基調講演

長野県自然保護研究所長 宮脇昭

 1928年岡山県出身。横浜国立大学名誉教授、理学博士。

  国際生態学会会長、国際植生学会副会長。

  専門は植物生態学、植生学。


ただいまご紹介いただきました、長野県自然保護研究所長の宮脇でございます。

長野県の各地には、海の部分を除く日本列島南北3000km全ての自然が、植物が、

そしてそこに住む様々な動物が、また千年以上の長い時間をかけ生活し固有の文化を築い

てこられた日本人のふるさとが、今なお息づいているわけであります。したがって、長野

県を調べるということは、実は地球を北半球で比較する場合の日本列島ほとんど全てを調

べるということになります。

幸いにも私、昭和35年から当時の羽田健三信州大学の先生のご依頼によりまして、ま

た県のご依頼で、環境庁ができる前から長野県の全域の現地調査を若い皆さんとやらせて

いただきました。

その長野県で、ご承知のように来る冬季オリンピックを控えまして、先見性と決断力と

実行力のある吉村知事それを支える県議会の皆様、そして120市町村220万人の県民

の皆さんのご支援によりまして、日本で初めて15人のドクター以上の実力を持った各分

野の研究者が集合しました。この長野の自然を、そして人間、文化、伝統との関わり合い

を調べ、それを県民の皆様に還元し、21世紀22世紀と間違いのない自然環境の保全と

その枠の中での豊かな経済生活、あるいは便利な日常生活を営むにはどうしたらよいか考

えてまいりたいと思います。

今、世界の文明国から開発途上国までの大きな問題である環境問題を、長野県を地球の

モデルとして、皆さんとともに現場に出て、目で見、手で触れ、匂いをかぎ、なめて触っ

て、長野県の自然、文化、伝統を、そして豊かな人間生活等を総合的に調べ、そのノウハ

ウを県民の皆さんに還元するとともに、長野から世界へ発信したいと思います。

そういう意味におきまして、今度つくっていただきました長野県自然保護研究所は、

220万人の県民の皆さんとともに学び、ともにディスカッションする場であり、そして

そのノウハウを長野方式として、日常生活における、そして未来の子供たちの命と文化と

遺伝資源を守るためのひとつの生きた脚本として、世界に広げていきたいと思います。

私ども研究所の一同、お手伝いする以上は命をかけるくらいの気持ちでやらせていただ

くつもりです。

しかし、220万人の県民のご支援とご理解とご協力がないと、とても15人、20人

ではこの多様な長野の自然や、それを支えた多くの人間生活との関わりは分かりません。

昨日ご参加いただいた方もあると思いますが、この長野県自然保護研究所の発足を記念

しまして、研究所の周りや道路の周りに吉村知事を始め、海外の皆さん、そして1000

人以上の県民の皆さんに、生態学の脚本にしたがってその土地本来の主役である木をとも

に植えていただいた訳でございます。

なぜ、今、木を植えなければいけないか。なぜ、今自然を守らなければいけないか。む

しろ、もう少し経済的に発展することを考えた方がいいのではないかという考え方もある

かも知れない。あるいは緑にもいろいろとある。なにも木を植えなくても芝生でもいいの

ではないかという方もいらっしゃるかも知れません。どの緑も大事であります。しかし今

大事なことは、やはり本物の緑、火事にも地震にも台風にも、びくともしない、3年経て

ば管理費がいらない。時間とともにますます良くなる。そういう本物が大事であります。

人間社会の議員の先生方も御存じだと思いますが、時には厳しい試練にも耐えて長持ち

するものが本物でございます。どんなに格好が良くても、虫が来れば、風が吹けば、火が

入れば、地震があればだめになるものは贋物と断じざるを得ません。そういう意味におき

まして、これだけ多くの方が、この南北200キロ以上、東西100キロ以上の本州の心

臓部に当たる長野県各地からお越しいただいて、これからご一緒に考えていただく機会を

得ましたことを光栄に思っています。

本当は、自然は、緑は、昨日のように現場でともに額に汗し、自然がやっている実験結

果を目で見、手で触れ、ご理解いただきたいのですが時間がございません。したがって、

これからスライドによりまして、緑の自然と豊かな文化を長野から世界へ発信するとはど

ういうことか、ご一緒に考えさせていただきたいと思います。

スライドお願いいたします。

人間が他の生物と違うことは、文明・文化を築いたことでございます。

文明・文化は技術によってできました。しかし、人類文明5千年ないしは6千年の歴史

を見るときに、当時の、例えば土木技術の粋を集めて作ったピラミッドやスフィンクスも

彼らが森を食いつぶした時に、周囲は砂漠化し、文明は滅び、都市は荒廃し、今や砂漠の

中に埋まっているような状態になってしまいました。

これは2千年前の文明の中心地、当時ギリシャ悲劇などを演じた野外劇場の跡でありま

す。アテネ付近であります。彼らが当時これだけ壮大な建築技術を持っていたのですが、

周りの森を食いつぶした時に、あの誇り高きローマ帝国を築いたラテン系の人達は、今や

廃墟を売り物にして生活しているような状況です。

これはイタリアのシシリー島で撮った写真ですが、もちろん雨の少ないところではあり

ますけれども、森を破壊しますと御覧のように表層土が流れます。後はどれほど金をかけ

ても、土地本来のふるさとの森を作ることは極めて難しいのです。

森の国、信州長野に住んでいらっしゃる皆さんは、森なんか地球上どこにでもあると思

われるかも知れませんが、それは大間違いです。森は、芝生の30倍の表面積があると言

われます。したがって、炭酸ガスを固定する力も、酸素を供給する力も、あるいは水を貯

める力も、水を浄化する力、防音機能、集塵機能、空気の浄化機能、あらゆる機能が、芝

生の30倍あります。しかも永遠に管理費がいりません。その森は、実は地球の表面の1

0%しかないのです。3分の2は海洋でございます。陸地の30%弱の森が長野、松本も

含めまして暖温帯地方の都市化や熱帯林の伐採で、もはや25%を切っているのではない

かというのが今の一般的な生態学的な予測でございます。

例えば、皆さんが飛行機でヨーロッパやアメリカに北まわりで行こうとしますと、見る

ことができる風景のほとんどが氷でございます。それでは、南まわりでヨーロッパに行こ

うとしますとインドを越すと、ほとんど砂漠です。アメリカ西部は全て半砂漠で、サンフ

ランシスコもロスアンジェルスも、半砂漠の中に400キロも山の奥から石油よりも高い

水を鉄管で運んでできた人工都市とすらいえる訳でございます。

ところが、この日本列島は、もし1億2800万人を消したとしましたら、例えば低地

では、冬も緑の常緑の森でございます。ところがそれが私たちの30数年間の現地調査の

結果から見ますと、この冬も緑の常緑の森は、今二次林も含めても本来の1%を切ってい

る訳です。

長野県の大部分を占めているのは、冬は寒くて落葉する落葉広葉樹林、ブナやミズナラ

林です。しかし、信州を山の上や北の果てのように誤解しないでいただきたい。今、冬も

緑の常緑広葉樹林帯で、日本を除いて地球上に元気のある街は全くありません。皆、森を

食いつぶしてしまいました。現在の世界の文明の中心地は、ドイツのハノ−バーやアメリ

カの東南部のように、この信州と同じような、あるいはそれよりも寒い、冬は寒くて葉を

落とす落葉広葉樹林帯、ブナやミズナラ帯にあります。ロンドン、パリ、ニューヨーク、

ワシントン、フィラデルフィア、モスクワ、ベルリン、ミュンヘンも全て落葉広葉樹林帯

にあることを知っていただきたい。今、皆さんが住んでいらっしゃる信州に、だんだん人

が集まって来ていますけれども、今の文明を支える都市の中心地は信州と同じ、この落葉

広葉樹林帯にほとんど集中しているという冷厳な事実と知っていただきたい。

冬も緑の落葉広葉樹林帯も、私たちの調べた範囲では、かつてはこれだけあったのです

が、今ではこういう状態でございます。私たちは、山ひだまで土地本来の森をいかに変え

てしまったかご理解いただきたい。そして、もし1億2千万人を消したとしたならば、こ

れが素顔の日本列島、潜在自然植生図であります。南アルプス、中央アルプスを除けまし

て、ほとんどは、これは葉が広い広葉樹林帯、暖かいところは常緑、ちょうど信州の長野

あるいは松本あたりも、一部はシラカシなども植えてありますが、アラカシもよくついて

いますが、それ以外は落葉広葉樹林帯で、これが素顔の日本列島です。

では、現在どうなっているのか。同じ凡例で描いた、私たちが調査した現存植生図であ

ります。まさに日本列島傷だらけでございます。皆さんが見ていらっしゃる緑が土地本来

の姿、素顔の緑とどれだけ変えられているか。そして、その結果どうなっているか。

例えば今私が住んでいる神奈川県は、全国土の僅か200分の1弱の小さな県ですが人

口は830万人を超えました。人間が増えることが県の発展としますと、非常に発展した

ことになりますが、その結果、一番日本で住みやすいと皆さんが言っている湘南地方は死

んだ材料に囲まれた悲惨な状態になってしまいました。死んだ材料だけでできた住宅に生

まれ、セメントだけでできた学校で学んだ子供たちに、人間固有の豊かな知性や感性を、

生まれてくる子供たちの遺伝資源を守れるのでしょうか。これが現在の太平洋岸の都市部

の状態であります。

信州の若い人も東京へ東京へと憧れます。これが東京湾沿いの現在の状態であります。

例えどれほど刹那的に欲望が満足できたとしても、鉄とセメントとエネルギーと廃棄物だ

けの中に、生物の一員としての人間が、いつまで生き残れるのでしょうか。今まさに私た

ちが真剣に考えなければならない現状でございます。

そして宇宙衛星から見た写真でございます。かつて1坪何百万円もしたという東京湾沿

いから新幹線や高速道路ができるに従って、どんどんとこのような都市砂漠、血の海が内

陸に及んでいるわけです。私たちは一方において、技術を使って新幹線も、高速道路も、

河川改修も、都市づくりもやらなければならないが、単に死んだ材料だけを使う時代は終

わったのではないか。

我が信州はどうであるか。内陸の乾いたところは別ですが、大部分は見事なブナ。これ

はドイツではムッタ・デス・ボーデンス、土の母ともいうほどの豊かな土地の象徴でござ

います。ブナ林が皆さんの本来の森であります。あるいは、戸隠に行く途中の、あの参道

沿いを見ますと、すばらしいハルニレ林でございます。外国の学者も、信州はすばらしい

という。これが素肌、素顔の本来の森でございます。そして、さらに高くなりますと秋は

紅葉するブナやミズナラから、だんだんと尾根筋沿いに針葉樹が下りてきているわけでご

ざいます。そして、苗場山の奥地は高山性の針葉樹林、シラビソ、オオシラビソ林でござ

います。このようにして私たちは、地を這って長野の自然の本当の姿を調べました。

そして、3千メーター以上の山峰が10幾つあるという信州の特徴でございます。

私たちは特に外国の3人が皆さんの前で話す以上、自分で信州を知らないでどうなるか

というので、朝5時に起きまして、大町から白馬、そして駒ケ岳に登りました。まだ雪が

ございますが、ハイマツの間にダケカンバが入って、自然の微妙な対応をしているわけで

ございます。

自然は、皆さんのお顔のように、触ってもよいほっぺたのようなところもあります。釘

ではケガするが、指で触る位なら大丈夫でございます。しかし、どんなに触りたくとも触

ってはいけない目のようなところもあります。それは、山のてっぺんや急斜面や湿原沿い

です。苗場山のすばらしい湿原は人が入って踏むだけで荒れてしまいます。

したがって弱い自然は残すべきである。自然保護の哲学の基本は、今あるものを残すこ

とです。しかし、どうしても残せない時はどうするかは、後で一緒に考えていただきたい

と思います。

霧ケ峰でございますけれども、ドイツ、アメリカと同じように木道を作って、目の中に

手を入れない状態で保護しています。あるいは上高地、すばらしいところでございます

が、いかにそこが繊細な自然であるか、上高地のせせらぎは本当のビオトープでございま

して、水際は非常に美しいけれどもデリケートな弱い自然であることもご理解いただきた

いと思います。

そして、善光寺、世界の人が必ず訪れる善光寺、これを支えた長野市は幸いにも善光寺

の森が真ん中にありますから、上から見ましても森の街として対応しているわけでござい

ます。

長野県の第2の都市、松本の周りは、美ヶ原その他に囲まれていますが、低地は水田と

して、梓川の清流の水を使って、利用され、そして、このお城を中心にして、緑と共生し

た松本市が発展しているわけでございます。

千曲川の水田。世界のトップ研究者でありますアメリカジョージア大学のサバンナ研

究室のレベッカ・シャリッツ教授は、これを見まして、上田市は非常によく水辺の自然を

残しているといいます。これが、本当の生態系であることをご理解いただきたい。上田市

でございますが、山合いに囲まれています。緑が多いのですが、都市の中は少し緑が少な

いというのが現在の状態です。

軽井沢にはカラマツばかり植えてありますが、まだ残された状態のところがあるわけで

す。これが、本来の素肌、素顔の緑であることをご理解いただきたいと思います。

そして、信州の皆さんは、長い間苦労しながらも少し日陰になっても虫が来ても我慢し

ながら必ず屋敷林を作ってきた。これが地震や火事にどういう役割を果たしたかは、後で

示したいと思います。これが千年、二千年、この山ひだで生きてこられた皆さんの祖先の

自然と共生した生き方であります。見事に自然と共生し、最高条件ではないが少し我慢し

ながら、健全に生きてこられた。いかがでございますか。

伊那谷沿いにおきましても、丁度ヨーロッパのアルプスの山合いの間を見るように、そ

の土地の能力に応じた使い方をして今まで世界に誇る信州の生活文化が息づいてきたわけ

でございます。

駒ケ根から千畳敷へ登る途中の渓流でございますが、このようなすばらしい渓流、これ

が信州の皆さんの水の源泉であります。ところが、弱い自然でありますから、ちょっと道

路をつけようとすると荒廃した状態になりかねない。

そこで、是非皆さんにお願いしたい。今度の冬季オリンピックに際しても、守ることは

非常によく守ってくださっています。しかし工事をすれば、どうしても自然が動かされま

す。これからは、元に戻すのではなく、今よりも良い環境にどう作り替えるかということ

にご理解いただきたいと思います。

石切り場は、戸倉温泉の前にもありますし、その他にもあります。石も取らなければい

けないが、このままで放棄さすべきではない。エコロジーの脚本に従って、今よりもより

よい緑の環境を作るべきではないか。

大きな木をお植えになっても、根がないのを植えてもだめでございます。結局1年保証

でありますが、本当は命をかけて永久保証すべきです。何十万円もかけまして、1本5メ

ーターの木を植えましても、僅かな根から吸った水分と地上部から蒸散する水分のバラン

スが崩れれば死にますから、この木は生きのびるために、頭から枯れていって、5メータ

ーの木は3年経つと3メーターになるわけです。しかも、1本何十万円。残念ながら枯れ

た木は、他の県にはあちこちあります。

一体どうしたらよいか。私たちは諏訪神社その他で残されているその土地本来の本物の

森に入りまして、高木層、低木層に分け、それを国際基準によって調べました。地球規模

で体系化しますと、この世の中に偶然はえている植物は1本もありません。例えば種の組

み合わせでシステム化しますと、厳しい環境で生まれたとたんに植物も社会的な掟にひっ

かかります。植物社会では競争と共存と我慢であります。生物社会は敵との競争を通して

のみ発展します。どうかお母さん方もすべての競争は拒否しないでいただきたい。そして

生物社会では、議員の皆さん、手ごわい競争相手はしばしば反対から見れば、すばらしい

共存者であります。お互いに少し我慢しながら、好きな奴だけ集めない。自分が生きのび

るために、少々気になる嫌な相手とも共に生きていく。これが生物社会の原則なのです。

そして、生物社会では親分が本物なら子分も本物でございます。親分となる木を植えと

きますと子分もついてくるわけです。名前も不幸ですが、ポット教授も厳しく批判しまし

たけれども、例えばニセアカシアのような、いわゆる贋物、ウィーンなんかでは、いわば

害木と言われていますが、植えますといつまで経っても、下の子分の下草はセイタカアワ

ダチソウかブタクサしか出てきません。とにかく、親分になる木を3役5役、混植、密植

するのです。

地球規模で親分になる本命の木は、真直ぐ根が伸びまして移植が難しい。植木屋さんが

嫌がる。嫌がるようなものを使い切らなければ本物ではありません。それを私たちは、ポ

ットで育てます。頭も切らない、根も切らない、無駄なつっかい棒は使わない。そして自

然のシステムに添って混ぜる、混ぜる、混ぜる、混植、密植する訳であります。

例えば道路沿いの切土でございますが、現場を見ない人は、こういうところに木を植え

てどうするのか。子供が落ちたらどうするのかとよく言われます。この程度の危機管理が

なくて地震、火事で生きのびられるかと私は言います。転んだら拾えばいいのではないか

と言うのですが誰も落ちません。そして、このように植えていただきます。本物であれば

土地の主役の木であれば、厳しい冬にも立って頑張るのです。道路沿いの切土でございま

すよ。45度の切土で3年間で3メーターになります。木を植えなければどうなるか。ど

んなにバックフォーで叩いても、このオリンピックの現場を見ましても、いろいろやって

らっしゃいますが、みんな崩れている。そうでなしに、この下に少しソダを入れて土留を

し、そこの主役になる木を植えればよいのです。大きくなる能力をもった主木、例えば、

潜在自然植生の主木のシラカシやアラカシを混植、密植すれば、3年経てば3メーターに

なります。後の管理はいりません。このようにしてオリンピック道路その他も元に戻すの

ではなくして、今よりもよりよい環境に回復する。

死んだ材料では、元に戻しても仕方がありません。車を運転すれば、どんなに発生源対

策をしても音も匂いもゼロにはならない。しかし生きた材料を使えば、芝生を森にすれば

緑の表面積は30倍になるのです。

これはある企業が山の上を削って住宅団地を作りまして、この60メーターの谷部に土

砂を捨てたところであります。ここをセメントで吹きつけてもだめでございます。私たち

はエコロジーの脚本にしたがってやったのですが、建設省その他の方が理解してくれませ

ん。そこで、1メーターかける1メーター高さ6メーターの硬化ガラスの観測筒をその埋

土の中に埋めて根がどうなっているか調べました。6年経った状態。地上部は6メーター

でございます。300ミリの集中豪雨でも泥ひとつ落ちません。根はどうなっているか。

根は4メーターでございます。鉄やセメントは6年経てばガタガタでございます。生きた

材料は時間とともに育つわけです。

今のは盛土でございますが、では岩盤を切った後はどうするか。今日は建設業の方もい

らっしゃるし、市町村の方もいらっしゃると思いますが、どうか業者の方に使われないで

業者を使い切る行政をやっていただきたい。もちろん長野県では間違いないと思いますの

で、他の県の話をします。神奈川県の例でございますが、岩盤を45度に切りまして県立

久里浜高校を作りました。この後どうするか。セメント吹きつけでも岩肌ばっかりでござ

います。そこで私たちは、エコロジーの脚本にしたがって、小さな犬走りを作りまして、

表土を上から還元しまして、そこの主役であるポット苗を混植、密植いたしました。敷き

ワラをします。風で飛ばないようにワラで留めます。そうしますと、岩盤の上でも、2年

経てば地上部が2メーターです。では、根がどうなっているか、根を割ってみました。根

は2メーター入っています。岩盤には割れめがあり、割れめには酸素があります。酸素、

酸素、酸素、酸素を通って地上部は2メーター、根は2メーター、では3年経った4月の

13日地上部は3メーターでございます。では根がどうなっているか。再び岩盤を割って

調べました。根は4メーター入っています。セメント補助に役立っています。

これが生きた材料です。「こんなところでは木は育たない。」と皆さんはよく言われま

す。隣の山を見てください。一銭も金をかけなくても、時間のファクターをかければ急斜

面でも立派に自然の森が育っているではありませんか。マイナスにお金をかけないで少し

プラスにお金をかければ、99.9%日本の国土は土地本来の森になります。幅1メータ

ーでも、できるわけです。主木を植えます。同じところで10年経てば10メーターにな

ります。

なぜこれ程こだわるか。昨年の1月17日、不幸な神戸大地震がありました。私がボル

ネオの調査から帰ってきてすぐのことでした。今まで土地本来の木は火事にも地震にもび

くともしないといっていたのですが実例はございませんでした。少し不安ではありました

が行って調べました。皆さんが大丈夫と信じて疑わない、最もモダンな技術を使って作っ

た鉄やセメントはアメンボ以下です。立派なマンションも火がなかに入って真っ黒でござ

います。どんな鉄もセメントも皆だめです。

ところが木が一列あればその後ろのアパートは火が燃え移らないで残っているではない

ですか。1列木があって2メーター位の道があれば、そこで火が止まって火の中に財産や

命を落とさずに済んだわけでございます。この程度の樹林があれば、火は止まっているで

はないですか。木にはいかに危機管理能力があるかということをご理解いただきたい。

6千人以上の方が圧死しました。現地調査しますと猫も出れない位でございます。とこ

ろが、たまたま、日陰になっても落ち葉が落ちても家のそばに木を植えていらっしゃった

ところは、木に屋根が引っかかって隙間ができ押し潰されないで命を失わずにすんだので

す。本物とは厳しい環境に耐えて長持ちするものであり、皆さんの命を守るのは、必ずし

も鉄やセメントではない。むしろ鎮守の森に象徴される、ふるさとの木によるふるさとの

森であることをご理解いただきたい。

そして今後の都市計画では、公園も、広場も、学校も、公共施設も、樹林で囲んでいた

だきたい。そうしますと万一火事の場合には、この中は逃げ場所、逃げ道になり、応急処

置の場所としての機能を果たせます。

本物とは厳しい環境に耐えて長持ちするものです。今、建設省も私の手法で小中学校の

子供さんたちに、正課の授業としてやってくれていますが、もし10年前にあの神戸の高

架の建物の横に、この小さな苗を子供たちが植えていたら10メーターになっていたはず

です。もし、あの橋が倒れても軟着陸しますから、上の方は、ドライバーは命を落とさず

に済んだはずでございます。

あるいは、昭和48年初めてやった例でございますが、新日鉄の広幡製鉄所、当時、廃

棄物という名前の地球資源を全部混ぜてマウンドを築きまして、苗がないから土地本来の

カシの木などの、ドングリを拾って植えました。48年11月です。10年経つと10メ

ーターの状態です。今20年で20メーターになっています。万一の場合には、どれ程私

たちの命を救うか。近畿地方建設局では、私の提案によりまして、垂水ジャンクション沿

いの斜面に、小中学生、神戸市長以下、皆さんで植えていただきました。

県民のこれだけの方が、2000人の方が今日、集まってくださっているのは、暇と時

間と金ができて暇つぶしにいらっしゃているのではない。県会議員の皆さんもお忙しいの

に集まってくださいました。それは何としても、私たちの命を、文化を、子供たちの遺伝

資源を守りたい、しかし何をしたらいいのか分からない。それをどうしたらいいかという

ことで、これだけの人が集まっていただいたと思います。県民の皆さんが主役でございま

す。

最初にやったのが、この樫原バイパスでございまして、県民の反対で10年間できなか

った。高野さんという方が、2年間ほど、こちらに来ていらっしゃいましたけれども、依

頼を受けまして土が悪いんですがマウンドを築きまして、1200人の小学校の子供さん

に植えてもらった。それが8年で7メーター10年で9メーターの立派な道路沿いの環境

保全になっています。奈良県樫原バイパスでございます。御覧のように330万の市民の

代表の高井市長初め国道10号線沿いにもエコロジーの脚本行いました。どうか先生方も

行政の方も子供たちの嬉しそうな顔を見てください。

環境問題は、あいつが悪い、あの役所が悪い、あの企業が悪いと告発だけの時代は終わ

りました。総監督の吉村知事は本物でございますので、その総監督の指示の下に皆さんが

黒子に徹した舞台監督となり、科学的脚本に従い、この220万以上の県民の皆さんが主

役になって植えていただく。これが真の環境教育、ふるさと教育であることをご理解いた

だきたいと思います。

あるいはJR東日本では鉄道線路沿いの長い鎮守の森沿いを森作りを私の提案で作って

いただいております。そして、その場合もトップの当時の社長以下に出ていただいており

ます。トップを出しますと、キオスクその他の70いくつの関連会社の役員もみんな出て

きます。仕方なしかはともかくとして、植えていただくわけです。

そして北から南まで、600か所やりました。そのノウハウを今、日本が一番問題にな

っているボルネオの焼き畑土地で、20,000本植栽している状態です。オーストラリ

アのユーカリかアメリカのマツ以外不可能と言われました。それでは、だめです。地元の

ものが一番いいのです。すなわち、そこの皆さんがフタバガッカのラワンという主木のホ

プやシュロやカプールの幼苗をこのように植えていただきました。五年経つと6メーター

で見事に育っています。

そして地球の心臓とも言われる肺とも言われる、南アメリカのアマゾンの熱帯低地地帯

の再生に際しても、私の脚本によりまして、国際的な植樹祭をやり、それが4年で6〜7

メーターになっています。

あるいはチリのコンセプション。長野と同じブナであります。ブナのポット苗を政府の

協力を得まして、植えていただいて、それが5年で6メーターになっています。

これは、今度オリンピックが行われる白馬村でございます。小さなお地蔵さんの側に、

立派な老木を残している。これが長野県民の叡智でございます。若いものも大事ですが、

古いのは更に大事であります。私も含めて。ご家庭でもそうでございます。若い奥さん。

ご一緒に、共に生きるのがノウハウでございます。

そして、そこでは、まだ伝統的な日本の水田文化とも言うべき、田植えをやっていらっ

しゃいました。そこでは、昨日も海外の学者が驚くほどの立派なジャンプ台がついていま

す。この周りを元に戻すというお話もあると承りましたが、元に戻して草原にするのでは

不十分でございまして、どのようによりよい環境に自生種を使うかが問題です。そのノウ

ハウは長野県では上田市の日置電機にあります。今から7年ぐらい前です。土を捨てない

で全部マウンドを築いて、社員や家族に植えてもらいました。それが今こういう状態でご

ざいます。

長野県下でもできるわけでございます。やるかやらないかは皆さんのお力次第です。

小さくとも本物の苗を植えて敷きワラをします。雨が降っても、崩れない。雨が降らな

くても乾燥しない。雑草が出にくい。寒さに強い。腐ったら肥やしになる。これが、なん

と7年経てばこういう状態になります。これが私たちが長野から世界へ発信するノウハウ

です。

そして、上田のジャスコでございますが、子供たちと竹下市長以下に出ていただいたの

です。嬉しそうな顔を見てください。あるいは茅野で、ガールスカウトの皆さんにも植え

ていただきました。どうか皆さん、子供たちの未来のために。

もし皆さんにこの小さな苗を植えていただきますと、低地の長野市や松本市や上田市で

は十分に育つ、そして昔から育っている、植えてあります。そして飯綱で長野市で2年前

に植樹祭をやっていただきました。雑草がちょっと出ていますけれども、もう勝つでしょ

う。これだけ育っているわけでございます。どんな雨が降っても土が流れません。

そして昨日は、吉村知事を初め2か所にわたって1000人以上の方、この皆さんの熱

心な顔を見ていただきます。これが長野県民の真髄であることを吉村知事は御存じだと思

いますが、行政の皆さんも、そして企業の皆さんもご理解いただきたい。子供たちの嬉し

そうな顔。

千年以上息づいた、長野の文化と、そしてそれを育む緑の環境と、これが長野県民を今

まで育ててきた皆さんのすばらしい叡智の新しい知的興奮の原点であったことを見ていた

だきます。

どうか自然保護研究所を単なる研究の遊び場と、甘く、あるいは見捨てないでいただき

たい。皆さんとともに長野の自然を学び、そしてそのノウハウを世界の学者たちへ、世界

の皆さんへ、冬季オリンピックを通して長野の本物の自然と文化の共生する21世紀、2

2世紀の姿を皆さんと共に世界に発信したいと思います。

どうか舞台監督の皆様、よろしくお願いいたします。