いかほおんせん(伊香保温泉)…群馬県渋川市伊香保町
伊香保温泉の発見は古く、万葉集にもその名が見られる。群馬を代表する名湯のひとつで、365段の石段は温泉街のシンボルである。この石段街が形成されたのは戦国時代で、武田勝頼が真田昌幸に命じて整備させたものだとされる。以前この伊香保温泉でも、温泉偽装問題が発覚した。現在各地で見られる茶色の温泉饅頭は、伊香保温泉の「勝月堂」が発祥とも言われ、「湯の花まんじゅう」と呼ばれている。
泉質は硫酸塩泉(黄金の湯)とメタけい酸単純泉(白銀の湯)で、石段の下を黄金の湯の源泉が流れている。
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写真:石段街
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写真:「勝月堂」と「湯の花饅頭」
近県であることからたびたび訪れることがあるが、平成7年には獅子の会が旅館さくらいで開催され、平成9年には会社の慰安旅行でホテル天坊に宿泊した。
温泉のはしごを楽しんでいた平成24年には、「尻焼温泉」、「沢渡温泉」、「四万温泉」と回ってきて、伊香保温泉では石段の湯と「露天風呂」にも入浴して、一日で七ヶ所も入ったことになった。
平成30年に「あしかがフラワーパーク」に大藤を見に行った帰りに岸権旅館に宿泊した。宿の窓から見ると、大型のホテルの廃墟化が進んでいるように思えた。岸権旅館の風呂は、権左衛門の湯、又左衛門の湯、六左衛門の湯
とそれぞれに特徴があって良かった。
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写真左:旅館さくらい前にて 写真右:旅館さくらいで開催された獅子の会宴会
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写真左:石段の湯 写真右:「露天風呂」
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写真左:岸権旅館玄関 写真右:足湯辰の湯
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写真左:権左衛門の湯 写真中:又左衛門の湯 写真右:六左衛門の湯
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いそべおんせん(磯部温泉)…群馬県安中市磯部
磯部温泉は温泉記号(♨)発祥の地と言われる温泉で、安中駅前に温泉街がある。児童文学者・巌谷小波が磯部温泉で昔話の「舌切り雀」を書き上げたことから、舌切り雀伝説発祥の地とも言われる。名物に「磯部せんべい」がある。
泉質は含銅・鉄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩強塩泉である。
盛んに温泉のはしごをしていた平成25年に磯部温泉を訪れ、日帰り入浴施設の恵みの湯で入浴した。
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写真左:磯部温泉街 写真右:恵みの湯
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おいがみおんせん(老神温泉)…群馬県沼田市利根町
片品川沿いに老神温泉の温泉街がある。赤城山の神(大蛇)が二荒山の神(大ムカデ)を追い払ったことからおいがみ温泉の名がついたと言われる。
泉質はアルカリ性単純温泉、単純硫黄泉。
平成25年に高校時代の友人と尾瀬を散策した後、日帰り入浴施設の湯元華亭で汗を流した。
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おくかるいざわおんせん(奥軽井沢温泉)…群馬県吾妻郡嬬恋村
奥軽井沢温泉は、ホテルグリーンプラザ軽井沢併設の入浴施設である。遊園地「おもちゃ王国」が隣にある。
泉質はナトリウム-硫酸塩・塩化物・炭酸水素塩泉。
令和7年5月、嬬恋村の温泉巡りに出かけた際、最後の4湯目にここまで足を延ばしてみた。ホテルの入浴施設だから、入浴料は高いだろうと思っていたら、1,300円だった。高いのか安いのかよく分からん。ご近所の人は1,100円ということだったが、長野県だって考えようによってはご近所なような気もする。パンフレットその他には暁の湯となっていたが、温泉分析表にはあさまの湯と書いてあった。
大浴場の他に、露天風呂(岩風呂と檜風呂)、洞窟風呂があった。何処でも撮影禁止になっているので、こっそり撮ろうとしても、洞窟風呂内が精いっぱいだった。
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おくつまごいおんせん(奥嬬恋温泉)…群馬県吾妻郡嬬恋村
嬬恋村のバラギ湖に向かう途中に奥嬬恋温泉・干川旅館花いちがある。
泉質はナトリウム・カルシウム低張性温泉。
令和6年、久しぶりで温泉巡りに出かけた。かくれの湯で入浴した後、バラギ温泉に向かう途中の干川温泉花いちの看板を見かけた。日帰り入浴可と書いてあったので立ち寄ってみた。日帰り入浴は予約制で貸切風呂になるとのことだったが、飛び込みでも空いているからと入れてもらった。貸切風呂なのでそれなりの入浴料だったが、長野から来たのに気の毒だと思ってくれたのか半額にまけてもらった。どうもありがとうございました。
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かざわおんせん(鹿沢温泉)…群馬県吾妻郡嬬恋村田代
鹿沢温泉は湯ノ丸山の中腹に位置しており、近くには天然記念物のレンゲツツジの群落がある。650年頃の発見とも言われているが定かではない。開湯伝説では元禄年間に、鹿が傷を癒しているところを発見したとされており、温泉名もこれに因んでいる。鹿沢温泉は火災で焼失したため、現在の「新鹿沢温泉」に移り、現在では一軒宿の紅葉館だけが営業している。「雪山賛歌」は西堀栄三郎氏がここで作ったと言われる。
泉質はマグネシウム・ナトリウム-炭酸水素塩泉。
平成24年に湯の丸山に登った後に群馬県側に下って紅葉館の雲井乃湯で入浴した。帰り道、「新鹿沢温泉」も通過した。いつだったかこの辺りで入浴した記憶もあるのだがはっきりしない。
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写真左:紅葉館 写真中:雲井乃湯 写真右:新鹿沢温泉街
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かわらゆおんせん(川原湯温泉)…群馬県吾妻郡長野原町川原湯
川原湯温泉は源頼朝が狩りをしている最中に発見したと伝えられ、共同浴場王湯にはそれに因んで源氏の家紋である笹竜胆が掲げられている。奇祭「ゆかけ祭り」が行われることでも知られる。八ツ場ダムの完成によって出現するダム湖に沈む運命にあり、高台に移転しつつある。混浴の聖天様露天風呂が人気だった。
泉質は含食塩石膏硫化水素泉である。
平成24年に、水没する前に聖天様露天風呂には是非入っておきたいと思い出かけて、共同浴場の王湯と聖天様露天風呂に入浴してきたが、平日を狙っていくので、折角の混浴であっても誰もいたことがない。
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写真左:川原湯温泉街 写真中:王湯 写真右:聖天様露天風呂
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きりづみおんせん(霧積温泉)…群馬県安中市松井田町
霧積温泉の発見は1200年代と言われ、犬が発見したとされることから、古くは「犬の湯」と呼ばれた。森村誠一の「人間の証明」の舞台にもなったことで知られる。霧積館廃業後は金湯館が一軒宿として営業している。宿泊客に対しては宿の送迎があるが、それ以外は駐車場から山道を歩いていくことになる。
泉質はカルシウム-硫酸塩泉。
平成25年、「磯部温泉」の帰り道に金湯館に立ち寄り入浴した。風呂自体はどうということもなく、山道を歩いてまで行く価値があったかどうか…。湯上りにお茶のサービスがあったのが救いか。
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くさつおんせん(草津温泉)…群馬県吾妻郡草津町
草津温泉は、万里集九や林羅山の日本三名泉にも数えられ、江戸時代には温泉番付で当時の最高位である東大関に格付けされた名泉である。日本武尊、行基、源頼朝等による開湯の俗説があるが、いずれも確たる証はない。湯畑を中心に温泉街が広がり、大滝乃湯や西の河原露天風呂等の共同浴場もある。
泉質は酸性泉が中心。
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写真左:湯畑 写真右:西の河原露天風呂の看板
昭和53年と平成6年の二回、会社の慰安旅行でともにホテル櫻井に宿泊したことがあるが、ホテルは温泉街の中心から外れているため、ほとんどホテル内で飲んだくれていただけである。
近県であるので、たびたび訪れることがある他、平成20年にはホテル高松で獅子の会が開催された。
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写真:ホテル高松で開催された獅子の会宴会
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ごしょだいらおんせん(御所平温泉)…群馬県吾妻郡長野原町
長野原町の山の中にかくれの湯がある。カーナビでもうまく案内してもらえず、スマホナビで何とかたどり着いた。かくれの湯前にキャンプ場が建設されていた。無人の券売機で購入した入浴券にQRコードが付いていて、それを読み込ませるとドアが開く仕組みになっている。
泉質はナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉である。
令和6年、久しぶりで温泉巡りに出かけた。10時からやっているはずのつつじの湯が定休日だったのでかくれの湯に向かった。11時からということだったので待っていたら、通りがかった地元のおじさんが、もう入れるよと入場の方法まで教えてくれた。内湯と露天風呂があって、新緑の中の露天風呂は気持ちよかった。
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さるがきょうおんせん(猿ヶ京温泉)…群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉
猿ヶ京温泉の開湯は約400年前とされる。開湯伝説によれば、猿が大やけどを負った子どもを温泉に入れて助けたとされている。猿ヶ京の地名の命名は上杉謙信だとされているそうだが、よく知らない。相俣ダムの建設によって温泉地がダムの底に沈むことになり、現在の赤谷湖の畔に温泉街を形成した。
泉質はナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉である。
平成25年に、わざわざ猿ヶ京温泉まで足を運び、日帰り入浴施設まんてん星の湯で入浴してきた。このときは、このすぐ奥に「法師温泉」があることを知らなかったので、ここから引き返してしまった。
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さわたりおんせん(沢渡温泉)…群馬県吾妻郡中之条町
沢渡温泉は、「草津温泉」の仕上げ湯として知られ、その美肌効果は一浴玉の肌と言われている。開湯時期は不明であるが、源頼朝が入浴したと言う伝説も残されている。坂道の温泉街に共同浴場がある。山好きな人は、「沢渡」とくれば「さわんど」だと思われるだろうが、ここは「さわたり温泉」である。
泉質はカルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉。
平成24年に所用で上京するついでに中之条方面の温泉をはしごしたことがあった。「尻焼温泉」から「四万温泉」に向かう途中で沢渡温泉を通過したので、ついでに「共同浴場」で入浴してきた。
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写真左:沢渡温泉街 写真右:「共同浴場」
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しまおんせん(四万温泉)…群馬県吾妻郡中之条町四万
四万温泉の開湯伝説としては、坂上田村麻呂による発見説と、源頼光の家臣碓井貞光による発見説とがある。名前の由来として、四万の病に利くことから、という説が有力である。四万川沿いに温泉街が広がり、日向見、ゆずり葉、新湯、山口、温泉口の五つの地区に分かれる。
泉質は硫酸塩泉。
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写真:四万温泉街(中央川沿いの円筒形の施設が河原の湯である)
平成24年に所用で上京するついでに中之条付近の温泉をはしごしたときに、この日三湯目の温泉地として四万温泉に立ち寄った。共同浴場の河原の湯に入浴してから、次の「伊香保温泉」に向かい始めたが、どうせここまで来たのだから混浴の露天風呂山口露天風呂にも入っていこうと思い直し、途中から引き返して山口地区に戻った。残念ながら誰も入っていなかったが、近くのベンチで昼寝をしている男性がいた。随分長時間昼寝をしているようだったが、ああいうのがワニ族というのかもしれないと思った。山口露天風呂から上がってくると、目の前に上之湯という共同浴場もあり、ついでに入浴してきた。すべて無料というのがありがたかった。混浴の山口露天風呂は、現在足湯としてリニューアルされているらしい。
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写真左:河原の湯 写真中:山口露天風呂 写真右:上之湯
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しらねおんせん(白根温泉)…群馬県利根郡片品村
白根温泉は日光白根山の山麓の温泉である。利根川の源流・大滝川沿いに、昭和5年創業の一軒宿加羅倉館があるが、日帰り入浴施設薬師の湯もある。
泉質は単純温泉。
平成25年、高校時代の友人と、日光東照宮や華厳の滝等を見学した後加羅倉館に宿泊し、翌日尾瀬を散策した。
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しりやきおんせん(尻焼温泉)…群馬県吾妻郡中之条町
吾妻川支流の白砂川のまたさらに支流の長笹川沿いに数軒の旅館があるが、尻焼温泉を有名にしているのは、川を堰き止めて作った川の湯という巨大露天風呂である。尻焼温泉という名前の由来は、川底から湧出している温泉で温められた石に腰を下ろして痔を治したことからきている。露天風呂の脇に小さな湯小屋もあるが、ここだけはどういうわけか水着の着用禁止であるらしい。
泉質は塩化物泉である。
平成24年に所用で上京するついでに、中之条付近の温泉をはしごした。この日は結局、尻焼温泉、「沢渡温泉」、「四万温泉」、「伊香保温泉」と四ヶ所の温泉の七ヶ所で入浴した。真夏の時季だったので、川の湯では水着を着けて遊んでいる人が多かった。虻がうるさくて落ち着いて入浴していられず、わずか3分で撤退した。
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しんかざわおんせん(新鹿沢温泉)…群馬県吾妻郡嬬恋村
新鹿沢温泉は、湯の丸山の中腹にあった鹿沢温泉が火災で焼失した後、後楽館だけを残して下方にある現在地移ったものである。数軒の旅館、日帰り入浴施設がある。
お湯は後楽館の雲井の湯を引き湯しており、泉質はマグネシウム・ナトリウム炭酸水素塩泉である。
令和7年5月に嬬恋村の温泉巡りに出かけた際、1湯目の近くの温泉を検索していたらとべの湯という日帰り入浴し越があったので行ってみたら新鹿沢温泉であった。
内湯と、小さいながらも露天風呂があった。
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たからがわおんせん(宝川温泉)…群馬県利根郡みなかみ町藤原
「水上温泉郷」の一つである宝川温泉は、みなかみ町藤原地区にある温泉で、一軒宿汪泉閣がある。日帰り入浴客の受付として宝川山荘がある。混浴の露天風呂として、摩訶の湯、般若の湯、子宝の湯等があるが、いずれも浴衣の着用が義務付けられている。
泉質は単純温泉。
令和4年10月、畑仕事が一段落したので久しぶりで温泉巡りに出かけ、前から行きたかった宝川温泉で入浴してきた。しかし、いくら有名な温泉とはいえ、1,500円の入浴料は高い。
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写真左:日帰り入浴受付(宝川山荘) 写真中:摩訶の湯 写真右:般若の湯
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たきざわおんせん(滝沢温泉)…群馬県前橋市
赤城山の南面の深い谷間に滝沢温泉がある。「赤城温泉郷」の一つに数えられ、一軒宿の滝沢館がある。
泉質はカルシウム・ナトリウム・マグネシウム-炭酸水素塩冷鉱泉。
平成26年に赤城山に登った後、汗を流すべく温泉を探していた。「赤城温泉」に行ってみたが、数軒あった旅館はすべて閉まっていて入浴できず、「忠治温泉」は外来入浴を受け付けてくれないらしかった。ようやく見つけたのが滝沢温泉・滝沢館だった。庭先の露天風呂の脇には、源泉掛け流しの浴槽(冷鉱泉)もあり、茶色い湯の色も気に入った。
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たにがわおんせん(谷川温泉)…群馬県利根郡みなかみ町谷川
谷川温泉は「水上温泉郷」の一つで、谷川岳寄りに位置する山懐に抱かれた温泉である。
泉質はアルカリ性単純温泉、カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉等である。
平成24年に東京からの帰り道、「みなかみ温泉」で入浴しようとしたのだが、まだ時間が早かったため営業しているところが見つからず、水上駅前の案内所で谷川温泉の日帰り入浴施設湯テルメ谷川を紹介された。内湯(不動の湯)の他に大きな露天風呂(河鹿の湯)があった。
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写真左:水上駅前通り 写真右:湯テルメ谷川・河鹿の湯
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つまごいこうげんおんせん(嬬恋高原温泉)…群馬県吾妻郡嬬恋村
嬬恋高原温泉は標高1,150mに位置する高原にあり、日帰り入浴施設つつじの湯がある。
泉質はナトリウム・カルシウム炭酸水素塩・塩化物泉である。
令和7年5月、去年に続いて嬬恋村の温泉巡りに出かけた。去年は下調べもせずに出かけたものだから休館で2ヶ所も入りそびれてしまったので、今回はちゃんと調べてから出かけた。
内湯の檜風呂にはちょっと深緑色をしたお湯が満ちていた。露天風呂には葉っぱが結構落ちていた。露天風呂にはつきもののものだから大して気にはならないのだが、もうちょっと掃除してあったもよかったかな?源泉掛け流しの冷泉風呂は、泉温が低く、ちょっと気合が要る。脱衣所の横に岩盤浴があって、無料(浴衣も無料)で利用できるのがうれしい。
入浴後は、キャベツソフトを賞味。
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写真左:つつじの湯入口 写真中:檜風呂 写真右:キャベツソフト
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つまごいばらきおんせん(嬬恋バラキ温泉)…群馬県吾妻郡嬬恋村
嬬恋バラキ温泉はバラキ湖の近くにある温泉で、日帰り入浴施設湖畔の湯がある。
泉質はアルカリ性単純温泉である。
令和7年5月の嬬恋村温泉巡りの際に3湯目に立ち寄った。実はここも去年休館中で入れなかった温泉である。大浴場だけで面白味は無い。湖畔の湯と銘打ってはいるものの、バラキ湖はまったく見えない。シルバー割で100円割引になっていたのだけが救いか。
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にししもにたおんせん(西下仁田温泉)…群馬県甘楽郡下仁田町
西下仁田温泉は下仁田町の国道254号線沿いにある温泉で、日帰り入浴施設の荒船の湯がある。
泉質は含二酸化炭素-ナトリウム-塩化物強塩冷鉱泉。
平成18年に、家族を軽井沢のアウトレットに送った後、買い物を済ませるまでの間の時間を利用して荒船の湯に入浴に行った。
平成19年には、荒船山登山後に入浴した。
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はんできおんせん(半出来温泉)…群馬県吾妻郡嬬恋村
半出来という地名は、土地が痩せていて作物の育ちが悪く、近隣の地域に比べて半分しか収穫がなかったということからきている。半出来温泉は国道144号線沿いの半出来地区にある温泉で、混浴露天風呂で有名な一軒宿の登喜和荘がある。
泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物泉。
平成24年、「川原湯温泉」へ行く途中で登喜和荘の看板を見つけて、帰りに立ち寄ってみた。混浴露天風呂は、男女別々の内湯から庭に出て、途中で合流するようになっていた。味噌樽を利用した浴槽もあったが、何だか油染みているようであまりいい気持にはなれなかった。
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写真:登喜和荘の混浴露天風呂
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ひがしかるいざわおんせん(東軽井沢温泉)…群馬県安中市松井田町
江戸時代に五街道のひとつとして整備された中山道の中でも、難所として知られたのが碓氷峠である。現在では新幹線や上信越自動車道が走っているが、旧道は昔ながらの雰囲気を残している。そんな碓氷峠に、碓氷峠の森公園交流館峠の湯ができた。温泉名としては東軽井沢温泉と称したものがあったが、あまり馴染みがない名称である。群馬県でも軽井沢の名称を使いたがるものなのだろうか。
泉質はナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉である。
平成18年に、妙義山石門巡りをした後、峠の湯で入浴した。建物は旧信越本線の眼鏡橋をモチーフとしたものだった。
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写真左:眼鏡橋を模した峠の湯外観 写真右:峠の湯
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ほうしおんせん(法師温泉)…群馬県利根郡みなかみ町
法師温泉は群馬県みなかみ町にある温泉で、一軒宿の長寿館がある。弘法大師による発見と言われ、混浴大浴場は法師乃湯と称している。かつて国鉄のフルムーンのポスターが撮影され、法師温泉の名は全国に知れ渡ることになった。
泉質は硫酸塩泉で、小石が敷き詰められた浴槽の底からもお湯が湧いている。
以前、わざわざ「猿ヶ京温泉」まで入浴に訪れたことがあったが、そのすぐ奥に法師温泉があることを知らなかったので、つい入浴しそびれてしまった。平成30年に苗場高原のドラゴンドラからの紅葉を楽しんだ後、法師温泉に立ち寄ってみた。混浴の大浴場は男性ばかり大勢入浴していた。普段なら撮影禁止も何のその、ちょっと人目を盗んで撮影してくるのであるが、これだけ全国的に名の知れた温泉では、万一迷惑防止条例で捕まったらえらいことだと思って自重せざるを得なかった。途中から妙齢の女性が二人入ってこられたので、ますます撮影などできっこない状況になった。
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写真左:長寿館前にて 写真中:法師乃湯(ポスターより) 写真右:フルムーンのポスター
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まんざおんせん(万座温泉)…群馬県吾妻郡嬬恋村万座温泉
万座温泉は標高1800bの高地にあり、硫黄成分の含有量が日本一の温泉である。開湯時期は不明であるが、坂上田村麻呂が鬼退治をしたという伝説があり、戦国時代には武士が湯治に訪れたという記録もある。
泉質は硫化水素泉。
昔から何度か入浴したことがあるのだが、正確な記録を有していなかったので、平成28年にわざわざ万座温泉まで車を走らせて、日進館で入浴してきた。長寿の湯という内湯と極楽湯という露天風呂があった。
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写真左:日進館前にて 写真中、右:顔出しパネル
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写真左:極楽湯 写真中、右:長寿の湯
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みょうぎおんせん(妙義温泉)…群馬県富岡市妙義町
妙義温泉は、妙義山を仰ぎ見る妙義神社参道付近にある温泉である。妙義山の麓にあることから、妙義山登山後はここで入浴することになる。
泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉。
平成5年に二度妙義山に登った。そのときはひしや旅館しか目につかなかったのでここで入浴した。風呂自体は何ということもなかったのに、入浴料金だけは当時でも1,000円もとられた。
平成21年に家族で妙義山に登ったときには、公共の入浴施設もみじの湯ができていたので、ここで汗を流した。
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写真左:ひしや旅館 写真右:道の駅みょうぎから見たもみじの湯
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ゆじゅくおんせん(湯宿温泉)…群馬県利根郡みなかみ町湯宿温泉
湯宿温泉は、群馬新潟県境の三国峠に近い国道17号線沿いの温泉である。開湯は1300年前とされ、弘須法師が岩穴で読経している際に突如温泉が湧出したという開湯伝説がある。四軒の共同浴場があり、そのうち三軒が一般に開放されている。
泉質はナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉。
平成25年、「猿ヶ京温泉」の帰り道で見かけて、共同浴場窪湯で入浴してきた。国道沿いの食堂で食事をして、そこで鍵を借りて入ってきた。温泉街に群馬県の現代の名工が営む下駄屋さんがあって、桐の下駄を購入してきた。
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写真左:湯宿温泉街 写真右:窪湯
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ゆびそおんせん(湯檜曽温泉)…群馬県利根郡みなかみ町湯檜曽
湯檜曽温泉は谷川岳の直下にある温泉で、「水上温泉郷」の一つである。湯檜曽川に沿って静かな温泉街がある。
泉質はアルカリ性単純温泉。
平成8年の獅子の会がホテル湯の陣で開催された。このホテル湯の陣も伊藤園ホテルズの傘下に入ってしまったと聞いたことがあったが、令和4年に土合駅を訪れた際に見たら、昔と変わらぬ建物が建っていた。
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写真左:ホテル湯の陣外観 写真中:ホテル湯の陣で開催された獅子の会宴会 写真右:ホテル湯の陣入口にて
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