第一部(伊豆半島一周の旅)
4月になっても、なかなかチューから獅子の会の連絡がありません。
西伊豆で開催ということは決まってはいるものの、日程がはっきりしなければこちらの計画も立てられません。たまりかねて哲ちゃんにメールしてみると、例年どおりの6月の第2週なら、1年も前から空けてあるとのこと。それにしても、チューは何をやっているんだ…とは思っても、なかなか怖くて文句も言えません。
…と思っていると、チューから葉書が届きました。開催日はいつがいいか連絡を寄越せと書いてあります。皆の都合を葉書でやり取りしながら確認するくらいなら、電話の方が早いだろう…とは思いましたが、ようやく届いた連絡に、ホッとしたのであります。
翌日早速チューに電話。私も哲ちゃんも、6月の第2週ならOKなので、是非そこでお願いしますと申し入れました。
ようやく日程が決まったので、こちらも計画立案に着手できることになりました。
私の目的は、何と言っても(誰も何とも言わないでしょうが…)学生時代にヤノと歩いた長九郎山から天城峠への道と、大沢温泉のあの露天風呂であります。天城峠まで歩くのは無理としても、当時ピークを踏んでこなかった長九郎山までは登ってきたいし、あの「大沢荘山の家」の露天風呂にも入ってきたいと思っているのであります。「大沢荘山の家」の露天風呂は、一時期混浴であったらしいのですが、私が入浴したときにはそんなことはなかったような気がしていますし、また現在でも別浴ということで、その辺の状況も確認してきたいと思っているのです。
長九郎山登山には、昔私が登ったコースで登るとすれば最低でも5時間くらいは要するらしいので、獅子の会前日に出発して長九郎山に登るにはちょっと大変かなということで、2日前に出発してその日は伊豆を旅行して、翌日長九郎山登山に登って大沢温泉に泊まろうということにしました。最近では、仕事なんか二の次三の次に考えている私、2日間も会社をさぼることに決めました。もう既にリタイヤしたという哲ちゃんの賛同を得て、結局合計3泊4日という豪勢な計画を練ることになりました。
2日目に長九郎山に登るとすれば、初日はできるだけ登山口に近い温泉場、2日目は下山後に大沢温泉で宿泊し、3日目に待ち合わせ場所の三島駅に向かえばいいということで、初日は湯ヶ島温泉の「木太刀荘」という宿に予約しました。この「木太刀荘」は、昭和62年に家族で伊豆を旅行したときに宿泊した宿で、当時は国民宿舎だったように記憶しているのですが、お値段も格安なのであります。
2日目の大沢温泉には、ホテル、旅館の類は「大沢温泉ホテル・依田之庄」しかありませんが、お値段もなかなかのものであります。学生時代に泊まった民宿の名前なんて当然覚えてもいないのですが、当時宿泊した場所の近くの「こんや」という民宿に電話してみました。留守番のお婆ちゃんのような老女の声で、「まだ先の話ですから、6月になったらまたお電話ください」だって。それじゃ予約にならないじゃん。まア、お客なんて滅多にないんだろうね。
…ということで、万全な計画を練り上げ、哲ちゃんにも連絡いたしました。哲ちゃん曰く。「流石クメ先生ですなア。それにつけてもチューの計画が心配です。」
その後、丹ちゃんにのこの計画を話したところ、俺も行きたいが、心臓の動悸が激しくて登山は無理だとのこと。それじゃ登山は止めるから一緒に行きましょう。長九郎山くらいなら、まだ年をとってからでもいくらでも登るチャンスはありますから、長九郎山登山も大沢温泉も、今回は見送りです。
2日間かけて伊豆半島を一周する計画に変更ということになると、初日に湯ヶ島温泉泊まりでは具合が良くないのですが、翌日は既に予約で一杯になっており、何とかこの制約の中で計画を練り直しました。
まず、伊豆までのルートから見直し、上信越道〜関越道〜東京外環、首都高を乗り継いで東名高速へ。その後小田原から熱海に向かい熱海駅で待ち合わせということにしました。
1日目は、熱海から伊豆スカイラインをドライブし、東伊豆の城ヶ崎海岸へ。東伊豆から湯ヶ野温泉を経て湯ヶ島へ。
2日目は、湯ヶ島から西伊豆に出て、西伊豆の海岸線を走り南伊豆へ。下田に入って「下田海浜ホテル」泊。
3日目は、下田から再び中伊豆に入り、河津七滝を経て、待ち合わせ場所である三島方面に向かう。…と、こうしてみると、三島駅まで行く時間がもったいないので、チューたちには、三島駅で待ち合わせた後、修善寺まできてもらおう。そうだそうだ、と思ったのですが、チューが決めた三島駅待ち合わせの計画を変更してもらわなければなりません。これが一番の難題なのであります。こうなれば、チューを拝み倒してでも、脅し上げても、騙くらかしてでも、何とかチューを説得しなければ…というわけで、決死の覚悟でチューに手紙を書いたのであります。
数日後、チューから電話が入りまして、修善寺の件は了承とのこと。今年は3年ぶりでフナキも参加とのことで、とっつぁんも加えて6名での開催ということであります。
完璧で緻密な計画も練り上がり、後は開催日を待つだけになったのでありますが、エッ!開催日までまだ3週間もあるの?
開催日は近づいてくるのですが、それとともに計画した内容も忘れがちになっていきます。
もう一度計画を見直してみると、どうも熱海駅までのルートに疑問が残ります。上信越道経由でも中央道経由でも、時間的にはそう変わらないとは思うのですが、出発して2時間半で考えてみれば、上信越道なら東京外環に入っている時間であるのに比べ、中央道経由ならまだ大月JCT辺りということで、何となく上信越道から関越に入る方が早いように思えるのです。ところが、どのルート検索を見ても、中央道経由のルートを案内してきます。
どちらを走ったらいいものか判断がつかぬまま、覚悟を決めて、少し時間の余裕をみながら、高速料金の安い中央道を行くことにしました。
いつも4時起きの私、いつもより1時間も早い3時に起きだして、どうせなら深夜割引50%になるように4時前には高速に乗ってしまおうと、計画より1時間早く3時半に自宅を出発しました。
双葉SAでトイレ休憩し、大月JCTから河口湖ICを経て須走ICを降りたのが6時18分。ここまでは順調すぎるくらいの行程です。高速を降りてからの渋滞が心配だったのですが、人口の少ない御殿場辺りの渋滞なんかたかが知れているわなア…と、とっつぁんが聞いたら怒り出すようなことをつい思ってしまいます。
仙石原から箱根町を経て、芦ノ湖スカイラインに入ります。途中、三国峠からは、曇り空ながら富士山が眺められました。これが、フナキの言う『正しい富士山』かもしれません。
写真:三国峠
7時半前に箱根峠到着。ここから哲ちゃんにメール送信。これから出かけるとの返信あり。
熱海峠から熱海市街に入り、8時8分、熱海駅到着です。哲ちゃんと丹ちゃんの到着時間まではまだ1時間もあります。熱海駅前が工事中で、車を停めるスペースが少ないため、有料駐車場に入れます。熱海駅は、第1回獅子の会を開催したときの集合場所でありました。車で仙台から駆けつけてきた哲ちゃんを除いて、ひとりヤノだけが、待ち合わせ場所だった新幹線ホームではなく改札口で待っていて、皆のひんしゅくを買ったのでありますが、なかなか参加できなくなってしまったヤノの健康状態を思うと、多少の迷惑は我慢するから、何とか出てきてくれよと願う気持ちになります。
最近ベタなものが大好きになった私、待ち合わせ時刻までの時間を利用して、『お宮の松』を見物に行くことにしました。やっぱり熱海とくれば貫一お宮だよなア。駅前商店街を歩きながら、第1回獅子の会で、集合後に飲んだのは何処だったろうかと思ってみるものの、覚えているはずもありません。長い石段を下りて、ようやく海岸通りにある『お宮の松』に到着です。
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写真左:熱海駅前商店街 写真中:貫一お宮の像 写真右:家康の足湯
駐車時間が1時間を超えないうちに出庫。3泊4日の豪勢な旅行を計画をしている割に、変なところでケチっている自分が可笑しい。
駅前の駐車スペースに車を移動し、駅前にある足湯につかる。私はまだ熱海温泉で入浴したことがないので、朝湯を営業しているところがあれば入浴したいところではあったですが、残念ながら足湯で我慢することにしました。この足湯は、徳川家康が熱海に来湯して400年の記念事業として平成16年に作られたもので、間欠泉のようにときどきお湯が噴き出しています。足湯とは言うものの、泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩泉というれっきとした温泉であります。
丹ちゃんと哲ちゃんが乗ったこだま639号は、定刻に熱海駅到着。久しぶりのご対面です。
平日のこの時間帯の新幹線はビジネスマンが多く、マナーもスマートだと感心する丹ちゃん。他人のことまで仕切りたがったり、飴をくれたりする変な親父はいなかったらしい。
はい、それではいよいよ楽しい旅行の始まりですよ。
まず向かったのは、熱海の三大別荘のひとつ『起雲閣』です。誰やらいう海運王が建てた別荘で、その後持ち主が変わったり、一時期は旅館も営んだそうだが、現在は熱海市の指定有形文化財として一般公開しているとのことであります。どっかの成金が、金に飽かして建ててはみたものの、結局維持できなくなっちゃうんだろうな。これだけの庭の手入れだけでも大変ですよ。
写真:起雲閣
起雲閣の見学を終えて、さっき下ってきた熱海峠まで戻り、伊豆スカイラインを走ります。
玄岳の展望台から見る富士山が素晴らしいと聞いていたのですが、残念ながら雲に隠れて見えません。まア、後3日もあるのだから、何処かで姿を見せてくれることでしょう。
冷川ICでスカイラインを降り、城ヶ崎海岸に向かいます。
♪ゆ〜かねばならぬ男がひとり ゆかせたくない女がひとり…♪ですよ。
門脇灯台のすぐ近くの駐車場に停める予定だったのですが、少し手前の駐車場に停めてしまいました。それでも、美しいリアス式海岸を眺めながら歩くこと約20分、門脇灯台に到着です。すぐ近くに門脇吊り橋があります。船越栄一郎が犯人を追いつめるところですね。
写真:城ヶ崎海岸
ちなみに、この城ヶ崎海岸は、約4000年前に大室山が噴火したとき、溶岩が海に流れ出してできた溶岩岩石海岸ということであります。丹ちゃん、富士山じゃなくて、大室山だってさ。
車に戻って、伊豆半島の東海岸を走ります。昼飯も食わにゃいかんのですが、探すときに限って、なかなかこれはという店が見当たりません。
やがて北川温泉を通過。できれば北川温泉の黒根岩風呂に入っていきたかったのですが、残念ながらこの時間帯は営業していないらしいので諦めざるをえません。哲ちゃんもまだこの混浴露天風呂には入ったことがないそうです。
熱川温泉、第1回獅子の会が開催された稲取温泉を通過し、ようやく道路左側に食堂を発見。
ここの『アジ丼』が凄かった。1,700円というお値段で、アジのたたきが山盛りです。小皿にアジを取り分けないと、ご飯が出てきません。哲ちゃんと私は完食いたしましたが、あまりカロリーを取りすぎてはいけないという丹ちゃんは、完食には至りませんでした。房総の海鮮丼もでかかったが、こちらのアジ丼も勝るとも劣らないでかさでした。
写真:アジ丼
ここで丹ちゃんに運転を代わってもらいます。
車は河津町から天城の山中に入っていきます。見覚えのある景色だと思ったら、去年河津桜を見に来たときに歩いた辺りですね。
湯ヶ野温泉に立ち寄ります。湯ヶ野温泉の『福田屋』は、川端康成氏が『伊豆の踊子』を執筆した宿として知られていて、今回の旅行では、北川温泉の黒根岩風呂での入浴の代わりにこの『福田屋』の榧風呂に入る計画を立てていました。
『福田屋』の駐車場に車を停め、石段を下りていくと、橋を渡ったところにパンフレット等で見慣れたたたずまいの『福田屋』がありました。いやが上にも期待は高まりますが、玄関開きません。玄関脇には配達された新聞が置きっ放しになっているし、人の気配も感じられません。まア、平日にこんな寂れた温泉地に立ち寄る人は少ないんだろうなア。
北川温泉、湯ヶ野温泉と、2連敗のスタートとなってしまいました。仕方がないので、足湯にだけつかって我慢することにしました。
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写真左:福田屋 写真中:踊り子の足湯 写真右:伊豆の踊子像
ところで、踊り子の名前は何て言ったっけ?丹ちゃんの疑問に答えようとは思ったのですが、あれ?踊り子に名前なんて出てきたっけ?『私』と『踊り子』じゃなかったっけ?
…ということで調べてみましたら、踊り子には『薫』という名前があったらしいのですが、学生である『私』は、その名前を知りながら、いつも踊り子と呼んでいたようです。
車はループ橋を通って、いよいよ天城山中に入っていきます。
天城トンネルの手前で右折し、本来の天城越えの道に入ります。『天城越え』の歌詞にも出てくる寒天橋を通り、やがて河津町と湯ヶ島を結ぶ天城山隧道(旧天城トンネル)に出ます。昔ヤノと来たときはこのトンネルをくぐることはなかったのですが、今回は車とは言え、トンネルをくぐって湯ヶ島方面に出ます。
湯ヶ島側の入口には、トイレや東屋が整備されていて、トンネルの脇に『二本杉峠(旧天城峠)』への登山道がありました。ヤノと二人でここに下ってきたときには何もなかったように記憶していますが、現在では結構観光客も訪れるようで、車も数台停まっていました。今回は、どうしてもここで写真を撮っていきたいという希望があり、昔の写真を見ながら、丹ちゃんに何枚も写真を撮ってもらいました。
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写真左:昭和46年10月21日撮影 写真中:右:今回撮影
ヤノと二人でここに下ってきたときは、秋の日はつるべ落としの例えのとおり、もう薄暗くなりかけていて、踊り子の姿どころか他には誰もいなかったのですが、ヤノと下ってきた登山道を二人連れのお嬢さんが下ってきました。水生地に車を置いて、八丁池まで行ってきたとのことでした。シャッターを押してもらうようにお願いすると、私たちもお願いしますということで、いいですよ…とは言ったものの、取り出されたスマホに、3人とも尻込みしてしまいます。スマホで写真なんか撮ったことないんだから…。
『福田屋』での入浴が叶わなかったので、時間的にはかなり余裕ができてきました。道の駅に寄ってわさびソフトを食べます。長野でも、わさびソフトは穂高の大王わさび農園等、有名なところはありますが、ここのわさびソフトは、バニラクリームの上に、わさびを直にトッピングしてくれます。これを好みに応じてクリームと一緒に食べるわけですが、なかなかイケますよ。
時間がありすぎるので、淨蓮の滝にも寄ってみます。ここにもみかんソフトってのがありますが…。さっきわさびソフトを食べたばかりですので、みかんソフトは明日以降に持ち越しです。
哲ちゃん、淨蓮の滝ですよ。どうせ何処かで『天城越え』唄うでしょ。
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写真左:浄蓮の滝入口 写真中:「天城越え」の歌碑 写真右:浄蓮の滝
予定より30分ほど早く、『湯ヶ島温泉・木太刀荘』にチェックイン。
この『木太刀荘』は、昭和60年に家族で伊豆旅行をしたときに宿泊した宿で、当時は湯ヶ島町営の国民宿舎で、かなり安いお値段で宿泊した記憶があったもので、今回もここに予約してみました。この『木太刀荘』という名称は、源頼朝による開湯伝説に由来し、伊豆配流中の頼朝が突き立てた一本の木太刀から不意に熱い湯がほとばしったことからきているらしい。
部屋は狩野川に面した静かなたたずまいであります。
早速風呂に行きます。『世古の湯』と『木太刀の湯』があり、夜中に男女入れ替えになるそうですが、今は『世古の湯』が男性用。他にお客はおらず、3人で貸切状態です。
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写真左:世古の湯露天風呂(頼朝の湯) 写真右:世古の湯洞窟風呂
夕食は、舟盛りに伊勢海老の陶板焼きのコースで8,140円/人(入湯税、消費税込)というお値段。飲み物を含めても8,935円/人で上がりました。
夕食後、ちょうど開催されているほたる祭りを見学に行きます。実は私、まだほたるを見たことがありません。長野育ちと言っても、私が住んでいたのは長野駅に近い市街地、ほたるなんか飛んでいるような環境ではありませんでした。
ほたる祭り見学には、撮影禁止、携帯ダメ、懐中電灯も虫除け器もダメということで、宿で提灯を借りていきます。
写真:提灯を借りてほたる祭りを見学に行く
狩野川の支流にあるほたる祭り会場入り口で提灯を預けます。暗闇の中を進んでいくと、青白い光が乱舞しています。これでもまだ最盛期の半分ということですが、私にはもうこれで十分、ちょっと感動ものでありました。
宿に戻って携帯をチェックしてみると、着信履歴が。そのうちにまた電話がかかってきました。大沢温泉の民宿のおばあちゃんからです。6月に入ったらもう一度電話をくださいってことだったので、電話しなければ当然予約にもならないと思っていたし、こちらの電話番号も知らせてなかったからいいだろうと思っていたが、かけたときの番号が残っていたらしい。明日はお見えになりますか…?って、行かねえよ。確認するんなら、前日の夜じゃなくてもっと早く電話寄越せよな。…というわけで、またいつか長九郎山に登るときはお願いしますね。
私は寝る前にもう一度風呂に。湯ヶ島温泉では『河鹿の湯』という共同浴場にも入ってこようと思っていたのですが、宿にこれだけいい風呂があれば、わざわざ出かけていくこともないでしょう。
風呂から上がってくると、哲ちゃんはもう眠りについていました。
1泊2日の通常の旅行では、もう翌日は帰るモードになってしまいますが、今回はまだ3日も遊べるぞ。
いつもどおり4時起床です。
24時間入浴可能なので、早速風呂に行きます。今度は『木太刀の湯』が男性用。宿泊客が少ない上にこの時間帯、当然貸切状態です。露天風呂に出てみると、せせらぎの音に混じって雨の音がしています。それもかなりの降りですよ。この旅行中は雨の予報はなかったはずですが…。
哲ちゃん、丹ちゃんと起きだしてくる頃には、雨は少し小降りに。
哲ちゃん、風呂行こうぜ…と丹ちゃん。俺は誘わねえのかよ。何!また行くのかよ。当然でしょ。…というわけで、これで4回目の入浴です。
♪雨に〜♪
って歌あったよな、と丹ちゃん。そりゃ雨に…で始まる歌はたくさんあるでしょうけど、今の感じは、♪伊〜豆の夜雨を湯船で聞〜け〜ば♪じゃないですか?あ、そうそう。これは大下八郎の『女の宿』でしょ。♪雨に〜♪から『女の宿』を連想する私の豊かな感受性も大したもんでしょ。…というわけで、『女の宿』熱唱です。
朝食後チェックアウト。雨はもう気にならないくらいに上がっています。宿の前で写真に納まって、ハイ、2日目の行程に出発ですよ。
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写真左:天峡の湯 写真右:木太刀荘入口にて
今日は伊豆の西海岸から南伊豆に回って下田で宿泊の予定。
まず、明日の宿泊地になる土肥温泉方面に向かいます。途中見かけた土肥金山の看板には、純金ソフトの文字が。みかんソフトも食わねばならぬし、純金ソフトも…。
西海岸に出て、宿泊先の『桂川シーサイドホテル』が右手に見えます。幹事のチューになり代わって私たちが下見をする格好です。どうせチューのことだから、宿の手配しただけだろうからね。
しばらく行くと、『土肥・達磨寺』の大きな看板が目につきます。達磨と言えば高崎、これは関東人の常識。何でこんなとこに達磨…?駐車場に車を停めるや否や、すぐにおばちゃんが出てきて、いろいろと説明を始めます。気の弱い親父3人、半ば強引に拝観料を払わされることになりました。はい、写真撮ってあげるから並んで…。はい、大金持ち〜イ。何のことかと思ったら、はい、チーズ、ってことね。だったら、貧乏神〜イ、でも同じだね、って、どうしてそういう罰当たりなこと言うかね。縁起がいい方がいいに決まってるでしょ。人間素直が肝心よ。
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写真左:達磨大師像 写真右:はい、大金持ち〜
ここで又丹ちゃんに運転交代です。
次、『恋人岬』行きます?
この親父3人で『恋人岬』行ってどうすんの。ごもっともです。
『黄金崎』ってのがありますが?
西日が当たるから黄金色になるんでしょ。朝から西日が当たるのかね。申し訳ありません。
堂ヶ島に直行します。
以前家族で堂ヶ島に来たときには、雨で洞窟めぐりの船に乗れなかったという丹ちゃん。今日は乗りますよ。
写真:洞窟めぐりの遊覧船
船の上から沢田公園が見えます。あそこなら雨ン中写真撮りに行ったことがあるぞ…と言う丹ちゃん。
じゃ、折角だからちょっと露天風呂入っていきましょう。
この露天風呂も最近人気が高くなっていて、駐車場には入浴料徴収のプレハブ小屋が建っています。近年の集中豪雨で被害があったと聞いていましたが、現在では修復が終わっています。こんな高台でどうして…と思ったが、どうやら横手にある山が崩れたらしい。一足遅れてやってきた丹ちゃん、親父が寝てたから入浴料払わずに済むかと思ったら、通りがかった軽トラがクラクション鳴らして起こしていきやがった。
写真:沢田公園露天風呂
絶景の露天風呂を楽しんでから、松崎町に向かいます。
松崎町では『伊豆の長八美術館』を見学です。伊豆の長八こと入江長八は、江戸の左官として前後に比類のない名人であったそうな。狩野派の絵を学び、漆喰鏝絵として高く評価されている。
何でこんなとこに鰻塚があるんだろうね?と丹ちゃん。何か可笑しいなと思ったら、鰻じゃなくて鏝だったんだね。『鏝』なんて漢字、見たことも書いたこともないもんね。
入口で、ご希望でしたらご説明いたしますが…と言われ、丹ちゃんの顔を見たら、首を横に振っている。いや結構です、とお断りすると、それでは順路だけご説明しますとお姉さんが言う。何、あなたが説明してくれるんですか?と丹ちゃん。そうですが…。それじゃお願いします。
後で聞いたら、入口付近で屯していた老人がボランティアで説明するのかと思ったとのことでした。
写真:伊豆の長八美術館にて
伊豆では行ったことがないのは伊豆高原と松崎くらいかなと言っていた哲ちゃん、これで伊豆は完全制覇ですな。
松崎から海岸線沿いに走ると、雲見温泉手前に赤井浜露天風呂があります。この露天風呂も、最近混浴露天風呂として人気が高まっています。海岸線に下りていくところに小さな看板があるのですが、駐車スペースがありません。少し戻ったところに有料駐車場の看板があり、連絡場所も記載してあるのですが、携帯電話は圏外でつながりません。料金箱があって、封筒に車のナンバーを書いて入れてくださいとある。だったら封筒くらい用意しておくべきじゃないでしょうか。
海岸線まで下りると、コンクリート造りの脱衣場があって、一応男女別に仕切られてはいるものの、目隠しはカーテン1枚です。平日の昼間にこんな露天風呂に入りに来るような変わり者の女性はおりませんよね。
写真:赤井浜露天風呂
水平線がちょうど目の高さにあって、いや、いい風呂ですね。私、今朝からもう4度目の入浴です。
雲見温泉は、家族で伊豆旅行をしたときに宿泊した地でありますが、今回は素通りです。家族旅行のときには、翌日船で波勝崎に遊んだのですが、今回は車で波勝崎に向かいます。駐車場から野猿が群れ遊ぶ海岸縁まではバスで送迎してくれます。
波勝崎苑の管理人の親父、一日中猿ばかりを相手にしているせいか、いや、よくしゃべることしゃべること。この管理棟から猿に餌をやることができるのですが、3歳になったばかりだった長女が、猿に引っ掻かれそうになったことを思い出します。
現在のボス猿の名前は進次郎だとか。じゃ、先代は純一郎かい?
写真:波勝崎
波勝崎から石廊崎に向かう途中で昼食。
伊豆に来てから海のものばかり食べてきた反動でしょうか、丹ちゃんと哲ちゃんはカレーです。カツカレーがないのがちょっと残念なようではありますが、伊豆まで来てカレーかねえ。私は磯うどん。だけど、出てきたのは、これ蕎麦じゃねえの?と言いたくなるような麺の細さ。うどんは太くなくちゃ。
車は西伊豆町から南伊豆町に入ります。
昔ヤノと歩いた仲木、入間付近を走り、石廊崎へ。
石廊崎遊覧船乗り場は有料駐車場となっていて、小型車500円となっています。その手前に広い駐車スペースがあって、こちらは無料で停めることができるようです。無料で停められる広いスペースの奥に有料駐車場作ってどうするつもりなんだろう。遊覧船に乗るお客は、駐車場料金も払って、乗船券も買って、って、そんなバカな話もないでしょうにねえ。
その有料駐車場の脇から石廊崎の先端まで歩いていくわけですが、これがなかなか大変な上り坂です。哲ちゃんはサッサと歩いていって、あっという間に見えなくなってしまいました。途中、廃墟と化したレストハウスが建っています。昔ヤノと訪れたときには営業していたんだろうになア。
20分ほど歩いてようやく石廊崎の灯台、石室神社、そして石廊崎の南端です。遠く伊豆七島の島影がぼんやりと見えています。
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写真左:石廊崎灯台 写真中:石室神社 写真右:石廊崎
今日の観光の予定はすべて終了。下田に向かいます。時間的には予定よりも早く下田に着きそうで、下田の街をぶらつく時間がとれそうです。
下田での宿泊先は、海辺に建つ『下田海浜ホテル』。朝夕ともバイキングなんですが、込み込みで6,930円/人と非常に安い。おまけに夕食時のアルコールも飲み放題ですよ。
夕食までの時間を利用して下田の街を歩いてみました。ホテルから10分ほどで、ペリーロードと呼ばれる掘割の道になります。まア、ここと了泉寺を押さえておけばおけば下田はOKですね。了泉寺は、幕末に、ペリーと幕府の間で日米下田条約が結ばれたところであります。
それにしても、廃業したホテルが廃墟と化して、壁には蔦がびっしり。費用の問題もあって、壊すに壊せないんだろうけど、これじゃ下田のイメージも悪くなるばかりだよね。
写真左、中:ペリーロードにて 写真右:黒船をあしらったマンホール蓋
写真:了泉寺にて
ホテルに戻って風呂入ります。今日5度目の入浴です。
『和歌の浦』と『望洋』という大浴場があり、夜中に男女入れ替えとなるようですが、今は『和歌の浦』が男性用です。
写真:下田海浜ホテル
夕食は前述のとおりバイキングで、アルコールも飲み放題なんですが、もう慾で飲み食いできる年齢じゃないですね。
明日は今までと違ってチューの毒気に晒されることになります。明日に備えて早く寝ましょう。
2日間よく遊んだと思ったけれど、まだ2日も遊べます。3泊4日ってすごいなア。
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