2004.vol.1
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約4年の間(!)停止していた日記のコーナーですが、なんの気まぐれか密かに再開する事に決めました。理由は特に無いのですが… 何となくまた日々を綴ってみたくなったので。html手書きでシンプルにとにかく始めます。↑のタイトルもなんかすでにしっくりこなくなってますけど、まあ先ずはそのまま。どんなペースで、どんな内容でいけるのかわかりませんが、ここの更新に気付いたひと、しばしの?おつき合いを。
ここ数年、仕事で文章を書くことが増えたせいか、しかし仕事じゃないので気楽なせいか?とりあえずやたらと書き散らかす事になりそうです。どうか乱文をお許し下さい。(simizu)



■2004/05/27(thu)
起きると朝9時。寝坊だ! 飛び起きて、歯を磨いて、一昨日出した原稿のゲラに目を通して、機材のチェックをして、森田ベーカリーでパンを買って…、10時にカフェシアター中沢さんと千里が来て、一緒に機材を積み込み上田へと向かう。土日のカフェシアターの公演の音響仕込みの為だ。昨日は京都、今日は上田…か。着替えに帰る時間が無くて、関西で来ていた服のまま出掛ける。汗くさく気持ち悪いが、あっちがあまりに暑かったから、少し楽かな? 上田の市街地にある、廃校になった小学校の体育館での公演なので、そこに持ち込んだスピーカーやミキサーを仕込む。手慣れた作業なので30分位でやり終えてしまって、あとは持ってきた機材の整備や、暇を予想して荷物に混ぜて置いた大量の故障ケーブルの修理などをする。セットで使う巨大な靴を懸命に作るチサトとバカ話をしたり、買い物ついでに散歩して上田の街を歩いたり。ちょっとした旅して舞台をつくるのは、やっぱり楽しい。このプロジェクト、実行委員の方々や会場の様子など(アングラ芝居公演なんだけど、上田市がバックアップしたプロジェクトなのだ。)色々面白い点があるのだが。あと、何年ぶりかにゆっくり歩いた上田の街もとても枯れててよかったのだが。疲れ切って未記入…。 ...(simizu)

■2004/05/26(wed)
窓からはいる強い日差しで目覚める。京都の朝。今はタイを放浪しているピアニスト・“う平”ことナルセの部屋だ。他の部屋は寝静まっているようなので、音を立てないように布団をたたみ、そばにあった藤子不二雄Fの短編集など読む。起きてきたスギさんやミドリコと話をして、スギさん達が経営している会社“ペルペトゥーム”の“朝会”を見学させてもらう。古い木造建築をそのまま利用して、一階を応接室、二階にパソコンを十数台入れて仕事場とし、プログラム、デザイン、そしてインディーズレーベルの運営などを行っている男女8人の集団。(プログラムが主な仕事らしい。)事務所といい、朝会の雰囲気といい、人の発する空気といい、とてもいい感じ。会社の決まり事に縛られず、でもダラダラとしてないちょうどいいユルさ。出来そうでなかなか出来ないことだ。ちょっと見ただけで軽率な感想かもしれないが、うーん、すごい。色々と参考になるなあ。で、スギさん達・風博士は今日神戸でライブだというので会社からライブハウスに“出勤”、少し送れて自分も荷物をまとめ、出発。それにしても暑い。二条駅から京都に出て、新幹線で名古屋へ、そして特急しなので松本へ。夕方の松本は、やっぱり涼しい。湿度も気温も全然ちがうなあ。いつもの事ながら、電車から降りた瞬間に長野県を感じて、じんわりする。ちょっと早めに着いたので、会社帰りの美咲さんと駅前の串カツ屋で飲む。関西弁と標準語?発音が混じってしまって、変な感じ。今回の帰省は、実家との交わりが濃かったので、自分のなかの関西弁がかなり復活している。遅い電車で長野に帰り着き、ちょっと贅沢してネオンホールまでタクシーで戻った。明日は早いので、独りでちょっと飲んで、すぐに眠った。 ...(simizu)

■2004/05/25(tue)
短い睡眠の後、朝5時前に目覚めて原稿の続きを。短い記事だけど、まだまだ1〜2時間でハイおしまい!って訳にはいかない。寝起きは頭がシンプルで、文章がよく進む。家族が起きてきてもかまわず書き続けて、10時前に完成。写真の処理をして、すぐにメールにて送信した。これで持って帰ってきた仕事が終わった! ほっとしたら眠くなってきたが、我慢して外出の準備をする。祖父母と話したりしているうちに昼になり、結婚したばかりの弟夫婦が荷物を取りに来た。一緒に昼食を、って話になり、彼らの車に乗せてもらって天理まで。外は初夏の陽気で、蒸し暑い。天理駅の裏のお好み焼き屋“ひろっちゃん”で昼食。さすがに安い。ビールなど飲んで、色々と話した後わかれて、天理の本通り商店街などをちょっとブラブラする。高校の3年間を過ごした街だが、生まれ育った奈良と違って、だんだん馴染みが薄れてきた。天理は街よりも、天理高校から山沿いを南北に走る“山辺の道”あたりの風景の方が記憶に深く刻まれている。徒歩で、自転車で、何度も何度も歩いた道。四季が織りなす空気の変化が身体に染みついていて、何年離れても忘れない僕の原風景だ。すっかり綺麗になった天理駅からJR桜井線に乗って、奈良へ。車窓から見える風景が目に優しい。長野とは違った、のどかな盆地の夕暮れ。ここに尖った山や谷を縫うように流れる川、低く早く走る雲はない。今は見慣れた信越線からの景色と、なんて違っているんだろう。工事中のJR奈良駅に着く頃にはどうしようもなく眠くなってきて、歩いて実家に帰り着いたら我慢できなくなり横になった。一時間ほど眠ってから荷物をまとめて、家族に挨拶して、京都へ。外はもう暗くなっている。近鉄で京都駅まで出てから、風博士のスギさんに電話。四条のバー“うさぎ”で再開し、飲む。ひょっこり知り合いが入ってきそうな気さくなロックバー“うさぎ”に夜来たのは初めて。マスターと会ったのも初めてだけど、すごく前から通っていたみたいな気がする。ひとしきり盛り上がったのち、タクシーで二条あたり(よくわかってない。)にあるスギさん達の根城へ。ここ数年、関西へバンドでツアーしたら必ずと言っていいほど泊めてもらってる。出版社の二階にある広いスペース(ネオンホールの倍近い面積か?)を、4人でシェアしているのだけど、4人とも面白くてとてもいいひとで、いやいい人って言うよりすでに僕らの周辺と仲間感が強いような人々で、そこは奇跡的にあけすけで居心地がいい空間になっているのだ。到着するとその家の紅一点・ミドリコと“細胞文学”というバンドをやってる○くん(えーと名前忘れた)が迎えてくれた。いつも素性のよくわからない居候っぽい人がいるのもこの家の特徴である。京都や長野のバンドの話をたくさんして、午前3時頃眠りについた。 ...(simizu)

■2004/05/24(mon)
結婚式翌日、朝から母親と少し話して、そのまま原稿を書き始める。まずは某情報誌の記事。今日が締め切りで、大体の内容は出来ていたので、ざーっと書き進める。実家で長野のマンガ雑誌についての記事をあれこれ考えているのは何か妙だけど、気にせず進める。外はいい天気だ。午後に完成して、予めスキャンだけしてあった画像処の理とレイアウトを済ませてメールにて送信。調子いいぞ。いや、良くないと困る…どうにも調子が悪いとか、何か問題があったら即長野に帰って対処しなければならないので、どことなく緊張感が漂う。2時頃、次の仕事に移る前に遅い昼食を摂りに外出。奈良東向き商店街のオムライスが有名な喫茶店“おしゃべりな魚”へ。小学校くらいのときからある店だが、変わらず人気があるなあ。食べ終わったら大人しく帰宅して、次は某新聞の美術記事を。Macで音楽など訊きつつ(iTunesのネットラジオ。いつもエレクトロニカのチャンネルから選ぶ。)没頭。疲れて気晴らしに部屋の隅にあった、子どもの頃をアルバムを見たりする。70年代前半〜後半くらいまでの、自分と家族と家の回りの写真だ。当たり前だが、みんな若い。母親のファッションが、京都のバンド関係の友人達が今している格好にそっくりだ。いわゆる“昭和古着”のリアルタイム版か。父母が自分を生んだのは24歳の時で、そのアルバムで幼い僕を抱えたり手を引いたりしている両親はつまり20代だという事になる。今の自分より全然年下で、若くて活き活きととした両親の姿。無防備で安心しきった幼い自分。まるで世界そのものが今より単純だったみたいに見える。
写真に見入ってしまって、時間が過ぎるのを忘れた。気付くと電気を点けっぱなしでねむっていた。これじゃ長野の自室と同じだな。 ...(simizu)

■2004/05/23(sun)
昨夜原稿を書こうと試みるもやっぱり寝てしまったが、今朝は思ったよりも早く起きて朝食をとる。今日は一番下の弟(29歳)の結婚式だ。兄弟で最初に結婚するのが三男で、7月に次男の結婚も決まっている。という事は長男の自分が一番最後に取り残されたことになる。弟とその彼女、叔父さんとその奥さんなど、親戚が詰めかけていて実家はまるで正月のような雰囲気。親にとっても子どもの最初の結婚式で、何かと緊張しているようだ。数年ぶりにあった叔父さん(親父の弟。福井大学でスキーの研究をしている。)は相変わらずパワフルでアッパー、話しているとこちらもつられれて大きな声になりテンションが上がってくる。長野から持ってきたスーツに着替えて、ネクタイ絞めて、10時頃にタクシーで出発。長野県に移って今年で15年。独り暮らしが身に染みついている自分にとっては、祖父母・父母・叔父伯母と連れだって出かけるのはとても違和感がある。30分ほど車に揺られ、大和郡山の花屋さん兼結婚式場?へと到着。カジュアルで派手すぎず、なかなかいい感じの場所だ。11時過ぎより式が始まる。花や木に囲まれた小さな庭で、バックで生ヴァイオリンやエレピがさりげなく雰囲気を盛り上げている。この歳になる今まで色んな結婚式に出たが、親族として出席するのは始めてで、なんか恥ずかしくて妙な感じ。出席している友人達はみな楽しそうに笑っていて、意味もなくほっとしたり。人混みの中でずっと式の模様を写している女性に見覚えがある。あ、この人は確か、中学校の時に業者としてはいっていた写真屋さんの、娘さんだ。娘さんといってももう40代位だけど、跡を継いでカメラマンになっていたのか…。散々子どもの頃、無茶を言ったりふざけたりして困らせたような気がするなあ。出入りの写真屋にしては若いお姉さんなのが嬉しかったのか、実家とお店が近かったからか、とてもよく覚えている。すごい偶然だ。嬉しくなって声をかけて、中学の担任の話などをした。そうこうしている間にもつつがなく式は進行し、昼頃にそのまま披露宴に。相手方のご家族や、親類の方々達、友人、上司、恩師…たくさんの見知らぬ人々。じっと座ってご挨拶を聞いていて思ったのは、関西の結婚式って、長野に比べてあけすけだなあ!って事。やはり土地柄なのだろうか、オチが付いて笑えたら何を言ってもオーケイだって雰囲気が濃厚で、みんなギリギリのネタで勝負している。いや、芸出しじゃなくて、普通のスピーチでのはなし。長野でそんなこと言ったら、怒って帰っちゃう人がでるんじゃないか…などと一人でそわそわした。だんだん酔っぱらってきて、何が何だかわからないうちに場内は爆笑、そして感動の渦に包まれて式はフィナーレを迎える。おめでとう。おめでとう。これから幾多の時間を過ごす二人やその家族にとって、この一日が大切な記憶として心に刻まれて、何かの支えになるのなら。おめでとう。おめでとう。
実家に帰ったあと、一人でちょっと夜の奈良を自転車散歩。好きだった“カフェ・ジャパンド”は22年の歴史を閉じたのか…、下にあった“MINT”(中学の頃から通ったインポートと古着のみせ。HRMとかDr.martin、軍服やインド綿布をよく買った。)は新しいビルに移転、“夫婦まんじゅう”は…ずっと閉まったままだけど店舗は残ってる。インド屋“まるまる”はやってるな。ストリップ“スターミュージック”の紫の電飾があやしい路地を抜けて曲がって、奈良町入り口のプラモデル屋“ミヤサ”もまだ健在っぽいぞ。(おばさんは80近いはずだけど。)レコード屋“ジャンゴ”は開いてるけど寄ると長くなるので明日以降にしよう。それにしても新しいカフェが何軒も目に付く。“やすらぎの道”の向こうで“サイカラーメン”を食べて、下御門商店街のソウルバー“宝島”でコーヒーを戴く。結婚式の酔いを冷ましながら、ポケットにたまたま入っていたネオンホールの予定表を隅々まで読み返した。 ...(simizu)

■2004/05/22(sat)
寝過ごして、昼前に起きてしまう。原稿を書く準備をしているうちにあっという間に夕方。気付けば時間がない。明日朝、奈良の実家で弟の結婚式があるので慌てて帰省の準備をする。スーツやらネクタイやらを選んだり、いつも旅の時に持って歩くコンパクトカメラ(CONTAX T3)と軽い中版(Makina67)にモノクロフィルムを入れたり。ネオンホールに寄ると劇団“ココロア”の公演準備で、久保君が担当していた。久保君としては始めての劇団受け入れになるのだが、しっかりこなしていたみたいで安心。基本にして全てともいえる?地明かりもちゃんと作られていた。素質があるんだろうなあ。ヒサエちゃんと少し話ながら急ぎで何本かメールなど打って、公演が始まると同時にネオンを後にする。19:31の特急しなので長野を出発。いつもの事ながら、電車に乗ると落ち着かない。『カリフォルニア州知事シュワルツェネガー氏「これからもシュワちゃんと呼んで」〜年内にも訪日の予定』(なんじゃそりゃ!)電光掲示板を流れる文字に頭の中でツッこんでみたり、何となく目に付いたモノに向かってシャッターを切ったり、パソコンを開いて文章を書いたり。新幹線に乗り換えて京都まで、近鉄に乗り換えて奈良まで。そういえば松本から“しなの”に乗ってきた女の子が、何度乗り換えても近鉄奈良のほんの手前までずっと同じ車両で不思議だった。エキストラの少ないアマチュア映画みたいだ。12時頃に奈良に着いて、勝手知ったる駅の改札を出て…しかし、来るたびに微妙に細部が違っている。奈良駅から出ていつもの商店街に入ろうとすると、工事中。アスファルトを石敷きに改修している。なくなって他の店に入れ替わってしまった文具屋やパン屋、僕が生まれるずっと前から変わらず続いている金物屋や本屋、クリーニング屋…ねっとりと絡みつく関西の空気。ああ、帰ってきました。 ...(simizu)

■2004/05/21(fri)
また文字原稿の世界に入る周期がきた。しかし疲れからか、夕方まで何をしていたのかよく覚えていない。夜、ネオンホールで幾つかの打ち合わせ。マーブルコーポレーションのみったんと武居さんと来月のライブについて、久保君と明日からの演劇の仕込みについて、など。今夜はDJ OSHOWさんのミュージックカフェ。サッシーと少し話したりする。
そういえば作業中に、ちょっと前にもらったハイドンの新譜を何度か繰り返し聴いた。前のアルバムよりもどろっと濃い感じ。70年代のいわゆるニューミュージックの味わいが、スッキリしたヴォーカルを包んで独特のバランス。何かに似てると思ったら、この耳当たりは中学生の頃(80年代前半のこと。)しきりに聞き込んだチューリップの初期〜中期のアルバム(70年代前半〜80年ちょっと前のもの。)みたいじゃないか。フォークソングとロック(の中でもとりわけビートルズ)からスタートしたチューリップが、ニューミュージック=ニューソウルとかAORの俗っぽい部分を拡大したような音楽・に向かう頃に持ってた、いい感じに崩れてちょっといかがわしい匂いがするなー、なんて思った。ホントにそんなモノを意識したかどうかは不明だけど…よかったなー。最近のお気に入りなのです。 ...(simizu)

■2004/05/20(thu)
たまちゃんと色々な打ち合わせ・話し合いを朝〜昼すぎまでしたあと、ナノグラフィカで昼食。ちょっと久しぶりにスケルトン選手で記者の中山さんと会って、新しい記事の話を聞いてもらう。話していると元某雑誌の編集部にいて、今はNHKでディレクター職をやっている伊藤美幸嬢も登場。今度は新しいテレビ番組についての話をすこし聞かせてもらう。忙しそうだけど、今の仕事もやりがいがあるみたいで、いい顔してたなあ。一緒に雑誌を作っていた頃の事を想い出した。
そのあと少し外回り。夕方まで雑務をしたのち、マーガレットズロースのライブ写真の処理をはじめる。集中してやったとしてまる一日を要する作業なので、手付かずのまま過ぎてしまったが、そろそろライブ終了後一ヶ月にもなる。うーん…よくない。思えば新しい仕事に追われた一ヶ月だったが、いい加減にしないと。夕方から事務所にてMacに向かい、フォトショップで単純作業の繰り返し。デジカメで撮ったままだと、カラーバランスやコントラスト、シャープネスが今ひとつなので、一枚一枚を見栄えよく調整していくのだ。約500枚撮影したなかから、使えるカットを選びながらぼーっと作業していると…。だんだんとあの二日間のライブを追体験する気分になってくる。3人ともいい顔してるなあ。いや、カメラが追いついてない、もっと凄い気を発していたはずだ。でもこの連続カットはなかなかいいセンいってる…あ、せっかくいいのにピントが外れてる…やっぱり写真は写真でしかないなあ。でもビデオとは違ったインパクトっていうかリアリティがあるなあ…などと一人で会話しながら作業に没頭。BGMでマーガレットズロースを聴くと気持ちが昂ぶりすぎるので、敢えて全然関係のないエレクトロとかエレクトロニカ風のデジタルな音を流しながら。結局、午前2時頃まで作業に没頭した。その間ネオンホールはアオキタカエスペシャルデーで、タカエ、テツローらがちょっと変わった営業をしていたみたいだけど、集中していたせいか何が起きているのか全然わからなかった。気付くと一人で、事務所以外は真っ暗。出来たデータをCDRで焼き、帰りにコンビニに寄って、すぐに東京へと送った。何かやり終えた気分になって、ビールとちょっとした刺身を買ったりして、深夜(朝?)一人でたしなむ。いつの間にか電気を点けっぱなしで眠りこんでしまった。 ...(simizu)

■2004/05/19(wed)
昼過ぎまでネオンホールで雑用の後、また思い立って取材に出る。しなの鉄道で小諸を経て、御代田町のメルシャン美術館「ロジェ・ソンヴィル展」を目指す。今日もまた雨だ。梅雨にはかなり早いのに、こんなに降ってばかりで大丈夫なのだろうか。とか電車の中で書いてたら、止みました。夕方6時、篠ノ井あたり…。 弱音を吐きたくなるとき、くじけそうになるとき。それは、自分についての全ての原因が自分にあることを忘れているとき。電車に揺られたことを想い出しながら、考えた。 ...(simizu)

■2004/05/18(tue)
権堂の奈良堂にて独り会議。今週あたりに名物の薔薇が満開になりそうだ。夕方までねばって、その後ラジオの収録へ。カミナリグモの新譜をかけたり、フリーペーパーの話をしたり。終了後、ネオンホールにてボスダブのレコーディング。今日はドラムの鴨ちゃんの誕生日なので、録りはじめる前に下島君・アラチュウらnoteのメンバーと共に誕生日に捧げる曲を演奏し祝ったりした。ドラム下島、ギターアラチュウにボスダブのメンバーで、曲はnoteの「試練の海」の変形版。その後通称「新うた」の録音。準備に時間がかかりすぎて、時間内にokテイクを出すことができなかった。練習後、色々と複雑な気持ちになる話があり、思考停止する。そのまま久しぶりにネオン泊。 ...(simizu)

■2004/05/17(mon)
休みたい衝動を抑えて、頑張って軽井沢まで基礎取材に行ってみる。たまちゃんと昼頃長野を出発。ネオンホールからだと車で約1時間半位の距離か。(高速道路を利用した場合。高速に乗ってる時間は30分〜45分。)ペイネ美術館、脇田美術館、セゾン美術館、ルヴァン美術館などを回ったが。結果…うーん…なんか欲求不満だ。
 久しぶりに行った現代美術の教科書的なセゾン美術館(実際教科書にここの作品の写真が使われてると思う。)について。ウォーホール、ジャスパー・ジョーンズ、クリスト、マンレイ、デュシャン、ロスコ、またJ・ジョーンズ、クレメンテ、ティンゲリ、ときて何故か篠原有司男で終わりの、要するに常設展だ。この順番でみせるのって意味ありげで全然意味がない…ような。展示作品が90年代前半で終わってるのがバブルっぽい。いっそニューヨークの美術市場で評価された(と思われがちな)作品と日本の経済展、みたいなタイトルにして、買い取り金額と日本のGNPやら色んな時代背景やらをデータとして付加したら、けっこう面白いんじゃないか?なんてちょっと嫌味な事を思ったり。(でも本当に面白いかも。) しかし…10年以上前に来たときと並び順がほとんどかわってないのは気のせいか。たまたま同じ傾向のセレクトだったのかな? どこか腑に落ちないと思いつつも、色んな本やら雑誌やらで嫌って程みた作品達なので、ちょっと懐かしい気分になったりした。 ...(simizu)

■2004/05/16(sun)
また雨。なかなか起きられなくてちょっとウダウダしたあと、ナノグラフィカでのナノ運営ミーティングに走る。珍しく今回は収支がよくて嬉しい。(ほんの少し、ホントに少しだけど。)でも来月はきつそう…。アヤコがつくったナノグラフィカガイド(宿泊者用)が秀逸だった。彼女が手書きでささっとつくったペラもの、ページモノがちょっと前からすごく解りやすくて面白くて、いい。“暮らしの手帖”フォロワーなまとめ方(デザインだけでなく思想もほど近い。)も上手い。捨て身でフリーとなった成果はそこここに現れているって感じか? 仕事も混み合ってきたようだし。その後秋の松本演劇祭に関するミーティングを宮下としたり、ギャラリー西の門での二人展を急いで観たりした後、リハーサルの為ネオンホールへ。今夜はボスダブのライブだ。書くこと、描くこと、そして音楽することと、(仕事その他色々で)最近休むことなく吐き出し続けているので…少々疲れ気味だけど、ライブはやっぱりたのしみ。PAは下島君と久保君。出演はほかにヤマショーズと小原ナオキさん、そしてセルボ&テレキャスターズ。セルボには先月長野を離れたジュンがいる。事務所で雑用を終えてホールに出ると、見慣れたあのジュンのクシャっとした笑顔。懐かしいというには早すぎるか。
ライブは、全体的にほのぼのと進んだ。ボスダブは、…まあまあかな。先週録音した“逃避行”がライブでも弾いてて心地よかった。終わった後、ベースの音が大きいと指摘されちょっと落ち込む。この日はラストに演奏した小原ナオキさんがとてもよかった。枯れるというには若い小原さんの、ブルースで優しい音に改めて聴き惚れました。長野で暮らして長野で音楽を楽しむ。長野にこだわるわけではないけど、やっぱり長野で当たり前のことをあたりまえに楽しめること。それってなんて幸せなんだ…ってしみじみ感じた。終了後、まだまだつわりがひどくて苦しいというサヤカと少し話す。話している最中にもトイレに駆け込んだりして、大変そうだった。あと、ヤマショーズのベースの人が元“サルモネ岬”(90年代前半の長野のちょっと変わった女性Voポップスバンド。へんなパッケージのテープが一部で知られていた。「日和」2号で少し紹介させてもらいました。)だと知って驚き、また懐かしい話をした。「お花畑ミッチー」「つぼとろくろ」「JoJo」…90年前後の長野県内のバンドについて。しかし最近昔の事ばかり想い出すな。(いつもか?) ...(simizu)

■2004/05/15(sat)
昨日の絵のデジタル処理の続きを、ネオンホールにて。今回は久しぶりに街の景色でなく、山の中を描いた。人物も男性。フォトショップで描き込むときりがないというか、自分で完成の判断を出すのがなかなか大変だ。圧倒的に便利なのでついつい頼ってしまうが、もっとアナログ作業を取り戻した方がいいのかもしれない。リキテックスやカラーインク、多色の色鉛筆が 部屋で泣いている。夕方も近くなる頃に完成、CD-Rに焼いて編集部に持ち込んだ。急いで帰って来月のネオンホールの予定表についてのデータ整理。やりながらBubbleSweetのナカジマくんに連絡を取って、一緒に松本に行く事にする。
今夜は松本HotLaboで行われるイベント“asamade!”にDJとして参加することになっているのだ。雑用を終えて、音選びをする。このイベントは珍しくCDオンリー。持ち運びは楽だが、レコードで持っている音源は使えないのでちょっと選ぶのに手間取る。ここのところ原稿の事で頭が一杯で、ほとんど音の世界にいなかったのでどうもスムーズに入っていけないが、時間もないのでとにかく多めにピックアップして、カバンに無理矢理つめこんだ。高速道路を走って、一時間ちょっとで松本着。すぐにHotLaboに行くと、主催の中嶋さんほか、お馴染みの面々がだらっと迎えてくれた。なかにP-Heavuのちーちゃんがいて、不意に十数年前に松本で行ったイベントの事を想い出した。当時の行きつけレコ屋だった“CD PLAZA”(let'sというパルコ系のビルに入っていた。)の滝沢さん達がおそらく松本で最初の?ギターポップ/ネオアコ系のイベントをしたときのこと。1990〜91年か?まだ“クラブ”文化は認知され始めたばかり、ロック世界ではマンチェスターブームが嵐のように巻き起こっていた頃だ。公園通りにあったバーを借り切って、(DJ機材が今よりも遙かに出回っていなかったので)何と、その場でDJが音をつなぐのではなく、家で作ってきたノンストップのミックステープを回して、聴いたり踊ったりするというちょっと恥ずかしくもシンプルな形態で…そのパーティは行われた。多分チェリーレッドやel系、ラフトレード方面のいわゆる生音系なネオアコースティック(ディープなフリッパーズギターって感じの。)やアノラック・シューゲイザーと呼ばれ始めていたバンドの曲(=当時僕らが日常的に聴いていた曲。)がセレクトされてた気がする。そんな音楽を大音量で聴く機会なんて皆無だったので、僕や親友ホンマくんや後に松本でプロペラレコードというマニアなショップを始めたハルカ(みな当時二十歳そこそこ)らは喜んでお洒落なんぞして出かけたものだ。その会場で始めてちーちゃんを見た。まだ高校生なのに“チェルシーガールズ”なんていういかにもな名前のバンドをやっていた彼女含む3人は、めちゃくちゃ若くて(幼くて?)お洒落で可愛くてホントにバービー人形みたいだったけど、かなり泥酔して転びまくったり人に絡んだり?してて、まあとにかくとても目立っていた記憶がある。すでに十年以上を経た今夜。似たような場所で、似たイベントで会ってる事がとても嬉しかった。9時過ぎに自分の出番になり、ちょっと酔いながらブースに立つ。DJとして立つのは久しぶりで少々緊張しつつ、ただCDをつないでいくだけなので気楽に考え思いつきで曲を選んでいく。エレクトロ〜エレポップ、そこから突然SP盤再録の戦後復興期音源、そして自分の次は元ヴィーナスペーター(!)の石田さんだと言うことに敬意を払って、ギターポップ的に幕を閉じた。よく解らない選曲になったけど、どうだったのかな。イベントはまだまだ続くが、しばらくしてナカジマくんが明日早いとのことで、後ろ髪引かれつつ松本を後にした。ネオンホールによく来てくれる松本の人たちが長野から帰る時って、こんなきもちなのかな。松本と長野。遠くて、近くて、じれったくて、親密な…。 何度通っても大好きな19号線を二人でぽつりぽつりと話しながら帰った。 ...(simizu)

■2004/05/14(fri)
朝から某誌の原稿を進める。割と順調に描けて、夕方頃ほぼアップ。夜、ネオンホールに寄って雑用などしつつ、さらに進める。夕方、紙に描くところは全て終了。デジタル処理に入ったところで、試行錯誤がストップしてしまう。他の事を考えたり、人と色々を話したりすると途端に緊張が切れる。やっぱり内向的な作業だなあ。 ...(simizu)

■2004/05/13(thu)
松本に記事について再撮影に行こうか迷って諦め、先を考えて信濃美術館で開催中の「天才!ピカソの陶芸─地中海の光と風」を見に行った。ここではいつも企画展をやっている旧館と、東山魁夷の作品を常設展示している魁夷館に別れているが、旧館が古すぎて雰囲気も悪く(美術館というより博物館のようだ。)観にくいのが気になった。単純に、大きな企画展には綺麗で見やすい新館を使えばいいと思うのだが…なにか決まり事でもあるのだろうか。旧館をお金をかけて再建するのはやめて欲しいが、このままあの古い会場だけをもって企画展を開催し続けるのもどうかと思う。 …さてさて、最初単に変なお皿や使いにくそうな壺なんかが並んでいるだけで、何だか間延びした展覧会だなあ、なんて偉そうに思っていたが…。観ているとだんだんピカソの作る形が心地よくなってきた。何点かの花器、特にポスターにも使われているものが立体としてとんでもない形をしていて、すごいパワーがあった。四次元的というか…現実に存在する何にも似ていない異様な存在感と、抽象的な形なのに変に説得力があり「ここに在ること」が確固として伝わってくるというか。ううむ、素晴らしい。展示場所の雰囲気云々を軽く制して、異様なオーラを放っていました。
その後ナノグラフィカに寄って遅い昼飯を食べていると、松本の変態的名プロデューサー・相沢君が登場。たまたま居合わせた笛のまるさんと3人でちょっと話した。6時半からボスダブの定期練習をYMサウンドにて。ネオンに戻るとナイトマーケットで盛り上がっていた。賑やかな中で松本からきたタダチさんと色々話し込む。合間に美容師Mさんにネオンホール楽屋にて髪を切ってもらう。プロの美容師さんに仕事外で仕事と同じ事をしてもらうのはやっぱし忍びないのだけど、時間と気力的に髪に時間・エネルギーを割くことができず、助けてもらっているのかな。そろり、そろりって感じで話す彼女の口調も結構好き。嬉しくなって、あといつもお世話になっていて何かお礼がしたくなって、はめていた時計(例によって古いシチズン。男持ちだが小さいので女性でも似合いそう。)を衝動的にあげてしまった。迷惑じゃなかったかなとスースー涼しくなった頭で考えた。 ...(simizu)


■2004/05/12(wed)
色々が出来なかった一日。早く描くことに集中しなければ。 ...(simizu)


■2004/05/11(tue)
目が覚めて、もう一度文章を考えて。書く、或いは描く行為をしている最中は、他とは時間の流れが違う。アート関連の記事を提出したら、締め切りが一週間はやくなって、驚きつつもほっとする。やはり仕事は早めにやっておくものだ。昼過ぎに久保君と戸隠に資料撮影にいく。ミニクーパーで七曲りは少々きつかったかな。奥社参道の杉並木がみたくて、少しあるく。杉の古木が立ち並ぶところは駐車場から1km以上も歩くし、Tシャツで来たらまだまだ寒かったのでちょっと躊躇ったが、行くだけ行ってみる。秋にサエキけんぞうさんとたまちゃんと3人で来て以来だ。駐車場付近は、連休明けの平日にもかかわらず結構賑わっていた。柔らかい日差しが木々の間から落ち、脇の小川のせせらぎが小さく聞こえて、正面には黒く尖った戸隠山が見え隠れする。何度歩いても、(月並みかもしれないが)神々しい気持ちになる。朱色の山門をくぐると杉の並木のはじまり。…・・圧倒的。いつ、誰がここに植えたのだろう、そしてどういった人々がどういう想いでこの前を去来したのだろう。今でこそ車で一時間も走ればこの目前まで来れるが、ほんの数十年前までは辿り着くのに相当なエネルギーが必要だったはず。苦労してここに来て、静かに、確かにここにあるこの巨大な塊の群れを観て、何とおもっただろう。何となく、参道を歩ききるのが申し訳ないような気がして今回は引き返した。戻って中社前でも撮る。奥社から戻ると、ここですら俗世に感じるから不思議だ。夕方、下山してナノグラフィカへ。ごはんを食べようとしたら偶然宮下と会って、芝居の突っ込んだミーティング。その後NHKの新名さんと待ち合わせてお話し。インドを放浪した経験がある変わりダネのディレクターさん。いい番組になったらいいな。7時頃からFMぜんこうじで“スモールタウングルーヴ”の収録。司会をしながら、自分のモタモタした喋りにイライラする。宮沢さんが教えてくれた戸倉上山田中学のイベントがかなり面白そうだった。終わってネオンに行って、ボスダブのレコーディング。“逃避行”を何度も弾く。最終的にドラムとベースだけで一発録りしたものがオーケイテイクになった。録ると、鴨ちゃんとの絡みを集中して考えたり、リズム隊がいかに一体化しているか、していないかを考えるキッカケになって、きっと僕らにとってそれは良いことだ。下島君が頑張って、12時頃まで色んなトラックを重ねて収録。終わる頃に、今朝出した原稿がゲラになって届いてるのに気付いてほっとした。
深夜、グリグリオフィスの瀬戸さんから電話。TheEndやジュンのことなんかを、いろいろと話す。 ...(simizu)

■2004/05/10(mon)
朝からぼーっと文章の事を考え。雑用をしながら、書いたり、描いたり。資料を読んだり。まだまだ記事一本に時間をかけすぎか? 取り敢えず試験的に新連載の記事を仕上げる。長野はずっと雨。無性に寒くて、またストーブを点けたりした。修理に出していた古い腕時計を受け取りに、中沢時計店へ。シチズンセンターセコンドの出車式(戦前までに一般的だった小秒針のムーヴを建て増して、中央に秒針を持ってきたもの。機械式時計の過渡期的な方式で、戦後あたりに多数みられる。)の、小さな腕時計だ。真っ黒に汚れたムーブメントだったが、裏蓋を開けてホコリを吹き飛ばしたら割と元気に動き出したのが健気だったり、文字盤が綺麗だったりして、無理をいって直してもらった。しかし、使い始めて翌日にうっかり床に落下! 打ち所が悪くてテン芯(機械時計の心臓部にある髪の毛の先ほどの軸)を折ってしまっていた。(相当なショックでした。)別段希少でもないし、人生的な縁故?があるわけでもないが、あの修理師さんが手塩にかけてくれたのを無駄には出来ないと再修理してもらった。1950年代、日本の時計産業が息を吹き返して、さあ行くぞ!とスタートを切った直後の製品だ。飾り気も少なく、実用最重視で不器用に作られているが、この時代から70年代までの国産時計には、メーカーのプライドや責任感、愛情がいっぱい詰まっていて、使っていると身が引き締まる気がする。受け取る時、いつものように修理師さんと話して、貴重な蘊蓄をきかせてもらった。時計道楽をするような経済状態ではないのだが、この人の誠実な仕事ぶりと、時計への想いに触れたくて、こうしていくつも修理に出しているのだとおもう。 ...(simizu)

■2004/05/08(sat)
昨日上げたかった某誌の原稿、今日は割とすんなり進む。でもまだまだ安心出来ない。最近幾つか原稿を書く仕事を増やさせてもらい、原稿書き生活としては第二ラウンド突入といった感じだ。…スムーズに、安定して身のあることを書けるようになりたい…な。
ネオンホールはチョコレートパフェのレコ発ライブ。*ナカザワ、note、カミナリグモが対バン。PA/照明は久保君が一人でこなす。*ナカザワは、ウクレレを弾いて歌いながらドラムを叩く(というか踏む。バスドラとハイハットのみのセット。)という一人ユニットで、甘い声と南国的で優しくて、かつ最近の日本語ロックがちゃんと下敷きになってる曲調がイイ感じだ。この日はちょっと練習不足っぽくてもったいなかった。スムーズに演奏して、リラックスできたらかなり面白いことになりそうなんだけど。続いてnote。パワフルなアラチュウのベースが少し冷静さを増して、余計に存在感を増したような気がする。いつも若きフロントマン・下島君と手練れたバックのアンバランスさがひっかかるが、今日もそれが感じられたなあ。それにしても彼の詩は素晴らしい。そして、チョコレートパフェ。「故郷へ、帰ってきました!」というかけ声と共に一曲目はネオンホールのCDにも収録させてもらった「うたたね」だ。この空間にすごく似合う曲。彼らのライブを観ると、いつもマーガレットズロースの事を思い出す。(そしてマーガレットズロースを見てもやっぱりチョコパを思い出す。)「うたたね」の頃のチョコパとズロースは、音楽的にも詩世界的にもとても近いところに在ったが、いつの間にか両者は違った道を歩んで、今は随分遠くに離れた気がする。チョコパから抜け落ちた情念がズロースに染み込んだというか。そんな感じで、「うたたね」から最新アルバムの曲までを一気にライブで聴くと、音楽性の変化がよくわかった。しかしベースの山ちゃんだけはベルボトムに裸足・髭モジャに眼鏡というオールドスタイルを貫いていて、素直すぎるくらい真っすぐになった新しいチョコパのスタイルのなかに、ちょっとした毒を添えているようだ。その毒がネオンホールのアングラな(僕は今や全然アングラに留まりたいなんて思ってないけど、だってそういう空気が拭えないんだもの。)部分と響きあっていい感じだった。ラストはカミナリグモ。先月から加わったギタリストとの相性もバッチリで、より複雑で面白い音楽に深化しつつあると思う。悩み多き年頃に、生真面目に音楽活動を展開しまくる上野君、どういう未来が彼を待っているのか?? あと、今日は全出演者を撮影した。デジタル一眼になって、フィルムの時に感じていた露出決定やムダ打ちへの不安が無くなって、特にライブ撮影は飛躍的に楽になったなあ。 ...(simizu)

■2004/05/07(fri)
雑用をしているうちに時間が過ぎる。だんだん迫ってきた原稿〆切群を恐れつつも、夕方から次の演劇の話で不毛な議論?が続きほとほと消耗。ネオンはサッシーのDJ。彼はいつも陽気で、救われる。最近カフェハーツの3階に越してきたらしい。ハーツ主人のアキちゃんは一階のカフェ奥に住んで、二階にはナガハリさんと相沢くんのデザイン事務所もある。元は和菓子屋の自社ビルなのに、どんどん地下文化的な建物になっていくようで面白い。しかし、アキちゃんは仕事場である店の奥に住んで大丈夫なのかな。自分もネオンホールに7〜8年住みましたが、やっぱりどんどん苦しくなった。最初はすっごく面白かったけど、公私を分けるのもとても難しいし、飲食店というのは(あたりえだが)全てが住むにはツライ作りになっている。しかし、お店に住むというのは目に見えないプラスが沢山あるのも確かだ。場に対する思い入れはとても強くなるし、“現場”に身を起き続けると、そこで起きる様々を本当に自分の事として四六時中考える(或いは考えざるを得ない)から、場の持つパワーみたいなものが否が応でも強くなる。やり続けるにはエネルギーがたくさん必要で、大変だ。ネオンではなく西長野に住んで約3年半。今自分が仕事場に住んだらどうなるかちょっと想像した。 ...(simizu)

■2004/05/06(thu)
天気が悪かった連休中とは打って変わって穏やかな五月晴れ。夕方、ワイエムサウンドにてボスダブの定期練習。また新しいインスト曲を作り込む。一曲を繰り返し何度も何度も弾いた。ネオンに戻って、千里と話し込んだ。 ...(simizu)

■2004/05/05(wed)
4回続いたリチャード+後藤まるさんのパフォーマンスの最終日。初日からやろうと思いつつ、なかなか踏ん切りがつかなかった照明を、ラストの今回には少しでも作ってみようとリチャードと打ち合わせしていた。12時過ぎに一人でネオンで普段使っている灯体を外したり、延長のケーブルを整理したりして準備、1時前にリックの車で搬入。舞踏の照明を作るのは久しぶりだ。この日記の過去ログに何度も出てくるように、一時期はリックや木村綾、関さんといった舞踏家の照明を集中的にやらせてもらっていたのだが、ここ数年は全くする機会がなかった。北野カルチュラルセンターは吹き抜けになっていて、一階の真ん中を使うと二階展示場の縁に照明を吊る事が出来る。オブジェと舞踏家と舞台全体に、パーライトとDFをストレートにシュート・調光は無し。リチャードはいつもにも増して気合いが入っていて、最終日に賭ける意気込みが伝わってくる。本番、飄々としたまるさんの笛は変わらないが、リックは少しアップテンポ…だがスローな踊り。彼の作品は踊りというよりインスタレーションに近いのかもしれない。白塗りの体躯が暗幕の上で、花と木のオヴジェと対比されながら常に緊張し続けている。そういう一つの風景というか、空間の演出に見えた。照明は、今回まで無しでやってきたのを悔やむくらい自然な美しさを引き出せたと思う。もっと作り込んでもよかったのかもしれない。終わるとぐったり疲れた。諸々の〆切原稿を考えるため、浅川清水リック邸での打ち上げを辞退したが、気力を使い果たし何も出来ず、素直に眠りにつく。 ...(simizu)

■2004/05/04(tue)
連休も終盤。といっても全然休みなんか無いので、ほとんどいつもと変わらない日常が続いている。思えば長野市・善光寺周辺の今年のゴールデンウィークは、かなり地味だった気がする。去年の“ご開帳”の時とはえらく違っている。みな「しばらく善光寺はいいか」なんて思っているのだろうか。通行規制をしている中央通りもひっそりしたものだ。昼前にナノグラフィカに寄ると、三重で先生をやっている宮本力くんが遊びにきていた。全然知らなかったが、数日前から居たらしい。久々に時計なんかについてのマニアックな会話。もっと話していたかったが、残念ながらすぐに電車の時間になってしまう。ネオンホールに行って、北野カルチュラルセンター・アラーキー展でのオープンマイクのスペシャル版・朗読による舞台のための裏方準備。車で機材を運んでもらって、セッティングをしたら、あっという間に開演時間の2時になってしまった。7〜8人が花にまつわる詩を、様々な調子で読んでいく。成田さんのちょっと不気味な植物図鑑的みたいな朗読と、うみんさんの途切れがちな読み方がよかった。久々に聴いたベテラン・奥村さんの語りもとてもよかった。終わって少し話して、ネオンに戻る。
 今日は何年ぶりだろう、独りで店を開けて、カウンターに入った。オープンマイクの打ち上げ的なプログラム、実質はバー営業中心。僕がネオンでバーテン?的な事を盛んにやっていたのは、多分95〜97年くらいだからもう7、8年前になる。食べ物の準備を全くしていなかったので、これも久々にホットケーキを出すことにした。バーについてのあれこれは、本格的に取り組んでみたら奥が深くて面白く、散々色んなブランドのリキュールや炭酸系のドリンクを組み合わせてカクテルのベストマッチを探ったり、気に入ったグラスを求めて市内の店をさまよったりした。食べ物はスパゲティなんかの軽食と…何故かホットケーキに魅力を感じて、効率的に大きく美しく 作るレシピを煮詰めたものだ。フライパンをごく弱い火で暖めて、ミルクと卵とミックス粉を適度な濃度に調節したタネをトロリと落とす。すかさずフタをして、その間にバターとシロップの準備をしながらタネが入っていたボールを洗う。数分できつね色になるので、さっと裏返してまたフタをして待つ。焼き上がったら半分に切って色々が染みこみやすいようにして、コンロの火力を最大にしてバターを一瞬で溶かし、皿に置いたケーキにかける。できあがり。数年ぶりに作ったら、一回目は量が多すぎて失敗。二回目からバッチリうまくいったので、オープンマイクの面々に差し入れした。注文が入って三枚・四枚と焼いていくとどんどん精度?があがっていくのが楽しい。焼きながら、そういえばミックス粉はヨーカドーのがすごく安くていつも買いに行ってたなあ、とかダイエー(今はもうない)はビール類とスパイスが豊富で安くて、ライブの日はリハが終わってから慌てて買いに行ったりしてキツかったなあ、なんて事を想い出した。注文を作りながら、BGMを変えたり、ステージの明かりをオンオフしたり、ヒマになってぼーっとしたり。独りで全てをやると、ネオンホールの隅々にまで自分の神経が通うような気がして、それはとてもきもちがいい。独りで出来ない事をしようと思って色々と展開している(いまもその最中)わけだけど、たまに基本に立ち返るのは大事なことだと思った。 ...(simizu)

■2004/05/03(mon)
思い立って取材のため松本へ。時間が合ったので、美咲さんに車を出してもらう。中町の「扉」で昼食をとったのち、まずは松本市立美術館の「素と形」展へ。草間彌生のケバケバしいオブジェの脇を通り、初めてこの新しい美術館に入った。今月末のクラフトフェア松本の関連展だから、きっとセレクトされた作品が綺麗に展示されているのだろうと何の前知識も無く入ってみると…。展示会場は真っ暗で、なにやらモノがあるところにスポットライトが落ちている。置かれているのは、洋の東西、時代を超えて集められた実用品の数々。クラフトって何だろう、という疑問を投げかける為に、この展覧会は催されているようで、これを実現できているクラフトフェアや松本市って凄いな、と思った。3階ではクラフトフェア出展者の中から40人がセレクトされて、こちらはそれぞれの“作品”を展示。中にガラス作家の前田さん(ネオンやナノグラフィカのグラスも前田さんの作)のブースもあり、ちょっと驚いたり嬉しかったりした。時間が無いので常設の草間彌生展はさーっと観て、閉館ギリギリにお向かいの新生“まつもと市民芸術館”の一般公開を見に行く。入り口からして相当立派で、さっきの市美術館といい、キッチリ作ってあるというか、贅沢に出来ているというか。駆け足でオペラシアターと小劇場、オープンスタジオを見て回る。 全体的によく考えて、センス良くまとめられていて使いやすそう。ハードよりもソフトだ!と常々思ってはいるが…隣町の住人としてすごく羨ましい。閉館時間が過ぎても、来ていた人々がなかなか帰ろうとしなかった。居心地がいいからか。
その後すぐ裏のカフェギャラリー“ガルガ”でコーヒーをいただく。ナノグラフィカみたいなところに日常的に身を置いていても、小さくまとまったガルガはやっぱりよかった。お金がないのに陶器をひとつ購入。 ...(simizu)

■2004/05/02(sun)
北野カルチュラルセンター/アラーキー展でのリチャード+後藤まるさんの舞踏・3回目。今日はモリさんがバイオリンで加わった。久々に彼が人前で楽器を弾く姿を見た。バイオリンの音色もいいが、モリさんは弾く姿、いや立ち姿がとてもいい。まるさんの笛と絡みつつ、リチャードのスローな舞踏が続く。このイベントのおかげでアラーキーの花の写真を何度も何度も観ることになったが…、繰り返し同じ写真を観るにつけ、どこか苛立ったような気持ちが自分の中にあることに気付く。エロスとタナトス。20年前ならともかく、今この花を観てエロティックだと思うことは、僕には出来ない。花がエロティックなのは当たり前のことだし、そのエロスの裏に強烈な死の匂いがするのもわかるが、それを荒木のこの写真から感じるというのは、どうだろう。テレビから流れるニュースや、喫茶店に置いてある週刊誌のありふれたグラビアの方が、よっぽど美しい毒気に溢れているのではないだろうか。一階に展示されていたモノクロの写真だけが、生とか死とかのありふれた議論を越えて、ただシックな美しさを感じさせてくれた。写真誌で見かけるアラーキーの作品には面白いものも沢山あるので、この展覧会をパッケージした人と僕のツボが違うのかもしれない。などと考えながらも舞踏は進む。リチャードの動きはあくまでスロー。好き嫌いがあるだろうが、僕は今回はこの展覧会でリチャードが観れて良かったと思った。リチャードはそのゆっくりとした動きで、観る者に考える事を促しているような気がした。 ネオンホールに戻ると、今日は通常ブッキングのライブ。高校生の頃に長野で活動していた懐かしい連中の、いわば帰省ライブ。対バンにBubbleSweetが出たので、いつものようにご指名をもらってPA。他に久保君、下島君も音響に入る。本番もいつも通り、それなりに上手くいく。騒音を少しでも減らすように、トータルヴォリュームをちょっと落としてもらっているせいか、かえってバスドラ効かせたりバランス良く低音を太らすことが出来た。結果的に音圧感が増したように作れたが、まだまだ煮詰める事が出来そうだ。もっとバンドとの距離を詰めて、細かい所まで事前に打ち合わせるPAをしてもいいのかもしれない。 ...(simizu)

■2004/05/01(sat)
ネオンホールの今夜はツアーミュージシャンが大勢出るライブだ。対バンに長野からTheEndと、ネオンの男スタッフ(下島・久保・哲郎)による“ネオンボーイズ”が登場。ネオンボーイズという名前は、約8年ほど前、僕とたまちゃんとみゆきちゃんという当時のネオンホールの住民(=スタッフ)が何となくやってみたバンドと同じ名前で(そのユニットはライブを3回くらいしただけで消滅。スペシャルズやベルベッツのカヴァーを無理矢理アコギとオルガンとかでやってた。)、なんだか懐かしくて嬉しい。必然的にPAは僕が担当。出演一組目、京都の“まーちゃん”は、いい歳をしたコワモテであるにも関わらず優しくてふにゃっとした変な人だ。凄く緊張してるみたいで、ちょっともったいない。そして二組目・ネオンボーイズ。これが身内であることを差し引いても、とてもいいバンドだった。ストレートなロックンロールに、ちょっと愛嬌があって面白い歌詞、気取らない演奏。ドラム・ギター・ベースの3人全員がヴォーカルを取るのもいい。内輪受けをアッサリと越えて、いいバンドに新しく触れたときの興奮を味あわせてもらった。続いて沖縄のピラルク。中心人物の石原君は那覇で乱波洞というディープな音楽バーをやったり、フリーキーなギターでいろんな人を怒らせたり和ませたりしている変態的な人物。(かしこまったジャズセッションで意味不明のノイズギターを思いっきりかき鳴らして、喧嘩寸前になっても自分のスタイルを曲げなかった。あの時の彼はとてもかっこよくて、ちょっと感動的だったな。)10年ほど前に沖縄で出会って以来、あっちでは何度も彼のステージを観たけど、ネオンホールに来てもらったのは初めて。プレイは案外しっかりしてて、フリーでトランス的なノイズを織り交ぜつつ、綺麗に音楽していた気がする。よく考えたらピラルクのもう一人のギタリストのひとは、沖縄で一世を風靡したミクスチャーパンクバンド“地獄車”のギタリスト・若谷くんではなかったか。久しぶり過ぎて今まで全く気付かなかった…。四番目、“フォークジャングル”主催の松本さん。「寄らば斬るぞ」的な不敵さが以前は素直に聴けなかったけど、骨太で強いだけでなく彼の歌はとても優しい気がしてから、だんだんと好きになってきている。個人的にリクエストした“天王寺界隈のブルース”を演奏してくれて、とても嬉しかった。僕は奈良出身だが、幼い頃から爺さんに戦後すぐの天王寺は荒れつつも人情豊かだった…みたいな話を聞かされていて、松本さんの歌を聴くといつもその事を思い出す。一度この人のうたを浴びるほど聴きたいな。五番目、中村さん。ギターが上手いと思った。ロックバンドのギター/ヴォーカリストだったのかな。90年代前半の関西の匂いがした。ラスト6番目はTheEnd。いつもと変わらぬヒネたフォーキーブルース。割とリラックスしていたのだろうか? 長丁場を終え、打ち上げの後、久々に長野に遊びに来たカナダ人のマリカ(オリンピックの頃の日記に出てくるかもしれない。)と深夜飲み。舞踏のリチャードといい、マリカといい、白人とは思えない曖昧さ(「なんとなく」「だいたい」が口癖!だったりする。)を持つひとと、長いつきあいをする事になるんだなあ。英語と日本語を交えながら、朝4時位まで話し込んだ。長い一日だった。 ...(simizu)

■2004/04/30(fri)
新しく始める記事についての打ち合わせをした後、ネオンに少し寄って帰宅。昨日からの女性オンリーイベント“giggles”のためにネオンホールには居れないので、帰宅してちょっと仕事っぽく雑用。前から気になっていたneon webの細かい部分や、基本構成について見直す。全面的にリニューアルを計画しているのだが、その前に骨格的な部分だけでも整えておこうと思って。元々、「ホームページなんか作るヒマがあったら壁新聞とかフリペでも作って街に貼って回った方が有効」なんて言ってたのだけど、長野でオリンピックが開催されるタイミングで(かなり前の話ですね。当時はダイアルアップ接続が普通だったし、そもそも長野にはプロバイダが2つ位しかなくて、webにアクセス可能な人はまだまだ少なかった。)考え直してオープンさせたのがこのNEONHALLweb。その後やっぱり更新が大変で、必要最低限の部分しかいじれなくなり、一時期はほとんど全てがストップするまでに至りました。さらに時間は過ぎて、wwwを取り巻く環境も変わり、ネオンホールの状態も変わったりして、何とかゆっくりと動き始めたわけです。おっとなんでここの歴史なんて書いてたんだっけ。そう、久しぶりにサイト全体を見直そうとしたら、…やっぱり時間がかかります。半日ほど細かいところをいじりまわして、文章を追加して。いつの間にか日付が変わるような時間になって、眠ってしまった。 ...(simizu)

■2004/04/29(thu)
先週から長野を訪れていた元古着屋“メランポ”の中嶋みどりちゃんと、イラストのアベユウコさんを見送りに長野駅前まで、お昼頃に出向く。二人は大学の美術科の後輩で、学校を卒業してからの色々な活動を一緒にしてきた。“メランポ”とはネオンホール全体で深く交わって、一つの世界をつくっていた時期があった。(メランポの写真)アベユウコさんは、長い間白黒コピーで作っていたネオンホールの予定表“NeonTalk”を、印刷に出してちょっとした冊子風にした時に表紙を担当してもらったり、(ネオンホール周辺の風景と人物を優しいタッチでイラスト化したもの。僕がずっと描いている感じに近い。)イラストで一緒に“二人展”をやったりした。みどりちゃんは一昨年に、アベちゃん(現在はキタジマ姓)は去年、それぞれ結婚で長野を離れて今は違う街に住んでいる。
駅前には花のイベントインフィオラータの絡みか、植物沢山置かれていて、いつもより明るく見えた。連休の入り口なので結構な人出。普段と違う雰囲気に右往左往しつつ、駅前交番の前で子どもと戯れる二人を発見。みどりちゃんには一歳半になる萌ちゃんという女の子がいて、この子がとんでもなく元気。子どもってみんなこういうモノなのかな? 女の子って割と静かな気がするんだけど、萌ちゃんはとにかく走り回って歩き回って、周りにあるもの全てと戯れている。アベちゃんはおなかの中に子どもがいて、今年の夏に出産予定。二人とも長野で活動していたときとは全然違う表情をしている…ように見えるのは当たり前のことなのか。モリさんと合流して、手っ取り早く駅の真横にあるカフェに入る。久々の再会で積もる話も沢山…どころではなくて、常に大騒ぎな萌ちゃんの相手をするだけで一同精一杯。すごいパワーだなあ。あっという間に電車の時間が来て、ホームまで見送って、お別れ。モノをつくること、生活すること、そのバランス。考えて解ることではないのだろうな。
ネオンホールに少し寄ってから、奈良堂にて某テレビ局の人とミーティング?っぽくお話し。しばらくぶりの人も交えて、打って変わって長野文化話。夕方ネオンに戻ると、女性オンリーイベント“giggles”の 準備中で賑やか。ホントに女性だけしか入れないので、オープンしてしまうと僕も中を見ることが出来ない。今回は2日間にふくらんでいて、盛り上がっているのだろうか。外食して家に帰って、文章関係の整理をしようと思っているうちに眠ってしまう。 ...(simizu)

■2004/04/27(tue)
今日は雨。いつもの権堂・喫茶奈良堂にて色々の整理をする。古い喫茶店の決まった席で、いつも同じような作業をしているなあ。夕方、いつものFMぜんこうじ“スモールタウングルーヴ”の収録、綾子とサクライ、飯田剛くんと。終了後、ネオンホールでボスダブのレコーディング。今回は“黄昏色”を録る。ベースとドラムとピアノで一発録りして、後でクラリネットとヴォーカルを重ねる予定。スローテンポの曲を何度も何度も演奏する。自分で作った歌で、しかも朗読のパートが大部分を占める構成だから飽きそうなものだが、不思議と何回弾いても感情移入できた。「夕暮れ時の、いつもの駅前〜」で始まる具体的な景色のうた。長野駅と長電本郷駅、そしてJR奈良駅前の景色が記憶の中で合わさったような風景をなんとなくイメージしている。11時頃に全てを終えて、エンジニアを担当している下島君と別れた。このプランのおかげで彼と沢山対話できてうれしい。録音終了後のミーティングで、6月と8月に関西ライブの予定がきまる。とても楽しみ。
まだ先週末のマーガレットズロース録音ライブの余韻の中にいる。頭の中で彼らの曲が何度もリピートして、ライブ風景がフラッシュバックする。なかなか他の音楽を聴く気になれない。 ...(simizu)

■2004/04/26(mon)
ナノグラフィカに泊まっているマーガレットズロース一行の撮影に行く。今までのツアーもあわせるともう十泊位はここに彼らが滞在したことになる。そのせいなのか、元々そういう人々だからなのか、一行はナノグラフィカに溶け込んでいるようだ。デジカメと中版を混ぜながらの撮影。中版でまとまった撮影をするのは久々なので、ちょっとまごつく。場所をネオンに移してまた撮る。僕が撮っているところを映像の人たちがまた撮っている。2時頃に終わって、いよいよ彼らは帰路につく。3日間は短かくて、結局ゆっくりと話したり、彼らに僕の好きな長野をみてもらう、みたいなことはできなかった。けど、何しろいいライブが見れて、しっかり録音まで出来ているのだからこれでいいのだ。いいアルバムができたらいいな。握手をして、たくさん手を振って、別れた。
その後外回りをしていると、元古着屋メランポのみどりちゃんから電話。信大教育学部前の画材屋マチスで落ち合う。(メランポはこの日記の過去ログに盛んに登場すると思う。)2年前にゴーグルエースが東京に行くのと、メランポが閉店してみどりちゃんが(結婚するために)九州に行くのとが同時期に訪れた時は、かなり寂しかったりこの長野で色々を続けていくことに不安を覚えたりした。それからいろんな事があって、今では2年どころかもっと大昔だったような気がしているのは不思議だ。一歳半の子どもを抱えるみどりちゃん。そして、偶然立ち寄った元?ゴーグルエースのカワムラ君。何気ない会話。そのあと一緒に教育学部美術科の木村研を訪ねる。生憎先生はいなかったが、現役の学生であるテツローが迎えてくれた。
ネオンに戻って少し雑用をしてから、家に帰って風呂に入り、いつもより少し早めに眠った。 ...(simizu)

■2004/04/25(sun)
昼頃、北野カルチュラルセンターのアラーキー展でのリチャードハートと後藤まるさんの舞踏のセッティングに行く。今回はモノクロの写真がまとめて展示してあるブースに腐葉土を持ち込んで舞台化、そこで踊るという。1時頃に行ってリックと一緒に暗幕を敷いた上に土を撒く。腐葉土=要するに朽ち果てた木の葉なので、モノクロの花写真ととてもよくマッチしている。土の香りが充ち、これから何かが始まる予感が空間を充たす。いつもながらリチャードはシンプルな舞台の作り方が上手い。準備が出来たので昼食に行き、ぼーっとしているとあっという間に3時になっていた。何となく4時から本番のような気がしていた…けど、よく考えたら3時から!だったので慌ててバイクで現場に急行。開始前のバタバタを手伝えなかった事が申し訳ないが、ともかく始まったばかりの舞台に見入る。スローで動きの少ない、リチャード節ともいえる静かな舞踏。ぼーーっとしてるうちに終了。舞台というより一つの風景のような公演だった。終了後、二階のカフェでまるさんとリック、詩人の清水さんらと次週についてのミーティング。

4時半頃、ネオンに急いで戻り、リハーサルの様子を見る。今日はマーガレットズロースのレコーディングライブの二日目。昨日は予備的なもので、今日のテイクがそのままアルバムになる予定とのこと。メンバーも緊張気味だ。PAは昨日に引き続き久保君で、照明は下島君だ。問題なさそうなのでバイクでナノグラフィカへ。昨日から京都のオオヤミノルさんがコーヒー専門家として訪れているので、少しだけでもと顔を見に行く。オオヤさんが落としてくれたコーヒーは濃厚で、舞踏でスローになっていたけどとたんに目が覚めた。さすがに家元の一杯は美味い。一緒に友人の今泉君、オオヤミノルトリオ/OKミュージックボールでドラムをしている中川君ら京都人脈も来ていて、しばしの再会。中川君は京大で現代音楽の研究をしている人でもあり、アヴァンギャルドなプレイヤーでもあり、まったりした京都のお兄さんでもあり、いつ話してもとてもおもしろい。しかし、今回偶然が重なっていろんな知り合いが一気に長野を訪れているので(ほかにも古着屋メランポを営んでいたみどりちゃん夫妻や、イラストのアベユウコさんなど)とても時間がなく、話しきれなくて大変。(特に今泉君とは殆ど全然話せなかった。色々つもる話もあったのに…)

後ろ髪ひかれつつ、しかし気合いを入れてネオンホールへ向かう。カウンターの隅でヒザを抱えてうずくまるベースの岡野君を発見。すごく緊張しているとのこと。他のメンバーの姿は見えない。慌ててカメラを仕込んでいると、幕前の曲が始まる。小走りに最前列へ。短いカウント、ライブの始まり。一曲目からぐいぐい引っ張っていくいいステージだ。昨日と違ってMCも少な目に、黙々と演奏に集中する3人。しかし緊張しているのではなく、演奏のテンションが上がって言葉が出ない状態に見える。ステージのボルテージはどんどん上がっていく。凄い…! 始めてネオンホールでこのバンドを見たときと同じような感動が、自分にもわき上がっているのに気付く。ファインダーを覗いて懸命にシャッターを切るが、曲に聴き入ってしまい、何度も途中で撮るのを止めて音楽に集中した。緊張感と爆発的な感情と、エネルギーに溢れる音の波、波。彼らの音楽性が好きであっても嫌いであっても、この場にいさえすれば、きっと多くの人は胸を打たれるだろう。舞台に携わる人、いや音楽が、アートが好きな人なら誰だって解る、ある臨界点を超えた希有の領域を、今彼らが僕たちに見せてくれている。同じバンドと同じ客、同じ場であっても決して再現できることのない、ライブステージの真骨頂だ。言葉にすると陳腐になるな…。あっという間に、アルバムを想定した十数曲が終わり、ライブの第一部が終了した。その後は、観客にアンケートしてのリクエストタイム。さっきまでと違いゆったりとした演奏だ。“スタンド”というバンドのカヴァー曲が、彼らの原点を見るようで面白かった。3日でのべ40曲以上のマーガレットズロースを聴いたが、全然飽きていないのも不思議だ。さすがに終わると脱力したが。メンバーもカメラマンさん達も脱力、音録りをしていた原さんは疲れの余り放心…。11時頃から打ち上げ。3時頃までたくさん話した。 ...(simizu)

■2004/04/23(fri)
土日のマーガレットズロースのレコーディングライブの、今日はリハーサルの日。今回の録音物はMIDI creativeよりリリースが決まっていて、上手くいけばライブの様子を収めたDVDと二枚組になるとのこと。レコーディングを担当するのはあのカフェオレーベルの原さんだ。そんな正規版の録音会場にネオンホールを選んでもらってすごく光栄というか… 去年辺りから続く僕らとマーガレットズロースの親交が、こうして実を結ぶことになってとてもうれしいし、こんな小さな場所を何とか続けてきて本当によかったという気持ちでいっぱいになる。

ネオンホールを貸し切りにして、夕方からセッティング。この3日間をじっくり味わうために、特に原稿や締め切りに追われない体制にしておいた。いつもはライブで精一杯で、あまりゆっくり話もできない彼らと、オフステージの時間も少しは楽しめるかと思ったから。4時過ぎに一行到着。思ったよりも映像スタッフさんが多くて驚く。早速音出し準備を始める。7時過ぎに原さん到着。レコーディングのセッティングを開始。そうこうしていると昨日ネットの深部で発見して急遽購入を決めたデジタル一眼レフが届く。いい加減借り物の旧式機(オリンパスのデジカメ。これはこれで愛着が湧いてはいるが…)では仕事やイラストの資料としても限界を感じていたので、迷いつつお金を貯めていたのだが、デジタル一眼はまだまだ高価なうえ技術の進歩が目覚ましく、買い時を決められないでいた。しかし昨日偶然にも唖然とするほど安い価格で売っているのを発見。詐欺じゃないかと疑いつつも、明日からのライブを撮ることは決めていたので、その為に急いで手続きを済ませていた。無事到着してよかった。音録りのセッティングをお手伝いしつつ、新品のペンタックスを手にテスト撮影。なかなか調子がよい。これならすぐに実戦投入出来そうだ。あれこれやっているとあっという間に音出しストップの10時がきてしまう。テスト録音したものを聴かせてもらったら、かなり生っぽくていい感じだった。片づけの後、一行は郊外の銭湯へ行くというので送り出す。
さらにその後、色々あって某局のM女史と深夜飲み。12時頃権堂のおにぎり居酒屋へ。Mさんとはなんというか、ダメ友達?というか…深夜に飲んでは、共に人には言えないダメ話ばかりをしている変な親友、って感じ。お互い立場的にもうちょっとマシな話、地域文化振興?にでも繋がる話をしたらいいかとも思うが…落ち着くし楽しいし、いいのかな。3時頃別れて、ネオンホールに泊まった。 ...(simizu)

■2004/04/22(thu)
今日の長野は最高気温が29度ってことで、7月並みの陽気(熱気?)らしい。確かに相当な暑さで、迷わず事務所のBGMはラヴァーズレゲエ系で。
久々に何かに追われていない日なので、奈良堂に詰めて一人会議。色々と決めることをきめる。所用で京都の風博士/杉さんに電話して、色々と話を聞いてもらっているとき、ここの日記の話になって。「清水さん、なんで日記あんなに暗いの?」と言われ、おどろく。「そうかー、暗いかー。いや、確かに悶々としてるよな。」などと返事をしつつ、あとで読み返したらやっぱ暗い?かどうかはともかくとしても、こりゃ悶々としすぎかも。すっかり春だしなー。なんとかしなきゃ。いや、そういう性格だから仕方ないのか? 夕方、ボスダブの定期練習でYMサウンドへ。元?ゴーグルエースのカワムラ君と会う。長野に帰ってきて大学に復帰したカワムラ君だけど、ファッションも雰囲気も当然のようにゴーグルエースの時のままだ。そういえば数年前までYMサウンドではゴーグルエースのメンバーが受け付けバイトとかしてたよな。会話の中で、カワムラ君がゴーグルエースの事を普通に「うちら」と言ったのが印象的だった。ゴーグルの4人が僕やネオンホールにもたらしてくれたモノは言いようもなく大きいし、これからもきっとそうなんだけど。未だに、あの4人が4人でなくなったって実感が湧かない。
ボスダブ練習ではまた新曲が登場。サチコ作のインストで、いきなりいい感じにまとまり始める。終了後また関西/東京ツアーについての打ち合わせ。やはりツアーの話は楽しい。
ネオンに帰ってちょっと外出して、偶然懐かしい人と長距離長電話した。とても楽しかった。 ...(simizu)

■2004/04/21(wed)
ナノグラフィカでメシを食った後、またまた雑用と原稿。暗くなる頃完成して、某編集部にCD-Rで持ち込む。追い込みでこれから不夜城と化すそのフロアからは、一種異様なテンションが感じられた。編集のTさんとすこし話し込む。情報誌や新聞のエディター/記者さんも、随分目線が低くなったというか、同じ話題で盛り上がれる人が増えたのでとても嬉しい。ネオンを始めた頃はホントに話が通じなくて困ったものだが。そのまま直帰して、疲れからだらーっと眠りに就いた。 ...(simizu)

■2004/04/20(tue)
朝から原稿を書こうと思いつつ、またネオンの雑用に飲み込まれる。市役所に行ってナノグラフィカの補助金絡みの手続きに。手続きの割には補助額はホントに非常に少なく、期間も一年限定。恐らく長野市商工課がこの“中心市街地活性化”の補助金制度で新規開店のお店に出した金額は、すべての店への補助を合わせても2年で数百万〜1千万円代だと思う。対して、市が多くのハコモノや区画整理に使っている金額は一体その何倍になるのだろう。もちろんこちらは貰えるだけでも有り難いが…。職員さんの対応は丁寧で好感が持てるが、なんというか切実な感じ?がしなかった。単純な作業なのにどっと疲れる。
夕方、FMぜんこうじにて“スモールタウングルーヴ”の収録。今回は“長野サウンドトラックス”を担当、LKJとはっぴいえんどを流す。ネオンに戻ると“夜の美術部”の最中。何人かの人が絵を描く中、STGのミーティング。横にマーブルコーポレーションのみったんと武居さん、カメラマン・ケイゴくんが撮影に来ていて、少し話した。武井さんと話したのは久しぶりで、ちょっと興奮してしまった。 ...(simizu)

■2004/04/19(mon)
ネオンホールで雑用をこなす。最近、隣の八百屋のイチゴが安い。長野市内で一番安いんじゃないかと思う。4パックで500円を、ほぼ日常的に提供してくれる。幼い頃から苺が大好きな僕にはホントに嬉しいことで、もう何年も前からすっごくお世話になっている。この約10年間の間に一体隣で何パックの苺を買ったんだろう。ひょっとしたら八百屋さんの仕入れ方針にも影響しているかもしれない。ホントに苺が安くなるこの季節、ぼくはそれをジュースにして楽しむ。無論生でぱくぱく食べるのもいいが、牛乳と大量のイチゴ、そして少量のレモンで作るジュースも素晴らしい。八百屋さんのさらに少し下にある“森田ベーカリー”のパンとこのイチゴジュースから始まる一日。これが初夏までつづくのだ。
夕方、某誌の取材のため朝陽館ギャラリー蔵の夏子さんとたまちゃんにナノグラフィカにて話を聞く。夜、たまちゃんと権堂の沖縄?無国籍?飲み屋“カラカラ”に出向く。 ...(simizu)

■2004/04/18(sun)
ここんとこ寝不足でヘロヘロになっているが、何とか起きて日記をつける。正午頃舞踏のリチャードハートよりTELあり。今日は北野カルチュラルセンターで開催中のアラーキー「花人生」展でのパフォーマンス一日目なので、待ち合わせてセッティングに入る。行くとフラワーデザイナーの柿崎さんがいて、少しうち合わせ。大まかなことが決まったところで、ネオンホールに戻ってボスダブの音合わせ。ライブ前なのにほとんど練習ナシだったので無理矢理時間を作ったのだが…やはり慌ただしく、30分弱しか演奏できなかった。2時過ぎにまた北野カルチュラルセンターに入り、リックの白塗りを手伝う。彼の裏方をするのは久々だ。3時から本番。笛の後藤まるさんと、舞踏のリチャード、花の柿崎さんが三つ巴で一つの世界を作る。 全てほぼ即興。禿頭で白塗りの大男が裸体をくねらせ、アラーキーの撮った花の前で舞う。リチャードは暗黒舞踏派の流れをくむ某集団出身で、いわゆる“舞踏”をしっかり学んだ人た。しかし体のつくりが完全に欧米人なので、日本的なメソッドを用いていてもやはりいわゆる“舞踏”とは随分仕上がりが違ってくる。大理石彫刻のような白塗りの身体からは、無機的で死の匂いが漂う。パフォーマンス中の彼の肉体は血肉というより単なる物体を思わせるのだが、日本人或いは東洋人の一元論的な物体ではなく、西洋的・二元論的に“もの”であることを徹底しているように感じさせる。そんな事を考えながら写真を撮った。ちょうどネオンホールに置いてあったカメラが中版のMakina67だったのでそれを持ち出して使ったのだが、マキナはアラーキーが使ったことで有名になったカメラ。何だかアラーキーマニアみたいで恥ずかしかった。ショット数の多いデジカメに混じって、1ロール10枚のスローな撮影。最近カメラを手にしていなかったので、慎重に露出を選んでシャッターを切る。終了後、旧友モリさんとそばを食った後、ネオンホールにて今夜のリハーサル、2夜連続で出演者側だ。出演はアメリカンラジオ、ろんづと我々ボスダブで、PAは全て下島君、照明は全て哲郎。アメリカンラジオのヴォーカル、キャプテンは来週末から暫くアメリカを放浪するそうだが、ライブは普段通りキッチリ楽しくこなしていた。シンプルなロカビリー。彼の人柄か、音はとても優しい。続くろんづはヴォーカル・まーしが今月から信州大を休学して働き始めた為、かなり疲労が溜まっていて、それがバンドサウンドにも出ていた。ライブの出来は良くも悪くも素直な彼のテンションに左右されるんだな。でも、胸を打つ瞬間は何度もあった。そしてボスダブ。一ヶ月ぶりのライブ…すっかり季節が春になったせいか、ステージ上でも少し浮かれ気味(いつもか?)。レコーディングを始めたためにアンサンブルやリズムの絡みの細部をしっかり認識していて、演奏がとてもやりやすい。ドラム・鴨ちゃんのビートがいつもより自分に近く感じられる。楽しい時間はあっという間に終了。ヴォーカル・サチコの上気した顔が印象的だった。忙しい一日だったが、疲れが心地よかった。 ...(simizu)

■2004/04/17(sat)
正午にチサトとネオンホールにて本日の舞台「清水隆史と馬くん」の稽古。簡単強引現代美術講座+いかにもアートパフォーマンス+不条理劇をライブバンドの文脈で出してみるプロジェクト。…というと偉そうだが、ただアホかつちょっと実験的な事がしたいだけ。一緒に無意味台本を煮詰める。身体は疲れているがとても楽しい。今回のタイトルは「馬の谷のナウ鹿」で、ナウシカとペリーと巨神兵とまったり昆虫がどうのこうの、巨神兵はオモチャ工場でネジ締めの仕事をしていて辛かったとか、そんな話。まとまったら次は美術講座部分を考えるべく、権堂の喫茶奈良堂に出向く。途中アーケードで前からブラブラ歩いてきたTheEndサクライを発見。いつだかこういうシチュエーションのイラストを描いた気がする。数年前だと、しょっちゅうこのパターンで一緒にメシを食いに行ったり、昼のネオンでコーヒーなど飲んだりしたものだ。一緒に奈良堂に入ってコーヒーをすする。程なく電話がきて、ナノグラフィカへ上映機材のセッティングに呼ばれる。8mm映写機とスピーカーの接続。インディーズフィルムフェスの最終日で、作業中に早くもお客さんが来始めていた。(後から聞いたところによると盛況だったようだ。)完了後ネオンに戻り、さらにもう一度奈良堂に行って美術講座とパフォーマンス部分を煮詰める。考える時間がないので今回はヨーゼフ・ボイスについて話すことにした。ネオンに帰ると丁度noteが終わったところ。今夜の出演はnoteと※ナカザワ、TVDinnerに馬くんで、自分たちはラストだ。PAは全て久保君で、テツローが照明に入っていた。チサトと最終打ち合わせをして、いよいよ本番。ボイスについては修士論文以来あまりしっかり向き合ってこなかったので、上手く話せなくてちょっと焦る。続くパフォーマンスはそれなりにいつものペースで、不条理劇もまあまあ…だったのかな。アッサリ楽しく終了。終了後、飲みながら話しているとインディーズフィルムフェスで来長していた木村祥朗(高校時代の同級生で、今は東京でゲームデザイナーをしている。代表作は「MOON」「チューリップ」)が映像制作仲間の二人と共に登場。チサトと5人で話し込んだ。 ...(simizu)

■2004/04/16(fri)
進まない原稿を前に進める。いつもと同じタッチで、描きたいことを描けばそれでいいのだが。今更ながら自分の絵が未熟に思え、出来ていない事を出来るように藻掻いたり、何か新しい要素を持ち込もうとしたり。しかしやれることが追いつかず、また泥沼にはまる。その間にもネオンなどについての幾つかの雑用。今回の出口が見えて鉛筆が進み始めた夕方、時間が来てネオンホールに上映会のセッティングをチェックにいく。古い16mm映写機の音声を無理矢理ミキサーに繋ぐ。合間にも描き続け、7時頃よりFMぜんこうじにて「スモールタウングルーヴ」の収録。描くという行為は僕にとって非常に内向的かつエネルギーは大きく低い波長をもってうねるものなのだけど、喋るとか演奏するって行為はベクトルが外向きで波は短く高い。つまり全く逆の状態を示すわけで、瞬時に切り替えるのはなかなか辛い…けどテンションを上げて乗り切る。何度もイラクの話をしたものの、短い時間のなかでは難しかった。ネオンに戻ると「インディーズフィルムフェス」二日目で、上映の真っ最中。昨日よりはたくさん人が来てにぎわっている。たまたまタイミングが合ったのでアオキタカエと宮下千歳さんの作品を見る。このイベントはこの二人が首謀者。上映した作品の監督さんがたくさん来ているので、会って話してみたい欲求に駆られるが、勿論締め切りを優先すべきというかこんな日までズルズルと描き続けている自分が悪い。帰ろうとして入り口で映像作家の大木裕之さんに会う。相変わらず優しい人だ。自室に戻りとにかく描き続ける。何でこんなに進みがおそいのか。0時頃、紙原稿が完成。ネオンホールに行って、画像処理などを済ませて完成。どうなることかと焦ったが、やはり出来た瞬間はとても気持ちがいい。 ...(simizu)

■2004/04/14(wed)/19:20
原稿が描けず悶々としまくる日々。雑用をこなしつつ、悶々と。昼過ぎに外回りをしつつ、朝陽館に立ち寄ると、西田かほり展「DANDELION」をやっていたのでギャラリー蔵へ。真っ白くて巨大な無数のタンポポが空間を埋め尽くしている。綺麗に作り込まれていて隙の無い空間。ピリピリして、無機的だけど変な気配がする、そんな感じ。最近元気のいい信大教育学部卒美術科の彫刻研出身で、それは藤田先生という若手の素晴らしい指導者がいるからなのだけど、彼女はその系譜では最初に作家活動を展開し始めた人ではないだろうか。作品は確実にパワーアップしていた。久々だけど落ち着いて話せた。その場に元信大教授の仁科先生が登場。十年以上前に、松本で講義を受けた記憶がある。確か試験が全然解らなくて、絵を描いて提出した事を想い出した。覚えておられないとしても、恥ずかしい…。 少しお話しして、喫茶奈良堂へ向かう。やることの整理。6時半、中央通りの北野カルチュラルセンターのアラーキー展で、パフォーマンス的イベントをするための下見。詩人の清水克也さん、成田さん、舞踏のリチャードハート、笛の後藤まるさんと。アラーキーの写真は包容力があって、何をやっても様になる気もした。帰って、また原稿・・。進みが遅い。いい加減にしないと。 ...(simizu)

■2004/04/13(tue)/19:20
雑用をこなしたり原稿に向かったり。どうも元気がでない、けどそうも言ってられない。この日と例えば旅先で新しい出会いや発見に心躍らしたあの日々と、一体本質的に何が違うんだろうと考えたりする。いや、何も違わない。俺自身が違うだけだ。じゃあ俺自身の何が違うのか。わからないけど元気が出ない。けどそうも言っていられない。夕方、ナノグラフィカ会議。会計報告など。これから少しボスダブのレコーディング、ネオンホールにて。 早く原稿上げなくちゃ。 ...(simizu)

■2004/04/10(sun)
一昨日に続いてもう一度朝陽館のギャラリー蔵の「手作り絵本展」へ遊びに行く。ギャラリー蔵の展覧会は、自分がいつも使っている会場だって事もあって、内容によってはとことんその雰囲気に馴染むことができる。仲のいい友達の店に遊びに行くような気分。着くと読み聞かせ会が終わったばかりで、子連れの人たちでにぎわっていた。朝陽館の夏子さんと少し話す。出ようとした頃、ざ・はっぴいずのジュンと遭遇。上はTシャツ一枚の軽装で、どこかの子どもを肩車している。笑いながら二三の言葉を交わす。今日で一旦長野を去って、愛媛の実家に帰るとのこと。子供というか新たに家庭を作るために帰るんだから、長野に戻ってくるとしても当分は無理だな。また、帰ってきてこの街を賑わすことがあるんだろうか。思えば去年一年の長野のライブシーンや新しいアートシーンを面白くした功労者?の筆頭がジュンだろう。散々コイツに引っかき回されて、興奮したり奮い立たされたのに、今日で行ってしまうなんて。いや、そんな・・もっともらしい話なんかじゃなくて。・・俺は個人的に、単純に彼が行くことが悲しいんだ、と思う。上手く言葉にできなかったけど、メチャクチャ寂しい気持ちになった。何気ない会話をして、握手をして、別れる。
その後写真撮影、城山公園周辺にて、ハルカちゃんと。まったりと会話しながら撮れてよかった。ネオンに戻るともうリハが始まっている。PA手伝おうか?と思うがスタッフ全員体制だったため、事務所に引っ込んで違う作業を。ライブの仕切は下島君、久保君、哲朗。ちょっと久しぶりにみたエイトヤマザキがとてもよかった。
終了後、みんなで店を閉めて、城山公園に花見に繰り出す。桜は今日を狙ったように満開。夕方から始めていた連中と合流して飲み始める。主にボスダブ、noteのメンバーとネオンスタッフ、サッシー、ナガハリさん、エイト、しのみとDJ OSHOWさんたち。先発組がすでに泥酔していて、後から行った我々と全くテンションがあわなくて困った。特に鴨ちゃんはかなりへべれけで、誰彼かまわず抱きついてキスしまくっていたが、抱擁したらなんか落ち着いて気持ちよかったりした。OSHOWさんがポータブルプレーヤーで回すR&Bと夜桜は絶妙の組み合わせ。大騒ぎからそーっと離れて見入ったりした。日付が変わる頃、どんどん人は減っていったがまだまだ飲み続け、結局ナノグラフィカまで移動して3時頃まで。下島君とたくさん話せてよかった。桜、綺麗だった。 ...(simizu)

■2004/04/10(sat)
午前9時半頃からネオンにて音響機材の積み込み。駅前のアゲインビル7階・アゲインホールにてバンド「晴晴"(はればれ)」のPAの仕事の為。イベンターのFOBさん仕切で、今日はファンクラブ関係の催しらしい。ひさえちゃんの車に限界まで荷物を積み込み、移動。途中で中央通りのキタノカルチュラルセンターにて今日から開催の「荒木経惟 花人生」展のオープニングに顔を出す。招待してもらっていたのに、ゆっくり行けなくて残念…だが、気持ちを切り替えて写真に見入る。知り合いに会うこと多数。30分弱観て、後ろ髪を引かれつつアゲインホールへ。ファッションビルの1フロアそのままなので、フラットで天井が低い空間。ささっとシステムを組み、リハーサル。「晴晴"」は元々自分が審査員をしていた平安堂ミュージシャンコンテスト出身で(当時の名前は“ジョーハープ”)ただメチャクチャ元気な高校生が勢いで楽しくやってる・・みたいな印象だった。しかしコンテスト入賞以来、彼らの人柄と歌の良さ、弾けるような勢いのよさで、路上での人気はかなりのものになった。以降、上京・メジャーデビューとトントン拍子に話はすすんで、最近はアニメ「ワンピース」の主題歌なんかを担当、ますます人気が上がっているという。つい先週も駅前の平安堂前でインストア的ライブをして、約500人が集まってしまった・・あの時のPAは大変だったので、今日は少し緊張気味だ。(今回主催者が違っているのに、PAとして指定してもらっての仕事だし。)音を出すと、まるで地下道か体育館で演奏しているみたいに盛大に響く。客が入ってからの音を想像しつつ、その辺はいつもの感覚で微調整を繰り返す。2時から本番、人出は約400人と予想よりは少なかったが、やはり相当な騒ぎ。しかし、3人が高校生の頃からずっとPAさせてもらってるけど、ホントに上手くなったなぁ。あと、売れ筋に入っても彼らの態度というか人のよさが全然変わらないのがとてもいい。ステージ上でもオフステージでも、なんの虚勢も嫌なプライドも感じられなくて、むしろ前よりも謙虚な気がする位。終了後、メンバーと少し言葉を交わす。T&Tの話で少し盛り上がることが出来て、うれしかった。出音も上手くまとまったし、いいライブになってよかった。
ネオンに戻って、荷物を下ろして。今日のネオンホールは通常ブッキングによる5組のライブ。PAは久保君、テツロー。完全に客に混じって見せてもらう。昼間が力仕事だったので(音響って、オペレートはともかく機材の積み下ろしでとても疲れるのです。)全身が怠く、やけに酔いのまわりが早い。カミナリグモ、東京から来たメカネロがよかった。カミナリグモは一つ抜けた感じで、演奏も良かったし、ヴォーカル・上野君の顔がとてもスッキリしていたのも印象的だったな。メカネロの後、松本シネマセレクトの宮崎さんが来訪。事務所で飲みながら閉館した松本中劇のその後や、ほか色々について話し込んだ。あの建物のこれからやシネマセレクトのホームグラウンドについて、まだ何も決まっていないが、話は沢山あるとのこと。一体どうなるのだろう。 ...(simizu)

■2004/04/09(fri)
ボスダブのwebを作ったり雑用をしたり。夕方、中央通りの朝陽館・ギャラリー蔵へ「おはなし蔵・てづくり絵本展」を観に行く。「お話し蔵」は朝陽館の夏子さんと、たまちゃん、そしてはんこ職人ハルカちゃんの企画による3回目で、くつろいで絵本を見れる空間づくりと読み聞かせ、そして可愛い小物の展示販売…みたいな、言葉にするとそんな感じ。しかしハルカちゃんの作品が面白い味というか・・かわいいだけじゃなくて、ちょっと毒があってコクがある?ので、子供向けの空間ながらなかなかアーティスティックなタッチに仕上がっていて面白いのだ。今回は絵本展ということで、地元の20代を中心に様々な絵本が集められている。手作り絵本、ここ数年ちょっとしたブームになっていましたが、今回のあまりそれとは関係ない気がしました。雑誌なんかでよく見かける豆本みたいにお洒落じゃないし。見終わってから、ハルカちゃんと蔵の入り口前でおはなし。ここで座り込んで話せるってことは、もう春なんだな、と実感した。
夜も更けた頃、突然大阪から昔の演劇仲間・トミジョウが来訪。ネオンホールで話し込む。学生時代に所属していた劇団“ちまうり”の後輩にあたり、僕が作・演出をした芝居「Going underground」(1995年、劇団“ネオンシアター”としてネオンホールにて上演。)では主要な役者を演じたひと。会うのは何年ぶりなんだろう。昔と変わらず顔は濃いのに飄々として、聞けば何の気なしに突然旅に出てきたのだという。想いで話や近況報告もたのしい。ナノグラフィカに移動して、また話をして…。 ...(simizu)

■2004/04/08(thu)
昨日の深酒がたたって二日酔い。しかし、二日酔い以上に怠さを感じる。ネオンにて幾つか雑用をしてから、昼過ぎに帰宅し、少し眠る。夕方、YMサウンドにてボスダブの定期練習。ほとんど“午後三時”のリニューアルだけに費やす。かなりキャッチーでいいメロディが出てきたが、他の部分との整合感が…。終了後、5月からのライブと、初夏からのツアーの予定について話し合い。また関西に行けそうで嬉しい。ネオンに戻ってから、たまちゃんと権堂の「徳べえ」に久々に飲みに行く。(金もないのに飲んでばかりいるな。)テレビで「イラクで3邦人誘拐」のニュースを繰り返し流しているのが耳に入る。日本中で「ついに来たな」「ほら見ろ」って声がしてるんだろうな。一体どうなるんだろう。12時前に帰宅して、珍しく早く寝た。風邪気味なのか? 中央通りの木々が一斉に花を咲かす時期だ。花冷え、っていうのかな。長野はまだまだ寒い。 ...(simizu)

■2004/04/07(wed)
書けなかった原稿を仕上げつつ、ネオンの雑用をこなす。昼過ぎにINCにて打ち合わせというかお話し。原稿を出してから、またネオンの雑用。やってもやっても終わらない…けど、割と前向きに。ネオンは「夜の美術部」で、チサト部長と部員だちが地味ながら楽しいムードを醸し出してる。終わる頃、チサトと伝説の?変態ユニット“ザ・ダフー”のMDを聴きまくる。そこで盛り上がり、権堂の「ミュージシャン」に飲みに行く。閉店時刻が近いけど一杯飲ませてもらって、もうすぐ廃業されるバー「チャップリン」に足を伸ばす。チャップリンに始めていったのは、確かネオンホールを始める一月前、1992年の9月だったか。そのときここで初めて霜田誠二氏のパフォーマンス「on the table」を観たのだ。以来、マスターの平井さんにはたくさんお世話になった。チャップリンで催された多くのジャズライブのPAに何度も抜擢してもらったり、(演奏者があまりに有名な人たちばかりだったので凄く緊張したけど、いつしか慣れて、至福の時間を愉しませてもらいました。)劇団唐組を呼ぶ話し合いなど、色んな会議に呼んでもらったり、カフェシアターを始め数多の打ち上げでお世話になったり。閉店してしまうって実感は、やっぱり簡単には持てない。 バーテンダー協会の会長を務め市内を代表するような格式高いバーを経営しながら、一緒にアングラ芝居の舞台を(何度も何度も)踏んだ平井さん。チャップリンの後はどうされるのか、未だハッキリとは仰らないけど…。
少し酔ってノリのよくなった平井さんとチサトの3人で話していると、名高いクラリネット奏者である伝田さんご夫妻が登場。一緒に飲む事になる。お土産に持ってこられた高級なワインを抜栓してから、平井さんの大盤振る舞いが! 数本のワインと、チーズ、ピザなどをつまんで、伝田さんの豪快な話をたくさん聞く。さらに、マスターが「昔、大きな木の下で?拾った」というボロボロのトランペットを伝田さんが吹くと、魔法のように心地よい音色。チサトと顔を見合わせてしばし言葉を失った。酔っていたことを割り引いても、凄い音だ。素晴らしい。クラシックを極めた人の迫力を久々に感じた。というか伝田さんってクラリネットが専門では?? そのまま盛り上がり、帰ったのは4時頃だった。 ...(simizu)

■2004/04/06(tue)
こもって某誌の原稿を書く。書ききれないまま、夜、ネオンホールにて馬バンドの練習。たのしかった。 ...(simizu)

■2004/04/04(sun)
某誌の取材のため、JRで上諏訪に向かう。駅前の「プラネッツ」というトレカショップへ。そこは県内では希なオルタナギターポップ系イベントとして名高い「Crazy Rhythms」の主催者・牧野さんのお店なのだ。長野市内は雨、トンネルを抜けると雪…。車内が凄く寒い。上諏訪で降りると、駅に「足湯」があった。そういえば上諏訪は駅構内に温泉があるので有名なんだっけ。5分ばかり暖まってから、目的のプラネッツへ。店内ではトレカの大会が行われており、熱気に満ちている。未知の世界だ。レジの向こうでお話しを聞く。牧野さんは想像どおり、とてもマニアックだが物腰柔らかで、話しやすいひとだ。同世代で聴いてきた音楽はかなりダブっている。楽しくお話しを聞かせてもらってから、松本へ。駅前のライブハウス・アレックスにPOPGUY、P-Heavy、54-71を観に行く。少し遅れて入るとP-heavyが演奏してた。店内には知ってる顔が山のように! お馴染みのバンドマンやコアなお客さん達。(さっき取材した牧野さんとも再会。)54−71を観るのは二回目だけど、やっぱり目が覚めるようなシャープでタイトなリズムと、あと形容しがたい可笑しさが凄くいい。複雑に計算し尽くされたドラムとベースの絡みが、理屈抜きで体感できるとても解りやすいグルーヴを作っている。複雑でありながら、誰が聴いても身体が動き出す、そんな感じ。出来そうで全然出来ないモノだと思う。来てるバンドマンにリズム隊が多いってことを誰かが指摘してたけど、…そういう事なんだろうな。終演後、ひとしきり話してからBubbleSweetナカジマくんの車で帰路に就く。TVDinnerのかきもと氏、ボスドラムかもちゃんと。車内で久々に聴いた“Smooth3”のテープに泣いた。23時頃、ネオンに帰るとまだ賑やか。店を閉めてから久保君と話し込んだ。 ...(simizu)

■2004/04/03(sat)
どんどろ+橋本フサヨ二人芝居の二日目。橋本フサヨさんの動きがとてもいい。ミニマル〜エレクトロニカの影響を感じさせる音楽と、パントマイマーの正確な反復運動はとても相性がいいのだと関心する。それに大道芸的なパントマイムを超えた、役者としての情感や存在感が橋本さんには感じられる。 ...(simizu)

■2004/04/02(fri)
伊那谷で幻惑的な人形と人間が織りなす舞台を作り続けている“百鬼どんどろ”さんらの公演、ネオンホールにて。昼過ぎに到着した後、一緒に照明を吊り込む。旅慣れた一座がテキパキと舞台空間を作っていく過程は、いつ見ても気持ちがいい。今回はパントマイマーの橋本フサヨさんとの二人舞台。人間のような人形と、人形のような人間が絡むどんどろさんの世界と、やはり人形のような人間を演じる橋本フサヨさん。人間と人形の対比が、この作品の一つのカナメだと思うんだけど、今回、どんどろさんがかなり苦戦しているのを感じた。人間に見せた人形に、パントマイム的な動きをさせると、人間にみえなくなってしまう(言葉にするとややこしいですね)=不器用な人形操作に見えてしまう、という感じ。難しいモノです・・。しかし、この二者の組み合わせにはとても可能性を感じた。シリーズ展開とか、期待したいです。 ...(simizu)

■2004/04/01(thu)/26:00
ここ数日、思ったよりも時間があったので、久々に考え事をしつつ街を徘徊している。
昼、ネオンで少し仕事してから、カフェ・ハーツで遅い食事。ナガハリさんらと少し話して、ふと思い立って駅前の“ISHIKAWA地域文化企画室”へ。久々に石川利江さんと話す。エコール・ド・松代、利賀フェス〜SPAC関連など演劇関係、地元あれこれ…な話。 さらに、帰り際に明日からの展示の仕込みをしていた画家の小山利枝子さんとつらつら会話。前から絵もひとも知っていたけど、しっかり?話したのは初めてだった。30代半ばから画家になって、15年たった今もそれだけでやってる小山さんの言葉には重みがあった。程良い緊張感と、アッパーでサバサバした気さくさ。とてもいい気分で帰路につく。ネオンに帰ってからボスダブの定例練習でYMサウンドへ。「午後三時」「逃避行」のリアレンジ。またネオンに戻ると、今夜はDJ OSHOWさんのミュージックカフェの日。聴きながらボスダブサチコ、鴨ちゃんと話して、いい具合に酔い始めた22時頃、思い立って権堂の奈良堂へ。一人会議。一時間ばかりしてまたネオンに戻り、OSHOWさんのDJを聴きつつ明日からの芝居に備えてステージのバラし。〜ヒサエちゃんとネオンの片づけ。数ヶ月ぶり(いや、もっとか?)にPAのメインミキサーやメインアンプ周りを丹念に掃除して、スッキリした。どうも落ち込み気味だった最近。コツコツと、小さいことからでもやっていかないと。 ...(simizu)

■2004/03/31(wed)
夜、ナノグラフィカでデジタルコンテンツ協会関連の上映会。演目は「reset2〜足軽」。タタミの上で観る来客10人以下の小さな上映会だけど、結構楽しかった。3人の役者が台本無し、アドリブのみでノンストップで演じる心理劇。映画と言うより、即興演劇みたいなものかな。全部終わってから機材をバラして、ネオンホールへ帰ると、ヒサエちゃんとアヤコがナノグラフィカの「西之門新聞」4月号を二つ折りにする作業をしていた。話しながらそれに加わる。BGMに、ネオンに残る様々なライブMDを聴きながらやったらかなり盛り上がった。ザ・ダフーの「ゴッド風呂」練習用MD、“まにまにろまん”のライブMD、TheEndのライブテープ、エレキ時代のボスダブの2ndテープマスターなど。つまり90年代後半のネオンホールの一部…初々しかったり、かえって新鮮だったりで、面白かった。 ...(simizu)

■2004/03/30(tue)/21:30
沖縄からスキーに来たシンガーの伊波緑さんと会う。緑さんに長野で会う時=ネオンでライブしてもらう時、だったのに、今回はフツーの日常状態だったので何だか変な気分。でも沖縄では、よくオフの時にドライブしたり、飲みに連れてもらったりしていたか。緑さんのライブを沖縄で一番観ていたのは90年代半ばの頃。緑さんの歌は、その頃の僕が強く沖縄にのめり込むキッカケをつくって、それは人生そのものに少なからず、しみじみと深い影響を与える事になった。約10年が経過して、お互いあの頃よりもずっと忙しくなったけど、こうしてかわらず会って、たくさん話せるってのは幸せなことだ。積もる話というより単なる日常会話みたいに話せた。それでいい、それでいいんだと思う。
別れた後、ナノグラフィカで上映会のセッティング。セッティングだけ済ましてFMぜんこうじに向かい、いつもの“small town groove”の収録、暮シノ手錠いっちゃんと宮沢真さん、飯田剛くんと。終えてネオンに帰るとセッション中。曲は「パープルヘイズ」。沖縄で見た幾多のジャムセッションを想い出した。 ...(simizu)

■2004/03/29(mon)/12:45
少し前から、何故か“ざ・はっぴいず”のジュンがよく夢に出てくる。何故だろう?? はっぴいずのライブは、すっごくいいなーまさに幸せだなー演奏もどんどんよくなるなー…などと思うときもあるし、ステージの盛り上がりとは裏腹になんか全然楽しめなくて観てて落ち込んだりイライラしてくる時もあったりと、いつも印象が極端。少なくとも手放しで評価したい、って感じではない。それにジュンとも、会うと不思議と印象的な顔に見入ってしまい、話すよりも黙ってしまうことが多いし。そう、しかしあの印象的な顔。普通にしてるとシャープでどっちかというと怒り顔なのに、少しでも笑うと全体が一気にくしゃくしゃになって、心の底から幸せが溢れ出てくるのが手に取るようにわかる(ように見える)、あの顔。あれに俺もやられているのだろうか。こういうのをカリスマ性っていうのか? 今度若くして父親になることが決まったりして、ホンマに急坂を転がる石みたいな人生を歩んでる、ジュン。何だかんだ言って彼のことを考えると幸せになれる・・んだろうな。彼の夢を観て目覚めると、いつもハッピーで気分がよいのだ。それは毎回同じ。やっぱり俺にとっても希少な人なのだろう。 ...(simizu)

■2004/03/28(sun)/25:25
昼間、大学〜院生時代の恩師・笠原先生の引っ越しで余った荷物をもらいに行く。冷蔵庫や棚をもらって、ナノグラフィカに運び込んだ。その後信大教育学部の研究室にて、大学時代の友人らと片づけのお手伝いをしてから再びナノグラフィカに行って、松本クラフトフェアの大島さんらと話したり、ギターを弾いたりする。ネオンホールに行くと信大ビートルズ研究会の貸し切りライブ。PAは下島君と久保君、哲朗。少し観て、西之門よしのやで行われているフリーマガジン「oto・na」編集の“コピー部”主催によるイベント「日用品」の第二回目へ。酒造会社の木造の酒蔵?を使ってのクラブ〜インスタレーションなどの複合イベント。うーん、相変わらずクール。二回目だけあって首謀者の松本さんも割と落ち着いて楽しんでるみたいだったけどどうだったのかな。音楽もよかったけど、持ち込まれてた雑誌や写真集がとても面白くて、見入ってしまった。我がボスダブのさちこが来ていて、話し込む。さらに知り合い多数と会って、また和む。
9時半頃、ネオンに呼び戻されると、ステージはラストのグループの出番。ろんづまーし、哲朗、あと良く顔を見る女の子の3人で、アホな格好してちょっとシュールなことをするのかと思いきや、TheEndとマーガレットズロースの曲をアコースティックでカヴァー。彼らから見るとおそらくネオンホールを湧かせる先輩的な人々…の曲を、彼らの素直な気持ちでカヴァーしてる、単純な行為なのかもしれないけれど。この場所や、ここで起きている事に対する深い愛を感じて、なんだかじーんとしてしまいました。それに女の子の声で聞くズロースの「自己偏愛家の歌」はとても新鮮でよかったな。 ...(simizu)

■2004/03/27(sat)
26日夜11時頃、cinematic space「forrow me are」に出掛ける。行くと長野モッズな川口君がR&Bナンバーを流してる真っ最中。久々のクラブナイトでなんかそわそわしたけど、案外知り合いが多くて安心した。この前初めて会った人、久々に会う人、全然知らないひと、いろんな顔、顔。みんな暖かい雰囲気で、うれしかった。シネスペってスピーカーがかわって音が良くなったってきいていて、いつだったかドラムンベースのイベントに行ったら、どうもその良さがわからなかったんだけど、この日のプレイリストはとても心地よく再生されていて、なるほどと一人で納得した。リズムに合わせて身体を揺らしていると、いつものように内向的な気持ちになって、いろんな事を考える。2時間ぐらいぼーっと楽しんでから、駅前のクラブHiFive「ピクニック」へハシゴ。シネスペから来たというと値引きしてくれるという親切さ。ここでは旧知の友達、みーやんが初DJっていうことだったんだけど、今回は時間が合わず聴けなかった。シネスペとはまた違った空気。所謂水商売としてのクラブ、って雰囲気が徹底しているように見受けられ、これはこれでまとまってる。ハードな4ツ打ちに混じって、ニューオーダーなど、ニューウエーブが聞こえる。スモーク、ムービングライト、外人(国籍不詳)と戯れる若い女の子が煙の向こうでずっとキスしてる。うーん、なんかこういうムードも久しぶり。最近気になってる?DJみのるさんほか、いろんな人に挨拶して、午前2時半、もう一度シネスペに戻る。ラスト30分でみんなグタグタになりつつも踊ってて、せっかくだから一緒にリズムに乗る。DJはフェレットこと市川君で、なんていうかお洒落、かつ愛があってこの時間の居残り組に優しい音だった・・。最後までいて、また挨拶して帰り、お腹が減ったので権堂のラーメン屋「太鼓判」で腹を満たす。帰って寝たら5時前だった。
昼頃起きて、ネオンに向かうと、ひとつショックな事があり、スタッフの下島君を呼ぶ。ステージでは最鋭輝さんのイベント、久保君がPA。たまにステージを観たりしながら、下島君と白熱して話し込む。最鋭輝さんのバンドのアンサンブルがとてもよくて、ホールが気になって仕方なかったが・・なるべく話しに集中して、ああ、無邪気に音を楽しみたいな、などと思った。 ...(simizu)

■2004/03/26(fri)/21:40
三寒四温な毎日。長野はまだまだ五寒二温位だけど、やっと市立図書館の前の梅も咲き始めた。善光寺周辺の春って、ここから始まる気がします。
3月も終わりに近くなってきて、やっと時間が出来てきた。年度末・連日のイベントの波に呑まれて、すっかり疲れが溜まっていたのか、生来のぐうたらのせいか、今日は家でゴロゴロしているうちに夕方になってしまった。暗くなる前にKプランニングにFMぜんこうじの次期プログラムペーパーの色校をチェックしにいく。イラスト〜表紙デザインをここでは初めてやらしてもらって、少々緊張気味だったのだけど、なかなかの仕上がりで嬉しかった。特に問題もなく印刷に回してもらう。多分4月上旬には街に出回るはずで、それがまた楽しみ。(後日記*その後出回ったものを見ると、色のノリが甘かった! 最近の色校って簡易的すぎてアテにならないってことを痛感。)
その後行きつけの中央通りN時計店へ。先週入手したシチズンの70年代クロノグラフを見てもらいに行く。機械の状態は悪くないとのことで、一安心。ここの職人さん(多分60前後?)に惚れ込んで、何時の間にか軽い時計道楽状態になっているのだ。ボロっちい国産機械時計ばかり持ち込んでも、相変わらず嫌な顔一つしないで時計を見てくれて、ホントに感謝。
その後朝陽館荻原書店にて買い物、「岡沢じゅん個展」を少し見せてもらい、いつもの権堂・喫茶奈良堂で読書… 何気ない一日が過ぎていく。これからシネスペとhi-fiveへ珍しくクラブ巡りに出掛けます。 ...(simizu)

 

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