獅子の会珍道中

第19回獅子の会旅行会顛末記(於 裏磐梯・五色沼)

平成22年6月14日(月)発行

発行者:久米昇

序章(学生時代の安達太良山登山の顛末)

昭和45年10月11日21時上野発の夜行列車に身をゆだねていたのは、獅子の会メンバーのうち、ヤノと哲ちゃんと私の3人でありました。その夜行列車が、翌12日早朝、福島県の二本松駅に到着したとき、二本松は三日も前から降り続いているという雨に煙っていました。
いったいどういうことから安達太良山に紅葉を見に行こうなんていう話になったのか、まったく記憶になく、また、どこからどういうコースで登るのかということも詳しくは知らぬまま、泊まりは野地温泉に予約したという哲ちゃんの言葉を鵜呑みにしての行動だったわけです。
駅前の停留所のバスの時刻表を見ながら、安達太良山の登山口まで、とにかく一番早く出発するバスに乗ろうということになりました。
バスを降りて、ポンチョを被り、雨の中を歩き始めました。
登山道は川沿いの道で、絶えず川音がしていました。三日間も雨に洗われ続けた紅葉は文句なく綺麗だったように記憶しています。私は、このとき見た紅葉が一番綺麗だったと、今でもそう思っています。それは、降り続く雨のためカメラを取り出す余裕もなく、そのときの写真が一枚も残っていないことからくる私の思い込みなのかもしれないのですが…。まア、もし写真を撮っていたとしても、カメラに入っていたのはモノクロのフィルムだったわけですから、結果は同じことだったかもしれません。
どのくらい歩いたのか記憶にも残っていませんが、案内板に導かれて「くろがね小屋」までたどりつきました。小屋に入ると、まだ新しい木の階段が目に飛び込んできました。もう大分前のことになりますが、温泉ブームが高まって、温泉に入れる山小屋として「くろがね小屋」がテレビで紹介されたとき、あのとき見た木の階段が鮮やかに蘇ったのです。実は、「くろがね小屋」という名前もこのときに知ったわけで、当時は小屋の名前も知らなかったのです。
小屋から少し登ると尾根に出ました。雨は降り続いていて、尾根に出たことから風も強くなり、ポンチョの裾を煽っていました。本当は3人とも心細い思いをしていたのではないかと想像するのですが、若さも手伝って、引き返そうという言葉は出ませんでした。行く手にかすかに見えた白い標柱を指差して、あそこまで行けば何か見えるかもしれないという、何の根拠もない哲ちゃんの言葉に励まされるように、とにかくその標柱のところまで登りました。その標柱に何と記されていたのか、もう覚えてもいません。目的地は野地温泉ということだけは分かっていたわけですから、多分案内板に導かれて、野地温泉方面へ足を向けたのでしょう。
そこからはもう引き返すわけにもいかず、降り続く雨の中を、小川と化した登山道を黙々と歩いていきました。
ようやく遠くに車の音が聞こえ始め、車道脇に降り立つと、すぐ眼の前にホテルの建物がありました。もう薄暗くなりかけていたことから考えると、午後4時は回っていたのではなかったでしょうか。今思うと、無事に下山したからよかったものの、一歩間違えば遭難ということにもなりかねなかった登山でした。
ホテルに入っていくと、予約してあるという哲ちゃんの言葉とは裏腹に、予約は受けていないと言われてしまいました。それでも部屋は空いているとのことで、湯治客専用の部屋に案内してもらいました。隣の部屋とは襖一枚隔てただけという部屋だったように記憶しています。
雨で冷え切った身体を温めようと、早速風呂に向かいました。大浴場に下りていく階段だけがやけに印象的でした。大浴場は混浴で、おじいちゃんやおばあちゃんに交じって湯船に身を沈めました。
夕食に何が出たのかまったく覚えていないのですが、飛び込み客という扱いだったのですから、大したものは出なかったのではなかったでしょうか。夕食の後は、疲れも手伝って、すぐに布団にもぐりこんでしまいました。

翌日、ホテル前のバス停から五色沼方面に向かいました。バスに乗ってすぐに、新野地温泉の看板が目にとまりました。哲ちゃんが予約したっていうのは、こっちじゃなかったの?
五色沼を散策した後、再びバスで会津若松に向かいました。鶴ヶ城を見学してから、会津若松駅周辺で、列車の待ち時間を利用して一杯やろうということになったのですが、当時の会津若松駅は中心街から外れた場所にあって、そんな場所も見当たりませんでした。交番で訊いてみろとヤノにそそのかされて、恐る恐る、この辺におでん屋さんはありませんかと尋ねてみたら、私はあんまりそういうものは食べないもんで…という答えが返ってきました。

第一部(40年前の記憶をたどって… 安達太良山登山)

昭和45年の安達太良山登山、私はずっと安達太良山に登ったものとばっかり思っていました。
山を歩き始めるようになってから、あのときどういうコースをたどったのか地図で確認してみようと思ったところ、重大な事実が判明したのです。
記憶にあるのは、登っていった登山道は川沿いの道であったこと、途中で山小屋に立ち寄ったこと、下山したのは野地温泉ということくらいでしたが、それに該当するコースとしては、塩沢温泉から湯川渓谷沿いに登り、「くろがね小屋」を経て、鉄山、箕輪山、鬼面山を縦走して野地温泉に至るというコースでした。しかし、そのコース上に、安達太良山のピークはありませんでした。あの時、「くろがね小屋」から尾根に出て、哲ちゃんに指さされた白い標柱はおそらく鉄山の山頂だったと思うのですが、安達太良山の山頂はその逆方向にあったのです。
以来、私はずっと、いつかあの日と同じコースをたどりたいものだと思ってきました。

丹ちゃんから、今年の獅子の会の案内が送られてきたのは、3月末のことでありました。昨年の獅子の会の席上で、今年は裏磐梯ということになっていたのですが、そのときから私は、この機会に是非安達太良山に登ろうと考えていたのです。
見るも無残な体形になってしまったヤノは、絶対に足手まといになるので誘いませんが、ひょっとしたら哲ちゃんも行くと言わないだろうかと声をかけてみたところ、案の定私の提案に乗ってきました。
本来ならば、当時とまったく同じコースを歩きたいところではあるのですが、時間と体力の関係上、今回はゴンドラリフトを利用して、当時踏むことのなかった安達太良山のピークを踏むこと、当時立ち寄ったくろがね小屋の写真を撮り、入浴すること、更に下山して泊まった野地温泉にもう一度泊まって、あの混浴の大きな風呂に入浴することに、的を絞ることにしました。多分鉄山の山頂だったと思うのですが、雨と霧の中で見た白木の道標も確認してきたいのではありますが、時間的にちょっときつそうなので今回は諦めることにしました。もっとも40年前のあの白木の道標が今でも残っているかどうかの方が疑問でもあるので…。
野地温泉ホテルには予約がとれましたが、当時混浴だったあの大きな風呂(千寿の湯というそうです)は、現在では時間を区切って男女別浴になっているとのことでした。

そんなわけで、平成22年6月12、13日両日、丹ちゃんの計画に基づき、裏磐梯・五色沼の畔で第19回獅子の会が催されたわけですが、その前日、私は哲ちゃんと、40年前の記憶を呼び起こしながら、安達太良山に登ってまいりました。
哲ちゃんは10日には郡山まできているということで、私が、11日朝ホテルまで迎えに行くことになりました。民主党政権の体たらくで、高速上限2,000円の実施が見送られることになり、私は高速料金節約のため、深夜割引(50%OFF)を利用しようと、未明3時半出発の予定を立てましたが、嬉しさから早く目が覚めてしまい、3時前には出発することになりました。時間的に余裕もあることから、長野ICから乗る予定を、須坂・長野東ICから乗るように変更し、更に100円のコストダウンに成功いたしました。
上信越道、北陸道、関越道、磐越道、東北道と乗り継いで、郡山ICを降りたのは7時過ぎ、予定より1時間も早く哲ちゃんの宿泊場所に着いてしまいました。
趣ある岳温泉街を抜けて、奥岳温泉の登山口に到着。

 写真:奥岳登山口

歩き始めてすぐに丹ちゃんから携帯に電話が入る。自信がないようなこと言ってたけど、哲ちゃんは大丈夫か?との確認の電話。ヤノじゃないから、全然問題ございません。30分足らずで「仙女平分岐」に至り、ここで小休止。
ここで、中学生の集団登山の一団が休んでおり、先に行ってしまおうと腰を上げたのですが、先頭に出ることができず、この中学生の一団の中に入って登山を続ける羽目になってしまいました。この中学生たち、丹ちゃんの地元の葛飾の中学二年生ということでありました。
体力的には一番ある時期ではないかと思える中学生の中に交じって登るのは大変で、ちょっと小走りに登られようものなら、ついていくのにもう息も絶え絶えであります。
歩き始めて1時間ほどで、安達太良山山頂の標柱のある山頂直下に着きました。ここまで、1時間35分を見込んでいたわけですので、まア非常に順調といったところです。件の中学生たちはここで休むらしいので、私たちは一気に山頂まで上がりました。安達太良山は別名乳首山ともいい、遠くから見ると、山容が女性の乳房に似ており、そのちょうど乳首にあたるのが、ここから山頂の部分になります。
短い鎖場を通過して、山頂に立ちました。所要時間、1時間8分。
あいにくガスってしまい、山頂からは何も見えませんでしたが、ほんの一瞬、ガスの切れ目から鉄山方面の稜線が見えました。

 写真:安達太良山山頂にて

哲ちゃん曰く。うん、確かにここには登ってないなア。(実は、哲ちゃんも安達太良山に登ったと思っていたらしい。)
山頂直下の標柱まで下ると、ちょうど中学生たちが下り始めたところでした。
中学生の一団も、矢筈の森方面に下っていきます。ずっとこの後をついていくのでは敵わないと、ちょっと広くなったところで追い抜きにかかりました。登りでは体力の差で敵いませんが、下りになれば経験と装備の差が出ます。一気に一団を追い抜いて先頭に立ちました。そのおかげで、鉄山方面への分岐に気がつかず、40年前に「くろがね小屋」から登ってきた地点を見落としてしまいました。もっとも、視界が悪い中では、40年前の思い出に浸ることもできなかったでしょうが…。
下り初めて40分足らずで「くろがね小屋」に着きました。予定より2時間早い到着です。これだったら、鉄山山頂まで行けたなアと思う反面、「くろがね小屋」でゆっくり時間が取れ、ゆっくりと入浴を楽しむこともできました。

 写真:「くろがね小屋」前にて

小屋の中に入ると、私の記憶に残っている木の階段が目に入ってきました。入口と階段の位置関係に、少し私の記憶とはズレはあったものの、それでも懐かしさがこみ上げてきました。400円の入浴料を払い、楽しみにしていた温泉に入りました。
温泉は岳温泉の元湯にもなっている白濁したお湯で、如何にも温泉らしい温泉でした。
しかし、またこの温泉が熱い。哲ちゃん、入れません。熱い温泉でも平気な私も苦戦です。
他に入浴客がいないのを幸いに、窓を開け放ち、ちょっと水でぬるめて、ようやく入湯。

  写真:くろがね温泉

風呂から上がって、小屋のテーブルを借りて昼食。
ここで話題になったのが、40年前は食事はどうしたのだろうかということ。雨がずっと降っていたのだから外で食事ができたはずはなく、この「くろがね小屋」でも、ポンチョさえ脱がずに出たのだから、ここで食事をしたとも思えない。そういえば、朝飯はどうしたのだろうかと思うものの、その答えも浮かんでは来ませんでした。ヤノは意外につまらないことを覚えていることがあるので、ひょっとしたら覚えているかもしれないなア。
哲ちゃん、小屋の内部を見まわしながら、当時のことを思い出そうとするが、昨日の夕飯も忘れてしまう年代では、40年前の昼食のことが思い出せるはずもない。この安達太良山登山さえ、自分で計画したことにまだ疑問符をつけていた。ヤノが計画するはずはないから、クメじゃなければ俺だよなア。

  写真:記憶にあった木の階段

思いがけず小屋でゆっくりしてから下山にかかる。私たちがゆっくりしていた間に、中学生の一団も下っていきました。
「くろがね小屋」までの登山道も、車が通れるほどに広がっていました。塩沢温泉への登山道と奥岳温泉への登山道は、途中まで一緒のように地図には書かれていましたが、その分岐にも気がつかぬまま、この広い登山道を下ることになりました。当時、私たちを導いてくれたはずの標識も見えませんでした。
旧道を利用して、馬車道を行く中学生たちの前に出て、小屋から1時間10分ほどで奥岳登山口に至る。予定より、2時間20分も早く着いてしまったことになります。だいたい、「くろがね小屋」から奥岳登山口まで、標準時間で2時間もかかるわけねえよなア。

時間が余ってしまったので、二本松市街に戻り観光。
二本松城(別名:霞ヶ城)は、修復された石垣が美しい。天守閣跡まで登ってみたが、相変わらず曇がかかっていて、「樹下の二人」に出てくるように、あれが阿多多羅山とも指させなかったし、あの光るのが阿武隈川とも指させなかった。ただ、戊辰戦争の際、会津藩の白虎隊と同様、二本松少年隊の秘話があったということは学んできました。

 写真:二本松城(霞ヶ城)

二本松といえば「智恵子抄」。文学老人の私たちにとっては、智恵子抄の舞台はどうしても外せないところ。智恵子の生家は造り酒屋で、「花霞」という銘柄のお酒を造っていて繁盛していたらしいが、次第に傾き始め、一家離散の頃から、精神を病むようになったらしい。現在、生家のある通りは「智恵子純愛通り」と名付けられておりました。
智恵子記念館(智恵子の生家)の近くに和菓子屋さんがあり、コロンビア・ローズ歌うところの「智恵子抄」が絶えず流れていました。
♪ 東京の空 灰色の空
   本当の空が見たいという
    すねて甘えた智恵子 智恵子の声が
     ああ 安達太良の山に 今日も聞こえる ♪

 写真:智恵子生家

二本松観光を済ませ、今日最後の目的地である野地温泉に向かいます。
NAVIの案内どおり車を走らせると、車は、40年前に登山口として使った塩沢温泉に向かっていく。これはひょっとしたら昔歩き始めた登山口の写真も撮ってこれるかもしれないと期待したが、残念ながら、塩沢温泉の手前で右折してしまいました。

野地温泉ホテル到着、午後4時過ぎ。
フロントでチェックイン。部屋まで案内してくれたお嬢さん。こちらは初めてですか?
いや、40年前に一度お世話になってるんですよ。
その当時とはちょっと変わってるかもしれませんが…って、あんたまだ生まれてないだろ。

早速思い出の風呂へ。
当時混浴だった風呂は、時間制で男女別浴になっていました。
浴場(千寿の湯)へ続く階段も、当時の様子とは変わってしまっていました。

   写真:千寿の湯

夕食後、今度は「天狗の湯」という風呂に入りに行きました。今日三度目の入浴です。

   写真:天狗の湯

朝早かったせいもあって、早々に床につきました。
夜中に目を覚ますと、星が綺麗に瞬いていました。

第二部(獅子の会)

今年の獅子の会は、例によって哲ちゃんの手配で「裏磐梯ロイヤルホテル」で開催されることになっていて、11時40分に「磐梯町駅」で待ち合わせということになっています。昨日の格調高さから、今日はまた俗世間の垢にまみれた連中と会わなければなりません。

野地温泉ホテルで朝を迎え、この旅行で四回目となる入浴(男性専用:剣の湯)後、ホテル前に出てみました。
快晴で、ホテルの背後に山並みが見えましたが、あれが鬼面山でしょうか?そして、ホテルのすぐ脇に登山口がありました。40年前、ここに下山してきたわけですから、何の疑いもなく、目の前のこのホテルに飛び込んだのも無理からぬことだったでしょう。数十b先に新野地温泉は見えていましたが…。

 
写真右:野地温泉ホテル 写真右:40年前は、ここに下ってきました

待ち合わせの時間までを利用して猪苗代湖に向かいました。
安達太良山の山並みは確認できません。またどこかで見えることを期待しましょう。
その代り、今度は磐梯山が大きく見えてきます。昨日高速を飛ばしてきたときは、曇っていて何も見えなかったものだから、今日はまた一段と美しく見えます。

猪苗代町に入り、「野口英世記念館」に向かいます。
子どもの頃に読んだ偉人伝には欠かせない人物。

見学を終えて、フナキに電話してみる。あいつのことだから、どうせ早く出てくるだろうとの思惑どおり、ちょうど今猪苗代ICを降りたとのこと。早く着きすぎたので、磐梯町駅への最寄インターの磐梯河東ICではなく、猪苗代ICまできたとのこと。グッドタイミングでフナキと落ち合うことができました。
猪苗代湖畔まで出る。ちょうど遊覧船が出るところで、所要時間30分、料金1,000円。時間つぶしに乗船してみることにしました。
湖上から見る磐梯山もいいもの。

 写真:猪苗代湖遊覧船

遊覧船観光を終えて、待ち合わせの「磐梯町駅」に向かう。
NAVIの案内どおりに行ったつもりが、付近で道を間違えました。だって、こんな細いとこ行くわけないだろうと思ったものですから…。
周囲には何もない無人駅。どうしてこんなとこ待ち合わせ場所にしたの?ここで皆と落ち合って昼食の予定だよ。食堂なんて何処にあるのよ。食堂どころの話じゃないよ、改札口だってないんだから。普通無人駅だって改札くらいあって、使用済みの切符入れる箱くらいあるってもんじゃないの?それでも電車の本数は、1時間に1本はあるんだからすごい。第4回獅子の会で待ち合わせ場所だった御殿場線の谷峨駅は、1日に何本か…ということで、時刻表はほとんど白かったんだから。さすがとっつぁんの地元と、妙なところで感心したのを覚えている。
定刻、丹ちゃん、チュー、とっつぁんの3人がご到着です。とっつぁん、例によってワンカップご持参です。これが3本目で、電車の中からずっと一人宴会の状態とのこと。ヤノがいなくてよかったよ、とは丹ちゃんの弁。

切符何処入れるんだよ。
記念にお持ち帰りください。
これだったら、ここまで切符買ってくることもなかったな…って、どうしてそういうこと言うかね。

とにかくこの付近には何もないことが分かったので、とにかく磐梯山ゴールドラインに入って、何処かのレストハウスに入ろうということになりました。
ゴールドラインに入って最初の景勝地:山湖台、通過してしまいました。
滑滝展望台、とにかく一度、記念写真撮りましょう。

 写真:磐梯山を背景に記念写真

滑滝?何処にあるの?見えません。
とび滝展望台、とっつぁん車から降りようともしません。
まぼろしの滝、まぼろしだよ。遊歩道を歩くコース、最初から割愛の計画です。
ゴールドラインの最高地点・八方台。磐梯山の登山口にもあたり、満車状態。レストハウスの影もありません。通過。
黄金平、望湖台、すべて通過です。
ようやくレストハウスが現れたと思ったら、もう五色沼じゃん。

レストハウスでようやく昼食にありつきます。
とっつぁん、今度は会津誉の二合瓶ですか。大丈夫ですか?
私は手打ち蕎麦。信州から出てきて蕎麦かよって、何処でもカツカレー食ってる奴に言われたくねえよ。

ここまできたら、もうホテルに車を置いて五色沼散策に出かけようということで、いったん裏磐梯ロイヤルホテルに向かう。
ホテルから毘沙門沼までは徒歩約7分。
ああ、ここだここだ。40年前、安達太良山登山の翌日、五色沼を散策したのはここだった。靴擦れで痛む足を引き摺って、この売店の前を通ったよなア。
毘沙門沼の向こうに磐梯山が聳えています。

ボートに乗ろうぜ。というわけで、青春時代に戻って、手漕ぎボートに乗ることになりました。
係員にとっつぁんがダメだし喰らっています。何かと思ったら、とっつぁんが手にしていた会津誉の二合瓶。飲酒しての乗船はできないということらしい。そんなこと常識じゃん。じゃ、ここに預けていきましょうと、とっつぁん。飲んでませんか?という係員の問いかけに、全員で、全然飲んでませ〜ン。って、底の方に少し残ってるだけですよ。だって、仲間外れになっちゃうじゃん、って、とっつぁん可愛い娘ぶったってだめですよ。
とにかく二合瓶を預けて、2艘に分かれて乗船。ボート漕ぐなんて何年振りだろう。

   写真:毘沙門沼

チューの指示がやかましい。あっち行って、こっち行って。右、右、左。自分は漕ぐ気まったくありません。
向こうへ行ってみようぜ。後10分しかありませんが…。10分あれば十分だって、頼むから帰ってくる時間も計算に入れてください。

五色沼の散策。
とっつぁんは例によってリタイヤ。飲みすぎですよ。
紅葉の頃は綺麗なんでしょうが、今だって十分綺麗ですよ。

 写真:五色沼散策

昼食をとったレストハウスの前からバスでホテルに戻ります。
ホテルの敷地内までバス入れちゃうんだから、大した力ですね。
例によって、ホテルの方はすべて哲ちゃん任せ。チェックインしている間に、全員ロビーでお疲れムード。
部屋の窓からは磐梯山がよく見えました。

部屋に入って、とりあえずビールですか。冷蔵庫何も入ってませんよ。自販機で買ってこいってやつだね。
とっつぁん、さすがにグロッキー状態です。
さ、5時回ったし、風呂行きましょ。このホテルの風呂は、五色の湯と称して一応温泉です。この旅行中、私と哲ちゃんは、もう5回目の温泉ですよ。

 写真:五色の湯

とっつぁん、マッサージ椅子でダウンしてます。
宴会時間が迫っても、丹ちゃんなかなか戻ってきません。昔は、丹ちゃん、烏の行水だったと思うのですが、世俗の垢を落とすには時間がかかるんでしょうね。時間ギリギリで戻ってきた丹ちゃん、髪の毛乾かしてる時間なくなっちゃったなア。何処に乾かすほどの髪があるのか、しみじみと見つめてしまいました。
今度はとっつぁんが行方不明。さっき、1階のエレベーター前で牛乳飲んでたぞ。とっつぁんと牛乳という組み合わせがピンとこないのですが、確認に行ってもらいました。トイレで倒れてるんじゃないかと思って覗いてきたけど何処にもいねえぞ。老人特有の徘徊が始まったのでしょうか。

ようやく全員揃って宴会場へ。
とっつぁん、相当具合が悪いのか、乾杯もウーロン茶です。
お姐さん方が来てもテンション上がりません。俺、ちょっと部屋で休んでくるわ。
どっか他の部屋へ行くんじゃねえだろうな、とは思ったものの、そんな元気があるようには思えません。
今年のお姐さんたち、郡山からきたという由紀ちゃんと麻衣ちゃんの二人。
ちょっと訛りがある由紀ちゃんは会津の出だとか。半端な知識を振り回す由紀ちゃん。日本酒から作る焼酎があるというチューの言葉に、そうなんですよ〜。どうやって作るの?米から作るのとは違うの?酒屋・丹ちゃんの矢継ぎ早の質問に、知らな〜い。いつもはこんな話題に食いついてくる人いないもん。ああ、そう。で終わっちゃうから。こっちはどんな話題でも肴にしちゃう食いつきの良さを誇ってるんだから。もう入れ食い状態ですよ。中途半端な知識じゃダメなんだよ。
…と言ってるうちに、何故か話題は血液型の話に。
メンバー6人、お姐さん2人、8人のうちにB型はチューと由紀ちゃんの二人。イエーイ!って、ハイタッチするほどの話じゃネエとは思いますが、チューはご機嫌です。チューと、半端な知識の持ち主・由紀ちゃんとのお笑いコンビの結成です。その名も「中途半端(チューと半端)」。
もう一人の麻衣ちゃんも、私は日本人の8割がそうだというA型です。A型が8割もいるわけねえだろ。えっ、そうなんですか?じゃあ8割っていうのは、福島だけなんですか?こっちも相当な天然ですなア。
ご飯が出る時間になって、ようやくとっつぁんが戻ってきて、恒例の記念写真撮影になりました。

  
写真左:チュー絶好調 写真中:戻ってきたとっつぁんも交えて記念写真 写真右:二次会

二次会。とっつぁんはやっぱり欠席。
フナキもテンション低いです。眠たいのを、お姐さん方が残っているから必死で頑張っているという感じ。
乗りのいいのは、何といってもチューと半端。
カラオケのリクエストに、ボーイさんが確認にきました。さきほどお伺いした曲ですが…?だから「天城越」だって言ってるのに、どうしてリクエスト用紙が「あえぎ声」になってるの?♪あなたと上げたい あえぎ〜声♪ あほっ!

お姐さん方、2時間目いっぱい延長して引き揚げていきました。
さあ、寝るぞ。

部屋に帰っても冷蔵庫には何も入っていません。かといって、自販機に買いに行くほどの元気もありません。話だけしますか。
来年は20回目の記念開催。何とか全員集まってもらいたいとは思っているのですが…、哲ちゃんの情報では、シイノもはっきりしないし、チューの話では、ヤノも健康に自信が持てないらしい。薬漬けのフナキ、今回のとっつぁん、性格異常のチュー、元気な奴の方が少ねエじゃねえか。
ということもあって、チューは近くでの開催を提案し、今回の旅行で味をしめた私と哲ちゃんは、来年になれば全員還暦を過ぎるわけだから、そろそろ二泊三日でもいいんじゃないかと言う。
後何回、一人も欠けることなく開催できるのか、皆、次の開催を目標に、健康管理に気を遣ってもらいたいものだ。病気なんかしてる場合じゃねえぞ。
来年は、浜名湖で開催。ホテルの方は、また哲ちゃんにお願いして「浜名湖ロイヤルホテル」ということになりました。哲ちゃん、毎回毎回すみません。

第三部(病人組と健康組)

珍しく6時まで寝ていました。それというのも、チューと別部屋だったおかげでしょう。
それでも、とっつぁんの話だと、チューは夜中に起きだして、あっち行ったりこっち行ったりしていたらしい。チューも徘徊が始まったらしい。壁に向かってしょんべんでもするんじゃねえかと、とっつぁんは心配だったらしい。
朝食後、とっつぁんはこのまま帰るということで、駅まで送った足で、フナキも帰路に着くという。チューも、じゃア俺も帰るわ。
とっつぁん、酒は3日くらい飲まなかったんだけどよ〜ってさ、45年くらい飲み続けて痛めつけた肝臓が、3日くらいの断酒で何とかなると思っている気がしれないよ。医者行きなさい。
病人組(写真左下)は帰れ。折角福島まで来てるんだから、このまま帰ったんじゃもったいないと、健康組3人は、予定どおり磐梯吾妻レークラインに向かうことになりました。

 写真:「裏磐梯ロイヤルホテル」前にて

丹ちゃんのお薦めは、曽原湖の奥にある小さな沼。地図にも載っていないような小さな沼で、すみません、名前忘れました。カメラマンが途切れたことのない隠れたビューポイントという言葉を信じて行ってみました。静かなことは静かです。誰〜れもいないんだから。

磐梯吾妻レークラインに入って、まず三湖台で車を停める。桧原湖、小野川湖、秋元湖の眺めがいいということでしたが、二つしか見えません。ああ、秋元湖は反対側ってことね。一望で三つの湖が眺められるってことじゃないわけね。

 写真:三湖パラダイス

ここで運転を丹ちゃんの代わってもらいます。昨夜、ウィスキーをボトル半分空けてますが大丈夫ですか?
次は中津川渓谷。20分ほど歩くことになりますが、足手まといの3人がいないので、当然行きますよ。観光バスのおばちゃんたちも行くようですが、まア、はっきり言って、20分歩いていくほどの眺めじゃないですね。紅葉の頃はいいかもしれませんが。

 写真:中津川溪谷

レストハウスに戻って小休止。ここに、裏磐梯の三つの有料道路の割引券があって、今回この三つの道路をすべて走ってきたわけですから当然対象となったわけで、丹ちゃん、幹事さんの使命はこういう情報をとることにあるんだから、走り終わってからこんなこと言われたってダメだよ。早起きして100円節約したってしょうがねえななんて、私の努力を嘲笑う前に、自分を省みてくださいね。

双竜の辻は、磐梯山と安達太良山の眺めがいいと言われているところ。何とか安達太良山の山並みを写真に撮りたいと思っていた私ですが、車停めるところありません。何処か停めるところあったらお願いしますよ…って言ってるのに、浄土平に着いちゃいましたよ。後は東北道の安達太良SAに賭けるしかねえな。
吾妻小富士に登る浄土平。白根山に近い景色です。
ここも頑張って、吾妻小富士の稜線まで登ってみました。

  写真:吾妻小富士

レストハウスで、この旅行最後の食事です。
哲ちゃん、またカツカレーかい?いや、今日はお腹もあんまり空いてないから、カツはいいな、って、やっぱりカレーかい。
食事中、レストハウスが地鳴りするような感じで揺れています。やっぱり火山活動が続いてるんだなって思っていたら、ゆらゆらときましたよ。この日、福島で震度5弱を観測した地震がありました。

ここを最後の観光地にして、健康組3人も帰路に着くことになりました。
丹ちゃんと哲ちゃんを福島駅で降ろし、私は、東北道の福島西ICへ。
高速を走りながら見ると、右手に薄く安達太良の山並みが見えていました。期待しながら安達太良SAに入ったのですが、その期待もむなしく、SAからは安達太良山は見えませんでした。
順調に走り、予定より1時間以上も早く米山SAに到着。今日は夕飯は要らないと言ってあるので、ちょっと早めの夕食をとることにしました。食事中、丹ちゃんから電話が入り、もう帰宅したとのことでした。
7時少し前、こちらも無事帰宅いたしました。

来年は、20回目の記念開催、是非全員参加となりますよう期待しております。