが一番心にしみたな。イベントが20回目ということで、気合いが入りまくっていた正垣さんもよかった。
11時半頃に終了。同時に京都にあるべーちゃんの家に泊めてもらうため、急いで出発する。直前に「ボスダブの人ですよね?」と声をかけられたのには驚いた。JRで京都まで出て、タクシーで上賀茂の彼女のアパートへ。1時半頃だったけど、ダンナのダイちゃんが起きてビールを買ってきてくれた。3人で話して、3時頃眠る。長い一日だったな。
...(simizu)


■2004/06/17(thu)
ゲラをチェックして、またナノグラフィカにて演劇の話をしたあと、2時過ぎのJR特急しなので関西に向かう。寝不足だが眠くならず。7時頃に大阪について、弟と久々にあって、夕食〜バーへ。彼は来月結婚することになっているのだが、色々と不安定なところがあるので、会っておきたかったのだ。バンドの話や生活諸々の話をした。9時頃店を出て、自転車で二人乗りをして難波のちょっと向こうにあるアパートを訪ねる。初めて会った彼女は、写真で見るよりも可愛い人だった。つわりが全然ないとかで、肉料理なんかを沢山つくって迎えてくれた。終電で帰ろうと思っていたが、あっという間に時間がすぎてしまったので、結局泊めてもらう事になった。弟はすぐに酔いつぶれて眠ってしまったが、その後彼女と遅くまでポツリ、ポツリと話し込んだ。
...(simizu)


■2004/06/15(tue)/16(wed)
某誌の原稿の仕上げ。春から、それまでと逆転して描くより書く原稿が増えたので、なかなか進まずイライラする。夜9時、ネオンホールにて劇団こおろぎ探偵事務所の宮下と大ちゃんの3人で話し合い。3月にこおろぎとネオンの共同プロデュースで行った演劇『ラヴ・ダイヤモンズ』の9月・松本演劇祭参加公演について。いい感じで話しがすすんだあと、帰ってまたすぐに原稿に向かう。結局カンテツで仕上げた。そのまま寝ないで、今度は新聞原稿の書き直し。徹夜明けに細かい部分に神経を行き渡らせるのはツライが、あの手この手で眠気を覚まし、何とか9時頃には提出。夜、ナノグラフィカにて宮下とたまちゃんと3人で芝居について会議。紆余曲折の末、9月公演は『ラヴ・ダイヤモンズ改訂版(仮)』のネオンホールの単独プロデュースでいくことになった。またやることが一つ増えた…楽しみつつ・効率的にもってかないとヤバイ。 ...(simizu)


■2004/06/13(sun)
昼、ナノグラフィカにて9月の演劇についての会議。3月のプロデュース公演に関わった人々が集まる。話し合いは荒れた。ネオンに戻ったらカミナリグモのレコ発ライブのリハーサル中だった。PAは久保君。ちょっと手伝ったりしつつ、事務所でデスクワーク。夜、もう一度ナノグラフィカへ。前よりも好きな雰囲気になったせいか、やたらと顔を出したくなる。単純だな。 ...(simizu)


■2004/06/11(fri)
ナノグラフィカ改装工事の大詰め。テツローや彼女のナツミちゃん、上越から現れた謎の二人組、ガラス作家の前田さん、“チェル”の母さん…らと、たまちゃん、アヤコらが作業にあたる。オープン当初から抜きたかった廊下の床を取っ払って、恐らく元々そうだったように下足で歩ける状態に変更した。これで玄関から奥の庭まで靴を脱がないで行き来できる…し、戦前の家の造りに近くなった。深夜に一応、完成。なんていうか、素晴らしい! 玄関からの一歩が違うだけなのに、前よりもはるかに落ち着く…のは僕だけなのだろうか。みているだけでとてもうれしくなった。
...(simizu)


■2004/06/10(thu)
清里フォトアートミュージアム“ヤング・ポートフォリオ”展の記事を書いていて、写真に関して想いを巡らせることしきり。そんなに長い文章ではないが、何倍もの事を考えてしまう。今年の展示作品には日本国外で撮られたもの、しかもアメリカやヨーロッパではなくアジアやアフリカの惨状を捉えたものが多かった。90年代後半に何度もこの写真展の応募作品(うち数点)を観たときは、全体的にセンチメンタルで私写真的なものが多いと思ったものだ。数年で全然違った雰囲気になってしなうのは、やはり世界情勢の変化によるものか。若い写真家の目が外を向くのも無理はない…、みたいな記事を書いた。その後、本棚を探し回って見つけた1999年の同展の図録を観たところ…ちっとも私写真的じゃない。かといってジャーナリスティックでもなく、どちらかというと現代美術寄りでコンセプチュアルなものが多いようだ。何か思い違いをしていたのか?と、軽いショックを受け、考え込んでしまった。少しして、フォトアートミュージアムの学芸員さん(小川さんという気さくな方)に電話したとき、そのことを言ってみたところ。彼女曰く「99年に観たときは、多分本当にセンチメンタルだったのではないか。撮る側と同様、観る側にも時代の空気は影響しているはず。」 …なるほど。写真は撮る側ではなく、観る側の意識によってもその意味を変えるはずだ。同じ一連の作品群を観ても、受ける印象がこうも違ってしまうのを実感できて、面白かった。それにしても数年で、世の中に蔓延する空気はこうも異なるものなのか。
...(simizu)


■2004/06/9(wed)
訳あって久々にカフェハーツを撮らせてもらう。夕方、アヤコ〜ナノ絡みの仕事で駅前の路地を地図を片手に撮りまくる…が、あまりに良い景色がなくて愕然とする…が、撮るのだ。終わってからもう一度ハーツへ。また沢山シャッターを切る。 ...(simizu)


■2004/06/8(tue)
昼頃に某誌の原稿をメールにて提出。さらにもう一本を書き始める。夕方、FMぜんこうじにていつもの番組収録。桜井のテンションがかなりヘンでおかしかった。帰ってまた書く。 ...(simizu)


■2004/06/7(mon)
締め切りに対処しようと焦りつつ過ごす。昼、ちょっと久しぶりにカフェ・ハーツで昼食。ハヤシライスをいただいたあと、主人のアキちゃんと話す。お店の経営というか運営についてのあれこれ。お互いツライよね、なんて言ったりしてヘンなとこで盛り上がった。その後ネオンで少し作業しつつネット上をブラブラしていると、奈良「あやめ池遊園地・6月で閉鎖」のニュースを見つけ、すごくショックを受ける。近鉄奈良と難波の間にあるあやめ池遊園地は、戦前からの娯楽施設として知られ、昭和40〜50年代にそのピークを迎えたが、徐々に衰退し、最近は年間数億円の赤字経営だったそうだ。昭和50年代というと、つまり自分が小学生前後だった頃。ぼくも物心つく前から、親に連れられてよく遊びに行きました。お正月には書き初めに行ったし、スケート教室とかプールとか…想えば色んな景色が浮かんでくる。小学校高学年になって、友達だけで入園したときはちょっとお兄さんになったような気がしたなあ。最後に行ったのは中学校?高校だったか?よく覚えていない。長野に来てからも、年に何度か想い出しては…帰省したらカメラでも持ってブラっと行ってみよう、なんて思っていたのに。閉鎖したのは、なんと昨日。タッチの差で間に合わなかった。最近の“あやめ池”がどんな展開をしていたのか全く知らないし、なくなっても別に今の生活に何の影響があるわけではないけど。無性に、寂しい気分になった。 ...(simizu)


■2004/06/6(sun)
・家で少しデスクワークをした後、同居人のしのみと共に、風呂屋の廃屋を訪ねる。 なかなかよかった。
・“続・馬ゴンクエスト3”のライブ。相変わらずちょっと現代美術史風+不条理バカな展開だった。ちさと、清水に加えてしのみ、大ちゃんが入ったフルメンバーで。今回の講義は“キャバレーヴォルテール”について。1910年代・ダダの始まりに位置する伝説の小屋だけど、実際は数ヶ月しか存在してなかったんですね。それで美術史上にしっかり足跡を残すってすごいな。どんな雰囲気だったのか、写真すら殆ど残っていないけど、今見ても面白いのだろうか。不条理編は徳川家康とドラゴンボールと神社がストッキングをはいたり尻を出したりして全然一体感のないドラマ?を繰り広げるというもの。まあ、相変わらずです。 ・対バンは花団と劇団こおろぎ探偵事務所。花団の激しいツアーロードの中でも、全然バンドっぽくない出演者で固めたこのプログラム…どうだったのかな。花団、来るたびに演奏力が上がってる気がする。タイトかつパワフルな音と、アドリブ前回のアホトークが繰り出される。1時間の長丁場だったけど、殆ど飽きなかった。すごい。メジャーに向かって展開するのって難しい面も多々あると思うけど、こういう真のライブバンドが広く知られるようになればいいのに。 ...(simizu)


■2004/06/5(sat)
リクオライブ。約一年ぶりだった。フロントアクト的対バンはnoteとTheEnd。この日はnoteがよかった。最近ハズレがないなー。元々経験豊かで強力なリズム隊に、20代前半でこれからバリバリやるぞ!(結成当時はそう思えた)っていうフロントマン・下島君が加わった3ピースなので、どうしても後ろに比べ前が弱い傾向は拭えなかったのだけど、ここに来て彼の安定感、存在感が確かなモノになってる気がする。身近な人のバンドだって点を差し引いても、終わってから歌詞が頭に残り、ベースラインが体内で流れてしまう。かなり良いんじゃないだろうか。リクオさんは相変わらずの芸人ぶりを発揮していた。ロックで昂揚した曲と、甘く切ないバラードをどういうバランスで繰り出すかがネオンにおけるリクオさんライブのポイントだと思う…今回は、僕にとってはよかった。きっとそれぞれがプライベートな情景を重ね合わせて聴いているので、良い・悪いが観客個人の状態によって大きく左右されるんじゃないか。僕も色んな事を考えました。 ...(simizu)


■2004/06/4(fri)
昨日あたりから快晴だ。雨が長かったせいか、空気が澄んで、抜けるような青空だ。もう6月だけど、やっと春が来た!って感じ。やっぱり晴れたら気分がいいなー。ツバメが飛び回って、軒下の巣に餌を運んでいる。それすら嬉しそうに見えた。
ナノグラフィカに話をしにいく。今週から少し休んで、たまちゃんがほぼ独りで工事に精を出すとのことだが、それについて色々と意見を交わす。ナノグラフィカの建物は、大正末期の木造建築物らしく雰囲気がいい部分もまあ、無くはないんだけど。その後数十年の間に何度も何度も何度もリフォームされて、玄関から奥に抜ける廊下の部分は、見るも無惨な状態になっている。今となってはセンスが全く感じられない新建材を多用していたり、間に合わせに安い材料を乱暴にはめ込んであったり。繕った上に繕って、またそのうえに…ってな状態で、見ていると悲しくなってくる。しかし、まあ出来る範囲で何とかするしかないんだな。ちょっとは手伝わないと大変すぎるなこりゃ。なんて話してる横で、仕事が溜まりすぎてヘンになってるアヤコが、やたらと畳で背中をゴロゴロやってるのが駄々っ子みたいで可笑しかった。
昨そろそろ次の締め切りの波がやってくる! これからまたまたチサトと馬会議。 ...(simizu)


■2004/06/3(thu)
久しぶりに豊科近代美術館の以倉さんと話した。噂では豊科を離れて別の美術館に移られたとの事だったけど、単なる噂だったみたい。(噂の元は松本のたつのこ書店・かっぺいさんですが…すっかり信じ込んでいた。)県内の美術館事情を色々と聞かせてもらう。県内各館の運営予算について(おそらく松本市立美術館がダントツに予算を使っている)、学芸員さんの異動のはなし、企画展を回していて感じていることなどなど。さらに、豊科近代の別の学芸員さん、等々力さんとも話したのだが、この女性がとても面白い人だった。松本の演劇事情や、飯田の人形劇フェスのこと、映画の上映会のことなど県内の動きについてとても詳しく、話が合った。なかなかこういう話が出来る人っていない。あと、さらに電話があって清里KMOPAの学芸員さんと話す。「ヤングポートフォリオ」展についての興味深いことをいくつか聞かせてもらった。とても感じのいいひとだった。さて、まとめにかからないと。 ...(simizu)


■2004/06/2(wed)
ずっと身体が火照っていて、怠い。風邪でもひいているのだろうか? 雑務に手を出したものの、まどろんだり。何をしても全然進まないので、作業はやめて、ヒサエちゃんと久しぶりに二人ネオン会議。夏のイベントのこと、オムニバスCDのこと、ほかネオンの行く末についてなど。あと、先月の会計をまとめた。そういえば。暗いニュース、或いは馬鹿らしいニュースが多くて、新聞を見ると顔を背けたくなるな、最近。ともかく目を通していると「こんな時こそ、側にいる人と解り合うことを大切にしなきゃね。」誰かの言葉が頭の中に響く。目の前の現実と、目の前にない(かのような)現実。どちらも同じ重さの現実に違いはない。会計の煩わしい話をしながら、そんなことを思っていた。 ...(simizu)


■2004/06/1(tue)
家で少し雑用。外で昼食をとって、また帰って作業。どんよりと曇たっ空から、しとしとと雨が降っている。身体が重くなる…それに今日から6月だというのに、寒い。疲れているのか?怠くて、いつの間にか畳で眠ってしまった。キングブラザーズが奈良の実家でライブすることになって走り回る!…という夢にうなされる。起きたら夕方。いつの間にか少し晴れていて、窓の向こうがオレンジ色に染まっている。
これからラジオの収録、終わったらチサトとミーティング。数日ぶりにナノグラフィカでやろうかな。
ていうか今日から6月! ...(simizu)


■2004/05/31(mon)
移動が多かった週が開けて、また違う時間がやってきた。奈良・京都・上田・松本・清里。曇ったり雨が降ったり、また落ち着かない天気だ。昼前、カフェシアターのバラシを終えて帰ってきたたまちゃんと会う。上田にてリハーサルを含めて4日間の公演日程を消化した後で、疲れ切っている。何となく労いつつ、昼食をとってから別れて喫茶奈良堂へ。写真誌など読みながら、ぼーっと作業する。 ...(simizu)


■2004/05/30(sun)
信州大学から聞こえる運動部員の歓声で目覚める。今日の松本は快晴、だ。起きてすぐにまーしがオムレツとパンとコーヒーの朝食を作ってくれた。ありがたくいただいて、気持ちよく一日を始める。10時半頃、美咲さんに車を出してもらう。時間がないので高速を飛ばして、清里へ。先ずは駅に近い清里現代美術館を数年ぶりに訪ねる。大学〜大学院の頃、資料を探しに何度も通わせてもらった。ざっと見て、そのまま清里フォトアートミュージアムへ。ここでやっている“ヤングポートフォリオ”展を取材したかったのだ。若手によるノンジャンルの作品数百点を一気に観て、学芸員さんに話を聞いて、館内の写真を撮って。ゆっくりと寄りたい店もあったのだが諦めて急いで松本へ戻り、もう一度クラフトフェアへ。取材目的で、歩き回って写真を撮る。しかし今回は天気予報に反して、よく晴れたなあ。クラフトフェアは雨に強いと聞いてはいたが、天気予報を覆して本当に晴れたまま持ちこたえてしまった。5時過ぎの電車で長野へ帰り、家で着替えてからネオンホールへ。先週・昨日と久保君に任せきりだったので、少しでもステージを手伝おうと思って。PAは久保君、照明はシノミ。シノミが通常のステージスタッフに入るのは数年ぶりだ。一時期はメインでステージを仕切っていた。あの頃に比べたら随分機材が変わったな。久々の後ろ姿がうれしい。
今日はいろは・ろんづ・ハナダイズ・サイゼリアという松本からのバンドによるライブ。いろはは、いきなり綺麗に完成しているギターポップ…ポップロックバンドだ。ステージはあまりこなしていないのに上手い。もうちょっと個性が欲しい気もするが…これからが楽しみ。ろんづ、今夜はベースがよかった。細かい変化だが、今までよりずっとエモーショナルになって、それがバンド全体を引き締めているように思えた。新曲のブルージーな展開もいい。しかし、ライブに賭ける意気込みは少し落ちている気もする。まだまだハイテンションで頑張ってほしいな。それに反してハナダイズは過剰にテンションが高くて面白かった。いつ見てもファニーでストレンジな人たちだなあ。今夜の出演者中で年齢は一番高いのに、一番音が若い。ラスト、サイゼリアは全曲オリジナルになって感情移入しやすくなった。いつも思うけど、ヴォーカルが惜しいなあ。ジャズっぽい唱法にどうにも無理があって、なかなか歌に聴き入っていけない。エゴラッピンから抜け出して、普通に、素直に自分の歌い方で声を出したらそれだけですごく良いバンドになるだろうに…とても惜しい。
終了後、まーしが焼いてきたシフォンケーキ(!)とマーガレットズロースの岡野くんがくれたコーヒーを戴きながら、ろんづのメンバーとネオンスタッフで自然とお茶会?になった。色んなバンドとこういう時間を過ごした。何気ないけど、とても大切で、とてもたのしい。 ...(simizu)


■2004/05/29(sat)
今日はクラフトフェア松本の野外ライブ。今年で20周年を迎えるこのフェスティバルのライブ部門を手伝わせて貰えるのは、僕らにとってすごく光栄なことだ。300近いのクラフト作家による出店が県の森を埋め尽くし、県内外から相当な数のお客さんが訪れる、国内でも最長の歴史を誇るイベント。元々作家主導で始まったが、市民有志やここ数年では行政との絡みも上手くいって、ヘンに町おこし的な側面を強調することなく、いい意味で自主自立守りながら規模を拡大している。文章にすると単純だけど、尊敬すべき点は多過ぎるくらい多い。何よりあがたの森(=旧制松高・旧信州大学)というロケーションがよくて、そこを上手く使い切っているのもすごいというか、行くのが楽しいんだよな。
11時過ぎのJR特急で松本へ向かい、駅で下島君に拾ってもらう。あがたの森周辺は例年通り渋滞していた。実行委員の大島さんと落ち合い、荷物を下ろして公園の芝生の真ん中にあるステージへと運ぶ。美麻村の田中さんという気のいいひとの個人持ちの音響機材が置いてあり、ネオンホールから持ち込んだメインミキサー、スピーカーやアンプと組み合わせて、下島君・田中さんと3人でシステムを組む。天気予報では午後の降水確率がすごく高く、今年は殆ど雨天を覚悟していたのだが、降水はなく強風の中微妙に晴れたり曇ったりを繰り返している。心配しながら作業をすすめていると、徐々に出演者が集まり始める。3時過ぎからBubbleSweetに音を出してもらって軽くリハーサル。ネオンホールなど屋内と違って、音が四散して全然感じがつかめない。試行錯誤しながら、下島君とあれこれ話して音を決めていく。4時過ぎから本番。先ずはゆらゆら帝国的なサイケロックバンド“天守閣”から。ステージテントの中で低音が相当回っていることがわかり、その対策をしてから音がぐっと引き締まってきた。天守閣の演奏は、いつもよりも気合いが感じられる。ビールでも飲みながらのんびりPAしようと思っていたが、とてもじゃないがそんな余裕はない。続いてBubbleSweet。音圧を重視する彼らだけど、今日の場とシステムではそれは無理なので、一歩引いたところでバランスを取るように努力する。爆音でない分、実は繊細にアレンジされていて、細かい部分まで作り込まれている彼らの音がよく伝わったと思う。お客さんの反応もいい。普段のライブも思い切って静かな方向でまとめたら、また違った展開ができるんじゃないかな、とか思った。次はTheEnd。彼が野外でやるのってほとんど初めてじゃないだろうか。珍しくラフなTシャツ姿で絶叫していた。そして、我々ボスダブ。クラフトフェアのステージに立つのは一年ぶりだ。バンド内で色々とあって、前回のライブから2週間ほどしか過ぎていないのに、もう何ヶ月も休んでいたようで、えらく久しぶりな気がした。今ひとつ体調が優れないサチコが気になる。何とか出演できるようにここに駆けつけてくれたこと、ほか、ほか。色々な事が頭を駆けめぐり、…ともかく心を込めて弾こうと焦る。4人で一つの波の中にいる、その数十分の間に、美ヶ原方面の山々はオレンジ色から青灰色に彩りを変えていく。あたまがぐるぐるとして、演奏には集中しきれなかったけど、最後の曲“新大陸”でやっと周りと一体化する感触を得た。ステージから降りて即noteのPAに入る。個人的にこの日の出演者の中では一番身を乗り出して入って聴くことができたなー。詩といい演奏といい、5月の終わりの松本の街によく似合っていた。その後は、クラフトフェア運営メンバーや松本のジャズ親父さんたちによるコンボ、セントトーマス・バンドがまったりとスタンダードを聴かせてくれた。クラフトフェアの実行委員長がフルートを吹いていたり、信大ジャズ研〜理学軽音(今の信大ビートルズ研究会の部屋の源流)の創始者のイナトミさんがドラムだったり。みな楽しそうに酔っぱらってグルーヴしてる。いいなあ。9時過ぎに全て終了して、全部をバラして片付け終わったら10時半位になった。
noteのアラチュウの車で機材を返しに行ったあと、一人で上土の“彗星倶楽部”に行く。店主のユウホと久しぶりに再会。ぽつりぽつりと近況を話し合う。お互いあまり話さなくとも、何となく相手の事がわかるので楽だ。朝からほとんど何も食べていなかったので酒のまわりが早い。クラフトフェアで一日働いて、彗星倶楽部で飲む…なんて幸せなことなんだろう。日付が変わる少し前にろんづのヴォーカル・まーしがやって来て合流。しばらくして店を出て、歩いて信州大学の東にある彼のアパートへ。思い立って昼間に電話して、泊めてもらう約束をしていたのだ。6畳1間の狭い学生アパート…真新しい畳や壁、独り暮らしの匂い。さすがに松本で信大生の家に泊まる事はもう何年も無かった。初めて来た部屋だけど、とてつもなく懐かしいような、つい最近までとても身近に在った、当たり前のもののような。不思議な感覚。まーしは半年間休学して、厨房に入って毎日ハードに働いている。学生でありながらある部分でとても落ち着いた面白い男だ。午前3時頃、彼と他愛もない話をしながら、はっぴいえんどを聴きながら、幸せな眠りに就いた。 ...(simizu)


 

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