〜 親 雪 〜

 ふるさとの飯山地方では、古くから『克雪』などといって、雪をやっかいものとしてきた。

 ところが最近では、『親雪』(しんせつ)つまり雪に親しみながら暮らしていこうと変わって来ている。


 そういえば、子供の頃は、屋根から降ろした雪が、庭いっぱいにあり、そり遊びをしたり“かまくら”をつくって遊んでいた。

 よく冷えた冬の朝には、『凍みわたり』といって、前日解けた雪の表面が寒さで凍り、長靴のままで、雪の上を歩いていけた。

 今のように、家の前の道もしっかり除雪されていなかったこともあって、冬は車などほとんど通らなかったので、飼っていた愛犬に“そり”を紐でつないで、犬ぞりのようにして遊んだりしたこともあった。


 暖冬で幕が明けた今年の冬、最近でも記録に無いほど雪らしい雪が降らず、暮らしやすい年末年始だったようだ。

 「雪が無い正月は正月らしくない」「陽気が暖かくて春みたいだ」などという声まで聞かれ、雪片付けや雪降ろしの苦労はとりあえず少なかったようだ。


 個人的にはあたり一面の銀世界の中で聞く寺の町の除夜の鐘が、結構趣があって好きなのだが、飯山出身の人と話す度に、誰もが忘れられない景色だったりするようだ。

 そんな雪の中での除夜の鐘を聞きたくて、大晦日には帰る人も多いのではないだろうか。

 ただし、残念ながら、昨年の大晦日は、雪の無い大晦日になったようだ。


 雪といえば、飯山をはじめとした県北部は、冬のスキー産業に支えられている部分が多い。

 暮らすには、雪はいらないが、スキー場のことを考えると降って欲しい。暖冬になると、いつも聞かれる言葉である。

 今でこ人口雪の設備もあり、それほどではなくなったものの、降らなくても困るものが雪なのである。


 最近では、毎年2月の上旬に「いいやま雪まつり」が行われている。

 札幌や新潟の十日町などに比べたら到底及ばない規模のものだが、友人などが集まって雪像作りをし、寒い冬の活気あふれるイベントになっている。

 夜には、商店街の通りに雪で作った灯篭が並べられ、明かりがともされると、なんともいえない雰囲気になる。


 雪は、白くて、冷たくて、ありがたくないものかもしれないが、そこに生まれた人たちは、そんな雪から逃げずに、逆に楽しもうとさえしている。

 雪があるから飯山なのだと。

 もちろん、雪だってそんな人たちの心を暖かく見守っているのではないだろうか。


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