獅子の会珍道中

第26回獅子の会旅行会顛末記(於 和歌山県・みなべ)

平成29年6月15日(木)発行

発行者:久米昇

序章

今年は私が久しぶりに幹事を務めます。去年の獅子の会の席上で、来年は南紀はどうかという意見があり、南部にはロイヤルホテルもあるということなので、今年は是非南紀でやりたいと考えておりました。実は私、まだ和歌山県には行ったことがありません。私が行ったことがない県は、東北の青森、岩手、秋田と四国の高知、それに和歌山県ということであったのですが、先月四国旅行に出かけて高知県を訪れ、残すは4県になっておりました。獅子の会を機会に、和歌山県にはどうしても足を踏み入れておきたいと思っており、今年の年賀状にも日程と場所を記載して、メンバーをその気にさせるように仕向けてきたのであります。
丹ちゃんと哲ちゃんとはどうせ一緒に回ることになるので、その他のメンバーの意向を確認してみると、フナキ、ヤノ、とっつぁんはホテル合流とのことだったのですが、チューとだけはなかなか連絡が取れません。携帯に電話しても「お掛けになった番号は現在使われておりません」とのメッセージが流れるし、奥さんに言伝を頼んでも連絡はよこさないし…。やっと連絡が取れたので、「お前、携帯の番号変えたのか?」と訊いたら、「ア、そうそう。番号はまた連絡するから」と言ったきり、更にまた一ヶ月が無駄に経過したのであります。去年の席上、「来年は俺も旅行に参加するから…」と言ったのはお前だろう。だから少しくらい遠くても大丈夫かなと思ったのに、もう一年仕事を続けるようななったらなったで連絡ぐらいよこせよ。遠いから欠席ってのはないだろう…と私、心の中だけで悪態をつくのでありました。

…と言うわけで、今年は六人の参加で、前乗り旅行はいつもの三人ということになりました。前乗り旅行の計画を立ててみたところ、和歌山県って遠いなアとつくづく思うわけでありました。初めて訪れるということもあって、あそこもここもと行程に組み入れてみると、宴会の翌日に長野まで戻るのも大変だと言うことで、結局もう一泊して、四泊五日ということになりました。おまけに哲ちゃんから、和歌山へ行くならあそことこことと、八ヶ所も追加されてしまったのであります。日本中行ったことのない所を探す方が大変だと言う哲ちゃんが行きたいと言うのだから、これはもう絶対行かざるを得ないのであります。
こうして最終計画を組み上げて、後は旅行を待つだけとなったのであります。

第一日目

例年のことながら、わずかな高速料金を惜しんで深夜割引が利く4時前に乗り入れるため、3時45分出発です。前日に関東甲信越地方も梅雨入りして、天候がちょっと心配です。出発時はまだ雨は落ちてきていませんでしたが、岡谷JCTから中央道西宮泉に入り駒ヶ岳SAでトイレ休憩をする頃から強い雨が降ってきました。その後雨と霧で最悪の道路状況になって、慎重の上にも慎重に車を走らせます。この雨は、絶対のハゲ男、否違った、晴れ男を自認する丹ちゃんの能力をもってして何とかなるのでありましょうか?
7時15分名古屋駅に到着したのですが、名古屋は地理不案内で、新幹線乗り場とは反対側の桜通口の駐車場に入れてしまいました。新幹線南口改札口の外にいるよと哲ちゃんにメールを打っておきましたが、新幹線が到着してもなかなか姿を現しません。またトイレにでも寄っているのかと思ったら、「南口が分かんなくてよ、やっと改札口に出たと思ったら北口でよ…」 でも、北口と南口は改札の外で向かい合っていて、北口からでも出てくればすぐに南口だったんですが…。私以上に地理不案内の二人でありました。

8時半、計画通りの時間に名古屋駅を出発です。名古屋高速の渋滞でかなり時間をロス、東名阪自動車道の亀山ICで降りたときには30分の遅れであります。ここで運転を丹ちゃんに代わってもらいます。いつの間にか雨も上がったどころか、青空も覗いてまいりました。我らがハゲ男の神通力は絶大であります。
奈良県に入り、天理市から桜井市にかけて車を走らせていくと、左手に耳成山や畝傍山が見えてきます。哲ちゃん曰く。「チューは遠いから来ないんじゃなくて、奈良の近くを通るのが嫌だったんだな」 なるほどそういうことだったんだと納得した次第です。それにしても、あいつはいったい奈良への赴任中何をやっていたんだろう。
ようやく和歌山県に入り、昼食のため「道の駅くどやま」に立ち寄ります。最近の道の駅は野菜の直売場みたいになっていて、食事をとる場所が少なくなっているんですが、ここもやっぱりパスタの専門店があるだけ。まア、しょうがないかということでパスタを注文。「オレ、和風たらこパスタでいいや」 「お飲み物は何にします?」 飲み物が付いてくるのかと思ってジンジャーエールを頼んだら、「お会計850円になります」 それはセットメニューだろ、オレは単品でいいんだよ。でも気の小さな私は、しぶしぶ払います。850円。
ふと見ると柿ソフトの幟旗。柿と言えば奈良県だろと思うものの、それは「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」のイメージが強すぎるからそう思うのであって、実際には和歌山県が柿の生産量日本一なのだそうです。柿ソフトはまだ食べたことがありません。この旅行一ヶ目のソフトであります。旅行中いくつご当地ソフトを味わえるでしょうか。

 写真:柿ソフト

道の駅から九度山の真田庵までは5分ほどです。真田庵は関ヶ原の戦い後、真田昌幸・信繁父子が蟄居させられていたところでありますが、もっと山の中というイメージを抱いていたのに、意外と麓にあったんですね。これなら、大阪城入城の際に抜けだすのもそんなに大変じゃなかったような気もします。敷地内に昌幸の墓がありました。

真田庵の近くに幸村庵という蕎麦屋がありました。紛らわしいなア。その幸村庵の先に真田古墳があり、信繁がこの抜け穴を通って大阪に向かったと伝えられているそうですが、ぜ〜ったいに嘘だな。誰かがそういうことにしておこうと言っただけだな。

駐車場を出るときに、高野山とは反対側に車を向けてしまったところ、NAVIの奴め、ずっと先でUターンさせるように指示を出しやがった。まア、そのおかげで予定にはなかった慈尊院というお寺にもお参りすることができました。高野山が女人禁制であったのに対し、女性もこの慈尊院までは上れるということで、女人高野と云われているお寺なのです。境内には安産、授乳、子育ての無事を祈願する乳房を模った絵馬がたくさん奉納されておりました。おっぱい星人チューがいなくてよかったと、ホッといたしました。

 
写真左:慈尊院山門 写真右:おっぱいの絵馬

近くを紀ノ川が流れていて、紀ノ川の写真も撮っておきたいとは思ったのですが、予定より1時間も遅れていることもあり、また帰りもこの近くを通るだろうと思い写真は後回しにいたしました。これが、この旅行でいくつか心残りができてしまったうちのひとつになったのです。

九度山から1時間ほどで高野山に到着です。まず奥の院から参拝します。一の橋駐車場から奥の院まで、参道の両側には各地の大名家の墓所が建ち並び、苔むした大きな石塔が、歴史の重さを感じさせてくれます。中には雑草が生い茂ったところや、崩れかけたものもある中で、長州毛利家の墓所だけは整然としています。何だい、これも安倍晋三の意向を忖度したものかい?

 
写真左:弘法大師霊廟 写真右:豊臣家墓所

奥の院を参拝を済ませてくると、もう駐車場が閉まる寸前の時間でありました。もう我々の車しか残っていません。窓口のお嬢さんは、早く閉めたいオーラが満載です。丹ちゃんがちょっとおべんちゃらを言ってみましたが、まったく無視されてしまいました。
金剛峰寺をお参りしてから、今夜泊めていただく宿坊・寶城院に向かいます。寶城院は、哲ちゃんの知人のお兄さんが住職を努めている宿坊で、高野山に五十いくつかある宿坊でも、一度も火災に遭っていない三つの宿坊のうちの一つという由緒あるお寺さんであります。車を停めさせてもらってから、すぐ目の前にある壇上伽藍を見学に行きます。もう拝観時間が過ぎてしまっているので、伽藍の雰囲気だけを味わいました。

 
写真左:金剛峰寺 写真右:壇上伽藍

寶城院では離れの二間続きの部屋に通され、何だか特別待遇のようであります。やっぱり山の中で、日が落ちると寒くなります。すぐに風呂で温まってから夕食です。夕食時には住職の方から焼酎の差し入れまでいただいて恐縮の限りであります。

 
写真左:寶城院 写真右:精進料理

夕食後、私は倒れ込むように眠りについてしまいました。考えてみれば、今日は長野から、岐阜県。愛知県、三重県、奈良県、和歌山県と走ってきたのですから…。

第二日目

いつもの通り4時過ぎには起き出します。以前高野山の宿坊に泊まったことがあるという丹ちゃんは、5時からのお勤めで大変だったと言っておりましたが、今日は6時半からというので、丹ちゃんも哲ちゃんも安気に眠っております。私は宿坊体験は初めてのことで、5時からのお勤めでも一向構わないのですが…。6時半までの時間つぶしに朝の散歩に出かけることにいたしました。人気のない壇上伽藍は、それだけで荘厳さが増すような気がいたします。高野山の街並みを歩いて、街の入口にある大門まで行ってみました。

二人はまだ寝ております。起きろ!お勤めの時間だぞ。
お勤めと言っても、住職の後ろに控えてお経を聞いているだけ。途中でお焼香があるだけで何ということもありません。その後法話を伺って、精神統一の呼吸法を伝授されます。チューと顔を合わせる前には、是非この呼吸法を取り入れて精神を落ち着かせることにしましょう。
由緒ある坊ということで、狩野永徳筆の襖絵やら、播州赤穂城の城門を移築した門とか、いろいろと拝見いたします。それでは出発という段になって、知り合いの方からは宿泊費は頂戴しないと言われてしまいましたが、そういうわけにもいかず、仏様へのお供えという形で何とか納めていただきました。

今日はこれから、熊野古道のポイントを車で巡りながら熊野本宮大社まで行く予定ですが、そのポイントをNAVIにどうやって設定したらいいか分かりません。仕方がないので本宮大社を目的地に設定して出発です。
NAVIが案内するルートは、高野龍神スカイラインで龍神温泉から本宮大社に向かうルートです。今日も快晴、丹ちゃんの運転でドライブを楽しみます。龍神観光協会で道を尋ねても、よく理解できません。私の訊き方も悪いのでしょうが、和歌山県自体が地理不案内なものですから、どちらの方面へ行けばいいのかちんぷんかんぷんです。やがて龍神温泉を通過。龍神温泉は、群馬県川中温泉、島根県湯の川温泉とともに、日本三大美人の湯のひとつに数えられる温泉で、今回の旅行でも捨てがたい所ではあったのですが、行程上割愛せざるをえませんでした。私、これ以上美人になる必要もありませんし…。
2時間以上車を走らせて、ふと見ると熊野古道・牛馬童子の看板と駐車場。私が計画した所とは違ったのですが、この駐車場から牛馬童子まで800bということなので歩いてみることにしました。私のイメージした熊野古道の雰囲気とは違って、単なる山道という感じだったのですが、それでも熊野古道を歩いたという実績だけは作れたということであります。

 
写真左:熊野古道・牛馬童子 写真右:熊野古道・箸折峠

正午ちょうどに熊野本宮大社到着。まず昼食をとります。昨日は精進料理だったので、ガッツリと熊野牛で栄養補給です。そして、目の前にはためく黒飴ソフトの幟旗を目ざとく見つけて、旅行中二ヶ目のソフトであります。こういう黒いソフトは、東尋坊で食べたイカスミソフト以来ですなア。

  写真左:熊野牛スキヤキ肉重 写真右:黒飴ソフト

私の計画では、発心門王子から祓所王子を経て本宮大社に至るはずだったので、最後の祓所王子まで行ってみました。ちょうど発心門王子から歩いてきたというグループが集っていたので、どのくらいかかりました?と聞いてみたら、2時間ほどだったということであります。「これから行かれるんですか?」 行きません!

 写真:熊野本宮大社

今度は温泉ですよ。本宮大社から10分ほどで湯の峰温泉です。熊野詣の湯垢離場として世界遺産に登録の温泉地であります。ここのつぼ湯に入っていこうという計画。30分の順番制ということで、若いカップルが入ったばかりだったので少し待つことになりました。我々の後は、浴衣を着た外人の老夫婦であります。待合所に二人の若い外人女性もおりましたが、彼女たちは入浴しないようです。だからどうした…ということでもありませんが…。我々の前に入った若いカップルは中国人らしかったのですが、入ってみると水は出しっ放しでぬるくなってしまっているし、まったく彼らのマナーはどうなっているのか腹立たしくさえ思えます。

   写真:湯の峰温泉つぼ湯

つぼ湯の入浴料で、クスリ湯か一般湯のどちらかにも入浴できるのですが、丹ちゃんも哲ちゃんももういいというので、私だけザブンと一般湯に入ってきました。
熊野速玉大社に向かう途中、道路の左手に熊野川が流れています。ちょっと車を停めてもらって、熊野川の写真を撮ってきました。

 写真:熊野川

速玉大社に参詣しましたが、エッ、あの山上に巨石があるのはここじゃないの?ガイドブックの同じページに記載があったので、私、てっきり速玉大社にあれがあるんだとばっかり思っていました。山上の巨石が御神体となっているのは、神倉神社という古宮で、後に山麓に遷された速玉大社が新宮と呼ばれ、新宮市の名の由来になったのだそうであります。それでは神倉神社にも行ってみましょう。

 
写真左:熊野速玉大社 写真右:神倉神社

…というわけで神倉神社までやってきましたが、御神体の巨石がある権現山の山頂まで、長い石段が続いています。丹ちゃんも哲ちゃんも途中でリタイヤ。私、見栄を張ってもう少し登ってみましたが、先がまったく見えません。もういいや。ガイドブックの写真で見たから。

今日最後の見学地は、哲ちゃんの希望で見学地に加えた新宮城であります。ちなみに、哲ちゃんが今までに訪れた城の数は300を超えるということでありますよ。
ここの駐車場が分かりにくく、同じ道を行ったり来たりしたあげく、地元の人に二度も尋ねながらようやくたどり着いた次第であります。城のあった丹鶴山は現在公園として整備され、石垣だけが残っております。与謝野寛の「丹鶴城址にて」という歌碑がありました。

 写真:新宮(丹鶴)城跡

さあ、いよいよ今日の泊まりの南紀勝浦温泉に向かいますよ。
ところがこれがまた一筋縄ではいかない。自動車専用道路を走っていくと、いつの間にか目的地を通り越してしまっています。新しくできた道路で、NAVIが認識していないみたい。Uターンしたくても、自動車専用道路の悲しさで次のランプまで行かないとUターンもできない。後10歳も年食っていたら、平気で逆走でもするところでしょうが…。
道路の左側に、本日宿泊予定のホテル浦島の駐車場の案内。こんなとこに停めなくても、もっと港の傍に駐車場あるんじゃないの?…と、港まで行ってはみたものの、結局この駐車場まで戻される羽目に。ここに停めて、マイクロバスで港まで送ってくれるっていう寸法なんですね。

船で行くホテルっていうのが売りなんだろうけれど、どう見たって陸続きで、車で行けるんじゃないの?
徹底した人件費削減で、チェックイン時に一気にいろいろと説明されてしまいます。そんなにいっぱいの項目、分かりゃしねえよ。今朝の朝食何食べたかだって覚えていねえのによ。
以前にもここに泊まったことがあるという丹ちゃんの案内で、風呂に行きます。「もう広くって、迷子になっちゃうよ」と言いながら、丹ちゃんここ行き止まりですよ。お前が迷子になってんじゃん。結局丹ちゃんが行きたかった山上館は、現在改修中で行けなかったようです。…というわけで、玄武洞という洞窟風呂に行きます。いろんなパンフレットや何かでよく見かける風呂ですよね。初めてのような気がしません。浴場の入口に「営業用の撮影禁止」のステッカーが貼ってありましたが、趣味の範疇ではいいということなのでしょうか。だから、ちゃんと撮ってきました。

  
写真左:船で行くホテル浦島 写真中、右:玄武洞

現在入浴可能な風呂は館内に四つ。スタンプラリーの用紙があって、三つ以上スタンプを集めると粗品がもらえるということらしい。玄武洞で一つスタンプを押して、部屋に帰る途中にもう一ヶ所浴場の前を通りかかると、浴場の入口にスタンプが置いてあります。これじゃ入浴しなくたってスタンプ捺せるじゃん…と哲ちゃんに話したら、「オレはもう捺してきたよ」 哲ちゃん、きたねエ。

夕食はバイキングです。今日は400人からの宿泊客で、マグロの解体ショーも本日二本目ということだそうです。チェックインの時間が遅かったため、7時半からの夕食ではあったのですが、9時までしっかり食べてまいりました。私はもう寝る時間なんですが、寝る前に日昇館にある二ヶ所の風呂にも入ってきました。忘帰洞という洞窟風呂は波打ち際に近く、押し寄せる潮騒を聞きながら、しばらく瞑想に耽っておりました。

第三日目

今日も4時過ぎに目を覚ましますが、目の前は海、ちょっと散歩というわけにはいきません。忘帰洞は4時半から入浴可能というので早速入浴に行きます。もう大勢の人が、白々としてくる東の空を眺めながら入浴しております。4時40分過ぎ、水平線に日が昇ります。絶好のロケーションであります。営業用の撮影禁止って、こういうことね。私、趣味ですから平気で撮ってきます。

 写真:忘帰洞から朝日を眺める

部屋に戻ってみると、二人はまだ惰眠を貪っております。私はもう清新な空気を胸いっぱい吸い込んできているというのに、こいつらはいったい何をしているのでありましょうか。昨日の朝のお勤めも、伝授された呼吸法も、こいつらにはまったく生かされておりません。起きろ〜。
ようやく哲ちゃんが風呂に行ったので、私も最後の四つ目の風呂に入り、これでスタンプ四つゲットであります。
チェックアウトの際、四つのスタンプを捺した私の完璧な用紙と、ちょっとズルした哲ちゃんの用紙を提出したら、入浴剤をくれました。何だよ、本当に粗品だなア。おまけに、まったくヤル気のなかった丹ちゃんの分まで、ちゃんと三つもくれましたよ。

今日は熊野那智大社を参詣してから、潮岬を巡って紀州南部ロイヤルホテルで皆と合流します。
那智大社に向かって車を走らせると、丹ちゃん、また昨日間違えた道走ってるよ。もう自動車専用道路は鬼門だから、一般道を走りましょう。那智大社の手前で、熊野古道大門坂の駐車場を発見し車を停めます。大門坂は、最も熊野古道の雰囲気を醸し出すところで、よくポスターにも使われる所であります。熊野古道に関しては、昨日がちょっと消化不良気味であったので、思いがけず発見した大門坂に三人とも大喜びであります。今日は日差しが強いから、ちゃんと帽子被っていきましょうね。炎天下、帽子も被らずにテニスをしていて、日焼けで頭の皮がむけて地球儀状態になったという丹ちゃんの話に大笑いしたばかりですからね。
大門坂茶屋では2,000円で平安衣装がレンタルできるようです。こういうの、チャイニーズが喜ぶんだろうね。

 写真:熊野古道・大門坂

大門坂から30分足らずで那智大社まで歩けるらしいのですが、我々は当然車に戻ります。車なら10分足らずで那智大社ですから…。
那智大社の前に、那智の滝と熊野古道の大きなパネルがありました。ここで写真撮れば、もう十分でしたね。

 写真:那智の滝

三重塔越しの那智の滝を撮れば、ここはもうこれで十分です。これで一応日本三大瀑布(華厳の滝、那智の滝、袋田の滝)制覇です。三大○○ってのには多々疑問もありますがね。
茶店で発見、梅ソフト。今年のソフトは、黒かったり赤かったり、誠にカラフルであります。
参拝を終えて下っていくと、出ました平安美女の二人連れ。チャイニーズかと思ったら日本語話しています。こういうの喜ぶのはチャイニーズだけではないですね。「綺麗だね」って声をかけたら、嬉しそうに笑っておりました。こういう爺イの甘い言葉には気をつけてくださいよ。

 
写真左:梅ソフト
 写真右:平安美女

潮岬に向かって、太地町を通過。くじらソフト食べていこうぜ。そんなのがあるのか?あるかどうか分かんないけど、イメージ湧かねえな。
他の三人はどんな具合かと、フナキとヤノにメールを入れてみます。フナキは敦賀辺りを走行中とか。ヤノも体調は大丈夫とのことで、予定通りに行動できているようです。とっつぁんは、どうせメールの開き方も分からないでしょうから…。
1時間ほどで本州最南端の潮岬到着です。ちょうどお昼時で、レストランでお昼にします。哲ちゃん、カツカレーあるよ。しかも、キハダマグロのカツカレーだそうです。やっぱりそれ食べるのね。

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写真左:キハダマグロのカツカレー 写真右:キハダマグロ丼

幟旗にやっぱりありました、蜜柑ソフト。でも、今食事したばっかりでお腹いっぱいです。明日は蜜柑で有名な有田も通るし、明日の楽しみにとっておきましょう。この判断が大きな間違いであったことを、このときまだ知る由もなかったのです。
「潮岬灯台の駐車場は有料だから、ここに車を置いて歩く人が多いですよ」というレストランのおばちゃんのアドバイスで、灯台まで腹ごなしのウォーキングです。

 写真:潮岬灯台

さて今度は白浜温泉に向かいます。白浜温泉では「崎の湯」という外湯に入る予定をしています。この「崎の湯」は、斉明天皇が湯治に訪れたこともあることから、日本最古の温泉と云われております。孝徳天皇の遺児・有馬皇子が、蘇我赤兄に謀られて謀反を企てたということで、当時牟婁の湯と呼ばれていた白浜温泉に湯治に来ていた斉明天皇と中大兄皇子の尋問を受けるべく、ここに送られる途中に詠んだ「岩代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」という歌が万葉集の巻の二に載っております。こういう故事から、最古の湯とされているのであります。中途半端な知識を振りかざし、うんちくを語りたいのよネー。
「崎の湯」の入口でおばちゃんが、「中は写真撮影禁止ですから」 「外はいいの?」 「外は大丈夫ですよ」
太平洋に向かった露天の岩風呂。写真撮りてえなア。でも我慢します。
暖簾を掻き上げて出てくる丹ちゃんを撮影していたら、あのおばちゃん、「写真だめですよ」 「外はいいって言ったじゃん」

 写真:白浜温泉・崎の湯

これで今日の予定は終了です。これから宿泊先の紀州南部ロイヤルホテルに向かいます。途中、ちょっと南光梅のお土産を買いたいので、ガイドブックに載っていた「中田食品」に立ち寄ります。塩分の量によって何種類もあるので、どれがいいのかよく分かりません。結局お店の人のお薦めを購入することにいたしました。
この時間ではあいつらの方が先にホテルに着いてしまうだろうと思われたので、フナキに、待っててくれとメールいたしました。

5時ちょうどにホテル到着です。あいつらはもう部屋でくつろいでおりました。
新大阪から同じ「くろしお15号」に乗ってきた三人、流石に長旅でお疲れの様子であります。来年からは、皆で集まるのはできるだけ近間にして、旅行は別に計画した方がいいだろうということになりました。

風呂に入った後、いよいよ宴会です。今年のお姐さんは、トモコさんとミユキさん。それ以上に強烈だったのが中居さん。これだけインパクトのある中居さんは、山中温泉「花つばき」のよし子さん以来でしょうか。否、それ以上だったかもしれません。配膳のため膝を折るたびにバキバキッてすごい音立てるもんで、皆びっくりですよ。年齢は41というけれど、30代前半でも通るんじゃないですか。「頭悪いから若く見えるんですよ。私、頭とコンドロイチンが足りないの」 と、言うこともなかなか洒落ています。「飲んじゃいけないの?」って訊けば、「いただきますよ」 とすごい飲みっぷりであります。「ブルゾンちえみ」風の髪型で、その名も「ブルゾンなほ」。今年は伊藤屋チュー兵衛もいないし、お代官様ごっこなんてやってる場合じゃネエぞ。

 写真:恒例の記念写真

今年のお姐さん方、延長もなしで帰ってしまいました。これに関しましてはちょっと言い訳しておきます。お姐さんが指二本立ててきたもんですから、こっちは端から2時間延長のつもりをしているもんで、「OKだよ」って言ったら、伝票にサインしろって言うもんでサインしたら、挨拶して帰ってっちゃったんです。あれ、2時間経ちましたけど…?って言って、OKって言われたもんで、これでOKなんだと思ったんですね。どうもスイマセン。でもこの中居さんいればいいよね。

カラオケボックスが空いたっていうもんで、カラオケボックスで二次会です。私もう飲めないもんですから、ウーロン茶をお願いしたら、うーろんちゃ!って、ウーロン茶頼んでこんなにびっくりされたの初めてですよ。
今年はチューがいないので、みだれ髪は私が歌います。「クメもやればできるじゃねえか」と、とっつぁん。これは褒め言葉なんでしょうか?それとも今までの歌に対するダメ出しなんでしょうか?それにしても、他人がいれたデュエット曲まで横取りして、今年はとっつぁん絶好調じゃないですか。
高校三年生歌えば終わりなんだよ。おメエ、まだ一人で何歌ってんだよ。

もう11時を回っています。早く寝ないと起きる時間になっちゃいます。

第四日目

昨夜遅くまで騒いではいたものの、今朝もゆっくり寝てはおられません。出発までの時間を利用して、有馬皇子の万葉歌碑を見に行かなくてはならないのですから。万葉歌碑があるというお寺にNAVIを設定したのですが、このNAVIまた間違えました。細い道をバックで逆戻りしたりしながら、何とか結松の碑と万葉歌碑を探し当てました。

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写真左:岩代の結松
 写真右:万葉歌碑

有馬皇子が牟婁の湯に連行されていく途中、この岩代の松の枝を引き結んで、自らの無事を祈ったと云うのがこの結松であります。

有馬皇子自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首

岩代の浜松が枝を引き結び真幸きくあらばまた還り見む
家にあらば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

有馬皇子は藤白坂において自ら縊れて19歳の生涯を閉じるのであります。

ホテルに戻って、6時から風呂に行きます。
とっつぁんたちの部屋を起こしに行くと、意外に素直に起きてまいりました。とっつぁんとフナキは、ホテルでゆっくりしてからホテルの車で駅までおくってもらうようになっているとのこと。ヤノは、午前中我々と同行し、和歌山駅で降りると言う。うるさいけどまアしょうがないか。
来年はもう少し近くでやってほしいとの意見が多く、来年は長野県の昼神温泉で開催ということになりました。今年の罪滅ぼしに、私、もう一年幹事をやらせていただきます。

今日もスケジュールがたてこんでいるので、そんなにゆっくりしておられません。じゃ、とっつぁんもフナキも気をつけて帰ってね。遠くまできてくれてありがとう。また来年。
8時40分出発です。丹ちゃん、昨日の酒がまだ残っているというので、今日は私がハンドルを握ります。
今日はまず、安珍清姫でお馴染みの道成寺へ行きます。大宝元年創建という、和歌山県下に現存する寺では最古のお寺であります。安珍清姫と言えば釣鐘というのがお決まり。…だと思ったら、このお寺には鐘楼が無いんですね。知ってました?道成寺の鐘の音は、耳ではなくて心で聞くのだそうです。こいつらには聞こえねえだろうな。

  写真:道成寺 

次は湯浅です。鎌倉時代に伝わった「金山寺味噌」の製造過程から醤油の醸造が始まり、江戸時代には92軒もの醤油蔵が軒を連ねていたという醤油の街湯浅であります。それにしては醤油ソフトが見当たらねえなア。

  写真:湯浅の街並み

湯浅から有田を通って、海南市の長保寺に向かいます。長保寺なんて聞いたこともなかったのですが、紀州徳川家の菩提寺なんですね。流石は哲ちゃん、いろんな所知ってますなア。
有田って、「ありた」だと思っておりましたが「ありだ」なんですね。それにしたって、蜜柑の産地だというのに、通る道すがらには蜜柑のミの字も見当たりません。道の駅には蜜柑ソフトはあるだろうと思うのですが、その肝心の道の駅もありません。ほ〜ら、もう海南市に入っちゃったぞ。
長保寺の駐車場には、演習でもあるのでしょうか、大勢の消防団員が集まっています。丹ちゃん、和歌山県に入ってからずっと気になっていた道路の路側帯の白線の外側に短く引かれたブルーのライン、あれは何ですかって訊いてみたけれど、何のことを言われているのかさえ分からない様子です。和歌山県民にはごく当たり前の風景なんでしょうか。
…というわけで、仕方がないので私が調べました。あれはb−ライン(ブルーライン)と言って、和歌山県内の海と山、川を結ぶサイクリングロードを示しているのだそうです。県が進めている事業で、自転車の走行順路を示すほか、自動車のドライバーに自転車への注意を促す狙いもあるということです。だけど、誰も知らないんじゃ意味ないですね。行政なんて、こんなものなんでしょうか。

 写真:長保寺

長保寺から、ヤノを送って和歌山駅に向かいますが、まだ時間がちょっと早いので、先に昼食をとって、紀三井寺も参拝してしまいます。拝観料を払おうとすると、「70歳以上の方はいらっしゃいますか?70歳以上の方は半額になります」 「オレは来年70なんだけどね」 「いらっしゃらないってことですね」 そんな紋切型の言い方しなくたっていいじゃないですか。惜しかったですね…とか、おまけしときます…とか、他に言いようもあるじゃないですか。
この旅行中、随分石段も上ったけれど、ここの石段は一段一段が高さがあって大変です。心臓に持病があるヤノは、無理をせずに途中でリタイヤしました。

  写真:紀三井寺

随分余裕があると思っていましたが、和歌山駅に着いたときは、乗車予定の特急の発車時刻まで10分しかありません。間に合うかどうか、まア、降ろしてしまえば後のことは自分でやってもらうしかありません。気をつけて帰れよ!

紀州東照宮に向かう途中、「和歌の浦」という看板が目につきます。「和歌の浦」と言えば、風光明媚な景勝地で、万葉集にも歌われている所であります。時間があれば立ち寄りたいところでもあるのですが、今回は計画にも入れてないので割愛です。
紀州東照宮から、最後の見学地根来寺に向かいます。根来って言うと、根来衆とか、根来忍者とかっていうイメージが強いのですが、静かなたたずまいのお寺であります。豊臣秀吉の紀州攻めによって、大塔と大師堂を残して焼失してしまいましたが、紀州徳川家の庇護によって江戸時代に復興を遂げた寺であります。

  
写真左:紀州東照宮 写真右:根来寺

これで和歌山県の見学予定地はすべて完了であります。私、和歌山県は初めての来訪でありましたが、もういっぱしの和歌山通であります。
最後の望みをかけて売店を覗いてみましたが、蜜柑ソフトはありません。こうなったら、奈良県に入って葛ソフトを狙うしかありません。今日の泊まりは奈良県桜井市の長谷寺温泉です。NAVIの設定を高速優先にしたら、大阪方面に案内してくれます。どうもこの辺の地理が不案内なのでありますが、和歌山から奈良に向かうのに、大阪方面は逆方向に思えて仕方ありません。

5時40分、どうにか長谷寺の参道にある長谷寺温泉・湯元井谷屋に到着です。
四泊五日という旅行も、いよいよ後一日を残すだけとなってしまいました。

第五日目

いよいよこの旅行も最終日を迎えました。しかし、最終日だからと言って、この二人のように呑気に寝ているわけにはいかないのであります。今朝は、宿から車で20分ばかりのところにある宇陀へ行ってきます。宇陀の阿騎野は、軽皇子(後の文武天皇)が父であった草壁皇子の追悼のための狩に出かけた所で、そのときにお伴をしていた柿本人麻呂が、そのときの様子を一遍の長歌と四首の反歌に残しております。その第三反歌が、有名な ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば月かたぶきぬ の一首であります。当時の阿騎野は、現在「かぎろひの丘公園」になっており、ここに万葉歌碑があります。宇陀市中央公民館のホールには、当時の様子を描いた中山正巳画伯の「阿騎野の朝」という絵画が飾られていて、是非これを見てきたいと思っていたのですが、この日はホールが使用されていて鑑賞不可ということでありました。それならば、朝早くても構わないので、早起きしてこの万葉歌碑だけでもみてこようという次第なのであります。
宿の方に、朝早く出かけると伝えてあったので、三人の靴が玄関に並べられておりました。このまま支払いもしないで帰ってこなかったらどうするつもりなのでありましょうか。
宇陀に向かって走っていくと、前方の空が赤く染まってきて、西方にはまだ残月が白く光っています。こんな光景が見られるなら、もうちょっと早く出てくれば良かったなと思いながらも、あの反歌の情景を少しでも体感できたことに、ちょっと感動いたしました。もう朝日が昇る寸前で、かぎろひというのとはちょっと感じが違うともおもったのですが、阿紀神社の前から東の空に向けてシャッターを切りました。

  
写真左:阿紀神社から見た「かぎろひ」
 写真中:かぎろひの丘公園の万葉歌碑 写真右:柿本人麻呂像

宿に帰る途中の信号に「吉隠(よなばり)」の表記があったりして、嗚呼、この辺は万葉の故郷でもあるのだなアと感じました。確か、雄略天皇の泊瀬朝倉宮もこの辺りだったのではないでしょうか。この辺りはまたゆっくりと歩いてみたいものです。
朝食には茶粥も付いてまいりました。「何だよこれは!」と丹ちゃん。名物に美味いものなし…と言って、美味いとか不味いとかいう話じゃなくて、奈良へ来たら茶粥なの。

8時半の開門を待って長谷寺にお参りします。長谷寺も、これから行く室生寺も、まだ20代のころに訪れたことがあるのですが、寺の境内は写真が残っているので記憶にもあるのですが、参道の様子や、どうやってここまで来たのかは覚えておりません。昔と言ってもせいぜい40年ほど前の話で、寺の伽藍等が変わっているはずはありません。
月曜日の早朝ということもあって、観光客はまだまばらです。人気がないということだけでも荘厳さが増すというものです。本殿前の舞台には、寺僧が布団干しに精を出しておりました。

  写真:長谷寺

長谷寺から30分ほどで室生寺です。何年か前に台風の被害に遭った五重塔もすっかり修復されていて、被害の跡などはまったく感じませんでした。

   写真:室生寺

奈良は本当に奈良ナンバーばっかりだなア…と丹ちゃん。確かに周囲を走っている車は奈良ナンバーばっかりです。長野だって県外車は多いのに、何で奈良ナンバーばっかりなんだろう。「この間のお姐さんたちだって、奈良へはあまり遊びに行かないって言ってたし、閉鎖的な県民性で、周囲と交渉を持たないんだな。だから、あんな茶粥なんてものが生まれるんだ」 おいおい、こんなとこで茶粥を持ち出すことはないだろう。

奈良県から三重県に入ります。結局葛ソフトも見つかりませんでした。もうご当地ソフトにはありつけないかもしれません。伊賀なんだから忍者ソフトってのはないのかい?と、半ば自棄気味で伊賀PAに入ります。ところが冗談から出た真。忍者ソフトの幟旗があるじゃありませんか。それなら太地町でもクジラソフトを探してみればよかったか。とにかく昼飯を食べてからということで、折角三重県に入ったのですから松坂牛を食べましょう。何が忍者ソフトだって?ソフトクリームのコーンの中に、つぶあんが隠れているんだってさ、ただそれだけのこと。でも我々は大満足であります。

  
写真左:松坂牛焼肉重 写真中、右:忍者ソフト

この旅行最後の見学地は、東海道の宿場町・関宿であります。どうせなら、ここにも孫六ソフトかなんかないかね?
かなり広い範囲にわたって昔の宿場の雰囲気が保存されています。中山道の妻籠や馬籠と違って、両側に土産物屋が建ち並んでいないのがいいのか、悪いのか。ただ、こうした街の中を、地元の車がひっきりなしに走ったり、道端に駐車してあるのは、観光客から見れば興ざめであることは確かであります。

  写真:東海道・関宿

まだ時間早かったので、一度は計画から割愛した養老の滝へでも行くかとの案もあったのですが、この五日間でかなり膝を酷使していたので、予定よりずいぶん早いですが名古屋に向かうことにします。この旅行で登った石段の数はどれくらいになるのでしょうか?まず千の位になっていることは間違いないでしょう。よく歩いたものですなア。

名古屋駅で二人と分かれて、名古屋高速から中央道に入ります。
6時過ぎ、明るいうちに無事帰宅することができました。哲ちゃんに、無事着いたとのメールを入れたところ、あれから名古屋城を観光して、今味噌カツで夕食との返事が返ってまいりました。この人、何か家に帰りたくない事情があるのでしょうか?