獅子の会珍道中

第27回獅子の会旅行計画(於 能登半島)

平成30年6月18日(月)発行

発行者:久米昇

生まれて初めて1ヶ月半も入院していました。入院中はやることもないので、ずっと今年の獅子の会の旅行計画を考えていました。去年の獅子の会の席上では、昼神温泉ということになっていたのですが、何せ思いつきで行動しているメンバーのこととて、いつの間にか丹ちゃんと哲ちゃんの3人の中では能登半島ということになっておりました。能登半島は、学生時代に哲ちゃんとチューの3人でテントを担いで一周した思い出もあり、当時の思い出の地を是非巡ってみたいと思っているわけです。皆に電話してみたところ、丹ちゃんと哲ちゃんは例年のとおり前乗りから参加、他の4人も土日は参加ということでありました。今年はえらい早いじゃないかという声もありましたが、私他にやることがないものですから…。

ゴールデンウィーク中、とっつぁんから電話があり、今年の獅子の会は不参加とのことであります。以前はどんなに遠くであろうと車を駆って来てくれたものだったのですが、もうそんな元気もなくなってきたとのこと。去年は電車で和歌山まで来てくれたものの、やはりちょっと大変だったらしい。今回は北陸新幹線ができて東京から楽に来れるかと思ったのですが、考えてみれば御殿場から東京に出るのも大変なのかもしれません。距離的には東京に近くても、とっつぁんが一番僻地に住んでいるということになるのかもしれない。来年からはとっつぁんのことを考えて開催場所を決める必要もあるのかもしれない。
それからしばらくして、珍しくチューの方から電話がありました。切符を買いに行こうと思うんだけどどうすりゃいいんだ…?って。ヤノが一緒に行くんだからヤノと話をしろよ。私思うんですが、こいつら他人の話をまったく聞く気がありません。北陸新幹線「かがやき」は全車座席指定だから、一緒に行く仲間と相談して切符を買ってくれって言ってあるのに、チューもヤノも、また丹ちゃんも哲ちゃんも、同じ電車に乗るのに勝手にバラバラに買いに行ったらしい。同席したくない気持ちも分からんじゃないが…。

第一日目(平成30年6月7日)

旅行当日であります。前日、関東甲信越地方も梅雨入りし、毎年のことではありますがお天気が心配になるところ。予報では今日明日は晴天で、土、日は台風の接近で梅雨前線も活発化するとか。
私、丹ちゃんたちと合流する前に寄りたいところもあって、3時半には出発です。黒部ICで高速を降り、生地鼻灯台を訪ねる。もっと海縁に建っているのかと思ったら、海岸までは大分距離がある。

ここから海岸沿いの道を走って富山に向かいます。富山市内に入ったところで哲ちゃんからのメール着信。哲ちゃんにしては珍しく予定の新幹線に乗り遅れたらしい。丹ちゃんに電話したがちっとも応答がないとのこと。哲ちゃんがこのザマでは、我々の仲間で頼れる者はいなくなってしまいます。
富岩運河環水公園の駐車場に車を停めようと思ったら、9時までは閉鎖中。再び哲ちゃんからメールで、次の新幹線に乗ったとのこと。丹ちゃんと連絡取れた…?って、エッ、オレが連絡取るの?道路脇に車を停めて丹ちゃんに電話してみますが、やっぱり出ません。50回連続してコールしてみますがまったく応答がありません。まさか、スマホを忘れてきたんじゃないだろうなと心配になります。
富山駅北口の駐車場に車を停めて、歩いて富山城に行ってみることにします。

これまでの顛末をフナキにメールで送ります。いつもならすぐに返信があるのに、今日は何の応答もありません。誰にも相手にしてもらえず、寂しく富山駅に戻ります。

哲ちゃんから、やっと丹ちゃんと連絡が取れたとメールが入りました。スマホは持っているらしいが、出なけりゃ意味ないじゃん。
9時半、丹ちゃんが乗っているであろう「かがやき503号」が到着。「新幹線の中央口にいるよ」ってメールを入れてあるのですが、果たして伝わっているかどうか?
人波が途絶えた頃になって、やっと丹ちゃんが姿を現わしました。珍しくキャリーバッグなんかをゴロゴロと引いています。似合わねえなあ。「お前、電話くらい出ろよな」と早速文句を言います。スマホの画面を見ながら、「あれ、何かいっぱい入ってるぞ。何?中央口にいる」今頃見たって遅せえわい。年と共に皮膚の感覚も鈍くなってきているんだから、バイブレーションだけじゃ気がつかねえんだよ。
富岩運河環水公園に行って時間つぶししようと駐車場へ。事前精算機で駐車料金を支払ってから、さて出庫しようと思ったら、その駐車券が見当たりません。ポケットの中から車のシートの下、探してみますが見当たりません。私も他人のことは言えない。最近はいつも何か探しているような気がするのです。係員に事情を話してゲートを開けてもらって何とか出庫いたしました。ちなみに、この駐車券は後日助手席の下から発見されました。

出庫時のトラブルで時間を費やしてしまったので、運河環水公園がどんなものなのか説明書きを読む余裕もなく、再び富山駅に戻り、ようやく哲ちゃんと合流。約1時間遅れで本日の行程に出発です。
まず、雨晴海岸に向かいます。雨晴海岸にはもう何度も足を運んでいますが、一度も富山湾越しの立山連峰が見えたことはありません。今日も晴れてはいるものの、ぼんやりと霞んだ状態で期待薄であります。いつもの駐車場に車を停めようとしたところ、平日にもかかわらず満車状態です。何で平日にこんなに混んでるんだ?暇な爺婆が多いんだなあ。あっ、オレたちも仲間だ。雨晴海岸の線路を挟んだ反対側に、いつの間にか道の駅ができていて、それがこの混雑を引き起こしているようです。順番待ちをしながら、ようやく車を停める。薄らとではあるが、立山連峰が見えています。今まではこんなに見えていたことがなかったので、まあ満足のいく結果だったと言えよう。出発時点ではトラブル続きであったけれど、今回の旅行も楽しめそうな予感がしてきたのであります。

  
左、中:雨晴海岸 右:雨晴駅前にあったパネル前にて

駐車場に戻ってみると、駐車スペース以外のところに停めた車と大型バスの間に挟まれて、車を出すのにギリギリの状態になっています。どうせ他人の迷惑を考えない爺イか婆アの車なんでしょうが、真っ当に生きているつもりの爺イとしては本当に腹が立ちます。何とか出庫して出発です。雨晴駅前に、雨晴海岸の大きなパネルがあり、私の得意技のパネル前での写真も撮ってまいりました。
出発が1時間遅れたため、もうお昼です。以前獅子の会が砺波で開催されたときにも立ち寄った「氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館」で昼食をとろうとしたところ、どうも以前と感じが違っています。何となく薄暗いし、建物の前のテントもありません。訊いてみると、この先に道の駅ができて、そちらに移ったらしいのです。ここは現在資料館として使用しているらしい。雨晴海岸にも道の駅ができていたし、この分じゃ日本中至る所道の駅だらけになりそうだ。
「ひみ番屋街」という道の駅で昼食です。海辺に来ればやっぱり海鮮ですねえ。海鮮番屋丼をいただきます。

 海鮮番屋丼

ここから運転を丹ちゃんに代わってもらいます。白内障の手術を受けたばかりという丹ちゃん、「大丈夫だよ。手術前だって運転してたんだから…」そんなことが安全の担保になるとは思えないのですが、まあいいか。
次の見学地は七尾城址。日本の城は300以上は回ったかなというお城ハンター哲ちゃんも、七尾城は初めてとのこと。資料館の脇から細い道を登っていきますが、道はだんだん狭くなってきます。身動きができなくなる前にUターンです。家の庭先にいた奥さんに道を訊いてみると、ここは歩いて天守跡まで登る道とのことで、車で行ける道を丁寧に教えてくれました。
展望台への案内板に従って、まず展望台に上がってみます。七尾湾から能登島が一望です。
続いて天守跡にも登ってみます。石垣しか残っていないのですが、大きな山城になっていて、日本百名城にも数えられています。

 七尾城址

さあ、これから能登半島に入っていきますが、まだ能登島には渡ったことがないので、どうせなら能登島も走ってみることにします。もちろんこれも能登島大橋が無料になったからできること。有料ならわざわざ渡ったりはしません。

中能登農道橋を渡って再び半島側に戻ります。これから能登半島の中央部を「のと里山海道」で走っていきます。ここは、以前走ったときは有料だったのですが、5年ほど前に無料化されたようです。この「のと里山海道」という名称からでしょうか、「能登空港」も「のと里山空港」という名称に変わっていました。
予定よりまだ55分ほど遅れています。丹ちゃんがいくら頑張ってみても、遅れは5分ほどしか取り戻せていません。私の計画がどれだけ緻密で正確かということがよく分かります。
「のと里山海道」を離れて海岸線に出る。この爺イどもが3人も揃って来るところではないとは思うのですが、一応「恋路海岸」にも立ち寄ってみます。悲恋伝説が残る「恋路海岸」には、あのクラーク博士像を作った坂坦道氏作のモニュメントがあります。しかし、蜘蛛の巣が張っていたり、塗装が剥げた所を重ね塗りしたりしてあるものだから、顔の表情さえ不明瞭になってしまっていました。折角作ったものなんだから、もっと大事にすればいいのに…。

 写真:坂坦道氏作の恋路物語のモニュメント

恋路海岸から5分ほどで見附海岸です。見附海岸も3度目になるのですが、今回は「みつけたろう」なるキャラクターの看板がありました。能登半島のいいところを「見つけたろう」ということのようであります。

 
写真左:見附島 と えんむすびーちの鐘 写真右:みつけたろう

もう5時になろうかという時間。これから禄剛埼灯台を見てから宿に向かうということになると、6時をまわってしまうかもしれないので、宿に遅れる旨の連絡を入れる。
禄剛埼灯台に向かう途中、最近ランプの宿として人気の高い「よしが浦温泉」付近を通過。ここに泊まらない理由のひとつは料金が高いこと。そして何よりも中国人が大挙して押し寄せていると聞いていることであります。
駐車場から急坂を喘ぎ喘ぎ登っていきます。48年前もこんな坂を登っていったのでしょうか、そのあたりの記憶が曖昧です。坂の途中で、中国人と思しきカップルとすれ違っただけで、灯台にたどり着いたときにはもう誰もいませんでした。

 
写真左:禄剛埼灯台 写真右:48年前の禄剛埼灯台(後に写っている建物はなくなっていました)

6時過ぎ、今日の宿泊先「狼煙館」に到着です。小さな民宿のような宿ですが、風呂は一応天然温泉であります。私の304湯目は「禄剛埼温泉」ということになりました。

 写真:禄剛埼温泉・狼煙館

今日の宿泊客は我々3人だけでありました。気の弱い私は、何だか却って迷惑だったんじゃないかしらと心配になってしまいます。

第二日目

最近無呼吸症候群になってしまったという哲ちゃん、夜中にちょっと苦しそうな息遣いが聞こえましたが、無事朝を迎えられて何よりです。
宿から禄剛埼灯台へは歩いても行ける距離なので、朝日に輝く灯台の写真を撮りに行こうかと思わないこともなかったのですが、あの急坂を登ることを思うと、ちょっと二の足を踏んでしまいます。
朝風呂に入ってから宿の外に出てみると、鄙びた漁村の風景が広がっていました。中国人の溢れた宿に泊まらなくて良かったと思います。道端の花にも何となく心惹かれるのは、旅情というものでしょうか。


写真:狼煙館前にて

朝食後、ロビーで奥さんの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、いろんな話を伺いました。元酒屋の丹ちゃん、以前能登の酒「宗玄」を扱っていたことからそんな話題にもなってきます。杜氏が代わると、少しずつ味も変化してくるということで、この宿では、少し辛口の「初桜」という酒も置いてあるということであります。
8時半過ぎ、宿の前でご主人と一緒に写真を撮ってから出発。今日は外浦の海岸線を走っていくことになります。走るにつれて塩田が見られるようになってきます。30分ほどで「道の駅すず塩田村」到着。能登半島は風力発電が盛んに行われており、そんな電力を利用しているのでしょうか、こんな小さな道の駅の駐車場にも、電気自動車用のバッテリー充電装置が設置されています。電気自動車どころか、普通のガソリン車だってそんなに多くないのに…。ほとんど使われていないようで、潮風に曝されて錆びついていました。
ここでは「塩ミルクソフト」を食べる予定です。この旅行ひとつ目のソフトクリームですが、この旅行中果たしていくつ食べられるでしょうか?売店のおねえさん、「美味しいですよ!」「何?美味しくなかったら返品利くの?」「まだ返品されたことないですよ」って、そりゃそうだろうけどさ。

 写真:塩ミルクソフト

5分ほどで曽々木海岸です。48年前、この海岸でテントを張ったのですが、その晩北陸地方を襲った集中豪雨でテントは水浸し、一睡もできないどころか横にもなれなかったという苦い思い出の地であります。この海岸は、浸食によって海岸線が後退してしまっていて、現在ではとてもテントを張るようなスペースはありません。浸食防止にコンクリートで固められていました。
すぐ近くのトンネルの上から流れ落ちてきているのが「垂水の滝」です。48年前にはまだ薄暗い中でテントを撤収して、この滝で写真を撮りました。もちろん今回も撮ってきましたよ。

 
写真左:垂水の滝 写真右:48年前の垂水の滝

曽々木海岸からまた5分ほどで「窓岩」が見えてきます。この辺は奇岩怪石が多く絶好のビューポイントが続きます。当然写真は撮りますよ。さっき曽々木海岸でも一緒になったレンタカーのおねえちゃんたちとまた一緒になりました。

次の見学地は「時国家」。「時国家」は、源平の合戦に敗れて能登に流された平時忠の子の時国の子孫が代々屋敷と伝統を守っているところであります。開館は10時ということで、まだ5分ほど間があります。その時間が待ちきれないのか、ご夫婦を思しき二人連れのご主人の方が、「上時国家」に行こうと言うのに対し、奥さんの方は「待ってればいいじゃない…」と、まったく無視しちゃっています。しかし、10時になっても開く気配がありません。案内板をよく見ると、開館時間:土、日 10::00〜となっています。な〜に、土日しかやってないの?仕方がないので、少し離れた「上時国家」に行きます。

次は世界農業遺産にも登録されている白米の千枚田です。三脚の高さでは棚田が写らないので、記念写真は手持ちで撮ります。階段の途中で棚田を背景に写そうとしているところに、でかい声の中国人の一団が割り込んできます。何であいつらはあんなに声がでかいんだろう。おまけにマナーは守らないし…。邪魔な中国人はトリミングでカットします。

  
写真左、中:白米千枚田 写真右:お米ソフト

売店の前に「お米ソフト」の幟旗。千枚田で獲れたお米を使っているとのことなので、これも味わわずにはおられない。どんなものかと思ったら、お米をポン菓子にしたものが入っているだけのこと。まあ、食感は悪くはなかったけどね。

ここから輪島市街地に入っていきます。高校時代の友人が、輪島の朝市で買った「いしる」で漬け込んだ塩辛が美味かったと言っていたので、時間があればそれをお土産に買って帰ろうと思っていたのですが、朝市の開催時間は12時までで、もう30分もありません。もともと朝市の見学は計画に入れてなかったので、ともだちには諦めてもらいましょう。
「キリコ会館」を見学。「キリコ」と言えば「江戸切子」しか思い浮かばず、何となくガラス工芸品をイメージしていたのですが、「キリコ」とは能登の祭りで使われる御神燈のことで、大きなものでは高さ11mというものもあります。現在では電線の関係から、小ぶりなものが多いようですが、なかなか見応えがありました。

 写真:キリコ会館にて

さあ、これからこの旅行最大の楽しみでもある、48年前の思い出を訪ねて猿山岬の灯台を目指します。ナビを何処に設定したらいいのか分からないので、だいたいの住所で設定して後は標識を見ながら行くことにしました。途中何処か食堂があったら昼飯を食べようということになったのですが、車はどんどん寂しい山の中に入っていって、食堂どころかコンビニもありません。
皆月のバス停から左折して海縁を走ります。バス停近くに見覚えのある建物がありました。48年前に、疲れ果てて泊まった旅館は確かここだったのだと思いました。もちろんもう営業はしておらず、周囲にも人っ子一人見当たりません。当時は舗装などしてなかったのですが、現在では車もろくに走らない道路でさえきちんと舗装されています。あっ、あの岩場の辺で子どもたちが泳いでいたよなあ…と、真夏の炎天下を歩いた48年前を思い出しました。
猿山岬付近は、現在では雪割草の群生地になっていて、きちんと駐車場が整備されていました。駐車場の前から石段を登っていきます。案内板も確認せずに登ってきてしまったのですが、行けども行けども灯台に行きつきません。これは違うわなあと思ったのですが、案内板がひとつもないので間違っているという確信もありません。ようやくあった案内板を見ると、まったく反対方向に来てしまっています。駐車場から720mも登ってきてしまったことになります。文句を言っても始まりません。汗びっしょりになりながら引き返します。♪帰り道は遠かった 来た時よりも遠かった♪なんて歌があったなあ。

駐車場まで戻って、再度灯台を目指します。しばらく歩いて、ようやく木々の間に灯台が見えました。ついに来たぞ〜。
灯台の周りは草ボウボウで、48年前とはイメージが違っています。何処で写真を撮ったのか確認しようと思ったのですが、電波が届かず確認できませんでした。(後で確認したところ、灯台自体が48年前のモノとは建て替わってしまっていました。現在の灯台は何処にでもあるような普通の形で、昔の灯台の方がよかったなあ。)

 
写真左:猿山岬灯台 写真右:48年前の猿山岬灯台

ちょっとがっかりしたところもあるのですが、それでも再び猿山岬を訪れることができて大満足でありました。
ここから30分ほどで門前の總持寺祖院です。参拝する前に「茶房福助」で昼食です。門前そばが名物ということで、それを注文することにしたのですが、「温かいのですけどいいですか?」と言われ、ざるそばに変更。そば自体は美味くはなかったのですが、値段の割に付け合せが豊富だったので文句は言いません。

 写真:「茶房福助」のざるそば

平成24年に女房と訪れたときには仏殿が修復中で拝観できなかったのですが、今度はほゞすべての建屋が修復中であります。能登半島地震の被害を修復中というように聞いたのですが、調べてみると能登半島地震が起きたのは平成19年のことで、平成24年に修復に着手していなかったのが何故今?という疑問も湧いてきます。いずれにしても落ち着いて拝観することもできませんでした。

 
写真左:總持寺祖院 写真右:白字橋

これで今日の予定は終了で、鳴き砂の浜(琴ヶ浜)を通って宿泊先に向かうだけになります。鳴き砂の浜近くに「剱地」というバス停があって、私の記憶では、初日に黒崎キャンプ場でテントを張って、翌朝この「剱地」のバス停から門前までバスに乗ったと思うのですが、あまり記憶に自信がありません。バス停前の売店で顔を洗わせてもらったとき、そこの奥さんに(旦那さんだったかな?)トマトをいただいて、猿山岬の灯台で食べたのははっきりと覚えているのですが…。
鳴き砂の浜で、またあのおねえちゃんたちのレンタカーと一緒になりました。ただ一緒になったというだけのことで、その後の話しに何の進展もないところが爺イどもの悲しいところであります。

まだ4時を少し回ったばかり。明日回る予定の「ヤセの断崖」を見学してから宿に向かうことにしました。「ヤセの断崖」は、松本清張の「ゼロの焦点」の舞台となったところとしてお馴染みの場所であります。悲劇のヒロインが最後に身を投じた場所として描かれ、この映画の影響で18人もの自殺者が出た年もあると言われている。断崖の上に立って崖下を覗くと身がやせる思いがするということから「ヤセの断崖」の名がついたとも言われています。現在では、崖の手前に柵が設けられて、崖の上は立ち入り禁止になっています。
「ヤセの断崖」から歩いて「義経の舟隠し」に行きます。義経が奥州に逃亡する際、追っ手から逃れるために48隻もの舟を隠したと伝えられる断崖絶壁の入り江であります。

 写真:ヤセの断崖

宿に向かう途中、「大笹波水田展望台」の案内があったので、モノのついでに立ち寄ってみました。棚田の風景ではあるらしいのですが、田圃の形がほゞ四角形で、しかも田圃一面がかなりの広さがあるので、棚田らしさは感じられません。案内板を出すほどのことはないと思うのですが…。

5時過ぎ、今日の宿泊先である富来の「シーサイドヴィラ渤海」到着。道の駅「とぎ海街道」の隣にある宿泊施設です。ここも「渤海温泉」という温泉らしいのですが、ジャグジーがあったりするスーパー銭湯のようなもので、温泉らしさは微塵もありません。
今日も一日ご苦労様でした。二人はビールですが、ドクターストップがかかっている私は、昨日はウーロン茶、今日はノンアルコールのカクテルで乾杯であります。

 写真:渤海温泉

第三日目

昨日一昨日の晴天とは違って、今にも雨が落ちてきそうな空模様です。それもやむを得ないでしょう。ヤノとチューが近づいてくるのですから…。朝風呂、朝食を済ませ、いつものように宿の前で記念写真に納まります。

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写真左:朝風呂 写真右:シーサイドヴィラ渤海前にて

ギネスブックにも登録されている「世界一長いベンチ」に行ってみます。決してケチをつけるつもりはないのですが、世界一長いベンチなんて作ってどうするの?

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写真左:世界一長いベンチ 写真右:とぎ男爵ソフト

「いしる」で漬けた塩辛を探して道の駅「とぎ海街道」に寄ってみますが、ここまで来るともう「いしる」自体があまり見かけなくなってしまいます。その代り見つけたのが「とぎ男爵ソフト」。塩をふって食べるソフトっていうのも初めてです。ポテトチップスが1枚アクセントに付いていましたが、これは要るのかなあ?

今日はこれから、千里浜なぎさドライブウェイまで南下してフナキの車と合流する予定ですが、午前中に見学する予定は昨日のうちに済ませてしまったので余裕があります。さっきの道の駅で哲ちゃんが見つけてきたパンフレットに誘われて、ちょうど千里浜に向かう道すがら、日蓮宗の北陸本山「妙成寺」に行ってみることにします。
出発して5分ほどで機具岩到着。能登二見の夫婦岩で、伊勢二見が浦の夫婦岩より数段上のような気がします。

次に旧福浦灯台を目指します。旧福浦灯台の歴史は古く、慶長年間まで遡るらしいが、現存の灯台は明治9年の建造で、現存する日本で一番古い木造灯台であります。ここまで行く道が狭く、切り返しをしながら進んでいかなくてはなりません。

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写真左:旧福浦灯台 写真右:西能登あかり

この灯台の脇に、灯台の形をモチーフとした「西能登あかり」なるキャラクターが立っていました。見附海岸で見かけた「みつけたろう」といい、全国的にはまったく無名のキャラクターですが、私、決して嫌いではありません。

旧福浦灯台から30分ほどで妙成寺到着です。能登半島の寺院と言えば門前總持寺くらいしか思いつかなかったのですが、どうしてどうしてなかなか立派な伽藍であります。妙成寺境内の建造物のうち、10棟までが国の重要文化財に指定されているそうです。
丹ちゃんが観光ボランティアのおばちゃんの後にくっついて熱心にガイドを聞いています。以前は妙齢のおねえさん以外のガイドになんか耳も貸さなかったのに、何処で宗旨替えをしたのでありましょうか?

   写真:妙成寺

拝観中、哲ちゃんの携帯にチューから連絡が入りました。富山駅でフナキと合流できたようであります。チューとヤノが近づいているのに、お天気は何とかもちそうです。
山門前の茶店にたなびく「ひやしあめ」の暖簾。最近は何でも飲んだり食ったりしますよ。「ひやしあめ」三つください。1杯400円、結構いいお値段するんですね。

  写真:ひやしあめ

お代を受け取っていったおばちゃん、また戻ってきたと思ったら、「1杯400円なんですけど…」「だから、500円玉2ヶと100円玉2ヶ上げたでしょ」エプロンの中のお金を確認したおばちゃん、失礼しましたって言って行っちゃいました、100円玉4ヶと勘違いしたんだね。私、人間がま〜るくなってきてますから怒りません。
妙成寺から15分ほどで千里浜なぎさドライブウェイ到着です。フナキ車の到着までまだ30分くらいは間があるのではないかと思われ、その時間を利用してなぎさドライブウェイを走ってみます。よくポスターなどで波打ち際を走る車の写真が使われていますが、自分の車をわざわざ塩水に漬ける人なんかいません。皆大人しく砂浜を走っています。

 写真:千里浜ドライブウェイの顔出しパネル

駐車場に戻ってチューに電話を入れてみます。出ません。あいつはこっちから電話をしても出たためしがありません。何を警戒しているのでしょうか?仕方なくヤノに電話してみます。こちらへの到着まではまだ30分くらいかかるとのことで、もう一度なぎさを走ります。そこで見つけた顔出しパネル。最近はどんなとこでも顔出しますよ。 

ようやく3人と合流。去年欠席したチューは、勝負色のピンクを着ています。去年の分も取り戻すつもりでしょうか?ちょっと怖い気もします。ヤノも元気そうで何よりです。
まずレストハウスで昼食。私、「貝めし」を注文したのですが、値段が600円と安いのが不安です。案の定、容器だけこけおどしで、美味くも何ともありません。

 写真:貝めし

これから能登金剛巌門まで行って遊覧船に乗る予定ですが、その前に能登一宮である気多大社に立ち寄ります。気多大社までは10分足らずの道のりです。

 写真:気多大社

今日走ってきた道を30分ほど戻って能登金剛巌門到着です。早速目につく「わかめソフト」の幟旗。ソフトクリームは後ですよ〜。まず遊覧船に乗りますよ。48年前には、何処かの港からここまで船でやってきたはずなのですが、それが何処の港だったのか、はっきりしません。船上から見える「幸せのがんもん橋」。幸せの…と謳ったのは、「ゼロの焦点」で定着してしまった自殺の名所という暗いイメージを払拭したいとの願いが込められているとのことであります。

 
写真左:能登金剛巌門遊覧船乗り場 写真右:わかめソフト

はいお待たせいたしました。「わかめソフト」食べますよ。生臭さはありません。思ったより美味しかったですよ。

ホテルでゆっくりしようと、4時前に「ロイヤルホテル能登」到着です。昨日も一昨日も、一応温泉には入ったのですが、温泉らしい雰囲気にはほど遠く、今日ようやく温泉らしい雰囲気の志賀の郷温泉であります。旅の僧が能登の山奥で動物たちが傷ついた身体を癒していたところから開湯したという、何処にでもありそうな開湯伝説です。現在では志賀町という町名から、「志賀の郷温泉」と呼んでいるらしい。

 写真:志賀の郷温泉

6時から宴会です。今夜のお姐さんは、金沢からきたという30代後半と40代という二人。我々ももう70に手が届こうという爺イばかりですから、年齢にケチをつける気はサラサラありませんが、それにしてももう少し客あしらいってものがあるだろうよ。今回の私、まったくの素面でありますから、自ずから採点も厳しくなりますよ。話題は乏しいところへもってきて、途中からフナキのナンバーズ必勝法に食いつき過ぎだろう。おまけに身の上話なんか始めるんじゃねえ。少しは商売っ気出せよ。フナキが「これ食べな…」って勧めたからって、刺身を皆食っちゃうんじゃねえよ。オレは食べるしかねえんだから、オレのはやらねえよ。
今年は「お代官様ごっこ」やりません。2年ぶりの伊藤屋チュー兵衛登場ではありますが、素面で裸になるほどオレも若くはない。

 写真:恒例の記念写真

記念写真を撮ったら二次会です。気にいらねえけど、カラオケに行くにも男ばかりじゃ寂しいから、しょうがない延長ね。去年の中居さんみたいに強烈な個性の女性がいればよかったんだけどね。

 
写真左:♪髪の乱れに 手をやれ〜ば♪ 写真右:高校三年生の大合唱

それにしても、ステージに上がってただ横でボーッと突っ立ってんじゃねえよ。歌知らなかったら、手拍子打つとか、腕組むとか、何かやりようがありそうなもんじゃねえか。
はい、高校三年生歌ったらお開きですよ。

こうして能登の夜は更けていきましたとさ。

第四日目

5時から朝風呂に行きます。露天風呂で写真を撮ろうとしたところ、三脚が滑ってカメラが湯船にドボン。出発時からトラブル続きの旅行でしたが、最終日にこんなおまけがついていたとは…。カメラは動かなくなりましたが、幸いデータは無事だったので、ホッと胸をなでおろしたのであります。
7時半からバイキング会場に行きます。お盆とお皿は手にしたものの、何だか料理の数が少ないように思えます。洋食コーナーは看板だけで何〜ンもありませんよ。「パンは何処にあるの…?」って訊いたら、「今焼けてきますので、焼き立てをお召し上がりください」だって。要するに補充が間に合ってないってことじゃん。こんなこと初めてだよね。中国人が大挙して押し寄せた後のようです。
支払いを済ませて、売店でお土産買って、9時チェックアウトです。

 写真:ロイヤルホテル能登前にて

台風の接近で天気は下り坂。帰り道で雨にならなければいいのですが。
今日は高岡市伏木で、勝興寺と北前船資料館を見学して、昼食後解散の予定です。哲ちゃんは、折角ここまで来たのだからと、解散後金沢まで足を延ばすのだとか。この人、ウチに帰りたくない事情でもあるのでしょうか?
今日も丹ちゃんに運転してもらいます。足元で丹ちゃんのスマホが鳴っていますが、運転中で出られません。赤信号で停止していると、後ろの車からチューが降りてきて、「ヤノがトイレに行きたいって言ってるから、何処かコンビニに入って…」との指示。生理現象はやむを得ないのですが、ヤノに言われると何故か腹が立つのはどうしてでしょうか?あっ、さっき丹ちゃんのスマホが鳴ってたのはチューからだったんだ。出なくてよかった。
1時間20分ほどで勝興寺到着。勝興寺は、万葉の昔越中の国庁があった場所であります。伏木のこの辺りは万葉の香りがいっぱいのところで、勝興寺ももう何度目の拝観になるでしょうか?ここもまた平成の大修理が行われています。フナキの説明によると、予算が潤沢にあるものだから、ズ〜っとやってるよとのことであります。

 
写真左:勝興寺 写真右:北前船資料館

続いて、すぐ近くにある北前船資料館見学。

ここからはフナキの先導で昼食をとりに行きます。何処へ行くのかと思ったら、新湊の海王丸パークへ向かっているようです。海王丸の見学は以前来たときは有料だったと思ったのですが、フナキが無料のはずだというので行ってみました。やっぱ有料じゃん。有料なら外から写真撮るだけですよ。

昼食は「きっときと市場」でとります。「きっときと市場」は直進なのに、フナキは何故か左折。続いて空き地に入ってUターン。お前は何やってんだ。「きっときと市場」の入り口にも顔出しパネルがあって、やっぱり顔出しちゃうなあ。

 
写真左:きっときと市場 写真右:顔出しパネル

富山に来ればやっぱ白えびですか。白えび唐揚げ丼を注文します。

   
写真左:白えび唐揚げ丼 写真中:紅ガニソフト 写真右:白えびソフト

この旅行最後のソフトは期待通りの「白えびソフト」がありました。しかしその横に「紅ガニソフト」の幟旗もあって、こちらも捨てがたい。オレは「紅ガニソフト」にするから、フナキは「白えびソフト」にして一口舐めさせて。…というわけで、この旅行中、合計6種類のソフトを味わいました。

ここから金沢に行くと言う哲ちゃんはフナキの車に。チューに、「時間があるなら長野まで乗ってくか?」と訊くと、「どうせなら皆とワイワイやってった方が楽しいじゃん」と、珍しく前向きの発言であります。
ここからは私の運転で、小杉ICから北陸自動車道に乗ります。ますの寿司は買ってこいと言われているというチューの要望で、有磯海SAに立ち寄ります。ますの寿司はここが何種類も置いてあっていいですね。高校の友人は「竹勘」のますの寿司が美味いと言っていたので、その情報をチューに伝えると、素直にそれを買っていきました。奥さんの評かは高かったと、後で連絡が来ました。
途中小布施PAで最後のトイレ休憩を入れ、4時過ぎ無事長野駅到着となりました。大変お疲れ様でした。