有馬温泉は日本三古湯のひとつで、林羅山の日本三名泉や枕草子の三名泉にも数えられる。豊臣秀吉もたびたび湯治に訪れたらしい。江戸時代の温泉番付では、当時の最高位である西大関に格付けされた。
お湯は金泉(含鉄-ナトリウム塩化物強塩高温泉)と銀泉(炭酸ラジウム混合低温泉)に分けられる。
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写真左:平成19年当時の有馬温泉街 写真右:平成29年当時の有馬温泉街平成19年、四国の墓参りの帰りに初めて有馬温泉に立ち寄った。案内所で安い宿を希望したら、龍泉閣という宿を紹介してくれた。龍泉閣にも金泉、銀泉のお湯があったが、話のタネに、夜、共同浴場金の湯にも入浴に行ってみた。
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写真左:龍泉閣 写真右:金の湯二度目の訪問は、平成29年に四国旅行の帰路立ち寄ったもので、宿泊先のメープル有馬には銀泉のお湯しかなかったので、ホテルで入浴券をもらって金の湯にも入ってきた。
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写真:メープル有馬
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写真:金の湯城崎温泉にはコウノトリが傷を癒していたことにより発見されたとする伝説がある。奈良時代に道智上人が千日修行を行ったときに湧出したことが城崎温泉の始まりとされ、現在のまんだら湯がそれであるとされる。大谿川沿いに七ヶ所ある外湯めぐりがメインの温泉地で、浴衣を着て下駄を履くのが城崎温泉の正装と言われる。城崎温泉では、宿が部屋、外湯が風呂、温泉街が食堂と土産物売り場と、温泉街全体として観光客をもてなすという意識が徹底しているところだ。よく見られる大型ホテルでは、宿泊した客はホテルの中だけですべて用が足りてしまうので外に出ない。その結果温泉街自体が寂れてしまう。城崎温泉の温泉街は歩いていても楽しい。
泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物・高温泉である。
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写真左:柳並木の大谿川 写真右:城崎駅前通り(正面の建物が地蔵湯)会社に入った昭和48年の慰安旅行で城崎温泉を訪れたときには城崎グランドホテルに宿泊したようだが、バスの車窓から眺めた大谿川沿いの柳並木が印象に残っただけだった。それにしても、当時200人もの団体を受け入れられた大型のホテルが城崎温泉にあったことが不思議だ。
もう一度行きたいと思っていたが、なかなかその機会を作れずにいた。平成28年の万葉集朗唱の会参加のついでの旅行で、思い切って城崎温泉まで足を延ばし錦水という宿に宿泊した。外湯めぐりを楽しんでもらうためか、部屋にはテレビもなく、ただ志賀直哉の「城崎にて」の文庫本が置いてあった。その外湯めぐりも堪能したが、柳湯だけは定休日で入浴できなかった。チェックアウトするときに、「昔城崎グランドホテルというところに泊まったのだが…」という話をしたが、もう存在しないのか、よく分からなかった。
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写真左:宿泊した錦水 写真中:地蔵湯 写真右:さとの湯
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写真左:定休日で入浴できなかった柳湯 写真中:一の湯 写真右:まんだら湯
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写真左:鴻の湯 写真中:御所の湯 写真右:城崎温泉のマンホール蓋