獅子の会珍道中第27回獅子の会旅行計画(於 能登半島) |
平成30年6月18日(月)発行
発行者:久米昇 |
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生まれて初めて1ヶ月半も入院していました。入院中はやることもないので、ずっと今年の獅子の会の旅行計画を考えていました。去年の獅子の会の席上では、昼神温泉ということになっていたのですが、何せ思いつきで行動しているメンバーのこととて、いつの間にか丹ちゃんと哲ちゃんの3人の中では能登半島ということになっておりました。能登半島は、学生時代に哲ちゃんとチューの3人でテントを担いで一周した思い出もあり、当時の思い出の地を是非巡ってみたいと思っているわけです。皆に電話してみたところ、丹ちゃんと哲ちゃんは例年のとおり前乗りから参加、他の4人も土日は参加ということでありました。今年はえらい早いじゃないかという声もありましたが、私他にやることがないものですから…。 ゴールデンウィーク中、とっつぁんから電話があり、今年の獅子の会は不参加とのことであります。以前はどんなに遠くであろうと車を駆って来てくれたものだったのですが、もうそんな元気もなくなってきたとのこと。去年は電車で和歌山まで来てくれたものの、やはりちょっと大変だったらしい。今回は北陸新幹線ができて東京から楽に来れるかと思ったのですが、考えてみれば御殿場から東京に出るのも大変なのかもしれません。距離的には東京に近くても、とっつぁんが一番僻地に住んでいるということになるのかもしれない。来年からはとっつぁんのことを考えて開催場所を決める必要もあるのかもしれない。 |
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第一日目(平成30年6月7日)
旅行当日であります。前日、関東甲信越地方も梅雨入りし、毎年のことではありますがお天気が心配になるところ。予報では今日明日は晴天で、土、日は台風の接近で梅雨前線も活発化するとか。 ここから海岸沿いの道を走って富山に向かいます。富山市内に入ったところで哲ちゃんからのメール着信。哲ちゃんにしては珍しく予定の新幹線に乗り遅れたらしい。丹ちゃんに電話したがちっとも応答がないとのこと。哲ちゃんがこのザマでは、我々の仲間で頼れる者はいなくなってしまいます。 これまでの顛末をフナキにメールで送ります。いつもならすぐに返信があるのに、今日は何の応答もありません。誰にも相手にしてもらえず、寂しく富山駅に戻ります。 哲ちゃんから、やっと丹ちゃんと連絡が取れたとメールが入りました。スマホは持っているらしいが、出なけりゃ意味ないじゃん。 出庫時のトラブルで時間を費やしてしまったので、運河環水公園がどんなものなのか説明書きを読む余裕もなく、再び富山駅に戻り、ようやく哲ちゃんと合流。約1時間遅れで本日の行程に出発です。
駐車場に戻ってみると、駐車スペース以外のところに停めた車と大型バスの間に挟まれて、車を出すのにギリギリの状態になっています。どうせ他人の迷惑を考えない爺イか婆アの車なんでしょうが、真っ当に生きているつもりの爺イとしては本当に腹が立ちます。何とか出庫して出発です。雨晴駅前に、雨晴海岸の大きなパネルがあり、私の得意技のパネル前での写真も撮ってまいりました。
ここから運転を丹ちゃんに代わってもらいます。白内障の手術を受けたばかりという丹ちゃん、「大丈夫だよ。手術前だって運転してたんだから…」そんなことが安全の担保になるとは思えないのですが、まあいいか。
さあ、これから能登半島に入っていきますが、まだ能登島には渡ったことがないので、どうせなら能登島も走ってみることにします。もちろんこれも能登島大橋が無料になったからできること。有料ならわざわざ渡ったりはしません。 中能登農道橋を渡って再び半島側に戻ります。これから能登半島の中央部を「のと里山海道」で走っていきます。ここは、以前走ったときは有料だったのですが、5年ほど前に無料化されたようです。この「のと里山海道」という名称からでしょうか、「能登空港」も「のと里山空港」という名称に変わっていました。
恋路海岸から5分ほどで見附海岸です。見附海岸も3度目になるのですが、今回は「みつけたろう」なるキャラクターの看板がありました。能登半島のいいところを「見つけたろう」ということのようであります。
もう5時になろうかという時間。これから禄剛埼灯台を見てから宿に向かうということになると、6時をまわってしまうかもしれないので、宿に遅れる旨の連絡を入れる。
6時過ぎ、今日の宿泊先「狼煙館」に到着です。小さな民宿のような宿ですが、風呂は一応天然温泉であります。私の304湯目は「禄剛埼温泉」ということになりました。
今日の宿泊客は我々3人だけでありました。気の弱い私は、何だか却って迷惑だったんじゃないかしらと心配になってしまいます。 |
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第二日目
最近無呼吸症候群になってしまったという哲ちゃん、夜中にちょっと苦しそうな息遣いが聞こえましたが、無事朝を迎えられて何よりです。
朝食後、ロビーで奥さんの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、いろんな話を伺いました。元酒屋の丹ちゃん、以前能登の酒「宗玄」を扱っていたことからそんな話題にもなってきます。杜氏が代わると、少しずつ味も変化してくるということで、この宿では、少し辛口の「初桜」という酒も置いてあるということであります。
5分ほどで曽々木海岸です。48年前、この海岸でテントを張ったのですが、その晩北陸地方を襲った集中豪雨でテントは水浸し、一睡もできないどころか横にもなれなかったという苦い思い出の地であります。この海岸は、浸食によって海岸線が後退してしまっていて、現在ではとてもテントを張るようなスペースはありません。浸食防止にコンクリートで固められていました。
曽々木海岸からまた5分ほどで「窓岩」が見えてきます。この辺は奇岩怪石が多く絶好のビューポイントが続きます。当然写真は撮りますよ。さっき曽々木海岸でも一緒になったレンタカーのおねえちゃんたちとまた一緒になりました。 次の見学地は「時国家」。「時国家」は、源平の合戦に敗れて能登に流された平時忠の子の時国の子孫が代々屋敷と伝統を守っているところであります。開館は10時ということで、まだ5分ほど間があります。その時間が待ちきれないのか、ご夫婦を思しき二人連れのご主人の方が、「上時国家」に行こうと言うのに対し、奥さんの方は「待ってればいいじゃない…」と、まったく無視しちゃっています。しかし、10時になっても開く気配がありません。案内板をよく見ると、開館時間:土、日 10::00〜となっています。な〜に、土日しかやってないの?仕方がないので、少し離れた「上時国家」に行きます。 次は世界農業遺産にも登録されている白米の千枚田です。三脚の高さでは棚田が写らないので、記念写真は手持ちで撮ります。階段の途中で棚田を背景に写そうとしているところに、でかい声の中国人の一団が割り込んできます。何であいつらはあんなに声がでかいんだろう。おまけにマナーは守らないし…。邪魔な中国人はトリミングでカットします。
売店の前に「お米ソフト」の幟旗。千枚田で獲れたお米を使っているとのことなので、これも味わわずにはおられない。どんなものかと思ったら、お米をポン菓子にしたものが入っているだけのこと。まあ、食感は悪くはなかったけどね。 ここから輪島市街地に入っていきます。高校時代の友人が、輪島の朝市で買った「いしる」で漬け込んだ塩辛が美味かったと言っていたので、時間があればそれをお土産に買って帰ろうと思っていたのですが、朝市の開催時間は12時までで、もう30分もありません。もともと朝市の見学は計画に入れてなかったので、ともだちには諦めてもらいましょう。
さあ、これからこの旅行最大の楽しみでもある、48年前の思い出を訪ねて猿山岬の灯台を目指します。ナビを何処に設定したらいいのか分からないので、だいたいの住所で設定して後は標識を見ながら行くことにしました。途中何処か食堂があったら昼飯を食べようということになったのですが、車はどんどん寂しい山の中に入っていって、食堂どころかコンビニもありません。 駐車場まで戻って、再度灯台を目指します。しばらく歩いて、ようやく木々の間に灯台が見えました。ついに来たぞ〜。
ちょっとがっかりしたところもあるのですが、それでも再び猿山岬を訪れることができて大満足でありました。
平成24年に女房と訪れたときには仏殿が修復中で拝観できなかったのですが、今度はほゞすべての建屋が修復中であります。能登半島地震の被害を修復中というように聞いたのですが、調べてみると能登半島地震が起きたのは平成19年のことで、平成24年に修復に着手していなかったのが何故今?という疑問も湧いてきます。いずれにしても落ち着いて拝観することもできませんでした。
これで今日の予定は終了で、鳴き砂の浜(琴ヶ浜)を通って宿泊先に向かうだけになります。鳴き砂の浜近くに「剱地」というバス停があって、私の記憶では、初日に黒崎キャンプ場でテントを張って、翌朝この「剱地」のバス停から門前までバスに乗ったと思うのですが、あまり記憶に自信がありません。バス停前の売店で顔を洗わせてもらったとき、そこの奥さんに(旦那さんだったかな?)トマトをいただいて、猿山岬の灯台で食べたのははっきりと覚えているのですが…。 まだ4時を少し回ったばかり。明日回る予定の「ヤセの断崖」を見学してから宿に向かうことにしました。「ヤセの断崖」は、松本清張の「ゼロの焦点」の舞台となったところとしてお馴染みの場所であります。悲劇のヒロインが最後に身を投じた場所として描かれ、この映画の影響で18人もの自殺者が出た年もあると言われている。断崖の上に立って崖下を覗くと身がやせる思いがするということから「ヤセの断崖」の名がついたとも言われています。現在では、崖の手前に柵が設けられて、崖の上は立ち入り禁止になっています。
宿に向かう途中、「大笹波水田展望台」の案内があったので、モノのついでに立ち寄ってみました。棚田の風景ではあるらしいのですが、田圃の形がほゞ四角形で、しかも田圃一面がかなりの広さがあるので、棚田らしさは感じられません。案内板を出すほどのことはないと思うのですが…。 5時過ぎ、今日の宿泊先である富来の「シーサイドヴィラ渤海」到着。道の駅「とぎ海街道」の隣にある宿泊施設です。ここも「渤海温泉」という温泉らしいのですが、ジャグジーがあったりするスーパー銭湯のようなもので、温泉らしさは微塵もありません。
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第三日目
昨日一昨日の晴天とは違って、今にも雨が落ちてきそうな空模様です。それもやむを得ないでしょう。ヤノとチューが近づいてくるのですから…。朝風呂、朝食を済ませ、いつものように宿の前で記念写真に納まります。
ギネスブックにも登録されている「世界一長いベンチ」に行ってみます。決してケチをつけるつもりはないのですが、世界一長いベンチなんて作ってどうするの?
「いしる」で漬けた塩辛を探して道の駅「とぎ海街道」に寄ってみますが、ここまで来るともう「いしる」自体があまり見かけなくなってしまいます。その代り見つけたのが「とぎ男爵ソフト」。塩をふって食べるソフトっていうのも初めてです。ポテトチップスが1枚アクセントに付いていましたが、これは要るのかなあ? 今日はこれから、千里浜なぎさドライブウェイまで南下してフナキの車と合流する予定ですが、午前中に見学する予定は昨日のうちに済ませてしまったので余裕があります。さっきの道の駅で哲ちゃんが見つけてきたパンフレットに誘われて、ちょうど千里浜に向かう道すがら、日蓮宗の北陸本山「妙成寺」に行ってみることにします。 次に旧福浦灯台を目指します。旧福浦灯台の歴史は古く、慶長年間まで遡るらしいが、現存の灯台は明治9年の建造で、現存する日本で一番古い木造灯台であります。ここまで行く道が狭く、切り返しをしながら進んでいかなくてはなりません。
この灯台の脇に、灯台の形をモチーフとした「西能登あかり」なるキャラクターが立っていました。見附海岸で見かけた「みつけたろう」といい、全国的にはまったく無名のキャラクターですが、私、決して嫌いではありません。 旧福浦灯台から30分ほどで妙成寺到着です。能登半島の寺院と言えば門前總持寺くらいしか思いつかなかったのですが、どうしてどうしてなかなか立派な伽藍であります。妙成寺境内の建造物のうち、10棟までが国の重要文化財に指定されているそうです。
拝観中、哲ちゃんの携帯にチューから連絡が入りました。富山駅でフナキと合流できたようであります。チューとヤノが近づいているのに、お天気は何とかもちそうです。
お代を受け取っていったおばちゃん、また戻ってきたと思ったら、「1杯400円なんですけど…」「だから、500円玉2ヶと100円玉2ヶ上げたでしょ」エプロンの中のお金を確認したおばちゃん、失礼しましたって言って行っちゃいました、100円玉4ヶと勘違いしたんだね。私、人間がま〜るくなってきてますから怒りません。
駐車場に戻ってチューに電話を入れてみます。出ません。あいつはこっちから電話をしても出たためしがありません。何を警戒しているのでしょうか?仕方なくヤノに電話してみます。こちらへの到着まではまだ30分くらいかかるとのことで、もう一度なぎさを走ります。そこで見つけた顔出しパネル。最近はどんなとこでも顔出しますよ。 ようやく3人と合流。去年欠席したチューは、勝負色のピンクを着ています。去年の分も取り戻すつもりでしょうか?ちょっと怖い気もします。ヤノも元気そうで何よりです。
これから能登金剛巌門まで行って遊覧船に乗る予定ですが、その前に能登一宮である気多大社に立ち寄ります。気多大社までは10分足らずの道のりです。
今日走ってきた道を30分ほど戻って能登金剛巌門到着です。早速目につく「わかめソフト」の幟旗。ソフトクリームは後ですよ〜。まず遊覧船に乗りますよ。48年前には、何処かの港からここまで船でやってきたはずなのですが、それが何処の港だったのか、はっきりしません。船上から見える「幸せのがんもん橋」。幸せの…と謳ったのは、「ゼロの焦点」で定着してしまった自殺の名所という暗いイメージを払拭したいとの願いが込められているとのことであります。
はいお待たせいたしました。「わかめソフト」食べますよ。生臭さはありません。思ったより美味しかったですよ。 ホテルでゆっくりしようと、4時前に「ロイヤルホテル能登」到着です。昨日も一昨日も、一応温泉には入ったのですが、温泉らしい雰囲気にはほど遠く、今日ようやく温泉らしい雰囲気の志賀の郷温泉であります。旅の僧が能登の山奥で動物たちが傷ついた身体を癒していたところから開湯したという、何処にでもありそうな開湯伝説です。現在では志賀町という町名から、「志賀の郷温泉」と呼んでいるらしい。
6時から宴会です。今夜のお姐さんは、金沢からきたという30代後半と40代という二人。我々ももう70に手が届こうという爺イばかりですから、年齢にケチをつける気はサラサラありませんが、それにしてももう少し客あしらいってものがあるだろうよ。今回の私、まったくの素面でありますから、自ずから採点も厳しくなりますよ。話題は乏しいところへもってきて、途中からフナキのナンバーズ必勝法に食いつき過ぎだろう。おまけに身の上話なんか始めるんじゃねえ。少しは商売っ気出せよ。フナキが「これ食べな…」って勧めたからって、刺身を皆食っちゃうんじゃねえよ。オレは食べるしかねえんだから、オレのはやらねえよ。
記念写真を撮ったら二次会です。気にいらねえけど、カラオケに行くにも男ばかりじゃ寂しいから、しょうがない延長ね。去年の中居さんみたいに強烈な個性の女性がいればよかったんだけどね。
それにしても、ステージに上がってただ横でボーッと突っ立ってんじゃねえよ。歌知らなかったら、手拍子打つとか、腕組むとか、何かやりようがありそうなもんじゃねえか。 こうして能登の夜は更けていきましたとさ。 |
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第四日目
5時から朝風呂に行きます。露天風呂で写真を撮ろうとしたところ、三脚が滑ってカメラが湯船にドボン。出発時からトラブル続きの旅行でしたが、最終日にこんなおまけがついていたとは…。カメラは動かなくなりましたが、幸いデータは無事だったので、ホッと胸をなでおろしたのであります。
台風の接近で天気は下り坂。帰り道で雨にならなければいいのですが。
続いて、すぐ近くにある北前船資料館見学。 ここからはフナキの先導で昼食をとりに行きます。何処へ行くのかと思ったら、新湊の海王丸パークへ向かっているようです。海王丸の見学は以前来たときは有料だったと思ったのですが、フナキが無料のはずだというので行ってみました。やっぱ有料じゃん。有料なら外から写真撮るだけですよ。 昼食は「きっときと市場」でとります。「きっときと市場」は直進なのに、フナキは何故か左折。続いて空き地に入ってUターン。お前は何やってんだ。「きっときと市場」の入り口にも顔出しパネルがあって、やっぱり顔出しちゃうなあ。
富山に来ればやっぱ白えびですか。白えび唐揚げ丼を注文します。
この旅行最後のソフトは期待通りの「白えびソフト」がありました。しかしその横に「紅ガニソフト」の幟旗もあって、こちらも捨てがたい。オレは「紅ガニソフト」にするから、フナキは「白えびソフト」にして一口舐めさせて。…というわけで、この旅行中、合計6種類のソフトを味わいました。 ここから金沢に行くと言う哲ちゃんはフナキの車に。チューに、「時間があるなら長野まで乗ってくか?」と訊くと、「どうせなら皆とワイワイやってった方が楽しいじゃん」と、珍しく前向きの発言であります。 |